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David Liebman|デイヴ・リーブマン saxophonist/flutist/educator

David Liebman
1946年9月4日、NYCブルックリンの生まれ。ロック・グループ「Ten Wheel Drive」(1970)を経て、エルヴィン・ジョーンズ・グループ(1971-73)、マイルス・デイヴィス・グループ(1973-74)で活躍。1973年に「Lookout Farm」、1981年には「Quest」をそれぞれ結成、2010年に30周年を機に「Quest」の活動を復活させた。
参加アルバムには、『Elvin Jones/Live at the Lighthouse』(Blue Note,1972)、『Miles Davis/Get Up with It』(CBS,1970-74)『Miles Davis/On the Corner』(CBS,1972)など。自己名義では、『Lookout Farm』 (ECM,1973) 、『Quest』(Trio, 1981)など。

Interview via e-mails
Interviewed by Kenny Inaoka
Photo:Marek Lazarski(portrait),Yumi Mochizuki(*1980 in b&w),Matt Vashlishan(w/sopranosax) and David Kaufman (with tenorsax)

♪ “NEA ジャズ・マスター”に認定されて

JT:“NEAジャズ・マスター”への認定おめでとうございます。「クエスト」を始め70年代半ばからいろいろなプロジェクトに関わってきた者として我がことのように嬉しく思い、また興奮しました。何といってもジャズ界最高の栄誉ですからね。第一報はどのように知らされたのですか。
Lieb:NEAの担当者から電話で知らされた。

JT:その知らせをどのように受け止めましたか。
Lieb:正直なところ、僕がアイドルと崇拝するミュージシャンや名手たちと同列に並べられる栄誉に驚き、そして興奮した。今回は目上の先輩ばかりで若輩者の僕は身が縮む思いがした。

JT:あなたのキャリアの何が評価されたと思いますか。
Lieb:それは自分の口からは言い難い。君はどう思うかね。

JT:ジャズ界の巨人たち、エルヴィン・ジョーンズとマイルス・デイヴィスのバンドでの功績、「ルックアウト・ファーム」や「クエスト」など自己名義のバンドでのつねに前向きの姿勢。それに、なによりも、あなたが20年以上にわたって献身してきたジャズ教育の世界的なネットワークづくりの実績ではないでしょうか。
Lieb:ジャズ教育の国際的な組織化が評価されたのであればとても嬉しいね。

JT:1989年にInternational Association of Schools of Jazz(JASJ:国際ジャズ教育連盟)をオランダのデン・ハーグに組織しましたが、きっかけは?
Lieb:われわれ60年代にNYでジャズ・ミュージシャンとして身を起こした者にとって、ジャズは現場で試行錯誤しながら学ぶものだったんだ。NYにはジャズを理論的に教える学校はなかったからね。僕が教えを乞うたのはレニー・トリスターノ(音楽理論)とチャールズ・ロイド(サックスとフルート)だったけど、あくまで個人レッスンだった。
70年代の後期に、ジェイミー・エバーソールドという著名な教育者からカンザスのヘイズでクリニックを開いてくれと電話があった。正直なところ、当時は“クリニック”という用語さえ知らなかったんだ。
ジェイミーから請われて彼のスタッフになり、数年をかけてジャズ教育を学び、バンドのメンバーらとクリニックを実践し、これは自分の音楽人生の一部をかけるに値する仕事だと確信を持てるようになった。80年代を通じて主要な演奏の場だったヨーロッパで、異文化の下でジャズを学ぶ学生を集めて交流させる必要があると考えるに至り、ドイツの音楽出版社(Advance Music)内に組織化のためのオフィスを置かせてもらった。ジャズを通じて若者を交流させ、世界平和の礎(いしずえ)とする考えもあったんだ。ジャズ教育者の国際的な組織JAJE(International Association for Jazz Education)に対してあくまで生徒の交流を意図する国際組織というわけだ。
1990年6月に開いた第1回年次総会には予想外の参会者があり、現在では40カ国以上の国々の学校が会員になって活動を続けているが、まだまだ経済的な基盤が弱く協力者を求めている現状だ。




JT:一時、弁護士に転向する気持ちを耳にしたこともありますが。
Lieb:ジャズの現場に納得できず、弁護士になれば世界を変える仕事をできるかも分からないと考えた時があった。しかし、どうしてもジャズを捨てる気になれず、ジャズを続けながら社会とも関わっていける仕事としてジャズ教育を通じた若者の交流から世界平和への貢献という可能性を見つけることができた。

