♪ 何故マカオ?
ここ数年、アジアでのバケーションを楽しんでいる。3月中旬からマカオに8日間滞在した。そもそも、アメリカ、カンザス・シティ通いでたまったフライトのマイレージとホテル滞在時に付加されるポイントを有効活用しよう、というのが話の発端である。アジア圏内は日本から比較的近い国々によく行ったが、中でもマカオという国に私は格別に惚れ込んでおり、2009年に初めて行って以来毎年訪れている。
『マカオに行く』と言うとほとんどの人に『カジノ?』『マカオに1週間以上もいて何をするの?』と聞かれる。が、とんでもない! 東洋と西洋の文化がミックスした、エキゾティックで大変ユニークな国である。
マカオは正式には「中華人民共和国マカオ特別行政区」という。16世紀中頃にポルトガルが居留権を得て、中国大陸に於ける唯一のヨーロッパ人居留地となった。カトリック教会、イエズス会のメンバーだったフランシスコ・ザビエルがマカオを拠点に布教活動を行い、日本にも到来して布教をしたのは周知の事実である。1887年にポルトガルが統治権を獲得した後、動乱の歴史を経て1999年に中華人民共和国に返還され、「マカオ特別行政区」となった。
マカオは小さな国だ。 人口50万人程。 総面積は東京世田谷区の半分位。香港からフェリーで1時間。 中国大陸から突き出たマカオ半島と、タイパ島、コロアン島という2つの島で成り立っている。タイパ島とコロアン島の間にコタイという埋め立てエリアがあり、そこに巨大なホテル群が立ち並ぶ。マカオ半島からコロアン島までは車で20分位で行き来出来る。
2006年にアメリカ、ラスベガスを抜いて世界一のカジノ保有を誇る国になった。ここ数年の大型ホテルを中心とした開発は目覚ましい。と同時に、中国本土からの富裕層が大挙して押し寄せ、地元マカオ人達の心中は穏やかではない様だ。マカオ在住の人達は自分達は「中国人」と思っておらず、目と鼻の先の対岸の中国本土を「China」と呼ぶ。
22の歴史的建築物と周囲の生活環境と8つの広場は「マカオ歴史市街地区」として2005年にユネスコの世界文化遺産に登録された。歴史的建築物のみならず、公園、道路、商店、学校やそれを取り巻く環境も世界遺産として認定されているわけだ。
私は最初にマカオを訪れて以来、この地の魅力にすっかり取り憑かれてしまった。マカオに流れる空気は不思議にゆったりとしており、穏やかだ。人々はあくせくしていない。「食は文化なり」というが、ポルトガル料理、マカオ料理もポルトガル・ワインと共に大変美味しい。数多くの世界文化遺産建造物は見飽きない。今にも壊れそうなビルがひしめき合って建つ旧市街に、毛細血管が張り巡らされた様に拡がる路地。ポルトガルの風情を残した明るく美しい街並。新しく建設されたカジノを併設したホテル・エリア。それらの街並のギャップが非常に面白い。物価も安く、日常の生活用品は東京の3分の1位だと察する。 私はカジノには全く興味はない。初めて行った時に一度覗いてみたが、中国人だらけで大声の中国語が飛び交い、うんざりした。
そして、 特にマカオの人達は若い人達から年配の人達まで、皆、大変親切で暖かくフレンドリーだと感じる。現在ではほとんどの人が広東語を話す。街の通りの表記は広東語とポルトガル語と法律で決まっているが、現在ポルトガル語が読める人はほとんどいない様だ。英語は街なかの少しとホテルくらいでしか通じない。香港やシンガポールのように日本語で話しかけられる事はまずない。基本的に言葉は最初から通じないと思っている。困ったときは漢字で筆談する。 私の滞在中、道を聞けば言葉が通じなくても身振り手振りで親切に教えてくれ、タクシーが拾える所まで案内してくれ、無事に乗り終えるまで見届けてくれた人は1人2人ではなかった。地元の人達が行くごった返した食堂に入った時、相席したマカオ人が私が聞かずとも食器の使い方(食べる前に別の器にお湯が入ってきて、それで器を暖める)を教えてくれ、驚いた事もあった。スターバックスでは若い人達が気楽に英語で声をかけて来たりした。
