石狩川の支流を砂川市内に入った橋のたもとにある木造の砂川中央市場が、4階建ての天井桟敷になっていて、四角い木枠でできた最上階から見下ろすと、市場の中央通路にベルトコンベアのステージが流れてきており、上砂川や歌志内から駆け付けた煤だらけの多くの炭鉱労働者たちがファッションショーのように流れてくる音楽家たちに拍手と声援を送っている。
老人になった二本線のジャージ姿のポール・マッカートニーと、カメラスタジオの青いスタジャンを着たマンフレット・アイヒャーと、ぼくはいつもCD屋に行くときの黒いジャンパーを着ていて、三人でその光景を見下ろしている。ああ、やっぱりこのふたりはつながっていたんだ、ふたりともこんなところまで来ているんだ、と、思いながら、おれは最上階の木造の木の窓枠や柱が古びたコルクのようにぼろぼろになっているのが気になって、はやくここを抜け出して中古レコード屋に行かなければならないと思っている。
流れてくるステージで、アルゲリッチが指揮台に乗って棒を振っている。「彼女らしい指揮だね」とおれは二人に話しかけている。マッカートニーが「エリオット・ガーディナーが流れてくるよ」と言って視線をその向こうへ。おれはガーディナーのそのあとに友部正人が流れてくるのが見えて、「ははは、ガーディナーさん、と、歌っているよー」とふたりに向かって言う。友部正人のことならおれのほうが知ってるだろ、と踏みながら。マッカートニーが目を丸くさせて「わお」と手でジェスチャーをしていて、アイヒャーが「ディラン?」とドイツ語で言っているようで、おれはディランよりすごいんだと「モア・ディラン」などと言いつけている。
中央市場の脇を流れる石狩川の支流から中古レコードの木製のエサ箱がぼくたちのそばに流れてきて、「ラスク」と「ラスク2」と、見たことのないワダダレオスミスの2枚組LPをその中から見つける。
アイヒャーにこのLPについて、どうしてCDで出さないのか訊こうとしたら、建物がぐらついてこのまま雪の中に投げ出されたらLPが濡れてしまうとあわてた瞬間に目がさめた。
(2008年12月31日の夢。)
鯨がその島のような巨体をくねらせる遠い荒海、名状しがたい鯨の脅威、それにともなう数かぎりないパタゴニア的とでも言うべき光景と音響の脅威が、わたしのこころをゆさぶり願望をかきたてた。 (『白鯨(上)』 メルヴィル作・八木敏雄訳 岩波書店)
ささ。2010年、最初の現代ジャズ・ナンバーを。
年末に表参道の月光茶房でサリマンせんせいに会った夜にエイハブ船長とお月様と3にんで聴いた。月光茶房はECMレーベルのすべての原盤、さらにウイリア・ムナボレ盤やアイヒャーがベーシストのカリーグ盤、ガルバレクのデビュー盤といったレア盤までが揃っているお店で、「1185番の1曲目をお願いします」とマスターに言うだけでミロスラフ・ヴィトウス・グループの名演「When Face Gets Pale」、クリステンセンの痙攣するカリプソが響き渡るのです。
<track 003>
Starting Point - Electric Version / Jakob Bro from 『Balladeering』 2009
Jakob Bro g, Bill Frisell g, Lee Konitz as, Ben Street b, Paul Motian ds
CDなのに曲目の表記がAB面になってて、ちょっとおちゃめなジャケに胸がきゅんとしてしまう新譜。1曲目のブロとフリーゼルの響かせ合いだけで、”始まってしまう”感覚がある。そこからラストの、ライオン・メリィ・ミーツ・モチアン・メソッド、と、言いたくなるようなギターによる電子音で宇宙的郷愁に漂ってしまうナンバー。デンマークのギタリスト、ヤコブ・ブロは、いまやポール・モチアン・エレクトリック・ビバップ・バンドとトーマス・スタンコ・クインテットというアメリカと欧州のそれぞれ最も重要なユニットに在籍している存在で・・・、書きながら、そんななの?と自分で突っ込みを入れてますが。ヤコブという名がなぜか榎本俊二の4コママンガ「ゴールデン・ラッキー」に出てきそうな名前だし、苗字は風呂。やこぶ風呂。へんな名前。おれはウルトラマン世代なんで、怪獣みたいな名前、たとえばガルバレク、ゲルギエフ、クレンペラーみたいな名前じゃなきゃやなの。でもこのギターの感覚は、どこか従来のジャズからはみでて、こともあろうにノスタルジックなプログレとか、おかまいなしな表現をぬろろろと演る大らかさがある。実際音響派的な表現に参加してる盤もあった(視聴してみてつまらなかったんで買わなかったけど)。現代ジャズギターの皇帝カート・ローゼンウィケルは不動ではあるが、ポスト・ローゼンウィケルとして筆頭株ベン・モンダーと並びかけるようなヤコブ・ブロの存在だろう。おお、そういえば昨年CDレビューしていた『The Stars Are All New Songs Vol.1』、メンツ的にはこの続編なんだな。今度は御大コニッツ、82さい!を担ぎ出している。
