#  975

『塩谷 哲/アロー・オブ・タイム Satoru Shionoya / Arrow of Time』
text by 神野秀雄


ビクターエンタテインメント VICJ-61683
(4月3日発売予定 税込3,000円)

塩谷 哲 (piano, Hammond, keyboards)
田中義人 (guitar)
松原秀樹 (bass)
山木秀夫 (drums)
大儀見 元 (percussion)

1. Patio
2. Ask Me Anything...
3. Superstition (Stevie Wonder)
4. Magma in Your Eyes
5. Beauty and Brilliance
6. Entropy
7. Join the Angels
8. Existence
9. Arrow of Time
10. An Angel -epilogue-

作曲:塩谷 哲(3を除く)
プロデューサー:塩谷 哲
録音・ミキシング:松本靖雄 
マスタリング:川ア 洋
2013年、東京・ビクタースタジオで録音

ソロ・デビュー20周年を迎えたSaltが「いま心に響いているうた」を仲間と奏でる

渋谷に近い音響特性に優れた白寿ホール と さくらホールで塩谷哲(=Salt)は定期的にソロ・コンサートを開いてきた*。2011年春以降コンサートのたびに、ピアノとの一体感が急速に増し「音楽が降りて」きて、木質のホール空間がさらに深みのある音楽で満たされ、塩谷に大きな変化が起きていることを実感していた。3・11の影響もあったに違いない。ソロ・ピアノで音楽の高みに進んでいく中、1993年『SALT』でのソロ・デビューから20周年の節目に手がけたアルバム・プロジェクトはソロ、トリオではなく5人編成「Super Salt Band」だった。Salt Band名義では2002年『Live! Live! Live!』が最後、今回、松原と大儀見が引き続き参加し、塩谷との海外ツアーにも同行し初リーダーアルバム『THE 12-YEAR EXPERIMENT』をリリースしたばかりの田中、塩谷哲トリオでも音楽を共にする山木が加わった。いずれもオンリーワンの実力と音楽性でJ-Popアーチストから絶大な信頼を集めている。たとえば福山雅治にとって山木はひとつのツアーで約50万人を熱狂させるグルーヴの要であり*、田中は多くのプロデュースやライブに携わり、松原は多くのアーチストをサポートしながら自身のバンド「C. C. King」で田中とともに活躍する。絢香は紅白歌合戦に塩谷とのデュオを選んだ。全員が「日本のうた」の最前線に向き合ってきた凄みは大きい。大儀見は伝説のオルケスタ・デ・ラ・ルスの初代リーダーで、現在は「Salsa Swingoza」を中心に活躍する。塩谷は大儀見に誘われデラルスのメンバーとなるが、大儀見がデラルス脱退後デラルスは、国連平和賞受賞、グラミー賞ノミネートとなる。そういったメンバー全員が塩谷のかけがえのない生涯の仲間たちだ。

文字通りスーパーバンドだからといって、高速キメキメのリフなどはなく、フォービート・ジャズにも向かわず、全般にミディアム・テンポで「歌うことのできる」メロディーがある曲をゆったりと演奏する。その意味では肩透かしを喰らう。山木と井上陽介(b)との塩谷哲トリオがインタープレイの極致を達成している中、5人編成でいったい何ができるのか?松原と山木が確かなグルーヴを作り、田中と大儀見の存在が空間の立体感と空気感を大きく拡張している。ピアノとギター、ドラムスとパーカッションに不快な音のぶつかりも起こらない。自分が音を出さない瞬間こそ最大限に表現できる天才たちであり、あまりにも贅沢な顔ぶれであることが聴き込むほどにわかってくる。

前半ではファンキーさをも秘めた淡々と軽やかだがうねるようなピアノ・フレーズが多用される、それは塩谷がもともと持っているスタイルのひとつだが、強いて言えばKenny KirklandやLyle Maysの感性に通じている。

眩しい太陽の差し込む南欧にあるような中庭に人々が集まりくつろいでいると、誰かがピアノを弾き始め、音楽が自然に踊り出す...そんなイメージの「Patio」に始まり、アコースティック・ギターとパーカッションの絡みが心地よい「Ask Me Anything..」。「Magma in Your Eyes」ではへヴィメタルなサウンドに。塩谷がハモンドを弾き、田中は最大のディストーションをかけ、山木が本領を発揮する。一転して、Norah Jonesを思わせるピアノとアコースティック・ギターが生み出す輝く幸せなひととき「Beauty and Brilliance」。白寿ホールでの響きを連想させるピアノ・ソロに始まる「Join the Angels」。といっているうちにギターが絡んでくる。そういえば田中が「最近Terje Rypdalを聴いている」と言うのがわかる絡みだ。そして賛歌のように変容していく。「Existence」から「Arrow of Time」「An Angel ~epilogue」に向けて美しいフレーズに溢れ、未来への意気込みを感じさせるポジティブな空気の中でアルバムは結ばれる。