JT:そういう意味では今回の認定はあなたの信念が認められたということであなたにとってとても異議のあることでしたね。
Lieb:そういう点が評価されたことはとても嬉しい。もちろん、世界各国の多くの協力者がいて実現できたということは忘れてはいないけど。

JT:授賞式ではビッグバンドと何を演奏したのですか。
Lieb:ギル(エヴァンス)とマイルスの共演作『ポーギー&ベス』から<サマータイム>と<NY行きの船が出る>の2曲を演奏した。

JT:(ジョークとして)賞金は何に使うのですか。
Lieb:ハイ・クラスのパブリシストと契約し、家の屋根を葺き替えたよ。

註:NEAジャズ・マスター
NEA(National Endowment for the Arts:全米芸術基金)が認定するジャズ界最高の栄誉。2011年度は、ヒューバート・ロウズ、マンデル・ロウ、マルサリス・ファミリー、デイヴィッド・リーブマンのミュージシャンの他に、プロデューサーのオリン・キープニューズが煮移転された。日本人では唯一、穐吉敏子が認定されている。
2011年度の授賞式の模様と演奏は;http://www.ustream.tv/recorded/11960995


♪ テナーサックスを始めたのは12才のとき

JT:どんな家庭に生まれましたか。音楽の家系でしたか?
Lieb:母親はアマチュアだが、クラシックのピアノを弾いていた。父親はカルーゾ(註:  )が好きだった。兄はアコーディオンのレッスンを受けていたが、本気ではなかったようだ。

JT:音楽に初めて興味をもったのは?
Lieb:7、8才の頃に好きで聴いていたロック・バンドのテナーサックスの音が気に入っていたのを覚えている。

JT:例えば、どんなバンドですか。
Lieb:デュアン・エディ、ビル・ヘイリー、コースターズなどだね。こういう初期のロック・バンドではテナーサックスが幅を利かせていたんだ。


JT:最初に楽器を手にしたのは?
Lieb:自分で好きな楽器を手にする前に少なくとも2年間はピアノのレッスンを受けなさいと両親から強くいわれたので10才から2年間ピアノを習い、クラリネットにちょっと手をつけてから、12才からテナーサックスを始めたんだ。

JT:楽器の練習方法は?
Lieb:毎土曜日の朝、必ず、ワークショップを開いている近所のファミリーにサックスとコンボ、それからピアノのレッスンを受けていた。


♪ コルトレーンのナマを「バードランド」で聴いた

JT:ジョン・コルトレーンをナマで聴いたのはいつでしたか。
Lieb:トレーンをナマで初めて聴いたのは、忘れもしない1962年2月、ニューヨークのクラブ「バードランド」だった。

JT:どういうバンドでしたか。
Lieb:エリック・ドルフィーが加わったクインテットだった。

JT:コルトレーンに話しかけるチャンスはありましたか。
Lieb:直接にはなかったが、1966年に「ヴィレッジ・ヴァンガード」でトレーンが友人たちと話をしている時に、そばで聴き耳を立てていた。すごいオーラでトレーンをビンビン感じることができたよ。

JT:コルトレーンの訃報を聞いたとき、まずどんなことが頭に浮かびましたか。
Lieb:トレーンの死を知らされたのは、初めてのヨーロッパ・ツアーでストックホルムの駅にいる時だった。ベーシストのキャメロン・ブラウンの知人が現地のプロモーターで、ちょっと街をブラついても良いか、と電話を入れた時だった。ラース・ヴェルナーという男だったが、電話の向こうから「トレーンが死んだよ!」と告げられた。どっと涙が溢れ、詳しいことが知りたくてすぐラースの家に駆け付けたんだ。

