パリの僕のアパルトマンの下の階にはシリア人が住んでいる。チュニジアやエジプトに民主主義が実現するのを夢見た4年前の“アラブの春”の頃と打って変わって、最近はますます表情が暗い。去年はスーツ姿で書類鞄を提げた姿を見かけ、「シリア情勢について講演でもするの?」と聞くと、「家にいると落ち着かないから、大学で環境問題の勉強をすることにした。」と言う。そのうちもっと悩ましい顔になったので、「からっとした気分になりたければ泳ぐのが一番」とプールに誘った。今年はプールで出会うこともなくなり、もっぱら家にこもっている。奥さんのがんが悪化し、その世話でプールに行く暇がないのだそうだ。そういえば、ときどき深夜に嘔吐の音が聞こえたり、激しく泣き叫ぶ声で目を覚ましたりする。彼は「昨日はうるさかったでしょう。子供みたいにわがままで手に負えない女なので、申し訳ない」とあやまる。奥さん(フランス人)は、がんのほかに心の病も抱えている。「でもイスラム教徒は、フランス人みたいにいやになったからと別れるようなことはしない。」というのが彼の口癖だ。
 パリで暮らすと身近にイスラム教徒と付き合う機会が少なくないが、彼らの実直な生き方と、風刺新聞<シャルリーエブド>を襲撃したジハディスト(聖戦イスラム戦士)とは何一つ共通するところがなく、「イスラムっていったい何?」と考えざるを得なくなる。
 以前勤務していたシャンゼリゼのビルにはチュニジア人の掃除のおじさんがいた。フランス人でも難しくてなかなか読めない<ルモンド>紙を愛読していたし、どことなく犯しがたい品位がある。学校が休みになると中学生の息子を連れ、朝5時からの仕事を手伝わせる。「親の働く姿を子供に見せるのは大切なことです。」というのだ。二人の息子はカトリックの私立学校に通わせている。「いまどき公立学校に入れると親を尊敬しない子に育つ」とか。僕がいまのアパルトマンに引っ越したとき、このヌルディンさんに頼んだら二人の息子を連れ、おんぼろの小型レンタルトラックを運転してやってきた。息子たちは無駄口もきかず、半日で引っ越しをかたづけてくれた。職につけない移民二世三世の中には、破壊・暴力によってフランス社会への敵意を露骨に表す若者が少なくないし、<シャルリーエブド>襲撃犯のように刑務所でカリスマ性のある指導者に出会い、筋金入りのジハディストに「回心」し、イェーメンやシリアに渡って闘う男女の話がしばしば報道される。ヌルディンさんとしては、たとえ希望の職につけなくとも社会を恨んではならない、掃除や引っ越しでも誠心誠意やれば認めて貰えるという哲学を身をもって学ばせようというのだろう。「ジハード(聖戦)とは自分の中の悪と闘うこと」がモットーのヌルディンさん、チュニジアでは中小企業の社長だったというから、幻滅、怒り、屈辱感、たくさんの悪との闘いを経験してきたに違いない。
 しかし、素直でまじめすぎるくらいに見えるあの息子たちが、あるとき「我慢するのは卑怯だ。正義を力によって実現すべきだ」と思いつめたら?そのとき彼らの出会うイスラムはお父さんのイスラムとはまるで別物だ。これも以前の職場の思い出だが、レバノン出身の秘書がこんな内輪話を聞かせてくれた。彼女のお父さんはマスコミ界の大物で、一家は高級住宅街に住んでいる。ところが突然弟が熱烈なイスラムに回心し、酒をやめラマダンの断食を守るだけでなく郊外団地に引っ越すべきだと主張しはじめたと言う。郊外団地の中には住民のほとんどが移民という所が少なくない。そこは失業、貧困に加えて暴力と破壊のすさんだ環境だ。かつて郊外団地で活躍したのはカトリック司祭と共産党だったが、いまはイスラムが主役になった。差別され貧困に苦しむ弱者への共感とイスラムへの回心が若者の心の中でひとつになっている。共産主義の夢が破れたあと、社会の悪と闘い正義を実現する道を説く魅力的な教説はイスラムしか見当たらない。世の垢にまみれていない純粋な良家の子女ほどこうした教説に引きつけられやすいだろう。レバノン出身の秘書から弟の回心を聞かされたときには、「素晴らしいことじゃないか。イスラムが力を増している理由のひとつは虐げられた人々を何とかしたいという若者の理想主義に答えてくれるからなのだろう。」と感激した。彼らを待ち受ける「イスラム」の正体を知らなかったから、のんきに感心していられたのだ。
 イスラム世界は過去数十年に様変わりし、いまニュースに登場するイスラムは伝統的イスラム本流とは別物と考えた方が良いらしい。イスラム世界の変貌を理解するには、ジハディストの戦闘的・政治的イスラムの源流に、一見対照的な保守的・非政治的サウジアラビアの巨大な影響力を見なければならない。サウジで働いた日本の友人は「娯楽と言えば公開処刑を見ることかな。」と、恐ろしい経験を聞かせてくれたし、女性の自動車運転が禁じられ、袋のような黒い布を頭からすっぽりかぶって歩かなければならない国だ。
