MONTHRY EDITORIAL02

Vol.35 | 「声」についてtext and illustration by Mariko OKAYAMA


 個人的な事から書かせていただく。
 私は今年の3月末から耳に異変が起き、5月半ばから2週間、耳鼻咽喉科の名門病院に入院、治療し、無事回復したのだが、その後、大幅な変調の波をくり返し、9月末には最悪の状況となった。最悪というのは、耳の閉塞感と同時に響き過ぎが起きた事で、この響き過ぎ、というのが尋常でなく、常日頃感じていない響き(冷蔵庫のモーター音などの人工音)まで敏感に拾い、生活雑音(ドアの開閉、トイレの水流、食器の触れ合う音など)が雷鳴の如く脳天を突き上げるのである。人との会話も苦痛となり、日常を強力な耳栓でしのぎ、外出時はその上にイヤーマフ(ドリルや工事労働時にヘルメットの下に装着するもの)を更に付けねばならない状態に陥ったのである。
 名門病院の医師たちは、私の耳の変動を最終的に「心因性」(ストレスで、波の変動には確かに思い当たる事柄が多々あった)のものであると判断し、私に適切と思われる総合病院を紹介してくれた。私の職業は音楽を聴いて書くことだから、耳疾は致命的で、ベートーヴェンのような訳には行かない。作曲家は頭の中に音がすでに鳴っているので、それを書くだけという人もいようし、演奏家は、ヴァイオリンのように身体に接触面があると、骨伝導で聴く事ができるから、不可能ではないらしい。が、ピアノのような楽器は無理だそうだ(フジ子・ヘミングは16歳のとき右耳の聴覚を失ったそうだが、それは特殊な例だろう)。しかし私の仕事は、まずは聴くことから始まる訳だから、耳疾は絶望的だし、何より日常生活が苦痛なのである。音響地獄に苛まれ、心身ともに限界であった私は、即日入院、治療開始となった。
 何しろ「音響過敏症」での入院であるので、当然デッドな個室のはずだったが、あろうことかその病院は駅近であったため、踏切のカンカン音と電車の轟音が絶えず鳴り響くという極悪状況で、翌朝私は「こんなところにはとうてい居られない!」と泣き叫んだが、一度入った患者を他の病院に回すなど有り得ず、騒音のややマシな相部屋へと移されたのであった。
 ともあれ、極悪の音環境ではあるものの最善の治療が開始されたことで、当時、おかゆとバナナしか食べずやせ細った私は、入院4日目の夕食メニューに「栗ごはん」と書かれていたのに気付き、即刻、おかゆから一般食に切り替えてもらったのである。以来、出される3食を完食し、体重も戻った一週間後には、モーニング・コーヒーと、午後のティー・タイム用スイーツを買いに、毎朝売店へと通うまでになった。さらに、この病院には大展望風呂があると知り、大いに喜んで階上に行ったのである。
 確かに展望風呂は明るい光のさんさんと射し込む大浴場であったのだが、総ガラス張りの風呂場は全て曇りガラスで、いたく私を失望させた。それでも私は、いつ行っても客が私ひとりであることに満足した。それに、展望風呂に耳栓なし(水音やシャワー音は私の最大恐怖の一つであった)に入れるようになったということは、耳が回復してきていることの証である。
 だが私は、半年にわたる激しい変調をくりかえすうち、自分の耳が元通りになることは決してない、と考えるようになっていた。時間を巻き戻せないように、かつて備えていた神経器官が完全に修復されることは有り得ない。私は私の現在の聴覚が何を一番欲しているのか、いつか備わるであろう新しい聴覚が、何を求めているのか考え続けていた。何を聴きたいか、は、これまで何を聴いてきたか、という問いでもある。
 それはどんな響きなのか。音楽療法で喧伝されるモーツァルト? 私の好きなバッハ? ショパン? それとも梢を揺らす風の音? 脳に良いと言われるα波を含む波音? しめやかに降る雨音?
 そうこうするうち、突然、私は家族に会いたい、と強く思った。そうして週末帰宅の許された日の夕方、一斉集合してくれた家族たち、知人に囲まれ、にぎやかな夕食を楽しんだのだった。そうして、ハッと気付いたのである。私が一番聴きたかったのは、他でもない、私が愛し、私を愛してくれる人々の「声」であると。その声を耳栓なしに、「普通に聴きたい!」と切実に思った。
 和やかな夕餉を堪能した私は、翌日、髪に明るいメッシュを自分で入れて帰院し、周囲を驚かせた。さらにその3日後にはサングラスで廊下を歩いた。すれ違ったオバサマが「お似合いですこと。」と言うので、おもむろにサングラスをはずすと、目を見張り「あらまあ、ご免遊ばせ。」と去って行った。夜中ふらついた私は転倒し、左顔面をしたたか打ち、その打撲で目と額が凄い事になっていたからである。

 


