『ポール・モチアン Trio2000+Two/オン・ブロードウェイ vol.5』

ボンバ・レコード/WinterWinter BOM25009 4月25日発売 

Paul Motian [drums]
Thomas Morgan [bass]
Loren Stillman [saxophone]
+
Michae¨l Attias [saxophone]
Masabumi Kikuchi [piano]

1. Morrock [Paul Motian]
2. Something I Dreamed Last Night [Sammy Fain]
3. Just A Gigolo [Leonello Casucci]
4. I See Your Face Before Me [Howard Dietz, Arthur Schwartz]
5. A Lovely Way To Spend An Evening [Harold Adamson, Jimmy McHugh]
6. Midnight Sun [Sonny Burke, Lionel Hampton]
7. Sue Me [Frank Loesser]

total time: 56:42

いちかけ、にかけ、さんかけて、仕掛けて、殺して、日が暮れて、橋のらんかん腰下ろし、はるかむこうをながむれば、この世は辛いことばかり、かたてに線香、花を持ち、おっさん、おっさん、どこ行くの、あたしは必殺仕事人。それで今日はどこのどいつをやってくれとおっしゃるんで。モチアンのウインター&ウインターの新譜ですか。

モチアンの新譜について書く。1931年3月25日生まれの生きたジャズ史であるドラマー、モチアン。ビル・エバンス、ポール・ブレイ、ジャレット、プーさん、というジャズの現代史を開拓したピアニストを支えてきたマエストロ。さらに現在も、まったくジャズの最前線を響かせている、そのミュージシャンの起用の見事さ、サウンドの瑞々しい化学反応を引き起こすテクネー、は、もはやドラマーとしての批評は不能であり、音楽にとっての生命線、である、謎、と、投機、踏み越えにサウンドは満ちているばかり。

なんでも好き嫌いなくまんべんなくジャズを聴きましょう、的な?保育園じゃねーんだから。三善晃、オットー・クレンペラー、ラドウィンプス、ルーファス・ワインライト、シガー・ロス、ウイリアム・パーカー・・・どのジャンルでも、ソレ、に、ピンときてなければだめなもんってある。ジャズではパーカー、当然だわな。マイルス、そう、電化マイルスを21世紀に凡庸なものに変容させた菊地成孔と坪口昌恭・・・なんてフレーズをつい口から出てしまうが、なんでも網羅すればいいというんではないんだ、たとえば今の若者がミスチルをコンプリートしてればビートルズの果実の大方がインストールされているといった具合に、・・・中略・・・現代ジャズでは現在のモチアンを聴け、ということだ。ところで、お兄さん、テザード・ムーンの『ファースト・ミーティング』はお持ちで?

なんか最近のECMアイヒャーも続けざまにモチアンがらみの音盤をリリースしてますぜ。

この『オン・ブロードウェイ Vol.5』は・・・、おいおいおい、いいベースじゃねーか、トーマス・モーガン!サックスが2本。アティアスとスティルマン。スティルマンは知らねえな。おお!おれがこないだ「これは聴かれなければならない」とリリースされて2年も経っているのにレビューをねじ込んだソニーの『カウンターカレント/日野=菊地クインテット』(本サイトDiscReview No.558参照)で瞠目したモーガンとアティアスじゃねえか。

前作『オン・ブロードウェイ Vol.4』はベースがラリー・グレナディア、サックスがクリス・ポッターというトリオで、菊地雅章とレベッカ・マーティンが客演扱いという布陣のトリオ+2だった。これが2006年のベストに挙げられる出来。ハッキリ言って、ここでのポッターを聴かなければおれはポッターの才能に気づかんかった(何度も書くが故ブレッカーがまるで遺言のように注目しているサックス奏者に挙げたのがターナーとポッターだった)。で、ここでのプーさんがかなりやばい。凄まじいピアノを聴かせている。トリオに、ヴォーカルのマーティンが加わるトラックと菊地雅章が加わるトラックに二分される編成なので、ここでの彼らはカルテットである。すごいレベルの花形だらけのカルテットである。

今回はベースがトーマス・モーガン、サックスがローレン・スティルマンというトリオで、菊地雅章とマイケル・アティアスが客演扱いという布陣のトリオ+2である。なんでトリオ+2などと名乗るのか。すべてクインテットでの演奏ではないか!野暮を言うのはやめよう、これはオトナの立ち位置についてのちょっとした知恵だ。凶暴な野獣のようなプーをトリオ本体に据えてみろ、このトリオ+2という形式だから力学は調和する。それでなくても、現在のプーの表現圧力は生涯最高潮にある。菊地雅章名義のCDは全部持っているが、本人には悪いが昔の代表作より今の演奏のほうがいい。