ここ20年というものはポール・モチアンが拓いたフィールドで、共演を通じて若手ミュージシャンがどんどん化けていってて、この浮遊するタイム感覚、即興の可変領域の複次元化、個の生成・成長・消滅を含んだサウンド色彩・図式の多様、なんてフレーズをするすると書いてしまうような雲のような状態のもの、瞬時瞬時にプレイヤーが持ち込む体臭なり言語なり引用なり雰囲気なり態度なり現代性なりに聴く者がふらふらになってしまう事態、というのが「ジャズの特別な価値」であったりするのではないだろうか。リズムやコードに縛られていないフリーというわけでもなくて、伸び縮みするタイム感覚の中で互いの音を聴きあいながらもっとも心地よいポジションに音を奏であっている、そういう交感。そこでは高い演奏技能なりコードの理解や経験値といったものはいやおうなく明らかだったりする、と、思う。がんばるだけじゃだめなの。おれは演奏しないからわからないけど、下手な演奏家たちだとこういう演奏はできない。
<track 004>
How Deep Is the Ocean (Irving Berlin) / Paul Motian from 『Paul Motian On Broadway Vol. III』 1992
Paul Motian ds, Lee Konitz as, Joe Lovano ts, Bill Frisell g, Charlie Haden b
コニッツ、フリーゼル、モチアンというと、92年のこの曲を思い出す。あっちは2ギターだが、こっちはコニッツとロヴァーノの2サックス。久しぶりに聴くと、タイコのモチアンはメソッド開発途上という感じがするが、結局、フリーゼル奏法との超克というゆったりとした化学反応の歴史があったのがわかる。コニッツもロヴァーノもどきどきうれしはずかしとまどい感もあって若い。とはいえ65さいと40さいか。ヘイデン!そのもたつき奏法も化学反応に寄与していたか、55さい。ヘイデン〜モチアンつうとオーネット・チルドレンということにもなる。フリーゼルは41さい。モチアン61さい。このCDは日本のポリドール社の自主レーベルBambooとステファン・ウインターのJMTによる制作。日本側のプロデューサーは五野洋(現55 Records)。このレーベルを維持できなかったのは、おれたち日本のジャズファンの応援不足なのだ。もしくはバブル経済だ。しかし、音楽も、ステファン・ウインターも、そしておれも生き延びた。
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2010ねん1がつ19にち、小沢健二が13年ぶりの全国ツアー、「ひふみよ 小沢健二 コンサートツアー 二零一零年 五月六月」を行うことが発表された。おざけん95ねんVILLEGEツアー初の武道館公演初日が忘れられない。多幸感のはみだし気味な「戦場のボーイズライフ」のゴスペル的な高揚が、15ねん経った今も鳴り続けている。魔法が解けない。なんでTSUNAMIの歌詞になる。歌詞になる。
彼の灰色に対する働きかけが一段とおおきなものになっている、ということなのだろう。「たいようが しだいに ちかづいて きてる」(天使たちのシーン)、から、彼の視線は変わっていない。05年から小沢健二が書いている童話「うさぎ!」の灰色というのは、ネグリハートの『マルチチュード』の序文で記述されている「灰色の大衆」である。それぞれの色彩を保持する存在は「人民」として、灰色の「大衆」とは区別されている。
ぜにかねのモンダイではない、と、おれはよく口にして任侠を気取って何かをしてる仕草をする。しかし、貨幣は血液のようにも思える。持ちゼニによって生きる心持ちがびみょーに日々変わる。耳まで変わる。
灰色の大衆には、年収1000万ドルのひと、3万ドルのひと、125ドルのひと、などなど、が、いて、たぶんほんのちょっとの恐怖が、システムを駆動している。灰色の大衆は1%収入が下がることをおそれて5%増える排他的な(利己的な)行動を取ってしまう。おおきなからだ(血液・収入)のひとがすこし動くと、ちいさなからだのひとはたくさん死んでしまう。
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まがまがしきもの。ひろせこうみのTVCMの笑顔、とか、アフラックのまねきねこダックの歌、とか、ミュージックマガジンにユニバーサルのトップがインタビューされてる記事、とか、が部屋の中に侵入してきている。2010年1月。
