トーマス・エンコ
2011年9月8日(木) |
今年の2月23日にリリースした新作 『ウインドウ・アンド・レイン』(Happinet HMCJ-1007) の発売記念ライヴ・ツアーのなかの「東京倶楽部」での演奏。
JR水道橋から神田川に沿って御茶の水方向へ歩いて5分ほど、静かな駿河台のビルの地下。アットホームなライヴ・バーという雰囲気と若くてイケメンのトーマス・エンコに魅かれてか若い女性客も多く華やかでそれでいて落ち着いた趣の漂うお店である。
本来、トーマス・エンコは今年の3月から4月の上旬にかけてライヴ・ツアーを行う予定であったが東日本大震災が発生した影響でやむなく延期されていたものが実現したもので9月1日からスタートし全国ツアーを行っている中での一夜である。したがってメンバーもCD『ウインドウ・アンド・レイン』 の吹き込みメンバーと同じでトーマス・エンコのピアノにクリス・ジェニングスのベース、ニコラス・シャリエのドラムによるトリオである。
トーマス・エンコ・トリオ
トリオがステージに上がるとまず簡単な音合わせとチューニングから、いきなりシンバルの連打でスタート。会場がシーンと静まる中、ピアノとベースによる対話から徐々に美しいテーマが現れる。そう、オープニングは既に耳に馴染んだアルバム・タイトル曲の<ウインドウ・アンド・レイン>であった。若さをみなぎらせて無心でピアノに自分の思いを語りかけてゆくトーマス。CDの簡潔に核心をついた演奏も良かったが、存分にアドリブを繰り広げるライヴも素晴らしい。やはりジャズはライヴである。
トーマス・エンコの書く曲はみんなメロディーが美しいが、この曲は、その中でも際立って美しいメロディーが次から次へと紡ぎだされる。普通、レコ発ライヴでは、アルバム・タイトル曲は一番の売りなので、CDの印象を強めるために最後に演奏されるケースが多いがトーマス・エンコは指慣らしもなしでいきなりトリの曲を持ってきたのにはびっくりしたが、それも若さと自信の表れと納得。まだ22歳のトーマス・エンコのピアノからは青春の甘さも立ち上ってくる。
トーマス・エンコ
一曲終わって“わたしはトーマス・エンコです”と日本語で自己紹介をすると、会場の若い女性客が羨望の眼差しで見つめるなか、トーマスはひとりピアノに向かう。カノンのようなバロック調のピアノに聴きほれていると徐々に耳に馴染んだメロディーが繰り返し、繰り返し現れてくる。そう<朝日のようにさわやかに>の一節が顔をのぞかせるのである。断片的に<ソフトリー>のメロディーをちりばめながら華やかで粋なフレーズをひきだしてゆく。
トーマス・エンコのソロの間中、気がつくと常に<ソフトリー>の主旋律が鳴っている。これは驚きであり新鮮であった。この有名曲を採りあげる以上、この誰もが知っている名曲をとことん綺麗に弾こうという強い気持ちが顕れているような印象であった。
トーマス・エンコはこの夜は完全なソロは弾かなかったが、曲の最初5〜6分ほど長いソロをとる。キース・ジャレットのスタンダーズもブラッド・メルドーのトリオもそうだが冒頭のソロで奏でるべき曲のペースをしっかりと語る。そして仲間とそれを発展させているのであり、トーマスのスタイルもそうした新しい流れにそって築き上げられているようである。
同じような意味で興味深かったのはエヴァンスで有名な<マイ・ロマンス>。アルバム 『ウインドウ・アンド・レイン』では父ディディエ・ロックウッドゆずりのヴァイオリンを弾いている。当夜もピアノの上にはヴァイオリンがセットしてあった。いつヴァイオリンに手を伸ばすかとピアノの上のヴァイオリンを見つめていたが、残念なことに当夜は遂にヴァイオリンを手にすることはなかった。
トーマス・エンコ
トーマス・エンコとコンビを組んでいるのはドラムスのニコラス・シャリエとベースのクリス・ジェニングスの二人。二人はアルバム『ウインドウ・アンド・レイン』録音以来のコンビであるがトーマスを軸にまとまりの良いフットワークでお互いの音をよく聴いてすばやく反応する。だから、常に何らかの形で三者のインタープレイが自然発生的に行われていて、聴き手も思わず身体でリズムをとって聴いてしまう。
ドラムスのニコラス・シャリエは1989年ベルギーの生まれで、フランスに渡りディディエ・ロックウッド(vln)の主宰する音楽学校に通い音楽を勉強した。ディディエ・ロックウッドの学校でトーマス・エンコと知り合って以来ずっと行を共にしており、トーマスにとってよき友であり、音楽的にも共鳴し合う間柄である。トーマスと同年代の22歳という若さが、新鮮なリズムを生み出している。スピードのあるバッキングもいいが、トーマスとのフォー・バースで、互いをよく知った上での反応が聴いていて気持ちがいい。サウンドも綺麗でシンバルでのアクセントの付け方がトニー・ウイリアムスやジャック・ディジョネットを連想させる場面もあり、基本となる技術を身につけた上で自分の個性を色づけして新しいリズムにチャレンジをするニュータイプのドラマーである。
ニコラス・シャリエ
ベースのクリス・ジェニングスはカナダの出身で現在はフランスを中心に活躍している。左利きのベースは珍しい。1978年生まれでトーマスのトリオの中では最年長である。ヨーロッパのベーシストは音色の綺麗な人が多い。ヨーロッパの空気のせいかと思ったことも合ったが、東京の空の下でも美しいものは美しい。クリスのサウンドも艶やかで美しい。サウンドに最大の気配りをしていてアンプの扱い方が丁寧で本当のウッド・ベースらしい音を堪能した。チェロに近い高音域を活かしたアルコ・ソロもしっかり低音が下支えしていて本当に心地よい、ピッチカートのアタックもしっかりしていて弦楽器らしい音を出している。すがた形はコントラバスだが、出る音はエレクトリックという音を聴きなれている耳にはクリスのサウンドは実に新鮮に響いた。