私はヨーロッパ、アメリカ、アジアと、比較的色々な所を旅行した経験がある方だと思うが、ここまでの居心地の良さを感じる所はそうはない。マカオの人達はポルトガル人の入植から長い歴史の中で、人と人との上手なつき合い方を学んで来たのだろうか。もちろん、旅行者の私には見えない事は山程あるだろう。下水等のインフラも整ってもいない。が、足を踏み入れた瞬間にも壊れそうな建物が山程あっても、下水の臭いがしても、ホームレスや物乞いをする人を見た事はない。国民一人当たりのGDPは非常に高く、教育と医療は無料だと聞いている。
よく「肌が合う」とか、「水が合う」とか言うが、私にとってはマカオはとても快適な所で、街自体もコンパクトなので自分の好きな時間に好きな所に気軽に足をのばせる。そうやって、毎回「世界ふれあい街歩き」の様な事をやっている。
今回は私のマカオ滞在中、珍しく偶然4つの異なった音楽に出会った。
♪ マカオのアメリカ人ミュージシャン
私は滞在前半はマカオ最南端のコロアン島にあるウェスティン・リゾート・ホテルに滞在した。コロアン島は亜熱帯の自然が豊かなところだ。カジノとは無縁な、教会と小さな漁村がある。
このウエスティン・ホテルのピアノ・バーで、ドナルド・ローズというピアニスト/シンガーに出会った。夜、外での食事を終えてホテルに戻って来たら、アントニオ・カルロス・ジョビンの曲 <Dindi> が聞こえて来た。音のするバーの方へ行ってみると、一人の黒人ピアニストが誰も観客のいないバーで演奏していた。なかなか上手いピアニストだなと感じ、しばし耳を傾けていた。バーの客は私一人。しばらく聴いてから、『何か得意な曲を弾いてくれない?』とリクエストしてみた。ドナルドは即座に『スティービー・ワンダーはどう!?』と叫び、<I Just Call To Say I Love You><Lately>を弾き、唄ってくれた。好きだというだけあり、そっくりだった。ルックスも真似をしている様だ。『ジャズは何が出来るの?』と聞けば『う〜ん、難しいなあ、マカオは霧が多いから』と言って<Misty>を。その後、私の『もっとスィングするの出来ない?』というリクエストに<Ain't Misbehavin'> を弾き始めたがなかなか上手く弾けない。『まいったなあ! 難しいんだよ、この曲は。』と手を止め、チック・コリアの<Spain>をパラパラっと弾きながら、『僕はね、こんな風に本当はジャズやりたいんだよ。でも、信じるかどうか解らないけど、ここに来る中国人の客って、カントリー&ウエスタンや80年代の歌ばっかりリクエストするんだよ。毎晩、ジョン・デンバーなんか弾いてたらジャズなんか出来なくなっちゃうよ。明日の夜までにリクエスト曲を練習しとくから、またこの時間に来てよ! 』と言われ、私はバーを後にした。翌晩、バーを訪れると、ナターシャという美しい奥さんが一緒に唄っていた。彼女のお気に入り、というエッタ・ジェイムスで有名な<At Last>はなかなか迫力があり楽しめた。そして、ドナルドは少しつまずきながらも<Ain't Misbehavin'>を通して弾いてくれた。彼の音楽人生の中で、一番難しいリクエストだったらしい。
ドナルド・ローズというこのアメリカ人ピアニストはマイアミ出身。彼のアイドルはスティービー・ワンダーと、同じマイアミ出身のジャコ・パストリアス。ジャコの息子、フェリックス・パストリアスと暫く一緒に演奏していた時が最高に楽しかった、と嬉しそうに話していた。 奥さんのナターシャと一緒に世界中のホテルを回っている様だが、マカオは好きな所の一つだと言っていた。
