#  078

Todd Barkan:Continuation and Augumentation
トッド・バルカン:継続と拡大
ジャズ・レコード&コンサート・プロデューサー

Interviewed byウェイン・ゼイド (Wayne Zade)
Originally published by All About Jazz.com
on December 23, 2009
Photo: Peter Gontha

 トッド・バルカンは過去30年にわたって世界でもっとも重要かつ懐の深いジャズのコンサートとレコードのプロデューサーのひとりとして活躍してきた。彼が制作に携わってきたアーチストのリストはまさにジャズの人名辞典に匹敵するといえる。バルカンは、ボーイズ・クワイア・オブ・ハーレムやチコ・オファリル、フレディ・コールを含む多くのアーチストのマネジメントを担当してきた。2001年からはジャズ・アット・リンカーン・センターのアーチスト管理者でもあり、2004年以降はNYのクラブ「ディジーズ・クラブ・コカ・コーラ」のプログラミング・ディレクターをも兼務している。バルカンはまた10年にわたってニューヨークで32レコードを経営しており、おそらくさらに重要な事業としては、すでに伝説化しているサンフランシスコのジャズ・クラブ「キーストン・コーナー」を10年(1972~1983)にわたって経営してきたことが挙げられる。彼の長年の日本のレコード・レーベルのパートナーであり、ヴィーナス・レコードのオーナーである原哲夫氏と初めて出会ったのが「キーストン・コーナー」であった。

ウェイン・ゼイド(AAJ):トッド、あなたは日本のヴィーナス・レコードとオーナーの原哲夫氏と長い協力関係にありますが、そもそもどのようにして日本のジャズと係わりを持ったのですか?

トッド・バルカン(TB):私はプロとしての全キャリアを通じて800枚以上のアルバムを制作してきましたが、その多くが日本向けでした。録音はほとんどアメリカで行ないましたが,ヨーロッパの会社向けに制作したものもあります。なかにはアーチスト自身のために制作したもの、小さないわゆるブティック・レーベル向けに制作したものもありますが、私の制作の大部分は日本向けであったと断言して間違いないでしょう。

 私が原氏と仕事を始めたのは彼がアルファ・レコードに勤務していた時でした。我々が一緒に仕事をしたレコーディングの中には私が係わった仕事の中でもっとも歴史的なものがあります。つまり、ビル・エヴァンスが死ぬ直前にキーストン・コーナーでライヴ録音した16枚のCDです。共同で作業した最初のプロジェクトは、『コンセクレーション〜ファイナル・レコーディングス・ライヴ・アット・ザ・キーストン・コーナー』(JVC Japan, 2002) というタイトルで発売されたCD8枚です。2回目は私が単独でファンタジー・レコードのマイルストーンで制作したもので、『ザ・ラスト・ワルツ』(Milestone, 2000)です。原氏はそのレコーディングを私と恊働した中心人物でしたが、ビル・エヴァンスの最初の8枚のCDでも多大な貢献をしてくれました。そこでの共同作業から我々の関係が始まったのです。つまり、キーストン・コーナー、ビル・エヴァンスそして『コンセクレーション』が我々ふたりを結びつけたと言えるでしょう。そこでわれわれの関係が“consecratedモ (聖別)されたのです。ふたりが知り合ってかれこれ20年になります。ニューヨークで制作されるすべてのヴィーナス・レコーディングは私と彼の共同作業の結果です。

AAJ:ヴィーナス・レコードのレコーディングはほとんどニューヨークで行なわれるのですか。

TB: ヴィーナス・レコードの大部分はニューヨークで制作されているといって良いでしょう。しかし、原氏はイタリアやその他のヨーロッパ諸国でも制作しておりますし、日本でも制作されています。

AAJ: 日本へ出掛けたことはありますか。

TB: 何度も出掛けてますよ。おそらく70年代以降20数回にはなるでしょう。
日本の取引先とは長年にわたって良好な関係にあります。70年代に日本と取引関係が始まったのは,私がサンフランシスコで「キーストン・コーナー」を経営しているときでした。日本との関係がピークに達したのは90年代の最初期でした。つまり、91年から94年にかけて「キーストン・コーナー東京」というクラブに係わっていたのです。「キーストン・コーナー」という商号と商標の使用許諾を与えて、日本人のオーナーが所有するクラブのためにミュージシャンをブッキングするなどの仕事をしていたのです。クラブのオーナーは、私がアルバム制作を請け負っていたアルファ・レコードという日本のレコード会社でした。私の日本での仕事は90年代を通じて定期的に継続していましたが、それ以降は余り出掛ける機会がありません。

