Vol.50 | アーチー・シェップ 1973年9月 新宿厚生年金会館ホール楽屋
text by Seiichi SUGITA


__シェップ教授、


「いや、私は准教授(マサチューセッツ大学)です(笑)。マックス・ローチは正教授です」

__失礼。実は去年(1972年)の夏、シェップ准教授(笑)の出身校、ゴダード・カレッジ(マサチューセッツ州)へ行って来ました。


「えっ、本当に?」

__ええ、エルヴィン・ジョーンズ(ds)のオンボロ・ワゴンでね。雨漏りが凄かった(笑)。まさにキャッツ&ドッグズ(土砂降り)でね。

「コンサートがあったんですか?」

__ええ、とっても素敵なコミュニティでした。キャンパス内ではドラッグが自由に認められているのですね。

「そうなんです」

__麻薬について、どうお考えですか?

「麻薬に限らず、人間は他の権利を侵害しない限りにおいて、自分の好むことをする自由がある。
 たとえば、中国の阿片戦争は、英国の麻薬押し付けによって、起こったものです。私は麻薬の使用を刑法で抑制しようというのは、無知な方法だと思います。
 第一に、麻薬の使用は社会問題であり、元来、犯罪ではない。今日、多くの黒人が麻薬問題で裁きを受けていますが、その売り手である_多くの場合、白人_は、放置されている。

__日本では、麻薬関係の前科がある者は、まず、入国できません。

「日本政府が、麻薬関係者の入国を拒否するならば、まず白人を規制すべきなのです。即ち、ほとんどの場合、プッシャー(売人)は、白人です。人はそれぞれの問題をかかえていて、麻薬と親しむ場合もありましょう。しかし、まず言いたいことは、麻薬といってもいろいろあるということです。即ち、ヘロインとマリファナを同一視することはできません。私は、両方を経験していますが、マリファナに関しては合法化されても良いものだと思います。ただし、私は、日本には持ち込んでいませんよ。これだけは明確にしておきます(笑)」

__マリファナが合法化されることに、私も賛同いたします。

「アメリカでは、日本のようにマリファナに対して神経質ではありません。しかし、ヘロインはたしかに危険な薬物です。それは、われわれ黒人を蝕み、われわれの社会に害毒を流します。しかし、だからといって、その規制を法の力、刑罰の力に頼るのは、絶対に間違っている。

__エルヴィンが、マリファナ所持のため、日本の刑務所に入っていたのをご存知ですか?

「もちろん、知っています。トニー・ウィリアムス(ds)や、他にも何人かが日本で投獄されました。私は、不当な処置だったと思います。たとえ動機が何であれ、結果的には誤りだったと考えます。麻薬問題のなかにも人種差別は存在すると考えざるを得ません」

__スケープゴート?

「そう、その通り。われわれ黒人は、麻薬使用に関して、評判を立てられています。だから、とくに黒人に対して、法律は厳しいのです」

__現在も、阿片戦争は、構造的な意味で続いているわけですね。

「そう、それは正しい。もしも、麻薬問題で逮捕する対象が黒人に限られるとするならば、それはある意味で、アメリカにおける白人が於かしている罪と同じことを日本人もしていると考えて然るべきです」

__残念ながら、日本では一般的に、未だに、ジャズにはドラッグのイメージが付きまとっています。

「私は、この問題に長い間、心を痛めてきました。たとえば、人が病気の場合、投獄する必要がありましょうか?ビリー・ホリデイ、チャーリー・パーカーを始めとする偉大な天才たちが仕事の場さえ奪われてしまった事実をどう説明するのですか?彼らは、麻薬使用のかどで逮捕され、その結果、仕事もできなくなってしまったのです。ではその供給者である白人はどんな処置を受けたのでしょう?彼らは、何のとがも受けず、ぬくぬくとしたではありませんか?ここに私は、再び奴隷制度、経済的奴隷制度の復活を発見するのです。1日に150ドルも麻薬購入に使って、悠々としている連中もいます。彼らのほとんどはプッシャーだから、そんな生活ができるのです。その買い手は貧しい黒人です。希望すら失った連中、貧困というゲットーから抜け出せないでいる無知な人々、そうした連中が束の間の逃げ場所を麻薬に求めるのです。だから、そうした人々にのみ、とてつもない苦しみを味合わせるのは、人種偏見といわれても仕方がないのです。

 


