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SJ: ギタリストの高柳昌行とは会いましたか?ニュー・ディレクションズというユニットを持っていましたが。
DB: 彼らのことは良く耳にしたけど、グループの誰にも会ったことはないね。 SJ: 不思議ですね。あなたが日本に行けばあなたに会いたいと手を尽している相手のことを考えると思いますが。 DB: 最近じゃどこへ出かけてもこの手の音楽を長らく手掛けている連中のことを耳にするよ。どれも事実だろう。僕がずっと考えてきたことは、正しい意味でのフリー・インプロヴィゼーションというのは特定の人間が始めたものではないということだ。いつもそこら辺に存在していた。たいていは見えないところで、とくに聴かれることもなく、ね。1952年にグラスゴーでも喋ったかな? 他のギタリストと出会ったり、手合わせを始めたたのは極く最近のことだよ。例えば、前回日本に出かけた時には、3人のギタリストを交えてコンサートをやったが、そのうちのひとりはギターとターンテーブルを担当した。 SJ: 大友良英ですか? DB: そうだと思う。良いコンサートだったよ。その夜は同じクラブで、田村光男という男が経営する(編集部註:田村光男氏は株式会社ステーションの代表であり、ピットインの経営者は佐藤良武氏である)新宿のピットインだが、大きなグループでも演奏した。ソウルから来た韓国人のパーカッショニストもいたな。彼はある種、驚くべき人物でね。 僕はホールの外、つまり、クラブの裏手の通路に自分のギアを取りに行ったところで黒ずくめのこの男を見たんだ。黒のTシャツ、黒のパンツ、そして黒の中折れ帽をかぶっていた。難しい顏をしていたので、“こりゃ、退散した方がいいな”と思ったんだ。ところが、彼は僕のあとを付いて階段を下り、クラブに入って来た。何のことはない、僕も彼と一緒に演奏することになってたというわけさ!彼の楽器はふたつの太鼓だけでスタンドにセットされていた。世界でも最大級の太鼓かな。写真を見せてくれたんだが、太鼓がトラックにセットされていて、片方を彼が演奏し、もう一方を他の男が演奏していた。ふたりの間は30ヤードはあったな!何れにしても、彼はふたつの太鼓を斜めにセットしていた。彼が馬にまたがるような感じだった。そして太鼓から充分距離をとって立ち、乗りかかるようにして太鼓を強打するんだ。つまり、太鼓の打ち方が半端じゃないということだ。そして出てくる音は途方もない大音響だった。 だけど連打するわけじゃない。太鼓に近付き、明らかに煮えたぎる闘志を持ってね、そして数回強打する。雷鳴のような轟き。そして引く。まあ、一種芝居じみているというか。彼の動きには音楽的に理屈に会うような流れがないんだ。タイミングも音楽的な規則に乗ったものではなかったし。僕が演ったことは彼の演奏におカズを添えた程度のものだった。彼と演奏できてとてもリフレッシュできたね。彼の演奏方法はとてもユニークだった。何年も前のことになるが、僕はよくテープを操作していたんだ。テープを作るだろう、それから中を抜いてしまうんだ。ソロを演るときにそのテープを回す。僕はいつテープから音が出るか分からない。ほとんど音が入っていないんだが、どこかで音が出る。だけど、まったく予測は付かないんだ。何回かはそのテープを使って演奏した。彼との演奏でそのテープのことを思い出したよ。 ミツオはいつも僕にとても良くしてくれたけど、まったく理解し難い面もあったね。たとえば、僕のソロで、とてもヒップでファッショナブルな大きなレストランにブックしてくれたりする。かと思えば、小さな仲間内のレストランに入れてみたりというのもあった。彼のギグはどれも実入りは良かった。まあ、楽に金は稼げない、ということだね。 SJ: そういう場所での反応は? DB: 完全に無視してくれるね。テーブルから10ヤードも離れていないところで演奏してるんだけどね。火災報知器がけたたましく鳴り出してもふたりで笑みを交わし合っておしゃべりを続けているような感じかな。 SJ: 演奏が終わったら拍手はもらえるんですか? DB: 僕がそこにいたことに初めて気が付いたようにあたりを見回すんだ。他の客が拍手をすれば彼らもするんだ。だけど、レストランでのギグに大きな拍手は意味がないだろう。店が食事以外で大成功しているとは思えなかった。客は食事を終えたらさっさと帰ってしまうからね。何れにしても、ミツオはいろんなギタリストや韓国のパーカッショニストに会わせてくれたし、カンパニー・ウィークに出演していたミュージシャンもピックアップしくれたからね。 |
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