まいにちヒルクライムの「純也と真菜実」のPVが中央の大画面で流れている家電コーナーをチェックしている。これがまたいい曲でありいい出来で、PVみながらおれは純也になり、ヒルクライムになり、結婚式のご両親になり、祝福する友人になり、そして、花ふぶきのなか笑みをみせる真菜実にさえなってしまう。そ、し、そ、あ、あい。だけど、この不景気に20代でこれだけの式を挙げるこの純也と真菜実は親のすねがじりにしか見えないのはいいとして、どんな仕事をしてどんな世界観をしているのだろう、これから現代を生きる父母として子どもに何を伝えるのだろうかと思うと、なにか不安になる。家電コーナーのはずれの1台の画面がパフュームのライブDVDを流しはじめると、とたんにテレビの前に人ごみができるもので、もちろんおいらも観たいので、「たまには中央の大画面でパフュームを流してくれませんか?」と店員にもじもじ提案してみるが、「ずっとヒルクライムを流し続けることが契約になっているのですからだめです(!)」と、ユニバーサルの正当な宣伝活動を知ることになる。「純也と真菜実」はいい曲だ。ヒルクライムも天性の声を持つナイスガイだ。だけど。だけど。なにか。なにか、まんまと感覚を操作されたような、いまいましい気分になる。
カート・ローゼンウインケルのCDライナーを構想していて、「あなたの最初の音楽は?」という質問を考えていた。ゆめの中で、なにやら自分が同じく「あなたの最初の音楽は?」ときかれている。そうだなあ、シングルでいえばはじめて夢にみたアグネス・チャンの「草原の輝き」につきるよなあ・・・と、ばくぜんと思いながら、うつらうつらしている。目ざましタイマーでテレビが鳴り始める。もう40ねん近く経つのに日本語のたどたどしさまで変わらないアグネスの声で、「てんじんだから、できること」と言われる。なにが起こったのか、よくわからないでいる。なにかのまちがいだとしか考えられないでいる。まがまがしきもの、と、ここにアグネスを並べたくなくて何時間もじっとしていたりする。
<track 005>
Bells of the Church of the Nativity, Bethlehem from 『Christmas in the Holy Land: Ancient Christian Liturgies』 1967
月光茶房で、嘆きの壁に向かって異なる宗教のさまざまな宗派がそれぞれに祈りを捧げている光景のことをサリマンせんせいと話していたらかかった。ガラン、ガラン。空気の揺らぎまでをともなった金属の鐘の音だ。おれは即座に会話が中断してしまう。な、なんですかこれは。ジャケはエルサレムの嘆きの壁。鐘は、ベツレヘムの生誕教会のものだった。
美しい無音が聴こえる写真にいやされます
民主党の仕分けでもって、日本のオーケストラはN響とよみ響のふたつしか残らないだろうと危惧されている。
「世界のオザワが日本のオザワに陳情」というニュースがあった。
http://blog.goo.ne.jp/9vs9qvsq/e/645fe3ab624c34849d9a3d20d5b202f4
「小澤氏は財団法人の一部オーケストラについて、省庁OBの天下りで人件費がかさんでいる現状を説明。『財団法人の無駄を削らず、貧乏な民間オーケストラにしわ寄せが行くのは無理がある』と見直しを求めた。」とある。さすが世界のオザワだ。小沢健二の叔父だけあるな。ほかの科学者たちや文学者や歌舞伎役者の陳情と決定的に違うのは、天下り役人の「中抜き」を指摘したことだ。いやー、官僚支配の網の目はたいしたものだな。もっと早く言ってくれれば官僚への道をめざしたのに。
補助金なんてやめてしまえ。おれは三善晃のオーケストラと合唱による、いわゆる「詩篇頌詠形式」、だれも言ってないか、おれだけが言っている「詩篇頌詠形式」、の、演目であれば入場料1まん3ぜんえんでも行きます。だいたいマイケルジャクソンも、マークターナーも、ジョーマネリも、渋谷毅も、あらきゆうこも、ヒューデイヴィスも、お国からの補助なぞ受けておらんだに。
<track 006>
Music for 2 springs (1977) / Hugh Davies from 『Performances 1969-1977』 (Another Timbre) 2008
吉祥寺駅ロンロン口(ろんろんぐち)徒歩63秒7Fにあるサウンド・カフェ・ズミは、即興・フリーミュージック愛好家の聖地である。http://www.enpitu.ne.jp/usr/bin/day?id=7590&pg=20090613。
年末にそこで、北里義之さんが主催する「混民サウンド・ラボ・フォーラム」というシンポジウムが行われたという。テーマは「フリーフォームの今日的意義を探る」で、1回目は岡島豊樹,昼間賢,福島恵一,堀内宏公、2回目が大谷能生,副島輝人,寺内久,沼田順,平井玄、という、そうそうたる方々。これは聞きたかった。
朝まで生テレビを連想する。
「大谷さんの『貧しい音楽』で若いリスナーは従来の即興演奏はうざいと一刀両断される現象を知ったのですが、ほんと、その切断は重要なんです!」
「わたしはミシェル・ドネダ〜齋藤徹の『春の旅01』を聴いて、これ以上すばらしい奇跡には出会えないと直感したし、実際、何かすばらしいものはそれ以降出ているのですか!」
