♪ はじめに:『Astigmatic』と『Athmatic』
ジャズ・アルバム『Astigmatic』は今では説明無用の名盤としてお馴染みのことと思う。そう。1965年に世に出たポーランドのクシシュトフ・コメダの傑作である。では『Athmatic』は?こちらは『Astigmatic』から30年後に発売された"Miłoṡć"(愛の意味)という名のグループのジャズ・アルバムである。ちょっと紛らわしい名前なので日本でも話題になったりしたが、これもすばらしい演奏が詰まったポーランド生れの名盤である。"Miłoṡć"は、ポーランドで社会主義体制が終了(1989)するうえで大きな推進力となった、いわゆる"連帯"が生まれたグダンスクの若者によって結成されたグループである。
バルト海に面したグダンスクを中心に近隣の諸都市も巻き込んで90年代に音楽ムーヴメントが勃興、沸騰し全ポーランドの注目を集めた。既成の枠にはまることをよしとしない、ジャズ、ロック、フォーク、クラシック、詩、ダンスのパフォーマーたちが、ボーダーレスの活動を展開した。それは、80年代にニューヨークのダウンタウンから発したいわゆる"ニュー・ミュージック"ムーヴメントと共通する性格のものだったと言えるだろう。その中で、中心的存在となったのがジャズ・グループの"Miłoṡć"である。
このグループは、自分たちはjazzではなくjass(yass)を演奏するのだとマニフェストしたことから、このムーヴメントは"yass scene"と呼ばれた。"Miłoṡć"の音楽は、クシシュトフ・コメダの『Astigmatic』後、トマシュ・スタンコやズビグニエフ・ナミスウォフスキらが展開した自由なジャズの流れを汲みつつ、多ジャンルを混在させる傾向を強めていった。レスター・ボウイ(米国Art Ensemble of Chicago)との2作の共演作を含めて7作のアルバムを残している。そしてこのグループは、大先輩たちをさしおいて、90年代で最も重要なグループとして評価されるに至ったが、2002年に活動に終止符を打った。
"Miłoṡć"のメンバーは今、それぞれ活発に活動している。例えば、レシェク・モジュジェル(Leszek Możdżer; piano)はショパン作品の解釈、コメダへのトリビュートなどもあってとりわけ目立っている存在と言えるだろう。テナー・サックスのマチエイ・シカワ(Maciej Sikała; tenor & soprano saxes)は今やこの楽器では屈指の存在と言えるだろう。そして、ミコワイ・トシャスカ(Mikołaj Trzaska; alto、soprano & baritone saxes, clarinets)は、ポーランドを代表するクリエイティヴなインプロヴァイザー/作曲家として、その活動が常に注目される、重量級の存在なのである。ここでは、このトシャスカの活動にスポットを当てたいと思う。
♪ ミコワイ・トシャスカの演奏スタイル
トシャスカは1966年生まれ(グダンスク)、絵画を究めようと芸術アカデミーに進んですぐの1989年、ジョン・コルトレーンやオーネット・コールマンやエリック・ドルフィーのジャズに刺激されて独学でアルトサックスを学んだという。1992年に仲間とともに"Miłoṡć"を結成し、すぐの時期に作ったファースト・アルバム『Miłoṡć』の演奏は、よほど才能に恵まれていたのだなと思わざるを得ない達者な吹きっぷりである。活動は"Miłoṡć"にとどまらず、ナンセンス系ユーモアが売りのヴォーカルとのデュオ"Masło"、ポエトリー・リーディングとの即興演奏とのプロジェクト、映画や演劇のための音楽の作曲他、多彩な指向を示しながら、"Miłoṡć"のカリスマ性を高めるのに貢献した。
"Miłoṡć"を退いた2001年、夫人のOla TrzaskaさんとともにKilogram Recordsを創立し、それまで並行してきたいくつもの活動を、地道にアルバム化し始めた。