JT:コルトレーンの生き方と音楽から学んだことは何ですか。
Lieb:正直であること、完璧さを求めること、覚醒していること、力強さを保つこと。

JT:コルトレーンのアルバムのなかでもっとも聞く機会が多いアルバムは?
Lieb:『クレッセント』(Impulse,1964)。

JT:トレーンの曲のなかで最も好きなのは。
Lieb:<ナイーマ>(ネイマ)。


♪ 「スラッグス」でエルヴィンのオーディションを受けた


JT:エルヴィン・ジョーンズとの出会いは?
Lieb:エルヴィンとはNYのジャズ・シーンで顔見知りだった。1968年には、あるコンサートで僕が率いていた若手のバンドがエルヴィンのバンドと対バンになったこともあったりした。ドラマーのピート・ラロッカが共通の知人ということもあったね。だけど、最終的には70年代の初めのある夜だったが、『スラッグス』でオーディションがあってね、ベーシストのジーン・パーラに誘われて出掛けて入団が決まったんだ。エルヴィンあたりになると、顔見知りというだけじゃメンバーにはなれないんだ。

JT:エルヴィンのバンドでのスティーヴ・グロスマンとあなたとの音楽的な関係は。
Lieb:僕とスティーヴは、19丁目に僕が初めて借りたロフトで多くの若手を交えて<アセンション>的なフリージャズを演奏する仲だった。また、僕らは、「フリー・ライフ・コミュニケーション」という生活共同体を運営していたんだ。つまり、エルヴィンのバンドで一緒に演奏する前から親友の仲だったというわけだ。僕がエルヴィンのバンドにいる頃、スティーヴはマイルスのバンドで演奏していて、しばらくしてスティーヴがマイルスのバンドを辞めてエルヴィンのバンドに入ってきたので僕らは一時期一緒に演奏することになった。そのうち、僕がマイルスに引き抜かれ、スティーヴがエルヴィンのバンドに残ることになった。これがエルヴィンとマイルスを巡る僕とスティーヴの関係だ。

JT:エルヴィンからは何を学びましたか。
Lieb:ビートの裏で何を演奏するか。個々のビートにどのように関わって自分自身のタイミングを取るか、ということ。


♪ マイルスが直接エルヴィンから身請けしてくれた


JT:マイルス(デイヴィス)のバンドで演奏するようになった経緯(いきさつ)は?
Lieb:あるとき、突然、マイルスから電話が入って、「今、スタジオでレコーディング中だ。すぐ来てくれ!」と呼ばれたんだ。駆け付けて録音に参加したのが『オン・ザ・コーナー』の中の1曲だった。マイルスからそのまま彼のバンドに参加してくれと頼まれたのだが、エルヴィンのバンド・メンバーだったから受けるわけにいかず断ったんだ。それから6ヶ月後、エルヴィンのバンドで「ヴィレッジ・ヴァンガード」に出演中にマイルスがやって来て、マイルス自らがエルヴィンに落とし前を付けてくれたんだ。一種の身請けの儀式だった。

JT:エルヴィンの対応は?
Lieb:エルヴィンが、「マイルス・デイヴィスがキミを欲しいというのなら、キミは行くべきだよ」と言って、僕を強くハグしてくれたんだ!!

JT:マイルスとのもっともエキサイティングな経験は?
Lieb:古代ローマ時代の遺跡、レバノンのバールベック神殿で演奏したこと。

JT:マイルスの下を離れた理由は?
Lieb:マイルス・デイヴィスのサキソフォン・プレイヤーという立場以上に、僕自身の音楽を披露すべき時期だと期待され出したからだ。「ルックアウト・ファーム」というバンドの準備が整い、ECMに最初のアルバムの録音も済ませていたんだ。(註:『Dave Liebman/Lookout Farm』 ECM,1973)。

JT:マイルスの生き方とマイルスの音楽から学んだことは?
Lieb:自分の演奏にどのようにバンドを反応させるか。どのようにストーリーを語るのか。そして、これはエルヴィンからも学んだことだが、最初の一音を発する時の集中力とこだわりだ。

JT:ところで、あなたがジョン・スコフィールドgとビル・エヴァンスtsをマイルスに紹介したというのは事実ですか。
Lieb:ビル・エヴァンス(ビルは僕がマイルスに推薦したのだが)を通して、マイルスが僕と演奏中のスコフィールドをチェックに来るように仕向けたんだ。演奏が終わってから僕のところに来たマイルスは、僕の耳元で「スコフィールドの演奏は気に入らない」とささやいたので、「彼は間違いなくあなたのギタリストになりますよ」太鼓判を押したんだ。

JT:マイルスから新人を紹介してくれと頼まれていたのですか。
Lieb:いや、直接には。スコフィールドのようにビルが仲介していたから、同じことかもしれないけど。

JT:他には?
Lieb:いや、直接には。僕が日本のレーベルに録音した『What It Is』でスコフィールドがマーカス・ミラーに出会ったというのはあるね。

JT:マイルスの昔のレコーディングにオリジナル・プロデューサーのテオ・マセロ以外の者が手を出してリーリスしている事実をどう思いますか。
Lieb:とんでもないことだ。テオがまだ生存中にコロンビアがプロジェクトからテオを外したのがそもそもの間違いなんだ。テオすなわちマイルスだから。少なくともレコード面においてはね。すぐ止めるべきだよ!!!