AAJ: 日本へ出掛ける時はほとんど東京ですか、それとも日本国内も廻るのですか。

TB: ほとんど仕事のある東京だけでした。ミュージシャンのツアーに同行したことも2度ほどあります。ジェリー・マリガンのカルテットの最後の日本ツアーにはロード・マネジャーを務めましたが、これは素晴らしい体験でした。ジェリー・ゴンザレスと「フォート・アパッチ・バンド」ともそこそこ日本を廻りました。京都、神戸、名古屋、福岡、札幌などほとんどの大都市です。

AAJ: 日本ではどこでもジャズに対するサポートが変わらずありましたか。

TB: もちろんです。日本中どこでもね。

AAJ: 日本中に良いクラブがあるのですか。

TB: そうですね、そこそこですね。あるいは、“ジャズ界”といったら良いのでしょうか。ほとんどのジャズ・クラブは東京に集中しています。他に、大阪、福岡、名古屋に何軒かですね。それと小さなジャズ・バーがあります。いつもジャズのCDやLPがかかっていて、リクエストも受け付けてくれます。

AAJ: あぁ、コーヒー・ハウスですね。

TB: そうそう、コーヒー・ハウス、ジャズ・コーヒー・ハウスですね。

AAJ: 「キーストン・コーナー東京」では、アメリカのジャズ・プレーヤーをブッキングしていたのですか、日本のプレーヤーですか。それとも、両方ですか。

TB: アメリカのプレーヤーだけでした。92年と93年にはオークランドにあるキーストン・コーナー・ヨシズでもブッキングを担当していました。時には、「キーストン・コーナー東京」とオークランドの「キーストン・コーナー・ヨシズ」の両方のクラブで演奏するグループをブッキングしました。当時のミュージシャンの多くとは、私が2004年からブッキングを担当しているニューヨークのジャズ・アット・リンカーン・センターにある「ディジーズ・クラブ・コカコーラ」に今でも演奏してもらっています。

AAJ: 例えばどういうミュージシャンですか。

TB: 例えていうと、シダー・ウォルトン、ケニー・バレル、ボビー・ハッチャーソン、ドクター・ロニー・スミス、マリーナ・ショウ、リトル・ジミー・スコット、アーネスティン・アンダーソン、パキート・デリヴェラ、ランディ・ウェストン、フレディ・コール、ケニー・バロン、バスター・ウィリアムス、マルグリュー・ミラー、フランク・ウェス、エディ・ヘンダーソン、ロン・カーターなどです。

♪ 日本のジャズ・ファンが好きなマイナー・キーとピアノ・トリオ

AAJ: ジャズの何が日本のオーディエンスに受けていると思いますか。

TB:統計的にみて、日本、アメリカ、ヨーロッパ、どこの市場にかかわらずストレート・アヘッド・ジャズのシェアは全レコード購買層の2%にしか過ぎないのです。しかし、世界のジャズ・オーディエンスというのはじつはもっと深く、好みも幅が広いのです。すべての年齢層にアクセスできて納得させられればですが。

 日本のジャズ・オーディエンスというのは、ジャズの歴史上、もっとも献身的で情熱的だと思います。アート・ブレイキーなど、そしてマイルス・デイヴィスでさえ、何年にもわたって収入の多くを日本で稼いでいたのです。日本人はギャラの払いも良く、経費もすべて負担してくれる、いや、そうせざるを得なかったのです。つまり、もし日本に来て欲しかったら、航空運賃もホテルの宿泊代も負担せざるを得ないのです。そして、日本人はあっというまに自身で正統的な、いや正統的だけではありません、熱心で重要で活気のあるジャズ・マーケットを維持し、ジャズという文化のサポーターであり続けているのです。
 ジャズ・レコードのプロデューサーとして、私は日本のジャズ・ファンがある特定の曲に対する強いこだわりを持っている事実も知っています。そういうことはアメリカのジャズ・マーケットにはあり得ない事ですね。たとえばアメリカに<マイ・フーリッシュ・ハート(愚かなりし我が心)>や<オータム・リーヴズ(枯葉)>に強いこだわりを持つファンはいません。あるいはそれらの楽曲の演奏をすべて集めるとか。あるいは、<エンジェル・アイズ>でも良いでしょう。そういうファンはア

メリカには存在しません。特定の曲に対する徹底的なこだわり。あるいは、マイナー・キー(短調)に対するこだわりという文化。マイナー・キーというのもこだわりのひとつなのです。メジャーのキーが嫌いだと言ってるのではありません。が、日本のリスナーにはマイナー・キーの楽曲に対する強いこだわりがあるのです。マイナー・キーがより感情に訴えるらしいのです。そこが日本のジャズ・リスナーに共通な非常に明確なポイントですね。