「音響派的な表現て、おれはガスターデルソルの『upgrade&afterlife』やパナソニックを聴いた時点ですでに終わりまで聴こえたし、ポップスの背景音に回収されるだろう、生楽器への回帰が起こるだろうと思いました。」
「実際、即興・電子音響はわたしには聴こえなくなり、生楽器への回帰というより、伝統的な能の演奏や声明、さらにNHK音の風景といった実況音響にこそ、即興・電子音響にいそしんできた耳のアンテナが感応しまくる事態になっています。欧州即興も足元のフォークが響いてしまうように、自分が生育してきた高度成長期の工事現場のボーリング金属音や、思考のよりどころになっている日本語のイントネーションとか、に、耳が回帰しているところがあって。その豊饒さに比すれば、児戯にしか思えない。」
と、自己との対話をしてみる。そして「それがどうした?」と自問したとたんに、「なんでもないです、すいません」と。
おお。福島恵一さんが!ジャズ批評のディスク・レビュー・テキストをすみずみまで読んでCDショップへ駆け込んでいた10年前のおいらには、まさに耳の師匠。福島恵一さんは何を話したんですか!とエイハブ船長にきいたら、「いま注目しているレーベルはポトラッチとアナザー・ティンブレだそうです。アナザー・ティンブレのCDを全作箱買いしてしまいました。」「げげげ!レーベルの1番はヒュー・デイヴィスじゃないですか。ベイリーのカンパニー初期に参加していたシュトックハウゼンの録音技師の。聴かせてくださいー。げげげ、げげー。な、なんという生々しくぞぞけの立つ音なんだ!こ、これは、この演奏をした時期にしか響かせられない、意識の前衛性がそのまま残っているとしか思えない。同じことはできないー!」と、すっかりサウンドのとりこになってしまう。なぜだ、なぜ、これがいいのだ。自分にも説明ができない。
<track 007>
波色 / オシレータ (OSCILLATOR) from 『夜音 (Yoru Oto)』 headz 2009
新宿区中央図書館でミュージック・マガジン11月号のマーク・ラパポートさんの連載「じゃずじゃ」をチェックして、お!田村夏樹のペットの構えじゃん!タイコは、おお、いよいよ頭角をあらわしている本田珠也、写真に釘付けになる。フランスの老兵、もとい巨匠、「ジャズの十月革命」の現場にいたベーシスト、アラン・シルヴァが来日していたのか。「今回の演奏は最近他界したラシード・アリ、ジョージ・ラッセル、そしてジョー・マネーリに捧げる」とアナウンスしたんだそうだ。ジャズの歴史はこうやってリレーされている。
え。「じゃずじゃ」が今回をもって終了と。「じゃずじゃ」は媒体ミュージックマガジンをクビにすると。終了の理由は引越し先で詳しく説明すると。な、なんと。おいらの耳は、ラパポート・チルドレンを名乗るものだ。ノルウェー・シーンの発火時点も、グラッシーヌールも、ジョー・ヘンリーも、タイショウン・ソーレイも、みんなラパポートさんの「じゃずじゃ」から教わってきたのに。ひ、引越し先はどこなのでしょう。
ペラペラと読者欄をめくったら、オシレータの夜音に感動を寄せるテキストに遭遇する。「日本にもこんな良質のエレクトロニカが存在する」と。オシレータのサウンドを担う田中誠くんから「むかしCDを聴かせてくれたTZADIKやマイブラやmiles davisやECMやJapanやjoe maneriなどなどの要素からすごく影響を受けています」と、そういえばそうだっけ、と、CDをいただいていたのだった。おれの周りでもずいぶん評判がいい。だけど、ぜんぜん違うじゃん、どういう影響なのだ、繊細なアレンジの大貫妙子みたいだぜ。じつにほっとする気持ちいい音響構成じゃ。
★
おいけいま。ゆうべ渡した編集CDRの曲目だ。
編集CDR 『テンパスフュジュット』
01. Tempus Fugue-It / Bud Powell Trio from 『Jazz Giant』 1949
バド・パウエルBud Powell,p Ray Brown,b Max Roach,ds のこの速度を体感すること。ピアノトリオの相対化がはじまる。
02. 森の神 text by 夢野久作 / やくしまるえつこ 2009
スタジオヴォイス誌の付録になった「朗読CD」から(track17,18も同じ)。やくしまるえつこの朗読。音楽なし。
03. Nothing Too Much Just Out Of Sight / The Fireman from 『Electric Arguments』 2008
04. Cenotaph / This Heat from 『Deceit』 1981
05. Day Dreaming / Four-um from 『ジャスト・アス』 1972
06. サ・セ・パリ / ミスタンゲット Mistinguett from 『小津安二郎が愛した音楽』 1926