 耳は母親の胎内ですでに備わり、死への旅路の最後まで残る器官である。原始の動物は水中で生活していたから、身体のバランスをとるため、あるいは水圧で他の水中動物の動きを感知するための側線器を身体の両側に発達させた。それが、陸に上がったときの耳となる。耳は平衡感覚とともに、空気中の伝音感知のために聴覚を備えた。従って、耳は生まれた時から成人のサイズを持つ例外的な器官の一つで、非常に原始的な古い器官なのである。耳から入った音、響きは実に精密、精巧な種々の装置、細胞の働きによって大脳聴覚野に伝わるのだが、これもまた脳でも古い部分、大脳辺縁系に直接届き、人間の情動を揺さぶる。だから、視覚的な絵より、聴覚で受け取る音楽のほうが直接的に感動を生みやすいわけだ。
 だが、私が欲していたのは、音楽ではなく、近しい人の「声」だった。声は、それぞれ固有の響き(音声)を持ち、何かに「語りかけ」、あるいは「語り合う」行為を伴う。むろんそこには、共通言語が必要で、コミュニケーション、つまり人間の社会性がそこに立ち現れて来る。と言うより、関係性と言ったらよいか。言葉を受信する言語領域と音楽を楽しむ音楽領域への回路は異なるのだが、私は明らかに「声」に反応したのである。言語と音楽の受信回路については、昔、右脳左脳で話題になり(文化論的な)、昨今は脳科学者がもてはやされているが、それはまた別の機会にしたい。
 ところでここまで、私は「聴く」という言葉を使ってきたが、「聞く」との違いを意識してのことである。一般に、「聴く」は耳を傾けて聴く行為listenで、自然に耳に入ってくるのはhear「聞く」とされる。人間の耳には不要な音は排除し、必要な音を拾う選択装置がある(カクテル・パーティ/賑やかなパーティ会場で特定の人の声だけを拾う/音響エンジニアのマエストロ及川氏とのJTシリーズをご覧頂ければと思う)。「聴く」には自分の志向性が働くが、「聞く」すなわち「聞こえ」にはそれがない。「何を聴きたいか」は私の欲求に基づく問いだったが、家族たちとの夕餉にあったのは、みんなと一緒に「私が居る」ということで、つまり、みんなの話す声、「聞こえ」に包まれて、時折、私もその声に反応するわけだ。その「聞こえ」の心地よさは、リラクゼーション・ルームなどに流れる静かなBGMに近いのだろう。私はBGMも、つい「聴いて」しまい、あまり安らげないのであるが。
 だが、ともかく、私はそこで「近しい人たちの声の聞こえの中にいる心地よさ」というのを知った。そしてもう一度、声を「聴く」と声が「聞こえる」の違いについて考えるようになった。

 さて、世界の三大普遍宗教といえば、古い順に仏教、キリスト教、イスラーム教である。紀元前500年頃に現れたブッダは出家ののち35歳で覚り、教えを説き始めるのだが、彼は覚った当初、自分の得た解脱の境地や修行法などについて誰かに語る気はさらさらなかった。「全ては成し遂げられた。あとは肉体の死を待つのみ。」とあちこちの樹木の下で解脱の境地を独り存分に楽しんでいたのである。そこへ梵天たち(仏教に唯一神はなく、いろいろな神々がおり、梵天もその一種である)が現れて、「そんなこと言わないで、人々にあなたの覚った真理を説いてくださいな。」としつこく言うので(梵天勧請というエピソード)「それじゃあ、まあ、説く事にしようか。」と重い腰をあげたのである。ブッダは天の声(梵天の声)が「聞こえた」のであって、「みずから」聴いたのではない。先ほど、「聴く」ことの志向性に触れたが、ここでもう一つ「みずから」と「おのずから」という言葉に立ち止まらねばなるまい。でも、今回、それは措いておこう。
 ではキリストは、というと、ヨルダン川でヨハネから洗礼を受け、水の中からあがったイエスに、天が開き、精霊たちが彼をとりまいた。そうして神の声が聞こえた。「あなたは私の愛する子、私の心に適う者。」と。彼もまた「聞こえた」のである。このとき、イエスも35歳半ばであったとされる。
 イエスの出現の600年後くらいに、今度は、ムハンマド(マホメット)がメッカに現れる。彼は25歳で15歳年上の裕福な未亡人に見初められ結婚するのだが、40歳になったとき、突然アッラーの啓示が下ったのである。彼は悪魔にでも取り憑かれたか、と仰天するのだが、妻が彼の背をどんと叩き、「大丈夫。神様の言葉があなたに下ったのだから、あなたはその聖なる言葉を、みんなに伝える使命を持っているのよ!」と励まし、預言者(神の言葉を預かる者)としての彼の最初の信者になったのであった。
 要するに「聞こえ」の中にこそ、聖性は宿る。そのように、「何を聴きたいか」ではなく、「何が聞こえて来るか」という場所から、私の新たな聴覚も立ち上がってくるのではないか。そうであって欲しい、と言うとこれまたlistenに立ち戻ってしまうのだが、家族との夕餉が私に教えたのは、少なくともそういうことであったと思う。
 1ヶ月の入院ののち、私はめでたく、ではなく退院した。めでたく、でなかった原因もまた、人の「声」であった。天使の「歌声」、悪魔の「ささやき」、とは良く言われることだが、看護士たちが白衣の天使と呼ばれるように、彼、彼女らは一定のトーン(音調、語りかけ)を必ず持つ。私の退院は悪魔のささやきによって促されたわけではないが、「声」による会話の中に人間の抱える「悲痛さ」をまざまざと感じたゆえであることは確かだ。その「悲痛さ」とは、何であるか。そこからこそ芸術、音楽が発現してくる、というところで、今は筆を置きたい。
(11月17日記)

丘山万里子

丘山万里子:東京生まれ。桐朋学園大学音楽部作曲理論科音楽美学専攻。音楽評論家として「毎日新聞」「音楽の友」などに執筆。日本大学文理学部非常勤講師。著書に「鬩ぎ合うもの越えゆくもの」(深夜叢書)「翔べ未分の彼方へ」(楽社)「失楽園の音色」(二玄社)他。

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#1282『Chris Pitsiokos,Noah Punkt,Philipp Scholtz / Protean Reality』 (Clean Feed) ブルース・リー・ギャランター
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#10 Contents
・トランスワールド・コネクション 剛田武
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