# 921
『ブラッド・メルドー・トリオ/オード』
text by 悠 雅彦
来日公演がますます楽しみになる、トリオが歳月を重ねて差しかかった峠の頂き
ラリー・グレナディア、ジェフ・バラードとのトリオによるアルバムとしては2008年の『 Live 』以来という、ファンにとっては待望の新作。しかも7月の来日公演(27日、サントリー・ホール)を目前にしての登場であり、このトリオの現在の高度な充実ぶりを披瀝してみせたスタジオ録音としても久々に充足感を味わえた1作であった。前スタジオ録音盤はといえば、7年前の『Day Is Done』だが、ラリー・グレナディア、ジェフ・バラードとのトリオが今、まさに揺るぎない佳境のときを迎えているという点では、未知の世界を探訪しにいくようなホットな期待感に胸躍らせた『Day Is Done』より、引き締まったトリオの造形美と音楽的達成感が極めて顕著。トリオが歳月を重ねて差しかかった峠の頂き、とでもいいたい3者のどんな変化にも対応しうる自由で感性豊かな交感が、全編に横溢していて冗長に堕すことがない。といって、いったん頂点に立った地点から、あとは下っていくだけというような人気グループにはありがちな黄信号の兆しをまったく感じさせないところに、メルドーとこのトリオの素晴らしさがある。この最新作を聴いて、そう感じないファンは恐らくいないのではないだろうか。
2004年にトリフォニー・ホールでソロ・コンサートを催したときのメルドーの即興詩人ぶりをつい忘れてしまうほど、ここでのメルドーは生来の夢想家に加えてイマジネーションの冒険家であり、同時にグレナディア及びバラードとの交感を最上の質の達成へと高めながら未知を楽しむ探検家でもある。ここでの全11曲がメルドーのオリジナルというのも意外な気がしたが、彼が設定した規準や構造をおそらくは超えて、もしかすると予想外の展開をおびき出しているところに意外な面白さを聴く者に感じさせる所以があるのかもしれない。率直に言って、この11曲の演奏を私は、子供のころに帰ってお伽の国を探検するような、新鮮この上ないわくわく気分で堪能した。
タイトルは『オード』。オード(Ode)は「頌歌」。特定の物事や人間に心を寄せて歌う叙情詩のこと。メルドー自身がノーツでしるしていることに従えば、(1)が故マイケル・ブレッカー、(6)が歌手でもある妻のフルーリーン、(9)が往年の優れた映画『イージー・ライダー』で主役のジャック・ニコルソンが演じた人物、等々といった具合。(2)の「オード」へ寄せた頌歌というものまである。彼自身は「 "オード” はいわば “メタ” 選曲。頌歌をテーマにした頌歌だ」と面白い言い方をしている。
面白いといえば、みずから書いたノーツの中でこんな独特の言い回しをする。グループのリーダーとして演奏に臨む態度について、たとえばこんな具合に。「私が理想とするのは無政府主義の傾向を帯びた民主主義だ」(川嶋文丸訳)。つまり、セッションの長として素材を提供(議題設定)するだけでなく、演奏が意にそぐわぬ方向に進んでいる場合には演奏を中止する権利を行使する、と。これはリーダーとして厳格に共演者を自己の設定に巻き込む強引な独裁主義は回避し、作曲したときにはまったく想定していなかった、思わぬ変化を遂げているような演奏を、共演するメンバーとの自由な交感の中で達成していくメルドーならではのメソッドの真髄を言い表しているのではないかと思う。このことをセッション後に書くぐらい、彼自身はこのスタジオ吹込に思わぬ充足感を味わったということだろう。私もエキサイトしながらも実に心地よく聴いた。初めてヴィレッジ・ヴァンガードで彼のピアノ演奏を目の当たりにしたとき、右手と左手が相互に独立した形で、しかしリズムも構成も全く異なるフレーズを展開させている妙技に釘付けになったことを今でも鮮明に思い出すが、(1)、(2)、(9)、(11)などの演奏はその意味でもスリリング。どの演奏でも3者の間の自由度がどんなものかが、繰り返して聴くたびに視野に大きく迫ってくる。たとえば(1)や(9)のように、和声進行とかに縛られず、リズムからも思い切りコンセプトを脱却するかのように見せて、その実トリオとしての現代きっての美学に近づいた演奏に接すると、メルドーら3人がこの水準を超える演奏ができるかのかと不安に感じるくらいだ。来日公演がますます楽しみになると言い添えておこう。(2012年6月14日)
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