Vol.30 | 事業仕分けの波紋text by Masahiko YUH

昨年、世相を映し出した流行語を選ぶ「新語・流行語大賞」(現代用語の基礎知識選)に選ばれた大賞は「政権交代」だった。大賞候補のベストテンに入った「政権交代」関連の流行語には他に、ベストスリーの一角を占めた「事業仕分け」と「脱官僚」もあった。

その中で国民の誰もが注目したのは「事業仕分け」だったろう。実は、年末の巻頭文でこれを取りあげようと用意していたのだが、時間切れで間に合わず、新年にずれ込んでしまった。取りあげたかったのは「事業仕分け」が生んださまざまな波紋についてである。

振り返ってみれば、「事業仕分け」は、自民党政権下で官僚と族議員の闇駆け引きのように密室の中で行われていた予算査定が、初めて白日のもと国民が注視する中で試みられた点で画期的であり、過去の予算査定がいかにいい加減な、まるでどんぶり勘定の分配作業とおぼしき政府と官僚の馴れ合い仕事だったかが分かったというだけでも、政権交代がもたらした大ヒットといってもよく、今回の「事業仕分け」が評価される価値は充分にある、という大方の意見に私も同意した。

行政刷新会議の「事業仕分け」が世の注目や好奇心を越えて、突然、世間を騒がせた発端は、次世代スーパー・コンピューター予算が刷新会議で事実上の凍結と判定されたことだった。仕分け3日目(11月13日)の仕分け委員と文部科学省の担当役人とのやりとりが全メディアに大々的に取りあげられ、大学、学会、研究機関に属する学者や研究者がさまざまな会議やネットで声明を公表したりするに及んでさまざまな反応が世間を駆け巡り、仕分けで予算の削減や凍結を言い渡された各省庁の担当官僚や予算確保は当たり前と考えていた当事者たちの間に大きな波紋を巻き起こしたのだ。

一連の騒動で一番驚いたのは、日本の世界的科学者たちがこの仕分けに反発し、一方的な抗議と怒りをあらわにした声明を発表した慌てようだった。最初、ある程度は予想できたことと冷めた目で眺めていたのだが、7道府県知事による「科学技術こそ日本の進むべき道」と地域科学技術振興事業の廃止判定に異を唱えた声明を皮切りに、国立大学の総長らが科学技術関連予算の見直しと削減の判定に抗議する共同声明を発表するなど、予算の見直しや削減が「国家の土台を揺るがす」措置で、「国家存亡にかかわる危機」を招き、「学術文化の喪失」にさえ至らしめるとの声高な主張で締めくくられていた。にわかに波風が立ちはじめ、事業仕分け会議は「公開処刑」との批判も飛び交った。こうなると長屋の笑い話では済まない。とりわけノーベル賞受賞者の野依良治氏が、「コストと将来への投資は区別すべき」、「抜きん出た科学技術の開発なくして資源なきわが国の未来はない」と論じ、スパコンをはじめとする科学技術の振興と発展に必要な予算措置を国の責任で講じることを求めた寄稿文(12月3日付け朝日新聞)を読んだとき、言いようのない腹立たしさを覚えた。職を失った多くの人々がハローワークに殺到し、路上生活に追い込まれる人さえいる今日の日本の現状など人ごとのようにしか思っていないのか。野依氏は底辺で喘いでいる人々の苦境に思いをいたすより「科学技術分野で世界一になる」ことを優先せよと言っているみたいだ。もしそうなら、科学界のリーダーたちは、科学技術で頂点を目指すためにはほかに多少の犠牲が出てもやむをえないと考えていることになる。確かに仕分け作業では拙速を批判されても仕方ない吟味不足は否めなかった。だが、税金は先ず第1に科学のために使えといっているような、それじたい錦の御旗を地でいっているこれらの発言には苦笑を通り越して唖然とした。

だが、科学技術の分野ばかりではなかった。威丈高に国へ物申した科学界ばかりがクローズアップされたが、実はあっちもこっちも請求した予算は削減するなの大合唱。請求した予算の1部が廃止や凍結と判定されれば、陳情合戦を繰り広げるなどあらゆる手だてを尽くして判定を覆そうとする。