__はい、よく判りました。『アッティカ・ブルース』(Impulse)をじっくり聴きたくなりました。

「ウァ〜オ、ブラザー!!」

__アッティカ刑務所は解放後どうなったんえすか?

「黒人差別が改善されたとはいえ、構造的には、まったく変わりません」

__ワッツ刑務所は、地域全体を廃墟として保存しつつも、現代美術館になりました。

「そう、あれは素晴らしい。竹林の、あの設計は...?」

__アラキ・イソザキ(磯崎 新)です。私は、プチブル・ライトのグッゲンハイム美術館なんかよりも、ずっと好きです。廃墟の美しさとモニュメントを 残しつつも、生き生きと甦えらせている。紛れのないポスト・モダンの極北です。

「なるほど。ブラザーは正しい」

__で、教授(笑)が音楽を始めるようになったきっかけは?

「私の父はバンジョー弾き、母はもの凄い美声でしたから、大変な刺激となりました。幸いなことに、私は南部で育ちましたから、ブルースや、伝統的な黒人音楽に深く馴染むことができました。父がよく弾いてくれたのは、デューク・エリントン、カウント・ベイシー、そしてオスカー・ペティフォード」

__生まれは?

「1937年5月24日、フロリダです。育ったのはフィラデルフィア。ジョン・コルトレーン、ジミー・ヒース、リー・モーガン、クラレンス・ショウらの故郷です。

__私が、教授の演奏を意識的に聴き始めたのは、ニューヨーク・コンテンポラリー5です。その後、インパルス時代はもちろん、その後も、仏BYGを始め、すべて完璧に持っています。たとえば『スィート・マオ』(Uniteledis) なんて大好きです。 「えっ、本当?私は完璧じゃありません(笑)」

__1969年以来、何度もニューヨークを訪れているのですが、初めて教授のナマと出会ったのは72年夏のニューヨーク・ミュージシャンズ・ジャズ・フェスティバル。深夜のハーレム・マウント・モリス・パークで、ソプラノを吹きまくってくれました。ジョン・コルトレーン(ts,ss)を支えたジミー・ギャリソン(b)とは、あれが最後ですか?

「そうです」

__翌、73年には、セントラル・パークの野外ステージでお会いしました。ところで、スプラノを吹き始めたきっかけは? 「3年位前(1970年)からです。当時私は、大変幸運なことに、カル・マッセイの招きで、フィリー・ジョー・ジョーンズとヨーロッパを楽旅したのです。マッセイも実は、ピッツバーグ生まれのフィラデルフィア育ちです。その時、たまたまフィリー・ジョーが、ソプラノ・サックスを持っていて、使ってみないかというのです。私はあまり気が進みませんでした。シドニー・ベシェやジョン・コルトレーンといった偉大な名手がすでにいるのです。それでもフィリー・ジョーが強く勧めるものですから、やってみるようになったのです」

__教授にとって、カル・マッセイの存在は大きかったでしょうね。

「マッセイに実際に会い知己になったのは、1968、9年頃のことです。でも、マッセイのことは、私がティーンエイジャー時代のコルトレーンと同じように、いうなれば、アイドルでした。その作・編曲は、当時から高い評価を得ていました。マッセイとドン・バイアスが、偉大な教師として、私の音楽的向上に手を貸してくれたのです」

__ジョン・コルトレーンとの出会いは?

「フィラデルフィアで私に大きな影響を与えてくれたジミー・ヒースや、リー・モーガンがしばしばコルトレーンの噂をしていたものです。実際にコルトレーンと出会ったのはニューヨークに来てからです。今でも昨日のように覚えています。「ファイヴ・スポット」にコルトレーンはセロニアス・モンク(p)と出演していました。コルトレーンは非常に温厚な人です。自己紹介をし、お宅を訪問してもよいか尋ねました。私は、コルトレーンから多くのものを学びたかったのです」

__以来、コルトレーンとはしばしば共演しましたか?

「はい、何回かは共演しました。その度に、貴重な勉強をしました」

__『至上の愛』のレコーディングに参加したのですか?

「はい、たとえ永久に陽の目を見なくても構いません。私は共演のチャンスを与えてもらっただけで、音楽創造の手伝いをさせていただいただけで、最高に感謝しているのですから。
 レコードを創って、人に聴いてもらうことは、そう重要なことではありません。レコード制作というのは、商業活動ですから」


__グレン・グールドのように“コンサートは死んだ”と、レコーディング活動に専念したアーチストもいますが。

「私にとっては、コルトレーンから共演を頼まれたということが重要なのです。少なくともベストを尽くしました」
* このテイクは、その後、2枚組デラックス版『至上の愛』(Impulse)に収録されている。

