# 873
『Dan Tepfer/Goldberg Variations/Variations』
text by 伏谷佳代
Sunnyside Records SSC1284 | ![]() |
≪パーソネル≫
Dan Tepfer(ダン・テプファー; pf)
≪収録≫
1. Aria(Bach/Tepfer)
2-61. J.S. Bach “Goldberg Variations” BWV 988
Alternating with Improvised Variations by Dan Tepfer
62. Aria(Tepfer/Bach)
Producer:Dan Tepfer
Co-producer;:Ben Wendel(ベン・ウェンデル)
Executive producer;:Francois Zalacain(フランソワ・ザラケーン)
<録音>
2011年5〜6月 ヤマハ・アーティスト・サーヴィス・ニューヨーク
エンジニア:Dan Tepfer
マスター:Nate Wood(ネイト・ウッド)
使用ピアノ:YAMAHA CFX
「鍵盤奏者バッハ」が前面に出る、壮大なる時空行
ポピュラー・ミュージックにアレンジされたクラシック音楽を聴いて抱きがちな感慨に、「やはり原曲でそのまま聴いたほうがよほどいい」というのがある。原曲とアレンジされた曲との比較では、原曲に軍配があがることのほうが多いのが現状だ。クラシック音楽の、時の流れをくぐり抜けてきた重みの強さたる所以か。『ゴルトベルク変奏曲』のような大曲中の大曲、しかもグレン・グールドの偉業あり、キース・ジャレットのストイックにして果敢なるオマージュあり…といった場合には尚のこと容易に越えられぬハードルである。
今回、弱冠30歳Dan Tepfer(ダン・テプファー)はどう出たか?彼は原曲の30変奏は出来うる限り温存し、各変奏と交互に自己のインプロヴィゼーションを配置することによって計60変奏を編み上げた。既存のヴァリエーションのなかに分け入ってフレーズを練り直し、30変奏ジャストに帳尻を合わせることは敢えてしない。自己の世界とバッハの宇宙とを並列させ、あくまでイーヴンな関係として交錯させる。結果、巷によくある自己陶酔的な没入に陥らず、ふたつの時空は実に風通しよく開けた世界となっている。曲は無限に変奏され続けるような希望に満ちた余韻が、聴き終えた後にも残存する。作曲家と奏者のふたりの姿が相乗し重層的に、しかしくっきりと個別に透けて見える構図がそびえ立つ。大作曲家へのオマージュは、「現在から過去」というベクトルのみならず、ふとした瞬間にバッハがぬっと現在へ踊り出てくるような唐突なドライヴがあり、過去と現在が邂逅する、うれしい覚醒が訪れる。
ダン・テプファー(Dan Tepfer)は1982年、アメリカ人の両親のもとにパリに生まれ、当地で育つ。音楽家の多い家系で、6歳よりパリ音楽院でピアノを学びはじめ、早くから才能を開花させた。音楽に傾倒する一方でスコットランドのエジンバラ大学へ進学、天文物理学を専攻し首席で卒業している(なるほど、統制のとれた俯瞰力は理系頭脳の片鱗か)。その後、渡米しニューイングランド音楽院でDanilo Perez(ダニーロ・ペレス)のもとで学んだのち、ニューヨークへ。時を経ずして作曲家/プレイヤーの双方で引っ張りだこになった。なかでもLee Konitzはテプファーの才能を激賞し、2009年にはSunnysideより『Duo with Lee』もリリース。ニューヨークはもとより、ヨーロッパ各地でも多くのライヴを行い絶賛を博している。テプファーはソロからオーケストラまで多様な編成でプレイしているが、コニッツとの組み合わせのほかにもデュオ・シリーズを定期的に催したり、最近ではトーマス・シュタンコやトーマス・モーガンとのギグも興味深いところだ。
さて、本題に戻れば、この『ゴルトベルク』はバッハの卓越した作曲技法のみならず、「鍵盤奏者としての大バッハ」をも浮き彫りとなる結果を生んでいる。パイプオルガンやクラヴィーアの演奏において、バッハがいかにヴィルチュオスィティを誇っていたかは今日まで語り継がれているが、10指の完全独立した運動性、早業ともいえる両足のペダル捌きなど、楽器が十全に発達していない当時の状況にあって異例なものであったという。なかでも、当時はほぼ未開発であった、親指のなめらかな運指に先鞭をつけたことにも注目される。不思議なことに、原曲のヴァリエーションの部分では「ピアニストとしてのテプファー」が露わになり、テプファーによるインプロ・ヴァリエーションの部分では「鍵盤奏者・バッハ」が時空を超えて顔をのぞかせる。変奏の連鎖がすすむにつれて、どちらが先発でどちらが後発かがわからなくなってくる。原曲からインプロ、のみならず、インプロから原曲への推移が、斬新な切り口を維持しながらも実に自然にすすむ。ふたつの楽曲の並行のあいだを自由に行き来するふたりの個性。かような魂のゆらぎが、前述したとおり理知的で壮大な構築のもとに現出する。ピアニスティックな面から言えば、親指の先駆者へのオマージュではないかと邪推したくなるほど、強烈なバウンド力をもってパーカッシヴに拡散する打鍵の部分が爽快であるが、たとえば第20インプロでの追想的な音色と音の運び、第51インプロでの静止ぎりぎりまでのテンポの抑制などもわすれがたい。内省とリアリティの合い間を縫っては超越する、雄大なる77分13秒。原曲の現代への見事な適応力・未来への拡張性を見せつけつつも、単なる「いちヴァージョン」以上の独立した存在として迫ってくる(*文中敬称略。伏谷佳代/Kayo Fushiya)。
【関連リンク】
http://dantepfer.com/
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