今回は2サックスということだ。サックスを複数立たせるというと、モチアンにとってのエレクトリック・ビバップ・バンドもあるが、あちらはブレンドされる音の生命体のようなゆらぎがキモである。こちらは対位法的な相互関係を含めてのクインテットではあるが、なかなかどうしてブレンド感もなかなかのものだ。モチアンとプーさん以外の3にんは知名度的にはまだまだだけども、いやー、3にんともいい。新しい才能を選ぶモチアンの慧眼もそうだけど、ニューヨークのミュージシャンの層の厚さを思わされる。

4曲目の「I See Your Face Before Me」なんかのウタゴコロ、スタンダード・ナンバーの料理仕方もたまんないなー。ひりひりするくらい瑞々しいくせして、深くて。音楽って、どこまでも行けて、深くて、すごいよ。こう、聴いてて、さ、笑みがこぼれてきてしまって、涙がでてきてしまって、どうしてこういうジャズの謎?切ないねえ。5曲目も・・・。

(蛇足)

こんなんこと書いてもしょーがないんだけど、おれさ、今朝、ジャレットのスタンダーズ『マイ・フーリッシュ・ハート』なんか聴いてしまって、まじ、吐き気がしてたんですよ。スタンダーズはいちおうリアルタイムで聴いてきていて、『スティル・ライブ』と『ウィスパー・ノット』があればいいと思っている。おれ、ジャレットのファンだと自負してる。『スティル・ライブ』で演っていた「ソング・イズ・ユー」のイントロなんて夢にみるくらいに好きだ。その「ソング・イズ・ユー」が『マイ・フーリッシュ・ハート』にも入っていたのだけど、そこでも耐えられない・・・。げろげろげろ。耳の、過剰摂取によるアレルギーという現象を想定してもいいのかもしれない。が。当のジャレットはこの『マイ・フーリッシュ・ハート』という作品について、特別な2001年のライブを発表の機会をうかがっていたと書いている。なに言ってんだこのおやじ。

でまー、ピアノトリオというフォーマット自体に、ジャズは飽いておると思われる昨今なのか。

だいたいテザード・ムーンという表現の地平をみせつけられていて、ジャレットやメルドーのピアノトリオとその亜流というマーケットを温存して甘やかしているだけのおれたちリスナーが悪いと思わないか?菊地雅章のピアノはワンオブゼムではない。老い先みじかいモチアンが彼を手放さない理由だってそこにあるだろ。

同じピアノトリオでアントニオ・ファラオのパゾリーニに捧ぐ。ファラオのピアノ自体はどうでもよくって、ヴィトウスの暴力団の用心棒めいた、ザヴィヌル死して後出しじゃんけんウエザーリポートヴィジョン(ユニバーサルシンコペーション2のこと)で仇討ちを果たしたベースの存在感と、それにじつにいい距離感を保てるユメール御大のタイコ、が、なかなかいい。パゾリーニに捧げられるような演奏だとは思えないけど。

たとえばさ、ジャレットがこういうヴィトウスとユメールと演るという賭博に身を晒すならば、それはそれなりにジャズを体現していると思える。『ウィスパー・ノット』作ったんだから、あとはすっぱりやめていいじゃないか。ジャズが到達するのは一瞬なの。ハッキリ言っていい?じじいのせんずり見せつけあいショウにおれたちはついてゆけない。なんなんだこの不健康な強迫観念は。ジャレットとウイントンは、その態度においておれには大差ないと思うんだな。

ポール・ブレイがJazzTokyo稲岡さんに取材を受けて「最近の若手ピアニストでは誰に関心がありますか」ときかれて「ダニロ・ロペスとブラッド・メルドウだ」と、真顔で応える批評性の笑いを、おれは今のジャレットに送りたい気持ちでいる。JT

(多田雅範)

参考サイト:
http://www.jazztokyo.com/newdisc/
558/hino_kikuchi.html

http://www.jazztokyo.com/newdisc/
364/vitous.html

http://www.jazztokyo.com/interview/
v54/v54.html

http://www.jazztokyo.com/newdisc/
412/jarrett.html

http://www.jazztokyo.com/interview/
v60/v60.html

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