AAJ: 楽器としては、ピアノがとくに日本のリスナーに好まれるようですね。とくに、ピアノ・トリオとしてですね。

TB: 日本のジャズ録音で圧倒的に人気のあるフォーマット、そして、日本のファンが購入し、支持するのはまさしく「ピアノ・トリオ」ですね。多分、ケニー・ドリューと彼のトリオ、オスカー・ピーターソンと彼のトリオ、アーマド・ジャマールと彼のトリオ、それらに対する好みが連綿と今に続いているのだと思います。彼らのエモーショナルな響きが日本のジャズ・ファン、ポピュラー・ミュージック・ファンと共鳴するのでしょうね。ピアノ、ベース、ドラムスが完全なバランスとハーモニーを伴って一体化するという古典的な形態が基本としてありますね。

AAJ: クラシックの分野でいえば、「弦楽四重奏」というところですね。

TB: その通りです。まさに、「弦楽四重奏」のジャズ・ヴァージョンです。次に人気のあるフォーマットがピアノ・トリオにテナーサックスが加わったカルテット。しかし、マイルス・デイヴィスなどの人気はこれには該当しません。彼はあらゆるカテゴリーにかぶっていますね。

♪ 日本に根を下ろしたアメリカ文化:「野球」と「ジャズ」

AAJ: そうですね。それに先ほど挙がったアート・ブレイキーですね。

TB: そう、アート・ブレイキーと「ジャズ・メッセンジャーズ」ね。彼の人気は今や語り種(ぐさ)になっているほどです。看板にも登場するほど日本全国で大変な人気を得た最初のジャズ・ミュージシャンのひとりです。日本では“パパさん”と呼ばれ、国民的な英雄、ポップ・スターになったのです。彼は毎年日本を訪れ、日本国中小さなクラブ、大きなホール、いたるところで演奏したのです。私は彼が日本へ演奏旅行に出掛けるたびに、米国を発つ前と帰国してからそれぞれ2週間ずつ彼をサンフランシスコの「キーストン・コーナー」へブッキングしていたから彼のステータスを良く知っているのです。70年代にも日本ツアーは続いていたのです。始まったのは50年代ですよ!

 第2次大戦後に日本で起こったことは、国の再建とアメリカの占領による激変期の中でごく短期間の間に再び自立し、素晴らしい“新しい”文化を発展させたのです。つまり、2つの文化、アメリカ発の文化が根を下ろしたのです。「野球」と「ジャズ」(ビバップ)です。日本人はこれらの文化を自分たちのものとして受け入れたのです。そして、アメリカの歌です。かつてアメリカで人気のあった(中には戦前にヒットした歌もあります)グレート・アメリカン・ソングブックが本国以上に人気を得たのです。アメリカ発のあらゆるものがアメリカ以上に人気を得て行くのです。なかでも、「野球」と「ビバップ」、とくにアート・ブレイキーの演奏する“ハード・バップ”が圧倒的に人気を獲得したのです。それは現在でも変わりなく続いているのです。人気の継続と拡大ですね。 

 アメリカのマーケットと同じ様に、日本のジャズ・マーケットにも“陰り”が出て来た事は事実です。多くの昔からのジャズ・リスナーは変わらずジャズをサポートしていますが、若いジャズ・リスナーにアクセスし、大きなシェアを獲得していくことは、かなりの挑戦を必要とする状況になっています。私は最近のマスコミに登場する記事には同調することができません。たとえば、テリー・ティーチャウトが「ウォール・ストリート・ジャーナル」に書いた記事や、他にもいくつかありますが。つまり、これらの「ジャズの死」という論調には強く反論します。私のみるところ、リアル・ジャズのファンはいろいろな形で増加していますし、ジャズを鑑賞する若い人もどんどん増えているのです。
私がサンフランシスコで経営していた「キーストン・コーナー」には熱心な若いジャズ・ファンが来店していたのですが、(ニューヨークの)「ディジーズ・クラブ・コカコーラ」や「ジャズ・アット・リンカーン・センター」のその他のホールにもそれ以上の若いジャズ・ファンが詰めかけているのです。二十歳 (はたち)の若者たちがロイ・ヘインズのドラム・ソロやチャーリー・マクファーソンのアルト・ソロに歓声を上げている現実があるのです。

 ここアメリカで観察できる重要な現実は、注意欠陥性障害症候群に毒された “文明”というものが存在し、その結果われわれの誰もが何かに集中できるのはほんのわずかな瞬間に過ぎない、ということです。