07. ヴァレンシア / ラケル・メレ Raqel Meller from 『小津安二郎が愛した音楽』 1926
08. カルアミルク
09. あの娘ぼくがロングシュート決めたらどんな顔するだろう / 岡村靖幸 from 『家庭教師』 1990
10. Hey Sweet Man / Madeleine Peyroux from 『Dreamland』 1996
Madeleine Peyroux (vo, g), Cyrus Chestnut (p), James Carter (ts), Marc Ribot (g), Greg Cohen (b), Leon Parker (ds)という参加メンバーのCDから。
11. First Impressions / Shamek Farrah (Strata East) 1974
12. 虹と雪のバラード
13. 美しい星 / トワ・エ・モア
14. - 16. JSバッハ:パルティータ 1-4 / セルゲイ・シェプキン
17. 奇巌城 アルセーヌ・ルパンtext by モーリス・ルブラン / やくしまるえつこ music by ECD 2009
18. 山のコドモ text by 岡本かの子 / やくしまるえつこ music by Merzbow 2009
やくしまるえつこは、はやくもソロ・シングル『おやすみパラドックス』で無残に消費されつつある。おれの提言としては、やはり相対性理論というバンドの化学反応に期待したい、ということでもなくて、実際奇跡の再現はすごく困難なことだと予測するし、で、森鴎外の「高瀬舟」を朗読してほしいのだ。この苛酷な現代にこそ美しく迫ってくるだろうストーリーを彼女の声で聴きたいのだ。ラジオ深夜便で朗読コーナーというのもいいぞ。たのむぞ、NHK。パチンコメーカー・フィールズのCMで綾波レイの声を出しているのはやくしまるえつこ説をとなえているのだが、誰からもノー・リアクションなのだが。
<track 008>
Funeral Dance / Bitter Funeral Beer Band WITH DON CHERRY & K.SRIDHAR from 『Live in Frankfurt 82』 2008
ECMファンの皆さま。ドン・チェリーが参加しているベングト・ベルガーのECM1179『Bitter Funeral Beer』、このバンドのライブ盤が発売されていたのを見逃していました。アオラ・コーポレーションでまだ取り扱っているようです。ポケット・トランペットのチェリーの颯爽と沸騰がないまぜになった鳴りも聴きどころですが、バンドのポリリズムによる祝祭空間は格別なもので、82年というとまだワールド・ミュージックという安定的なマーケットができる直前といいますか、ジャズ、フリージャズをくぐり抜けて到達するような演奏家たちの演奏意識の沸騰もそこにはあるように思えます。もう、あの意識をリアルに感じることができない現代なのかどうか、若いリスナーに届くのかわかりませんが、この録音には残っているとおじさんは懐古するのです。
<track 009>
A Train, A Banjo, and a Chicken Wing / Wynton Marsalis from 『He And She』 2009
昨年のJazz Tokyoのディスク・レビューで若林恵さんの、そっちこそコスプレじゃんか!レビューにはおののいた。そのCD聴いてないが、見事なロジック、それもウイントンの新譜に対してだ。若林さんがこれまでレビューで取り上げてきた作品の的確さには注目していたので、余計に。http://www.jazztokyo.com/newdisc/636/marsalis.html
おれはマルサリスのデビューから聴いてるよ。ウイントンの『ライブ・アット・ブルース・アレイ』とジャレットの『スティル・ライブ』をステレオに並べて、ジャズ・ファンしていた88年頃がピークだった。その後のウイントンは聴いては投げ聴いては投げしている。ヴィレッジ・ヴァンガード・ライヴ7CDなんて、何度もCDトレイに入れて耐えられず、ほんとーに吐き気がしてしまうのだ。それはジャレットのアット・ブルーノート6CDにも近しいところがあるんだが。
文庫になった村上春樹の『意味がなければスイングはない』でウイントンの章を読んでいた。たしかにジャレットもコリアも聴きたくないというのはわかる。スタン・ゲッツの50年頃の録音を高く評価する、それは久保田高司とも同じだし、だのになぜウイントン。
早速聴いた。そして唸った。スイングジャーナルの満点オジサンのポーズになってしまっているおれ。ウイントンの曲間のナレーションがうざいが、まさに、若林氏の記述「ウィントンが求めるタッチ、テクスチャー、グルーヴが、引用という枠組みを超えて血肉化され、アルバムのいたるところで躍動している。一切無駄のないこのバンドの極上の一体感は、実際、近年のほかのあらゆるジャズがすべて頭でっかちに聴こえてしまうほどにタフでしなやか。」どおり、なのだ。ジャズの醍醐味は演奏予測の偶然性にかかっているという素朴な信仰、さえも織り込みされている、鍛錬された凄みに圧倒される。