__コルトレーンの死後、ジャズは低迷しているとお考えですか?

「コルトレーンのような偉大な存在を失った後では、目立った進歩を示すのは、非常に難しいことです。チャーリー・パーカーの死後もそうでした。新たに進歩するには、しばらくの時間が必要です。結局、バードにしても、トレーンにしても、二度とこの世に現れることはありません。レスター・ヤング、ベン・ウェブスターにしても同じことです。
 未来の進歩は、われわれにとって偉大な挑戦です。われわれは、音楽をひたすら愛し、努力を続ける覚悟です」

__教授の家族について教えて下さい。

「妻はユダヤ人です。二男二女は、13歳、11歳、それから、たしか7歳と3歳だったかな。自分にとって、家族は精神的な支えです」

__大学では何を教えているのですか?

「集に2回、黒人音楽史を教えています。マックス・ローチは音楽科の教授の立場です。私の課程は、ワークショップと講義で構成されています」

__そのクラス構成は?

「残念ながら、ほとんどが白人で、女性は少ないです」

__教授は、今も劇作活動をしていますか?

「いや、1966,7年以来、活動はしていません。その理由は、古い黒人の伝統に強く惹かれているからです。それに、われわれ黒人が本格的に演劇に取り組むとすれば、どうしても白人の生活態度を受け入れなければならないのです。それで、私は全西洋倫理の面で、妥協することを拒否する意味で、劇作をやめたのです。
 リロイ・ジョーンズが、極力避けようとしていたのもこの点です。創作に勤しむその瞬間から、自己のすべては白日の下にさらさねばならなくなります」

__私は、『ファイアー・ミュージック』の<マルコム、マルコム、センパー・マルコム>、『オン・ジス・ナイト』、『ニュー・シング・アット・ニューポート』の<ニグロの朝>(いずれもImpulse)を今でも完全に暗記しています。詩作の方はどうなのですか?

「凄い。ありがとう、ブラザー!
 今は、わたしの心の中だけで詩を書いています。それをもう公表することはしません。というのは、われわれ黒人が発表したさまざまなことを、白人は黒人攻撃材料としてきたからです」

 


__リロイ・ジョーンズは、もう音楽活動とは無関係なのですか?

「NYC5(ニューヨーク・コンテンポラリー5)以来、一緒に行動していません。彼は今、故郷のニューアークで、主に黒人問題に対する政治活動をしています。私は今も尊敬しています」

__フリー・ジャズとは?

「それはジャズ評論家が分類上考え出したものにしか過ぎません。フリーという本来の意味からすれば、シドニー・ベシェもフリー・ジャズです。実のところ、黒人音楽の求めるものはフリーです。それが本来のあり方なのです」

__ジャズとは?

「まず、“ジャズ”という定義を追放することです。誤解の原因はすべてそこにあります。われわれは“ブラック・ミュージック”という定義をします。そのことを最初に看破したのは、アメリカ人ではなく、フランスのアンドレ・ドレールです。『アメリカにおける真の音楽創造者である』とね」

__教授はイスラム教徒ですか?

「これと決めた宗教はありません。私は単純に神を畏れるだけです。もしも、存在するとするならばですが」

__最後に、ブラック・ミュージックを愛する日本人へのメッセージをお願いします。

「今回、われわれは、束の間ながら、ヒロシマを訪れる機会を得ました。貴方がたが中国人やバトナム人民と同様に苦しみに耐え忍んでこられたことを熟知しています。その苦悩が自由への熱望と自決権の獲得を目指してのものであったと考えます。いかに、苦しみがひどくとも、頑張って下さい。何故ならば、貴方がたは正しいのですから。必ず勝利を収めるからです」  アーチー・シェップが初めて来日したのは1973年10月である。ぼくは新宿厚生年金ホールや京都「Big Boy」他でシェップを聴く。京都は『ステレオ』(音友)の取材である。どういうわけか、シェップもデイヴ・バレル(p)もステージはヘロヘロでベストではない。口のしまりがなく、よだれを流し続ける始末。とはいえ、楽屋で断続的に行われたインタビューではシャキッとしている。さすがは准教授ってところですかな?!
 ちなみにメンバーは、ビーバー・ハリス(ds)、グラチャン・モンカー(tb)、ドン・ペイト(b)、デイヴ・バレル(p)、マーヴィン・ピーターソン(tp)。シェップ自身がもっとも評価しているのは、ビーバー・ハリスで、「私の教師であり、ブラザーであり、インスピレーションそのものの存在」だと言っている。来日中のシェップはいつもダークスーツにハンチングで通している。たった一度だけハンチングを脱いだのは、ヒロシマに触れたときだけ。それにしても、指が限りなくセクシーで美しい。