JT:マイルスの『コンプリート〜』タイプのリリースに興味はありますか。
Lieb:歴史的な見地からは価値があるものかもしれないが、見方を変えれば、何かの理由があっておクラになったテイクだからね。


♪ リッチー・バイラークは最高のパートナー

JT:大親友のリッチー・バイラークpやエンジニアのデイヴィッド・ベイカーについてはどう思っていますか。
Lieb:リッチーは最高のパートナーだ。ベイカーは本当に残念なことをした。彼こそ、真のレコーディング・エンジニアだと思う。(註:デイヴィッド・ベイカーについては追悼特集:http://www.jazztokyo.com/rip/rip-idx.html

JT:彼らとの出会いは?
Lieb:リッチーとは1968年にジャム・セッションで出会ったんだ。それから、数年で親友の関係になった。デイヴィッドとは、リッチー以前にドラマーのボブ・モーゼスを通じて知り合った。彼はいつもミュージシャンの周りにいたんだ。

JT:デイヴィッドの逝去を知った時は?
Lieb:声をなくしたよ。


♪ 「クエスト」、バイラーク、プショウとの旺盛な活動再開





JT:リッチーとはまた録音活動が盛んですね。
Lieb:そうだ。去年は「クエスト」結成30周年だったからね。NYの「バードランド」で記念ライヴをやった。ベルリンのライヴ・アルバムもリリースした。

JT:あなたとリッチーがドイツのラジオ・オーケストラと共演したアルバムも楽しみました。
Lieb:僕のオリジナルを中心にジム・マクリーニが編曲したアルバムだね。
フランクフルトのHRビッグバンドと共演したこのアルバム『クエスト・フォー・フリーダム』は、All Abou Jazz, NYCの2010年度最優秀アルバムに選出されたんだ。

JT:「クエスト」はトリオ/ケンウッドでデビュー・アルバムを制作し、ツアーもやりました。日本のPANレーベルでスタンダード・アルバムも制作しました。
Lieb:そうだね。「クエスト」は日本から始まった。

JT:「OWL」のプロデューサー、ジャン=ジャック・プショウとの仕事が復活しましたね。「クエスト」のハンブルグのライヴ・アルバムも彼の新しいレーベルでしたね。
Lieb:彼の新しいレーベル「Out Note」でリリースした。それから3月にリー・コニッツ、リッチー、僕のトリオで『KnownLee』、秋にはリッチーとデュオで『Unspoken』が予定されている。リッチーはピアノ・ソロ・シリーズから『Sketches of Tokyo』というアルバムを5月にリリースするよ。

JT:ジャン=ジャックからも情報をもらいましたが、とても楽しみにしています。ところで、現在までに制作したアルバムは?
Lieb:共演で数百枚、自己名義と共同名義で100枚近くになるのではないだろうか。

JT:そのなかでもとくに気に入ってるアルバムは?
Lieb:『QUEST』の何作かと『長距離ランナーの孤独』、『CLASSIQUE』などだね。

JT:リーダーとしての最新作は?
Lieb:Jazzwerkstattで制作した『Turnaround/The Dave Liebman Group plays the Music of Ornette Coleman』が2010年度のドイツジャズ批評家年間最優秀作に選ばれた。
* http://www.jazztokyo.com/five/five766.html



♪ ネット配信で従来のビジネス・スキームが死んだ

JT:音楽のネット配信についてはどう思いますか。
Lieb:人間がそれに対応できない以上、テクロノジーだけが存立することはあり得ない。音楽が無償で手に入れられるようになり、配信は従来のビジネス・スキームを破滅させてしまった。アーチストにとってもフェアな方策を未だ見出してはいないのだ。そのため、ビジネスが死んでしまった。