 つまり、“バックグラウンド・ノイズ”の氾濫により、そこかしこの雑音で集中が妨げられるということですね。現代の文化が毒されているのは日常の生活で経験する不快な雑音、注意欠陥性障害/注意欠陥過活動性障害、感覚に対する脅威ともいうべきものです。クオリティ・ジャズはいうに及ばず、耳を傾けるべき音にとって日常の雑音を排除することはますます困難になっています。クオリティをもっているものに理解を求めることが本当に難しい時代ですね。逆に、他愛のない事柄をうまく流通させることはよりやり易くなっているのです。
 ジャズ・ファンの場合、誰の言い分を信用したらよいかも分からない。ジャズ批評という仕事に対する報酬はタカが知れているので、ジャズ・ライターといわれる人たちは生計を立てるのに四苦八苦している状況です。ですから、ジャズの批評には最高レベルの見識の高いライターを求めることは必ずしも容易ではありません。結果として、理由はともかく、痛烈なジャーリズムや説得力のある分析ではなく、ちょっとしたお追従記事を書いたり、宣伝めいた文章をものすライターが多くなるのです。

AAJ:若いリスナーがジャズを聴くきっかけは、大学を含めて学校でのジャズ教育にあると思いますか。

TB:教育を受けるジャズ学生がジャズの大きなバックボーンであることは間違いないでしょう。ジャズ学生は以前より増えていますね。彼らはジャズを支える大きなシェアを占めていますし、将来にわたって変わらないでしょう。彼らはジャズの未来と言えます。

AAJ:日本でのジャズ教育の現場についての情報をお持ちですか。

TB:日本のジャズ教育や専門学校についての知識はほとんどありません。しかし、日本ではジャズ・ラジオが無いに等しい実情であることは良く認識しております。アメリカの場合は全米公共放送ネットーワークがあり、年間を通じて毎日ジャズを流し続けている小さな放送局が至る所にあります。ジャズ・クラブやコンサートやレストラントと同じ様にラジオでもジャズが生き続けているのです。また、多数のリスナーを獲得している衛星ラジオもあります。Sirius/XM衛星ジャズ・ネットワークの「リアル・ジャズ・ステーション」は、1年を通じて毎日24時間ストレート・アヘッド・ジャズを流しています。このステーションは、「ディジーズ・クラブ・コカ・コーラ」からのウィークリー・ライヴや、サンフランシスコにあったクラブ「キーストン・コーナー」の歴史的なジャズ演奏も放送しています。

♪ ヴィーナス・レコードの新譜と新作

AAJ:ヴィーナス・レコードについてもう少し質問したいのですが。ヴィーナスからは何か新作が予定されていますか。

TB:ヴィナースのカタログの中でも私の好きなトランペッター、ブライアン・リンチとフィル・ウッズの参加したアフロ・キューバン・ジャズ・オーケストラの『ビリー・ホリデーのためのボレロ・ナイト』(venus Records, 2009)をリリースしたばかりです。最近の録音には、イギリスのジャズ・シンガー、テッサ・ソウターの『キー・ラーゴの夜』(Venus Records, 2009)があります。この録音には、ケニー・ウェルナー、ロメロ・ルバンボとビリー・ドラモンドが参加しています。新作には,他に、ケニー・バロン・トリオ、アレクシス・コールvoとフレッド・ハーシュp、エリック・アレクサンダー・カルテット、ダン・ニマー・トリオ、ジョン・ディマルチーノとロマンチック・ジャズ・トリオ、ジョエル・フラーム・カルテット、それにエディ・ヒギンスの最後の録音などがあります。日本のジャズ・ファンは熱く、さらに重要なことは、不変であるということです。とても忠実ですね。頑張り続けていますよ。

AAJ:原氏(ヴィーナス・レコード)とはよくコミュニケーションがとれているとおっしゃいましたね。日本語を知っているのですか。

TB:日本語はほとんど知りません。知っている単語はおそらく、2、30でしょう。真に重要なことは、原氏と私は良き旧友であり、お互いとジャズが好きで尊敬し、ジャズのためにできる限り力を尽くそうとしていることでしょう。
僕らはお互いにジャズ語を喋っているのですよ。