クリス・ジェニングス(b)
アルバム 『ウインドウ・アンド・レイン』 ではゲストの日野皓正(tp)が吹いた<オール・ザ・シングス・ユー・アー>をトーマスはバロック調のクラシカルなタッチで処理、日野のゆったりとした大らかなトランペットも聴きものであったがダイナミックなトーマスのピアノも聴き応えがある。途中からベースとドラムスが加わりトリオ形式にと発展する。こうした古典への解釈が斬新である。
アンコールの拍手が鳴り止まず、女性客の笑い声やざわめきが続く中、トーマスはミッシェル・ルグランの<シェルブールの雨傘>を弾き始める。クリスのベースがそっとそれによりそう。トーマス・エンコはメロディーを原曲以上に綺麗に弾く名人だとつくづく思った。
トーマス・エンコはまだ22歳である。この若さでスタンダードは原曲以上に美しく弾く。そしてトーマスの書く曲もスタンダード以上に美しいメロディーが溢れている。これから先どのように変貌し進化してゆくのか、空恐ろしい気もするし、また楽しい。実際に会った素顔のトーマス・エンコはとてもお茶目な清々しい好青年である。
トーマス・エンコ
望月由美:FM番組の企画・構成・DJと並行し1988年までスイングジャーナル誌、ジャズ・ワールド誌などにレギュラー執筆。 フォトグラファー、音楽プロデューサー。自己のレーベル「Yumi's Alley」主宰。『渋谷 毅/エッセンシャル・エリントン』でSJ誌のジャズ・ディスク大賞<日本ジャズ賞>受賞。
追悼特集
ポール・ブレイ Paul Bley
:
#1277『大友良英スペシャルビッグバンド/ライヴ・アット・新宿ピットイン』(ピットインレーベル) 望月由美
#1278『David Gilmore / Energies Of Change』(Evolutionary Music) 常盤武
#1279『William Hooker / LIGHT. The Early Years 1975-1989』(NoBusiness Records) 斎藤聡
#1280『Chris Pitsiokos, Noah Punkt, Philipp Scholz / Protean Reality』(Clean Feed) 剛田 武
#1281『Gabriel Vicens / Days』(Inner Circle Music) マイケル・ホプキンス
#1282『Chris Pitsiokos,Noah Punkt,Philipp Scholtz / Protean Reality』 (Clean Feed) ブルース・リー・ギャランター
#1283『Nakama/Before the Storm』(Nakama Records) 細田政嗣
:
JAZZ RIGHT NOW - Report from New York
今ここにあるリアル・ジャズ − ニューヨークからのレポート
by シスコ・ブラッドリー Cisco Bradley,剛田武 Takeshi Goda, 齊藤聡 Akira Saito & 蓮見令麻 Rema Hasumi
#10 Contents
・トランスワールド・コネクション 剛田武
・連載第10回:ニューヨーク・シーン最新ライヴ・レポート&リリース情報
シスコ・ブラッドリー
・ニューヨーク:変容する「ジャズ」のいま
第1回 伝統と前衛をつなぐ声 − アナイス・マヴィエル 蓮見令麻
音の見える風景
「Chapter 42 川嶋哲郎」望月由美
カンサス・シティの人と音楽
#47. チャック・へディックス氏との“オーニソロジー”:チャーリー・パーカー・ヒストリカル・ツアー 〈Part 2〉 竹村洋子
及川公生の聴きどころチェック
#263 『大友良英スペシャルビッグバンド/ライヴ・アット・新宿ピットイン』 (Pit Inn Music)
#264 『ジョルジュ・ケイジョ 千葉広樹 町田良夫/ルミナント』 (Amorfon)
#265 『中村照夫ライジング・サン・バンド/NY Groove』 (Ratspack)
#266 『ニコライ・ヘス・トリオfeat. マリリン・マズール/ラプソディ〜ハンマースホイの印象』 (Cloud)
#267 『ポール・ブレイ/オープン、トゥ・ラヴ』 (ECM/ユニバーサルミュージック)
オスロに学ぶ
Vol.27「Nakama Records」田中鮎美
ヒロ・ホンシュクの楽曲解説
#4『Paul Bley /Bebop BeBop BeBop BeBop』 (Steeple Chase)
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#70 (Archive) ポール・ブレイ (Part 1) 須藤伸義
#71 (Archive) ポール・ブレイ (Part 2) 須藤伸義
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#871「コジマサナエ=橋爪亮督=大野こうじ New Year Special Live!!!」平井康嗣
#872「そのようにきこえるなにものか Things to Hear - Just As」安藤誠
#873「デヴィッド・サンボーン」神野秀雄
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