たとえば、日本オリンピック委員会(JOC)への国庫補助金が削減対象となったとたん、オリンピックのメダリストたちが集まって切実な声をあげた。彼らの訴えに寸部の理がないというわけではない。しかし、JOCが昨年度の予算の約3分の1を国から補助されていた事実を踏まえるなら、五輪と名がつけば国が何とかしてくれると高をくくって予算を要求したと批判されても仕方がないだろう。上村春樹JOC選手強化本部長の「予算縮減(要求額通りもらえない)なら2012年ロンドン五輪対策も全部パーになる」(朝日新聞)という発言にいたっては、掲載された通りなら、これはもう五輪という名にあぐらをかいた居直りといってもおかしくない。このときのアピールに名を列ねた太田雄貴(フェンシングの銀メダリスト)の「税金でスポーツができていると選手が再認識しないといけない」(同)という言葉の方がよほど良識的だった。国も国民も深刻な経済不況に苦しんでいるときに、国民の応援が得られないような思い上がった発言だけは慎しむべきだ。

12月9日だったか、テレビのニュースを見ていたら指揮者の小沢征爾が民主党の小沢一郎幹事長と談笑する画面が大写しになった。何事かと思ったら、事業仕分けで音楽(文化・芸術分野)、とりわけオーケストラ関連の予算が削減の対象になった判定を見直すように迫る直訴だった。世界のオザワの陳情となれば、政府への要望を一括して処理する幹事長としても無碍にはできない、とオーケストラ界が判断した作戦だったのか。詳しくは分からないが、音楽界も例外ではなかったということになる。

音楽界全般ではどうだったか。

もちろん動きはあった。たとえば、「日本芸術文化振興会」予算が大幅な削減が必要とされた仕分け判定にも、各方面から大きな抗議の声が起こった。とはいうものの、ノーベル賞科学者がそろって異を唱えたり、五輪メダリストたちが強い口調で仕分け判定に抗議したりしたのとはやや趣を異にして、日本オーケストラ連盟が縮減査定に反対の意見書を出したり、小沢征爾が幹事長詣でをしたりしたくらいで、これといったショッキングな抗議行動はなかった。しかし考えてみれば、オーケストラなどの音楽団体や音楽家が学校に出向して行う鑑賞会も仕分けでは大幅な縮減対象となった結果については、子供の教育を最重要視する民主党の政策方針とは相反する判定で腑に落ちないという人が少なくなかったかもしれない。特に、小中学校の子供たちにとってオーケストラの生演奏を間近で聴く体験が本当に無駄なのかどうか。まさか仕分け委員たちがこうした教育現場での鑑賞体験を教育とは無縁の試みと考えているわけではあるまい。しかし、この「舞台芸術体験事業」は、むしろオーケストラやオペラのクラシックに限らずジャズや民族音楽などのさまざまな分野に音楽体験の枠を広げることへと議論の矛先を変えて発展させるべきであると、私は考える。クラシックは芸術だが、それ以外のカテゴリーの音楽は芸術ではないとしてこの事業においてジャンルの対象仕分けをしている現状の在り方の方がむしろ問題ではないか、と考えるからだ。

この事業仕分けの波紋を昨年12月、「この1年ー音楽ー」の回顧(関西芸能)で2009年を振り返りながら、クラシック音楽の現状に鋭く切り込んだ星野学氏の1文は示唆に富むものだった。氏は「クラシック音楽ファンは人口の 0・5%ないし1%というのが業界の通説」と前置きした上で、次のように言う。

「100人中99人には直接縁のない世界を税で支え続けるには理論武装と説明責任が不可欠だ」(中略)。そして終盤、関西地区公演の中から、びわ湖ホールの『ルル』(10月)、『トゥーランドット』(3月)、兵庫県立芸術文化センターの『カルメン』(6,7月)という3つのオペラを現代の世相をにじませた秀逸公演として挙げた上で、こう結ぶ。「ただ、底なしに沈むこの国の今と正面から向き合った新作には出あえなかった。そういう作品を世に問うことは、<99人>の理解を得る一助になるはずだ」(2009年12月2日,夕刊朝日新聞関西版)。

英国で五輪選手の強化に当たるスー・キャンベル委員長の発言も星野氏の見解と重なりあう。「予算を引き出すには、そのための言葉と筋書きが必要」(2009年12月2日、朝日新聞)。