♪ マカオ音楽学校露天演奏会 (ESCOLA DE MUSICA)
土曜の午後、マカオ半島にあるポルトガルの街並の風情が色濃く残る地区へ足を伸ばした。そこは古い建物がギャラリーやカフェになっていたりしており、ちょっとした文化的エリアでもあった。ポルトガル風建築群の中の坂をぶらぶら下っていると、人だかりがしているのに出合った。その人だかりの横の建物に「音楽学校、ESCOLA DE MUSICA〜SHOOL OF MUSIC」とある。通りに面した狭い中庭に学生達が集まり、サウンドチェックをしていた。ほぼ全員が中国の伝統古典楽器を持っている。この日は、この音楽学校の開放日で「露天演奏会」、いわゆるアウトドア・コンサートを朝から催していた様だ。中庭にいたのはこの学校の中学生で約20名強のオーケストラのメンバーだった。これは何だか面白そう!と好奇心をそそられ待つこと約15分。学生達が手に持つ楽器は正倉院の御物にある様な楽器もあり、サウンドチェックの音を聞いているだけでも楽しかった。
オーケストラの演奏を聴き始めるなり、私は楽器を見ていた時の予想とはまるで違う、その演奏のレベルの高さとモダンさに驚いた。まさに現代音楽なのである。
中国の古典楽器を用いた現代音楽というと、グラミー賞やアカデミー賞をもとった中国を代表する音楽家のタン・ドゥン(Tun Dun)をまず思い出した。また演奏を聴きながら、武満徹氏や黛敏郎氏の音楽なども脳裏をよぎった。が、この中学生の演目、演奏はそれほど難解ではなかった。とくに中学生の演奏だからという事ではないだろう。曲はおそらく指揮をとっていた指導者の先生のオリジナルかアレンジではないかと察する。1曲が4~5分。長くても10分以内の演奏が続く。たまたま、私が知っていたレナード・バーンスタインの「交響曲第2番〜不安の曲」にすべてがとても良く似ているメロディー・ラインと曲の構成だと、即座に感じた。作曲者、アレンジャーはバーンスタインの音楽に影響を受けているかもしれない。
オーケストラの構成は、二胡(3人)、笙(2人)、竹笛(1人)、揚琴(2人)、琵琶(6人)、テンプルブロック(木魚の大きさが違うものを5つ組み合わせて音階の違う音を出す打楽器ー1人)、琴(3人)に西洋楽器のチェロ(1人)、コントラバス(1人)にパーカッション(2人)を加えた合計22名。西洋のクラシック・オーケストラでいう所のコンサートマスターは二胡を担当する青年が務める。
中国の古典楽器を用いながらも、民族音楽とは明らかに一線を画した演奏。そのオーケストレーションの幅、規模は非常に大きかった。東洋の神秘的な雰囲気と西洋の洗練されたモダンさが非常に上手くミックスしており、時に勇荘で重厚、時に軽やかでアップテンポのメロディー・ライン。そこには決して堅苦しくない現代性があった。
約30分の演奏は非常に心地良く、聴き入ってしまった。中庭を囲む観客達も演奏を楽しんでいる様子がよく解った。演奏終了後、指揮をとっていた先生が、各楽器パーツの学生達の紹介と、楽器の説明をしていた。おそらく、どんな楽器でどんな音がし、オーケストラの中でそんな役割などの説明であっただろうが、中国語が理解できず残念だった。
この優秀な中学生達が、もっとインターナショナルに知られる存在になる事を願う。
♪ ロウリム・イオック庭園の朝(盧廉若花園:JARDIN - DE LOU LIM IOC)
朝の庭歩きというのは何処でも気持のいいものだ。ロウリム・イオック庭園へは、朝行ってみた。
この庭園はもとは蒋介石らとも交遊のあった中国人豪商の盧華紹の庭園で、1906年に造られた。マカオでは最も広い中国式庭園である。マカオ島の市街地の中にある庭園だが、