AAJ:原氏とはビル・エヴァンスの最後の録音について恊働されたということですが、その仕事はこれからも続きますか。

TB:ビル・エヴァンスというピアニスト以上に、紳士的で、心暖かく、真から 前向きで、不平を言わない人間を生涯知り得ません。しかし、サンフランシスコのキーストン・コーナーで彼のトリオが8夜にわたって最後の公演を始めたとき、彼が必死に健康と闘っていることは誰の眼にも明らかでした。われわれは彼に良い医者を紹介したところ、すぐに入院して生死に関わる肝臓の悪化を改善するダイエットを受ける様に強く薦められました。しかし、彼は自らの生命を救うために進んで入院、特別な治療を受ける気がないことも明らかでした。
キーストン・コーナーでの最後の8夜、ステージでのビルは驚くほど機嫌が良く、快活で、いつになく聴衆に対してお喋りでした。運命的だと思えるのは、彼は私に対してとくに何も言わなかったのですが、すべての演奏を本格的に録音していることだけは確認してきたことです。「素晴らしい瞬間が必ず来るはずだからそれを何としても逃したくないんだ」ということでした。

 僕らのスピリットはこの時のビルの音楽にすっかり共鳴しているので、どんなに落ち込んでいるときでも、ビルの演奏を聴くと心を奮い立たせることができるのです。

http://www.allaboutjazz.com/php/article.php?id=35028&recommended=1

JAZZ TOKYO
WEB shoppingJT jungle tomato

FIVE by FIVE 注目の新譜


NEW1.31 '16

追悼特集
ポール・ブレイ Paul Bley

FIVE by FIVE
#1277『大友良英スペシャルビッグバンド/ライヴ・アット・新宿ピットイン』(ピットインレーベル) 望月由美
#1278『David Gilmore / Energies Of Change』(Evolutionary Music) 常盤武
#1279『William Hooker / LIGHT. The Early Years 1975-1989』(NoBusiness Records) 斎藤聡
#1280『Chris Pitsiokos, Noah Punkt, Philipp Scholz / Protean Reality』(Clean Feed) 剛田 武
#1281『Gabriel Vicens / Days』(Inner Circle Music) マイケル・ホプキンス
#1282『Chris Pitsiokos,Noah Punkt,Philipp Scholtz / Protean Reality』 (Clean Feed) ブルース・リー・ギャランター
#1283『Nakama/Before the Storm』(Nakama Records) 細田政嗣


COLUMN
JAZZ RIGHT NOW - Report from New York
今ここにあるリアル・ジャズ − ニューヨークからのレポート
by シスコ・ブラッドリー Cisco Bradley,剛田武 Takeshi Goda, 齊藤聡 Akira Saito & 蓮見令麻 Rema Hasumi

#10 Contents
・トランスワールド・コネクション 剛田武
・連載第10回:ニューヨーク・シーン最新ライヴ・レポート&リリース情報 シスコ・ブラッドリー
・ニューヨーク:変容する「ジャズ」のいま
第1回 伝統と前衛をつなぐ声 − アナイス・マヴィエル 蓮見令麻


音の見える風景
「Chapter 42 川嶋哲郎」望月由美

カンサス・シティの人と音楽
#47. チャック・へディックス氏との“オーニソロジー”:チャーリー・パーカー・ヒストリカル・ツアー 〈Part 2〉 竹村洋子

及川公生の聴きどころチェック
#263 『大友良英スペシャルビッグバンド/ライヴ・アット・新宿ピットイン』 (Pit Inn Music)
#264 『ジョルジュ・ケイジョ 千葉広樹 町田良夫/ルミナント』 (Amorfon)
#265 『中村照夫ライジング・サン・バンド/NY Groove』 (Ratspack)
#266 『ニコライ・ヘス・トリオfeat. マリリン・マズール/ラプソディ〜ハンマースホイの印象』 (Cloud)
#267 『ポール・ブレイ/オープン、トゥ・ラヴ』 (ECM/ユニバーサルミュージック)

オスロに学ぶ
Vol.27「Nakama Records」田中鮎美

ヒロ・ホンシュクの楽曲解説
#4『Paul Bley /Bebop BeBop BeBop BeBop』 (Steeple Chase)

INTERVIEW
#70 (Archive) ポール・ブレイ (Part 1) 須藤伸義
#71 (Archive) ポール・ブレイ (Part 2) 須藤伸義

CONCERT/LIVE REPORT
#871「コジマサナエ=橋爪亮督=大野こうじ New Year Special Live!!!」平井康嗣
#872「そのようにきこえるなにものか Things to Hear - Just As」安藤誠
#873「デヴィッド・サンボーン」神野秀雄
#874「マーク・ジュリアナ・ジャズ・カルテット」神野秀雄
#875「ノーマ・ウィンストン・トリオ」神野秀雄


Copyright (C) 2004-2015 JAZZTOKYO.
ALL RIGHTS RESERVED.