ともに吟味に値する。

政府の担当大臣も、事業仕分けの任に当たった議員や一般委員も、重箱の隅を突つく類の政治主導ではなく、官僚の土俵とは一線を画したところで中抜きやピンハネを暴き、「無駄遣いを解消し、国民が納得するガラス張りの予算査定」の実現を図ってもらいたいものだ。今回の事業仕分けは国家予算を外部から検証する第1歩である意義を、「人民裁判」だの「公開処刑」などといった中傷や批判に押されて見失うことがあってはならない。ただ、すぐに結果が出ない事業を不十分な審査や査定で無駄と切り捨てることなく、ある程度の時間をかけて議論を尽くすことを旨とすべきだ。あくまでも公平かつ倫理的な清廉さを失わない予算編成がなされることを強く要望する。

圧倒的な縮減対象となった文化・芸術予算のうち、オーケストラなどが学校現場を巡回する事業についても同様で、すぐに結果が現れないからといって本当に子供の芸術体験が無駄であると性急に結論づけていいものかどうか再考の余地があるだろう。特に、国家予算に占める文化・芸術予算の比率が先進国の中でも日本は際立って低いことを考慮に入れるなら尚更であろう。せめて韓国並みの比率、できれば全予算の1%を、文化予算として用意するぐらいの度量、いや良識を示して欲しいものだ。

しかし現実には、日本は世界でも最悪の借金財政に喘いでおり、すべての事業が要求する予算を認めることなど到底できっこない。そんな中で不利な判定を下された部門の事業がよってたかって批判や反論を繰り広げ、分捕り合戦や陳情合戦に血道を上げるのは決して見栄えのいいものではない。第一線で活躍する人や知識人に言いたい。日本人としての品性を欠くような発言や行為は慎め、と。

2010年はいろいろな意味で新しい将来を展望する第1歩となることを期待したい。Jazz Tokyo(JT)もさらに 力強く前進するつもりだ。

悠 雅彦

悠 雅彦:1937年、神奈川県生まれ。早大文学部卒。ジャズ・シンガーを経てジャズ評論家に。現在、洗足学園音大講師。朝日新聞などに寄稿する他、「トーキン・ナップ・ジャズ」(ミュージックバード)のDJを務める。共著「ジャズCDの名鑑」(文春新書)、「モダン・ジャズの群像」「ぼくのジャズ・アメリカ」(共に音楽の友社)他。

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追悼特集
ポール・ブレイ Paul Bley

FIVE by FIVE
#1277『大友良英スペシャルビッグバンド/ライヴ・アット・新宿ピットイン』(ピットインレーベル) 望月由美
#1278『David Gilmore / Energies Of Change』(Evolutionary Music) 常盤武
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#1280『Chris Pitsiokos, Noah Punkt, Philipp Scholz / Protean Reality』(Clean Feed) 剛田 武
#1281『Gabriel Vicens / Days』(Inner Circle Music) マイケル・ホプキンス
#1282『Chris Pitsiokos,Noah Punkt,Philipp Scholtz / Protean Reality』 (Clean Feed) ブルース・リー・ギャランター
#1283『Nakama/Before the Storm』(Nakama Records) 細田政嗣


COLUMN
JAZZ RIGHT NOW - Report from New York
今ここにあるリアル・ジャズ − ニューヨークからのレポート
by シスコ・ブラッドリー Cisco Bradley,剛田武 Takeshi Goda, 齊藤聡 Akira Saito & 蓮見令麻 Rema Hasumi

#10 Contents
・トランスワールド・コネクション 剛田武
・連載第10回:ニューヨーク・シーン最新ライヴ・レポート&リリース情報 シスコ・ブラッドリー
・ニューヨーク:変容する「ジャズ」のいま
第1回 伝統と前衛をつなぐ声 − アナイス・マヴィエル 蓮見令麻


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#47. チャック・へディックス氏との“オーニソロジー”:チャーリー・パーカー・ヒストリカル・ツアー 〈Part 2〉 竹村洋子

及川公生の聴きどころチェック
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オスロに学ぶ
Vol.27「Nakama Records」田中鮎美

ヒロ・ホンシュクの楽曲解説
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#871「コジマサナエ=橋爪亮督=大野こうじ New Year Special Live!!!」平井康嗣
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