中に入るとそこは外の喧噪とは一変した別世界。庭園内では小鳥のさえずり、木々が茂り、朝露にまだぬれたシンビジュームを始めとする美しい花々が迎えてくれた。池には鯉や亀が沢山泳ぎ、それを見るのも楽しい。まさに中国文化の庭園の雰囲気を味わいながら、さらに奥へ入って行くと、いくつかの東屋があった。太極拳をやっている人達のグループの練習風景をしばらく見、さらに奥へ入って行くと何やら音楽が聞こえる。どんどん近寄って行くと、そこには二胡を演奏する初老の男性の姿が目に入った。小さなシンバルの様な楽器と箱の様な物を組み合わせて作った打楽器(名前があるのかどうか解らない)を演奏する男性が二胡の演奏に合わせてリズムを取り、女性が2人唄っていた。
その人達の友人だろうか?中国人らしき人達がベンチに腰をおろして演奏を聴いていた。私もその人達の仲間に入れてもらい、演奏に耳を傾けていた。二胡の音は素晴らしく美しく澄んでいた。その演奏はとても素人とは思えなかった。演奏が休憩に入った所で、言葉が通じない事はダメ元で、思い切って話しかけてみた。
その男性は、何と流暢な英語と満面の笑みで話し返してきてくれた。聞く所によると、二胡のキャリアは相当長く、セミプロのようだった。若い頃からやっており、現在はアマチュアだという。この庭園で仲間達と週3回ほど集まり、午前中2~3時間程演奏を楽しんでいるらしい。この日の朝は、練習を始めてから既に2時間程になり、京劇の一部の演目を練習している、と言っていた。
私はただの日本人の旅行者で観客。この美しい庭園で、あまり根掘り葉掘り聞くのも無粋である。この人達が集まって楽しく練習する邪魔になっては失礼と思い、ただその場に同席だけさせてもらい、二胡の素晴らしい音色と響きを楽しんだ。
中国庭園で本物の中国伝統音楽に出合えた朝だった。
♪ 大堂(ダイトン : カテドラル)での新法王、就職慶祝ミサ
マカオ滞在の最後の日。この日は朝から変な1日だった。私がずっと楽しみにしていた事の一つに、通常は予約無しで入れる「陸軍倶楽部ーミリタリークラブ」でのランチがあった。この日に限ってメンバーズ・オンリーで入れない事がその日の朝になって解った。ここのビュッフェ・ランチは大変美味しく、値段も手頃でポルトガル様式の建築内の雰囲気も最高に素敵なのだから、これにはかなりがっかりした。陸軍倶楽部の替わりに見つけて入った、まだ新しいポルトガル・レストランでは、ウェイターに赤ワインを思いっきりパンツにこぼされてしまった。このレストラン、味はとても良かったが、BGMにサッチモが流れており何だか可笑しかった。ポルトガル・レストランはだいたいがポルトガルの民族音楽「ファド」を流している。
市街地を散策中、それまでずっと良かったお天気が突然崩れ、大スコールとなった。
考えてみれば、それまで滞在中のすべてが良い事づくめの様だった気がした。楽しい街歩き、美味しいポルトガル料理やマカオ料理。中華のお粥や麺も堪能した。そして、ポルトガル人、マカオ人の友人もできた。
が、滞在最後の日は、何としても何か想い出に残る事で締めくくりたいと思っていた。
散々考えたあげく、とくに何もプランしないで街中に出て行くことにした。滞在後半はマカオ半島の街なかのホテルに泊まっていたので、10分も歩けばレストランでも世界遺産でもスーパーマーケットでもすぐ行ける。
マカオ半島でも最も有名なポルトガル様式の建築物が並ぶ地区にあるセナド広場へ向かって行った。広場から少し離れた路地に入った所に地元の人達が集まっているマカオ料理のレストランを見つけ、飛び込みで入ってみた。新聞を片手にポルトガルビールを飲んでいる老人、ノートパソコンに向き合っているビジネスマン風、レストランの馴染みの男性客だろうか、4~5人のグループや女性のグループもいた。20人ほどで一杯になる位の小さなレストランだったが、この行き当たりばったりのチョイスは気取らない現地らしさを味わうには大正解だった。ここで滞在最後のマカオ料理を堪能した。