"Miłoṡć"時代のCDで聴くトシャスカは、曲想や時宜折々にかなった多彩なジャズ・サックス語法を織りまぜる知的な演奏ぶりが印象的であった。ライヴの現場ではもっとフリー・インプロヴィゼーションの比重も大きかったのかもしれない。というのも、Kilogram Recordsには、そちらの傾向が強い演奏も多いからである。といっても、パワープレイで押し切るような単調さを刻印してしまうことは一切なく、技巧的洗練を担保しながら、メロディックなinstant compositionを指向している様子がうかがわれる。換言すれば、作曲という行為を重視したインプロヴァイザーということになるのかもしれない。
♪ Kilogram Recordsダイジェスト
Kilogram Recordsの発売点数は、2013年1月現在で25点にのぼる。さすがは絵画畑にいた人だけあって、素敵なイラストがデザインされた紙性のパッケージはどれも興味深い。Kilogram Recordsのホームページ(http://www.kilogram.pl/)では、きれいにデータが整理されていて、初期のタイトルでは数曲MP3でさわりを聴けるようになっていて嬉しい。音楽の趣向は、物語性豊かなバラード、繊細なインタープレイ、ドイツの巨匠ペーター・ブレッツマンとの熟成フリージャズ、シカゴのケン・ヴァンダーマークとのマルチリード楽器トリオ、クレズマー調のクラリネット・カルテット、ポエトリー、文学を題材にとったものなどなど、実に多彩である。いくつか取り上げてみよう。
記念すべきKilogram Records第1作『Pieszo』は、自分が演劇、映画、TVドラマのために作曲した音楽を再アレンジしたもの。
第3作『Mikro Muzik』、第5作『La Sketch Up』、第6作『Danziger Strassenmusik』は、現代ポーランドの最強リズム・コンビの定評があるオレシュ兄弟(Martin Oleṡ:bass、Bartłomiej Brat Oleṡ:drums)とのトリオ作で、いずれも2000年代前半のポーランドにおける屈指の重要作との評価が相場だ。マクロ的視野には静謐的かつゆったりした味わい深いメロディが基調にあり、ミクロ的には繊細なパルスが息づき、メンバー感の交感も密である。スラヴ的なセンシビリティ、あるいはポーランド的リリシズムと言いたくなる。これもトシャスカのサックスの特徴の1つに数えたいと思う。3作とも詩情豊かな音楽であり、なにか重大な物語の中に誘い込まれるような気さえする。耳で観る映画、といったところである。
"Miłoṡć"後、トシャスカは国外での演奏も徐々に増えていった。その際の出会いから生まれたアルバムも数種ある。2003年にスカンジナヴィアを訪ねた際、ペーター・ブレッツマン(reeds)との共演でお馴染みのPeter Friis Nielsen(bass)、Peter Uuskyla(drums)とのトリオが誕生し、『Orangeada』(第12作)を制作。このトリオにブレッツマンが参加して生まれたのが"North Quartet"で、これは第11作『Malumute』を生んだ(2005)。その後、2007年にブレッツマンがヨハネス・バウアー(trombone)を伴ってポズナンを訪れた際、トリオでクラブ出演したときの記録が『Goosetalk』(第17作)である。
2006年に米国のジョー・マクフィー(reeds、trumpet)の"Trio X"と共演、翌2007年にケン・ヴァンダーマーク(reeds)の国際プロジェクト"Resonance"へ参加。そしてこれらのコネクションのもと、2008年秋にトシャスカは米国各地をツアーした(ニューヨーク、シカゴ他)。ヴァンダーマークとのつながりはその後も強く、例えば"Reed Trio"も結成され、木管楽器による作曲・即興演奏の融合の可能性を開拓している。"Reed Trio"では2010年に地元グダンスクのシナゴーグでのコンサートを録り『Last Train To The First Station』(第20作)として発表した。澄んだハーモニー、抒情的なメロディ、精緻かつカラフルなアンサンブルを基調として、多彩な音像が浮び上がる。