 サウジの宗教はワッハーブ派と呼ばれ、もともとイスラムの本流からそれた近代の異端セクトだった。地中海周辺からイラン、インドまで色とりどりのイスラム文化を切り捨て、アッラーと一対一で向き合うスーフィーの自由な神秘主義を禁止し、律法に凝り固まった狭苦しい復古主義がワッハーブ派だ。その異端セクトが石油マネーの力で世界を制覇してしまった。インドネシアでさえワッハーブ式の礼拝が見かけられるようになり、豊かだったイスラムが画一化する一方だ、と専門家は嘆いている。そしてごりごり律法主義のワッハーブ派に政治色がつくとビン・ラデンのアルカイダ、そして瞬く間に領土を拡大した「イスラム国」になる。イスラム国の支配地域では自分たちと流儀の違うモスクを破壊し、預言者の墓を吹き飛ばし、混じりけなしの原イスラム実現を企てている。旧約の臆病な預言者ヨナの墓も粉々にされた。コーランにはアブラハムもダビデもヨナも、大勢の旧約の登場人物が信仰の手本として登場するし、新約のイエスとマリアも登場する。だからヨナの墓はイスラム教徒に大切にされていたのだが、「イスラム国」にとってムハンマド以外の預言者をあがめるのは背信なのだ。「イスラム国」の支配下に入ると、キリスト教徒は改宗するか殺されるか、二つにひとつ。しかし、マスコミを賑わす彼らの蛮行を見て、イスラムは不寛容な宗教だと断定するのは間違いだ。
 イラクの教会で長く働いていたカトリックの神父さんは、かつてのイスラムとキリスト教の関係について愉快な話をきかせてくれた。「教会ではイスラム教徒を雇います。彼らの方が正直だから。イスラム教徒にマリア像が人気の的で、ろうそくを立てたり、なかにはメッカ巡礼の旗を巻き付けたりする人までいましたよ。傑作なのは、道路で私を見かけた青年が、マリア様の夢を見たけれどどうすれば良いかと聞いてきたことです。」イスラムとキリスト教の交流はイラクに限らない。ヌルディンさんによると、彼の住んでいたパリの庶民街では教会とモスクが隣同士で、ラマダン明けにキリスト教の信者がイスラム教徒にごちそうを持って行くし、クリスマスにはその逆をやるそうだ。
 ワッハーブ派が目の敵にしたのがスーフィーと呼ばれる神秘主義だ。そもそも神秘家は神を直接体験するので、教団の枠に収まるはずがない。アル・ハッラージュ(858−922)の詩は、「私は心の目で主を見た/私は訊ねた『あなたは誰?』/その方は答えた『それはお前だ』と。」と詠っており、自分と真理=神はひとつだと公言した。自分が神であれば、「自分=神」の声の前に教団のヒエラルキーと律法の命令は力を失う。このような神と人との近さについては「コーラン」に有名な一節がある。「我ら(アッラー)は人間を創造した者。人の魂がどんなことをささやいているか、すっかり知っておる。我らは人間各自の頸の血管よりももっと近い」。スーフィーは権力の弾圧を受けながらも(アル・ハッラージュは処刑された)、スンニ・シーア両派の伝統の中で生き続け、イスラムがひからびた律法主義に陥るのを防いできた。《蜂蜜》というトルコ映画に、主人公の少年がお祖母さんの家に行くと、女たちが集まって、ムハンマドが天に昇りイエス、モーゼ、アブラハムなどと会い、アッラーと会話する物語を朗読するシーンがあった。少年の父は深い森の巨木に昇り、蜂蜜を採取する仕事だから、父の上昇はムハンマドの霊的上昇に呼応し、深山の神秘と宗教的神秘が呼応し合う。しかも息子の名はユースフ=ヨセフで、父の名はヤクプ=ヤコブだ。この映画は、砂漠とは正反対のむしろ日本に似た環境のなかで、民衆の中にどんな形でイスラム神秘思想が生き続けているかを教えてくれる。
 数年前チュニスのモスクを見物したとき、日暮れ時の祈りの前だったので、数百人の男たちが座っていた。柱に背をもたせたりうずくまったり思い思いの姿勢でのびやかな自由な雰囲気だが、同時に清冽な内的集中のエネルギーのようなものが伝わってきた。一人一人アッラーと親しく対話しながら、全体の祈りの準備をしていたのだろう。砂漠の聖者シャルル・ド・フーコーは若いとき放蕩の限りをつくす軍人だったが、イスラムの信仰を見て回心し、「イスラムは私を心の底から覆した。この信仰、絶え間なく神の現存のうちに生きるこの魂、それはこの世の営みより一層偉大で、一層真実な何物かを垣間見させてくれた」と書き残している。
 「イスラム国」の戦士の中にはヨーロッパから志願して渡って行った若者も少なくない。写真を見るときれいな目をしたまじめそうな若者が多く、彼らは社会の不正に対する答えとして、最近回教を選んだのだろう。彼らが「聖戦」の実態を見て失望して戻ると、ヨーロッパでは刑務所が待っている。ところがデンマークだけは例外で、投獄して社会から隔離する代わりに、大学進学の段取りをつけるなど、社会に復帰する手助けをする再教育プログラムを試みている。若者たちは洗脳から覚めると自分の信じたものが「コーラン」の「慈悲ふかく慈愛あまねきアッラー」からどれほどかけ離れていたか気付くそうだ。ジハディストとイスラムをごっちゃにするマスコミの洗脳から覚める必要のあるのは、本当は私たちかもしれない。
(2015年1月13日記)