おれはね、いちおモチアン・メソッドに属するジャズ表現、これはフリーでは断じてない、ローゼンウィンケル〜ターナーも含まれる、これを中心に据えてジャズの現代性を視る立場ではあるけれども、このウイントンの横綱相撲はやはり見事だ、つまり、これでいろんなジャズ演奏の大半を斬り捨ててしまえるものさし(スケール)を新たに得られた実感を持つ。
<track 010>
Ghosts: First Variation / Albert Ayler Trio from 『Spiritual Unity』(ESP) 1965
ジャズ史の1曲を選べと言われたら、ということで、タガララジオでは定期的に「ジャズ世界遺産トラック」を紹介することにする。第一回目はアイラーの名盤『スピリチュアル・ユニティ』から「ゴースト」にする。ピーコック、サニー・マレーとのトリオだ。1964年7月10日録音。
同時代的にポール・マッカトニーがケージ、シュトックハウゼン、アイラー、AMMまでを聴いていた、というのは、この曲に相違ないし、マンフレット・アイヒャーがこれを聴いて「もっと良い音質で制作したい」とECMレーベルの前身Caligを立ち上げているわけだし、だいたいジャレットとアイヒャーがノルウェーでガルバレクを聴いたのだって、ガルバレクがアイラー的であったところだ、それは即座にヨン・クリステンセンはポスト・サニー・マレイだったと位置づける理解につながる。
ジョン・ゾーンのTzadikを制作する杉山和紀さんがディスクユニオン時代に制作していたサニー・マレイの『サニーズ・タイム・ナウ』、アイラー、ドン・チェリーをフロントに、ヘンリー・グライムス、ルイス・ウォーレルの2ベースという65年録音、の、サニー・マレイもすさまじい。入手困難なので再発を期待したい。
この曲にからめて昨年のベスト音楽本を紹介したい。四方田犬彦著『音楽のアマチュア』(朝日新聞出版)2009。これはもともと朝日新聞社の月刊ブックレット「一冊の本」に連載されていたものが元になっており、わたしはこのコラムのために定期購読していた。アリ・アクバル・ハーンから、クツィ・エルゲネ、ギル・エヴァンス、ザ・ピーナッツ、ケージ、メシアン、ベリオ、高橋悠治、ニーノ・ロータ、ザッパ、マイルス、コルトレーン、ジミヘン、ロバジョン、アリラン、河内音頭、などなど39編の見事なテキストが並ぶ。冒頭に新稿「音楽の稀有について」も絶品だ。そこでもちろんアイラーも一章になっていて、33ページから34ページまでの『スピリチュアル・ユニティ』についての記述は何度も読みかえしてしまう。音楽の記述に続いてこう書かれている。「それは一度耳にしたら、二度と忘れることがない類の音楽だった。マイルス・デイヴィスとギル・エヴァンスをジャズだと信じていた17歳のわたしは、文字通り圧倒され、自分の立っている足場が崩されてゆくような眩暈の感覚に襲われた。それが万人に親しまれる類の音楽なのではなく、ごく少数の、ロートレアモン侯爵の言を引用するならば、心に孤独な地獄をもてる者だけに許された音楽であることは、ただちにわかった。」・・・さすが四方田さん、早熟だ。おいらは心に孤独も地獄もないけどね。アイラーやドルフィー、オーネット、パーカーを先に聴いてしまったから、おいらの場合、40すぎてからデズモンドやゲッツ、ロリンズとか聴けるようになるまで、だったりもする。
音楽がわたしを聴いている。
<track 001>
I Hear a New World / Joe Meek from 『I Hear a New World: An Outer Space Music Fantasy』 1959
http://www.youtube.com/watch?v=0mhRt007VAg&feature=related
http://www.youtube.com/watch?v=RtETzKAxuzM&feature=related
「新世界がぼくを呼んでいる、ぼくは新世界を聴いている」とミークが歌う1959年。これがCD化されたのが91年で、それまでお蔵入りになっていた音源。スタジオにこもってオリジナルなスペイシーなサウンドを創造してしてしまった、スペイシーなどという形容はクリシェとなったこのサウンドの後付けに過ぎないもので、やはりここでジョー・ミークは「あたらしい世界を聴いた(ぼくは創造した)」と、スタジオの密室というこの世の涯てで彼がトランス状態にあったことがわかる音像表現を聴いて、即座にとろとろになった。62年に世界的なヒットとなるトルネードの「テルスター Telstar」は61年4月12日にユーリ・ガガーリンが宇宙飛行してしまった世界史的な衝撃のBGMとなった、英国勢で初めてビルボード1位を獲得した曲。ここからミークのプロデューサーとしての成功は始まっていて、英国のフィル・スペクターという異名も得ますが、ミークは女装マニアでホモセクシュアルで精神分裂症で、最期は敬愛するバディ・ホリーの命日にメイドを射殺して自殺してしまうという狂気に触れた人生だったよう。こないだ年老いたリッチー・ブラックモアのインタビューをテレビで観ていたら「若い頃はジョー・ミークのスタジオでセッション・ギタリストをやっていたよ」と話し出してて、おいおいあんたの狂気はそこから来たのかよ!と少しだけ思った。