杉田誠一
杉田誠一:
1945年4月、新潟県新発田市生まれ。
1965年5月、月刊『ジャズ』、
1999年11月、『Out there』をそれぞれ創刊。
2006年12月、横浜市白楽に
cafe bar Bitches Brew for hipsters onlyを開く。
http://bbyokohama.exblog.jp/
著書に『ジャズ幻視行』『ジャズ&ジャズ』
『ぼくのジャズ感情旅行』。
http://www.k5.dion.ne.jp/~sugita/cafe&bar.html
及川公生のちょっといい音空間見つけた >>

♪ Live Information

6/11 Fri 中牟礼貞則(g) 秋山一将(g)
6/12 Sat 平山順子(as) 佐藤えりか(b)
6/13 Sun レゲエ・ナイト by Pakaroro
6/16 Wed 望月孝(perc,g,vo) 秋山一将(g,vo) 江口弘史(p)
6/17 Thu 佐藤綾音(as) 楠木真紀子(p) 小林航太郎(b)
6/18 Fri 小島伸子(vo) 今村信一郎(p)
6/19 Sat 名取俊彦(p) いのくちゆきみ(vo)
6/20 Sun JUNマシオ(MC,vo,perc) 吉野さゆり(vo) 熊さん(p)
6/26 Sat 佐藤綾音(as) 楠木真紀子(p) 小林航太郎(b)
6/27 Sun ジャム・セッション 名取俊彦(p) 程島日奈子(b)
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FIVE by FIVE 注目の新譜


NEW1.31 '16

追悼特集
ポール・ブレイ Paul Bley

FIVE by FIVE
#1277『大友良英スペシャルビッグバンド/ライヴ・アット・新宿ピットイン』(ピットインレーベル) 望月由美
#1278『David Gilmore / Energies Of Change』(Evolutionary Music) 常盤武
#1279『William Hooker / LIGHT. The Early Years 1975-1989』(NoBusiness Records) 斎藤聡
#1280『Chris Pitsiokos, Noah Punkt, Philipp Scholz / Protean Reality』(Clean Feed) 剛田 武
#1281『Gabriel Vicens / Days』(Inner Circle Music) マイケル・ホプキンス
#1282『Chris Pitsiokos,Noah Punkt,Philipp Scholtz / Protean Reality』 (Clean Feed) ブルース・リー・ギャランター
#1283『Nakama/Before the Storm』(Nakama Records) 細田政嗣


COLUMN
JAZZ RIGHT NOW - Report from New York
今ここにあるリアル・ジャズ − ニューヨークからのレポート
by シスコ・ブラッドリー Cisco Bradley,剛田武 Takeshi Goda, 齊藤聡 Akira Saito & 蓮見令麻 Rema Hasumi

#10 Contents
・トランスワールド・コネクション 剛田武
・連載第10回:ニューヨーク・シーン最新ライヴ・レポート&リリース情報 シスコ・ブラッドリー
・ニューヨーク:変容する「ジャズ」のいま
第1回 伝統と前衛をつなぐ声 − アナイス・マヴィエル 蓮見令麻


音の見える風景
「Chapter 42 川嶋哲郎」望月由美

カンサス・シティの人と音楽
#47. チャック・へディックス氏との“オーニソロジー”:チャーリー・パーカー・ヒストリカル・ツアー 〈Part 2〉 竹村洋子

及川公生の聴きどころチェック
#263 『大友良英スペシャルビッグバンド/ライヴ・アット・新宿ピットイン』 (Pit Inn Music)
#264 『ジョルジュ・ケイジョ 千葉広樹 町田良夫/ルミナント』 (Amorfon)
#265 『中村照夫ライジング・サン・バンド/NY Groove』 (Ratspack)
#266 『ニコライ・ヘス・トリオfeat. マリリン・マズール/ラプソディ〜ハンマースホイの印象』 (Cloud)
#267 『ポール・ブレイ/オープン、トゥ・ラヴ』 (ECM/ユニバーサルミュージック)

オスロに学ぶ
Vol.27「Nakama Records」田中鮎美

ヒロ・ホンシュクの楽曲解説
#4『Paul Bley /Bebop BeBop BeBop BeBop』 (Steeple Chase)

INTERVIEW
#70 (Archive) ポール・ブレイ (Part 1) 須藤伸義
#71 (Archive) ポール・ブレイ (Part 2) 須藤伸義

CONCERT/LIVE REPORT
#871「コジマサナエ=橋爪亮督=大野こうじ New Year Special Live!!!」平井康嗣
#872「そのようにきこえるなにものか Things to Hear - Just As」安藤誠
#873「デヴィッド・サンボーン」神野秀雄
#874「マーク・ジュリアナ・ジャズ・カルテット」神野秀雄
#875「ノーマ・ウィンストン・トリオ」神野秀雄


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