タイトルの「Arrow of Time 時間の矢」とは、時間が過去→現在→未来と一方向に進み逆行しないことを指す学術用語。空間は上下前後左右に動けて対称性があるのに時間は違う。日常生活での現象は不可逆的(時間非対称)であり、つまり「覆れた水は盆には返らない」。原発事故も津波もそう、「漏れた放射性物質は原子炉に返らない」私たち福島県人には痛すぎる現実だ。ニュートン力学や電磁気学は可逆的(時間対称)であるのにマクロな現象は不可逆的であり、キーワードのひとつは曲名にもある「Entropy」。「断熱系における不可逆変化ではその系のエントロピーは増大する」という熱力学第二法則として記述され、秩序から無秩序、乱雑な方向に向かう。しかし時間が過去から未来に一方向に進むことも、無秩序、乱雑に向かうことも自明ではなく経験則であり、根本的な説明は未だできていない。宇宙論の中には、未来から過去に向かう「並行宇宙」もありうるという説もあり、認知的にも未来の自分が過去の自分を定義することで時間の流れを生み出すのであれば、未来が過去を作るという考えも成り立つ。塩谷も時間の矢が絶対的ではなく、相対的な不思議な流れに生きていることを認識しながら、過去20年を振り返り、20年後の未来を想う。

「20 年前のソロ・デビュー時に今日の自分がどうなっているかなんて当然ながら想像だにできなかったわけだが、今この20 年を振り返ることでその長さや重さを知ることができる。だが、物理的な『時間』と人間の経験値としての『時間』は同じでなく、そのスピードや密度は常に変化しているから、これからの過ごし方次第で20 年後の自分は如何様にも変わるだろう。そんなことを考えながら僅かな武者震いと共に私は新たな20 年へ向けスタートを切った。」「Entropy」については「それぞれ違う人生を送っている人間たちが何故か引き合い引かれ合い同じ場所にいる、という不思議。刻々と変化するエントロピーに弄ばれながら。」と記している。

実際、時間の矢の中で、乱雑さ無秩序に向かうどころか、塩谷は新しい音の体験をし、新しい音楽仲間に出会い、音楽を生み出し進化させていく、中でも小曽根真(p)と出会い2003年に共演したことが音楽のすべてを変えたと証言している***。家族と出会い新しい生命が誕生し、塩谷の音楽を聴いた人々の心を動かしていく。それはむしろ非平衡系の営みであり、いずれも新しい秩序が生まれてくることだ。

そうして生まれたこのアルバムは、心地よい「せつなさ」と「不安感」に、人生へのポジティブな想いと優しさに溢れている。塩谷は「音楽は嘘をつけない、自分の本質が出てしまう」と語っていたが、今回はまさに塩谷とメンバーの心が表現されている。録音エンジニアの松本靖雄とマスタリングエンジニアの川ア洋による音もすばらしい。5月にはSuper Salt Bandのツアーも予定されており、ライブでより踏み込んだインタープレイからさらに進化していくこの「うた」たちを聴くことを楽しみにしている***。 
(神野秀雄 / Hideo Kanno)

【追記】
*ソロピアノコンサートでは、オリジナル、完全即興演奏、スタンダードに加えて、塩谷の中高生〜藝大作曲科時代に影響を受けた曲のカバーも登場する。たとえば、Questar (Keith Jarrett)、Bud Powell (Chick Corea)、Ladies in Mercedes (Steve Swallow)、Always and Forever、Better Days Ahead (Pat Metheny)、Bullet Train (Steps Ahead)、Three Views of a Secret、Liberty City (Jaco Pastorius) などがあり、塩谷の時間の流れを知る上で興味深い。
**福山雅治がコンサートで大グルーヴモードに入るときの掛け声は「行くよっ!山ちゃん!」。なお、福山雅治バンドの中心メンバーである井上鑑(keyb)、山木秀夫(ds)、高水健司(b)、今剛(g)が制作したアルバムが「井山大今」(Shiosai)。
***今後のライブ/コンサート予定
Solo Debut 20th Anniversary Series <Part I>
塩谷哲 with Super Salt Band
5月17日(金)〜19日(日) ブルーノート東京 
5月22日(水)〜23日(木) ビルボードライブ大阪  
5月25日(土)  名古屋ブルーノート
ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン「熱狂の日」2013【パリ、至福の時】
5月3日(金) 21:30 東京国際フォーラム ホールC
「パリ×ジャズ」 小曽根真 & 塩谷哲

Super Salt Band
塩谷 哲 田中義人 松原秀樹
  山木秀夫 大儀見 元




                
                    

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