食後、少し早い時間だったので、まだ薄明るい街を散歩しようと、レストランの前の淡い街灯に照らされた石畳の坂を5分ほどゆっくりと登って行くと、目の前が開け、そこにマカオ最大の教会で世界文化遺産にもなっている大堂(ダイトン : カテドラル)が現れた。静かな夕闇の中、建物から光が漏れ、音楽も微かに聞こえて来る。その光と音に惹かれて入って行くと、大堂の中に溢れそうに大勢の人達が集まっている。
大堂はマカオに於けるローマ・カトリックの中心であり、マカオ教区の司教座聖堂となっている権威ある教会だ。大堂内の造りはシンプルで、白い壁の正面には美しいブルーのステンドグラスの窓。その前に10人強の白い礼服を着た司祭達と30人程の合唱団がいた。そして一般の参列者。テレビクルーだろうか、カメラを担いだ男性も数人いた。
なんと、「新ローマ法王、フランシスコ法王の就職慶祝ミサ」が行われていたのだ。私は大堂に入った時、それが新法王のためのお祝いのミサである事は瞬時に解った。マスコミの報道でそのタイミングである事が何となく解っていた事もあるが、聖堂内の空気が非常に荘厳であると同時に明るかった。
ミサは始まってからまだ15分位経ったところだった様だ。1人の司祭の簡単な英語によるスピーチの後、合唱団によるグレゴリオ聖歌が始まった。私はもう、感激で鳥肌が立ちまくり状態になった。合唱団の人達はマカオ選りすぐりの歌い手達だろう。その素晴らしい歌声とハーモニーは聖堂内に響き渡り、高い天井に反響してより重厚さを増す。 その後、合唱隊と参列者全員での賛美歌の大合唱へと続いた。一般の参列者達は、老若男女、人種も様々。参列者の手元にはミサのプログラムがある。プログラムに載った楽譜を見て歌う人、見ないで歌う人、何も見ずにただうつむいて祈っている人、私の様にミサの様子だけをじっと見ていた観光客も多くいた。ミサ曲の楽譜はプログラムの中にグレゴリオ聖歌1曲以外に、4曲。中国語(広東語)とポルトガル語で歌詞が記されていた。全員の合唱は中国語とポルトガル語が入り交じっている様に聞こえたが、マカオの人達の様々な歌声が一体となり、神聖でありながらもとても暖かいミサと感じた。その日の朝からの変な出来事が一瞬にして吹き飛び、その場に居られる事にただ感謝した。
この夜の事は一生忘れないだろう。私の生涯でこんな体験はおそらく最初で最後だろう。
マカオ最後の夜がこんな形で終ろうとは、全く予期せぬ出来事だった。何だか神様に見守られている様な気がした。
旅で思いがけず出合った音楽というのは、後になってもずっと心に残っている事が多い。今回のマカオ滞在は、決してお金はかけていないが大変に贅沢なものになった。アメリカ人のピアノの弾き語り、中学生の東洋と西洋がミックスしたオーケストラの演奏、中国伝統音楽、そして最後に西洋の古典である宗教音楽。とくに音楽を聴きに行った訳ではないが、出合った音楽すべてが楽しかった。何処からともなく聞こえて来るその方向に導かれて行っただけの事である。
この東京とはまったく違った緩い空気が流れる不思議な国。東洋と西洋の文化と伝統が共存し、共鳴する不思議な協奏曲を奏でる国マカオ。次回は、ポルトガルの民族音楽「ファド」が聞ける所を探して、こちらから訪ねて行ってみようか・・・そんな事に思いをはせつつ、未だ旅の余韻に浸っている。 ( 2013年4月8日記)
竹村 洋子:美術学校卒業後、マーケティングの仕事に携わる。1996年より、NY、シカゴ、デトロイト、 カンザスシティ中心にアメリカのローカルジャズミュージシャン達と交流を深め、現在に至る。主として ミュージシャン間のコーディネーション、プロモーションを行う。Kansas City Jazz Ambassador 会員。
追悼特集
ポール・ブレイ Paul Bley
:
#1277『大友良英スペシャルビッグバンド/ライヴ・アット・新宿ピットイン』(ピットインレーベル) 望月由美
