#  824

『佐村河内 守/交響曲第1番 HIROSHIMA』
text by 稲岡邦弥


DENON/日本コロムビア
COCQ-84901 \2,940(税込)

佐村河内 守作曲『交響曲第1番 HIROSHIMA』

1. 第1楽章 20’03
2. 第2楽章 34’37
3. 第3楽章 26’55

演奏:大友直人指揮 東京交響楽団
録音:2011年4月11〜12日 パルテノン多摩

哀切、痛切極まりない。作曲家の広島被曝の記憶(間接的ではあるにせよ)を根幹とする精神遍歴はあまりにも凄絶で、ほのかに見出しかけた一点の光明はたちまちのうちにかき消される。第一楽章、第二楽章では慟哭と鎮魂がないまぜになりながら進行していく。ひとつの思いが続いていくことはなく、他の想念に打ち消され、新しい想念はまたさらに新しい想念にかき消されていく。それはまるで出口のない煉獄のようでさえある。光明を見出そうとする彼の必死の努力は無惨にも被曝の恐怖に打ち砕かれる。一度ならず、二度ならず。三度も四度も。必死にもがく彼のありようを見続けるのは(聴き続けるのは)じつに忍び難い。ときに堪え難くさえある。第1楽章、第2楽章合わせて50分をゆうに超している。第3楽章、いよいよ光明と平安が訪れるはず、いや訪れなければならない。彼が救われないはずはないのだ。神はそれほど無慈悲であるはずはない。彼の苦悩の遍歴は続く。しかし、僕らは彼のこの悶絶にも似た苦しみの極致をあえて共有せねばならない。彼の苦しみを見て見ぬふりをするわけにはいかないのだ。彼と同時代を生きる者として。彼の両親を含めて同時代を生きてきた者として。そして、何より被曝国の国民として。《二十世紀は、人為的に作り出した核エネルギーで殺人を行った世紀です。これは種族としての、人の命のつながりを絶つことです。人体に与える影響を知りながら、それを行動として行った科学者や為政者たちを、僕は許せませんね、とS医師がいった。》(大江健三郎「定義集」[広島・長崎から福島へ向けて] 庶民 生きのびる力を得る から抜粋。朝日新聞8月17日付け朝刊。林京子著『長い時間をかけた人間の記録』講談社文芸文庫刊から大江氏が引用した文章の一部を孫引き)81分に及ぶこの長大な交響曲を書いた佐村河内 守(さむらごうち・まもる)は被曝二世である。被爆者を両親に広島で生まれた。被曝との因果関係は不明だが、1999年には完全に聴力を失い、全聾(ぜんろう)になっていたという。加えて神経の不定や不調に苦しみながら絶対音感を頼りに2003年秋にこの作品を完成させた。作曲者の背景を詳らかにすることは本意ではないが、“あまりにも異形であまりにも巨大”(作曲家・吉松隆)なこの交響曲の特異性の理由の一端を知る手掛かりとなるはずである。『HIROSHIMA』という標題が彼の苦悩を象徴しているのだが、彼の苦悩に満ちた精神の遍歴を同時代人である僕らも共有すべきではないか、という思いを捨てきれることができない。奇しくも、福島原発禍という予測のつかない第2の被曝を体験しつつある僕らであるのだから。__光明が突然訪れる。第3楽章が三分の一を経過した頃だろうか、きらびやかな金管群に導かれてオケが猛然とうなり出す。抑圧され続けた彼の精神が一気に解放される。耐えに耐えた挙げ句の歓びである。わずかの時間ではあるが迷路のような彼の精神遍歴を共有してきた僕らにも安堵が訪れる。しかし、この歓びの表現は作曲家が未来に託す一縷の希望、期待と解すべきだろう。彼はそれほどのオプティミストであるはずはないからだ。ストリングスを中心とした祈りのときを得て長い旅は終結する。録音は4月11日と12日。東日本大震災からちょうど1ヶ月後、余震が続く中で敢行されたという。この大震災と原発事故の体験が指揮者と楽団員、そして制作スタッフにポジティヴに影響したことは間違いない。佐村河内のスコアがより現実味を帯び、演奏にさらに強い緊迫感と深い精神性をもたらした。僕らは長い将来にわたって第二の被曝を体験し続けなければならないことを誰もが認識しているからだ。PCM録音華やかなりし頃、日本コロムビアはコンテンポラリーなクラシックやジャズの積極的な録音で目覚ましい成果を上げた。そして創立100周年を迎えた今年、確実に歴史に残る偉業を成し遂げた。それが、この佐村河内 守作曲『交響曲第1番 HIROSHIMA』の録音である。最後に、再び大江健三郎氏の「定義集」から孫引きを試みたい。《(中略)核には人類を滅亡させる毒がある。助かる道がみつからないまま権力者たちは核の道をつっ走ってきた。しかし僕は希望を捨てません、希望は一般の人たちです。庶民が生きのびる知恵と力を得るでしょうね。生物は本能的に、滅びまいとする努力をするものです、といった。》(同上)作家の林京子さんが自著に引用したのは内部被曝の影響を追い続けてきた被曝医師肥田舜太郎先生の言葉である。(稲岡邦弥)

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