I-Pod の中に小人はいるのだろうか。
好きな音楽に遭遇するとおやのかたきのように何度もしつこく聴いてしまうのはおいらも同じなんだよアスキータ。
http://homepage3.nifty.com/musicircus/main/2007_10/t_4.htm
毎週のように作って、おいらの車の中は曲目どころか演奏するアーティストすらわからなくなってしまっている編集CDRが山のようになっている。還暦まであと1サイクル12ねんを残すだけとなったおいらは、早くも記憶の混濁がはなはだしい。編集CDRという選曲と曲順のロジックを試行する愉しみこそが老後のメイン。いい曲しか聴きたくない。タガララジオは、編集CDRに資するトラックの提示を目的とする。曲順に対してもっとも天才的なのはポール・マッカートニーだと思う。次点はクイーン。キース・ジャレット。バッハもいけてるな。ブライアン・ウイルソン『ペットサウンズ』は別格。
<track 002>
不屈の民 El Pueblo Unido Jamas Sera Vencido (The United People Will Never Be Defeated) / A-Musik from 『e ku iroju』 (LP 同時代音楽) 1983
この作品は未CD化ですがここで聴くことができます
本来ジャズとは不穏でまがまがしいイメージを喚起させる音楽なんだぜ、このバンクシーのポスターのように
ふたつの911、というテーマの舞台があるという新聞記事を正月に読んだ。ぐぐってみたがこの記事ぐらいしか見当たらない。
週刊金曜日 http://www2.kinyobi.co.jp/pages/vol685/fusokukei
ずっと、タガララジオでかける2曲目を考えていた。竹田賢一が率いるA-Musik(アームジーク)の『エクイロジュ』の1曲目「不屈の民」の存在を思い出す。このLPはECMファンクラブをやっていた83年ごろに東京大学で宇宙物理を専攻していた先輩から「チャーリー・ヘイデンのりべレーション・ミュージック・オーケストラを気に入っているなら」とすすめられて購入した。次いでフレデリック・ジェフスキーを知り、高橋悠治のコンサートに通いはじめた。96年ごろにニフティのフォーラム・倶楽部ECMを通じて竹田さんからいろいろ教わった。八木啓代著『禁じられた歌 ビクトル・ハラはなぜ死んだか』(晶文社)名著!を読んだのもこの頃だ。竹田さんちに遊びに行ったらLaskの『Indean Poa』(CMP)をかけてくれて、そのサウンドの越境具合にすっかり耳が変性する。なんというか、音楽を誰かと一緒に聴くとすごく伝わるものがある。コンサートなんかでも、CDとは違って伝わるものがある場合があって、その伝達は、逆にCDで先にその演奏家の音楽を聴いてしまっている場合に伝達の妨げになってしまうことがあるかもしれない。
このLP「エクイロジュ」の演奏はじつに激しく豊かだ。トラックのひとつに坂本龍一が参加している。竹田賢一と坂本龍一は学習団というアートと実践についてのユニットを組んでいた時期がある。国会図書館で同時代音楽という雑誌を読んでいて、対談記事を読んだことがある。これはおいらの妄想だけど(言わなくてもわかるか・・・)、マンガ『サンクチュアリ』(原作:史村翔(=武論尊)、画:池上遼一)の、政治と裏社会のそれぞれとトップに昇り日本を変革するという二人の主人公、北条と浅見を連想してしまう。
福島恵一ふたたび!創刊したクロスビート増刊・別冊クロスビート『ユリシーズ』誌にディスクレビューが。ううむ、このディスクをベースにまた四谷いーぐるでレクチャーしてくれないだろうか。聴きたい、聴きたい、聴きたい。『ユリシーズ』では、この50年で最も影響力のあったポップ・ミュージックのアーティスト、というアンケート記事がある。詩人の蜂飼耳はプレスリー、JB、イーノを選んでいる。お、おれはポール、フレディー、小沢健二だ。曲順の魔術、ゴージャズ、放たれるひかり、ぜんぜん説得力がねー。・・・・な、なんと竹田賢一のA-Musikに一票入っている。武田昭彦さんという音楽ライターがドルフィー、阿部薫とともに選出している。45ページの最も左の最上段が竹田さんの写真だ。極左の最上だという意味か?