#1278『David Gilmore / Energies Of Change』(Evolutionary Music) 常盤武
#1279『William Hooker / LIGHT. The Early Years 1975-1989』(NoBusiness Records) 斎藤聡
#1280『Chris Pitsiokos, Noah Punkt, Philipp Scholz / Protean Reality』(Clean Feed) 剛田 武
#1281『Gabriel Vicens / Days』(Inner Circle Music) マイケル・ホプキンス
#1282『Chris Pitsiokos,Noah Punkt,Philipp Scholtz / Protean Reality』 (Clean Feed) ブルース・リー・ギャランター
#1283『Nakama/Before the Storm』(Nakama Records) 細田政嗣
:
JAZZ RIGHT NOW - Report from New York
今ここにあるリアル・ジャズ − ニューヨークからのレポート
by シスコ・ブラッドリー Cisco Bradley,剛田武 Takeshi Goda, 齊藤聡 Akira Saito & 蓮見令麻 Rema Hasumi
#10 Contents
・トランスワールド・コネクション 剛田武
・連載第10回:ニューヨーク・シーン最新ライヴ・レポート&リリース情報
シスコ・ブラッドリー
・ニューヨーク:変容する「ジャズ」のいま
第1回 伝統と前衛をつなぐ声 − アナイス・マヴィエル 蓮見令麻
音の見える風景
「Chapter 42 川嶋哲郎」望月由美
カンサス・シティの人と音楽
#47. チャック・へディックス氏との“オーニソロジー”:チャーリー・パーカー・ヒストリカル・ツアー 〈Part 2〉 竹村洋子
及川公生の聴きどころチェック
#263 『大友良英スペシャルビッグバンド/ライヴ・アット・新宿ピットイン』 (Pit Inn Music)
#264 『ジョルジュ・ケイジョ 千葉広樹 町田良夫/ルミナント』 (Amorfon)
#265 『中村照夫ライジング・サン・バンド/NY Groove』 (Ratspack)
#266 『ニコライ・ヘス・トリオfeat. マリリン・マズール/ラプソディ〜ハンマースホイの印象』 (Cloud)
#267 『ポール・ブレイ/オープン、トゥ・ラヴ』 (ECM/ユニバーサルミュージック)
オスロに学ぶ
Vol.27「Nakama Records」田中鮎美
ヒロ・ホンシュクの楽曲解説
#4『Paul Bley /Bebop BeBop BeBop BeBop』 (Steeple Chase)
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#70 (Archive) ポール・ブレイ (Part 1) 須藤伸義
#71 (Archive) ポール・ブレイ (Part 2) 須藤伸義
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#871「コジマサナエ=橋爪亮督=大野こうじ New Year Special Live!!!」平井康嗣
#872「そのようにきこえるなにものか Things to Hear - Just As」安藤誠
#873「デヴィッド・サンボーン」神野秀雄
#874「マーク・ジュリアナ・ジャズ・カルテット」神野秀雄
#875「ノーマ・ウィンストン・トリオ」神野秀雄
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