ところで、Kilogram Recordsではなぜかトシャスカのピアノとの共演録音があまり見当たらないが、例外的に1作、トマシュ・シュヴェルニク(Tomasz Szwelnik)とのデュオによる『Don't Leave Us Home Alone』(第19作)があり、これが面白い。ショート・トラック集で19曲収録。シュヴェルニクはほとんどプリペアド・ピアノ演奏で、特に決められたメロディを弾いているような部分はうかがわれない。弦をこする微弱音もうまく録られているので、トシャスカの反応の具合が手に取るようにわかって楽しくなる。メロディックなinstant composition指向が強く窺われる演奏と言いたい。
内容的に珍しい1作を挙げるとすれば、special editionとして2011年にリリースされた『Złota Platyna』がある。これは、2004年に始まったグダンスクの心神障害者センターの患者さんたちによるオーケストラ"Remont Pomp"(ポンプの修理)との共演録音である(オーケストラは主に打楽器アンサンブルで、ギタリストも含む)。思うところあって、トシャスカは米国のマイク・マイコフスキ(bass)とともに演奏とプロデュースを買って出た。打楽器群やヴォイスのミニマルタッチの持続が興味深く、トシャスカのアルバート・アイラーを彷佛とさせるような熱いブローも聴きものである。
近年のトシャスカの音楽は、ますます個人的色彩が強まってきているとの指摘がある(M. Nowotony)。それを端的に示すのは、ユダヤ・ノスタルジーとポーランド的メランコリーの滲出度の高まりであると言われる。表面的には、たとえばドイツのパウル・ヴィルクス(Paul Wirkus;drums, electronics)との『Noc』(第10作)には「Odessa」があり、その演奏は憂愁味が強く、クレズマー調と言ってもいい。このアルバムはドイツにおけるポーランド年に招かれて演奏したときのプロジェクト(A. Stasiukの同名の劇作のための音楽)が土台である。その2年後トシャスカは、伝統的なユダヤ音楽と現代のクリエイティヴなジャズに共通する分母を見出そうとするプロジェクトとして"Shofar"(角笛)をラファエル・ロジンスキ(Raphael Rogiński;el-guitar)、マチオ・モレッティ(Macio Moretti;drums)とともに立ち上げた。そのアルバムが第14作『Shofar』である。レパートリーは宗教的エクスタシーへと誘う曲・歌とのことである。ジョン・ゾーンやTzadikを思い浮かべないではいられない。
トシャスカはそうして個人的な色彩を強めるだけではなく、若い優れた才能の持ち主と組んで、彼らの音楽性をプレゼンテーションすることも怠らない。その例が、bass、Bb、Bbメタル、alto といったクラリネットとタロガトを持ち替えるカルテット"Ircha"である。すでに2010年『Watching Edward』(第22作)、2011年『Zikaron - Lefanay』(第24作)を発表し、ポーランド・ジャズ界に大きな刺激を与えた様子だ。トシャスカ以外の顔ぶれはクラリネットのスペシャリスト3人。ヴァンダーマークとの"Reed Trio"も兼務するヴァツワフ・ジンペル(Wacław Zimpel)はかつてモーツアルトを専攻した名手。シュトックハウゼン、クセナキスを学んだ俊才ミハウ・ゴルジンスキ(Michał Górczyńki )。クレズマー音楽の名手パヴェウ・シャンブルスキ(Paweł Szamburski)。『Watching Edward』では、メンバーのそれぞれ曲を提出しているが、出自が多彩だけに曲の性格は多彩である。複雑な和声とかシャープなリズムでアピールするのではなく、温もりと深みのある響きや、抒情美に満ちた旋律性が優先されていると言えるかも知れない。『Zikaron - Lefanay』ともなると、ロマの伝承曲、アルメニアの伝承曲、ハシディムの伝承曲も取り上げている。総じて、幽玄な趣が印象的なアルバムである。これは、今やスラヴ的なセンシビリティ、ポーランド的リリシズム/メランコリズムといったタームでは説明できない、何か新しい指向がトシャスカの中に強まったことを示唆しているのだろうか。Kilogram Recordsの新しいリリースが待ち遠しい。
(Toyoki Okajima)