Niseko-Rossy Pi-Pikoe:1961年、北海道の炭鉱の町に生まれる。東京学芸大学数学科卒。元ECMファンクラブ会長。音楽誌『Out There』の編集に携わる。音楽サイトmusicircusを堀内宏公と主宰。音楽日記Niseko-Rossy Pi-Pikoe Review。
追悼特集
ポール・ブレイ Paul Bley
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#1277『大友良英スペシャルビッグバンド/ライヴ・アット・新宿ピットイン』(ピットインレーベル) 望月由美
#1278『David Gilmore / Energies Of Change』(Evolutionary Music) 常盤武
#1279『William Hooker / LIGHT. The Early Years 1975-1989』(NoBusiness Records) 斎藤聡
#1280『Chris Pitsiokos, Noah Punkt, Philipp Scholz / Protean Reality』(Clean Feed) 剛田 武
#1281『Gabriel Vicens / Days』(Inner Circle Music) マイケル・ホプキンス
#1282『Chris Pitsiokos,Noah Punkt,Philipp Scholtz / Protean Reality』 (Clean Feed) ブルース・リー・ギャランター
#1283『Nakama/Before the Storm』(Nakama Records) 細田政嗣
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JAZZ RIGHT NOW - Report from New York
今ここにあるリアル・ジャズ − ニューヨークからのレポート
by シスコ・ブラッドリー Cisco Bradley,剛田武 Takeshi Goda, 齊藤聡 Akira Saito & 蓮見令麻 Rema Hasumi
#10 Contents
・トランスワールド・コネクション 剛田武
・連載第10回:ニューヨーク・シーン最新ライヴ・レポート&リリース情報
シスコ・ブラッドリー
・ニューヨーク:変容する「ジャズ」のいま
第1回 伝統と前衛をつなぐ声 − アナイス・マヴィエル 蓮見令麻
音の見える風景
「Chapter 42 川嶋哲郎」望月由美
カンサス・シティの人と音楽
#47. チャック・へディックス氏との“オーニソロジー”:チャーリー・パーカー・ヒストリカル・ツアー 〈Part 2〉 竹村洋子
及川公生の聴きどころチェック
#263 『大友良英スペシャルビッグバンド/ライヴ・アット・新宿ピットイン』 (Pit Inn Music)
#264 『ジョルジュ・ケイジョ 千葉広樹 町田良夫/ルミナント』 (Amorfon)
#265 『中村照夫ライジング・サン・バンド/NY Groove』 (Ratspack)
#266 『ニコライ・ヘス・トリオfeat. マリリン・マズール/ラプソディ〜ハンマースホイの印象』 (Cloud)
#267 『ポール・ブレイ/オープン、トゥ・ラヴ』 (ECM/ユニバーサルミュージック)
オスロに学ぶ
Vol.27「Nakama Records」田中鮎美
ヒロ・ホンシュクの楽曲解説
#4『Paul Bley /Bebop BeBop BeBop BeBop』 (Steeple Chase)
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#70 (Archive) ポール・ブレイ (Part 1) 須藤伸義
#71 (Archive) ポール・ブレイ (Part 2) 須藤伸義
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#871「コジマサナエ=橋爪亮督=大野こうじ New Year Special Live!!!」平井康嗣
#872「そのようにきこえるなにものか Things to Hear - Just As」安藤誠
#873「デヴィッド・サンボーン」神野秀雄
#874「マーク・ジュリアナ・ジャズ・カルテット」神野秀雄
#875「ノーマ・ウィンストン・トリオ」神野秀雄
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