編集部註:<シャルリーエブド>襲撃事件以降についてのレポートが引き続き松浦氏より寄稿の予定です。

松浦茂長 Shigenaga Matsuura
1945年、京都府生まれ。東大文学部卒。パリ・ソルボンヌ大留学。フジテレビで主に海外ニュースを担当。英BBC海外放送出向、モスクワ特派員、パリ支局長など15年間ヨーロッパで生活し、定年後半年はパリで暮らす。

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追悼特集
ポール・ブレイ Paul Bley

FIVE by FIVE
#1277『大友良英スペシャルビッグバンド/ライヴ・アット・新宿ピットイン』(ピットインレーベル) 望月由美
#1278『David Gilmore / Energies Of Change』(Evolutionary Music) 常盤武
#1279『William Hooker / LIGHT. The Early Years 1975-1989』(NoBusiness Records) 斎藤聡
#1280『Chris Pitsiokos, Noah Punkt, Philipp Scholz / Protean Reality』(Clean Feed) 剛田 武
#1281『Gabriel Vicens / Days』(Inner Circle Music) マイケル・ホプキンス
#1282『Chris Pitsiokos,Noah Punkt,Philipp Scholtz / Protean Reality』 (Clean Feed) ブルース・リー・ギャランター
#1283『Nakama/Before the Storm』(Nakama Records) 細田政嗣


COLUMN
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今ここにあるリアル・ジャズ − ニューヨークからのレポート
by シスコ・ブラッドリー Cisco Bradley,剛田武 Takeshi Goda, 齊藤聡 Akira Saito & 蓮見令麻 Rema Hasumi

#10 Contents
・トランスワールド・コネクション 剛田武
・連載第10回:ニューヨーク・シーン最新ライヴ・レポート&リリース情報 シスコ・ブラッドリー
・ニューヨーク:変容する「ジャズ」のいま
第1回 伝統と前衛をつなぐ声 − アナイス・マヴィエル 蓮見令麻


音の見える風景
「Chapter 42 川嶋哲郎」望月由美

カンサス・シティの人と音楽
#47. チャック・へディックス氏との“オーニソロジー”:チャーリー・パーカー・ヒストリカル・ツアー 〈Part 2〉 竹村洋子

及川公生の聴きどころチェック
#263 『大友良英スペシャルビッグバンド/ライヴ・アット・新宿ピットイン』 (Pit Inn Music)
#264 『ジョルジュ・ケイジョ 千葉広樹 町田良夫/ルミナント』 (Amorfon)
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#266 『ニコライ・ヘス・トリオfeat. マリリン・マズール/ラプソディ〜ハンマースホイの印象』 (Cloud)
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オスロに学ぶ
Vol.27「Nakama Records」田中鮎美

ヒロ・ホンシュクの楽曲解説
#4『Paul Bley /Bebop BeBop BeBop BeBop』 (Steeple Chase)

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