JT:ジャズのネット配信がさらに普及すると思いますか。
Lieb:それをもはや止めることはできない。人がひとたび何かをただで手に入れたら、それを手に入れるために人は2度と代金を払うことをしないだろう。たとえば、かつてはアーチストがビジネスの場と考えていた中国は今や夢と去ってしまった。

JT:「ジャズは死んだ」という意見に同意しますか。
Lieb:誰もがいつでも同じ情報にアクセスできるというインターネットの機能のおかげで、音楽自体はかつてない最良の状態にあるといえる。YouTubeを通してトレーン(ジョン・コルトレーン)の演奏を家庭の居間で観ることができるし、その気になれば学習することだってできる。ネットを通じて異なる文化に属するミュージシャンを学べばジャズはさらに新しい息吹を得ることができるだろう。これはネットの功罪の「功」の側面だろう。ピュア・ジャズは終わったかもしれないが、“ジャズ”の方法を活用したインプロヴィゼーションにはまだまだ多くの可能性が残されている。

JT:ジャズの人気が衰えたとすると、何が原因だと思いますか。
Lieb:さまざまなエンタテインメントが手軽に楽しめるようになり、人々の注意力が散漫になったことだろうね。残念ながら、文化度が総体的に低下していると思う。ジャズを鑑賞するには最低限度の集中力は必要だからね。

JT:ジャズを活性化するために本質的に何を実行すべきだと思いますか。
Lieb:若者に対する教育だと考えて皆で尽力してきたが、残念ながら思うような成果を上げているとは思えないね。資金不足で展開が思うようにいかないこともある。

JT:音楽活動でやり残したことはありますか?
Lieb:これからやるべきプロジェクトはまだ20以上リストアップされている。まず、手がけたいのは録音中の『The Cycle of Water, Air, Earth and Fire』を完成させること。

JT:最後の質問です。(あなたを除いて)もっとも革新的なソプラノサックス奏者を3人挙げるとすると。
Lieb:スティーヴ・レイシー、ジョン・コルトレーン、ウェイン・ショーターだ。

JT:あなたの夢は?
Lieb:世界平和。家族の健康。音楽活動をできる限り長く続けられること。どうもありがとう。

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FIVE by FIVE 注目の新譜


NEW1.31 '16

追悼特集
ポール・ブレイ Paul Bley

FIVE by FIVE
#1277『大友良英スペシャルビッグバンド/ライヴ・アット・新宿ピットイン』(ピットインレーベル) 望月由美
#1278『David Gilmore / Energies Of Change』(Evolutionary Music) 常盤武
#1279『William Hooker / LIGHT. The Early Years 1975-1989』(NoBusiness Records) 斎藤聡
#1280『Chris Pitsiokos, Noah Punkt, Philipp Scholz / Protean Reality』(Clean Feed) 剛田 武
#1281『Gabriel Vicens / Days』(Inner Circle Music) マイケル・ホプキンス
#1282『Chris Pitsiokos,Noah Punkt,Philipp Scholtz / Protean Reality』 (Clean Feed) ブルース・リー・ギャランター
#1283『Nakama/Before the Storm』(Nakama Records) 細田政嗣


COLUMN
JAZZ RIGHT NOW - Report from New York
今ここにあるリアル・ジャズ − ニューヨークからのレポート
by シスコ・ブラッドリー Cisco Bradley,剛田武 Takeshi Goda, 齊藤聡 Akira Saito & 蓮見令麻 Rema Hasumi

#10 Contents
・トランスワールド・コネクション 剛田武
・連載第10回:ニューヨーク・シーン最新ライヴ・レポート&リリース情報 シスコ・ブラッドリー
・ニューヨーク:変容する「ジャズ」のいま
第1回 伝統と前衛をつなぐ声 − アナイス・マヴィエル 蓮見令麻


音の見える風景
「Chapter 42 川嶋哲郎」望月由美

カンサス・シティの人と音楽
#47. チャック・へディックス氏との“オーニソロジー”:チャーリー・パーカー・ヒストリカル・ツアー 〈Part 2〉 竹村洋子

及川公生の聴きどころチェック
#263 『大友良英スペシャルビッグバンド/ライヴ・アット・新宿ピットイン』 (Pit Inn Music)
#264 『ジョルジュ・ケイジョ 千葉広樹 町田良夫/ルミナント』 (Amorfon)
#265 『中村照夫ライジング・サン・バンド/NY Groove』 (Ratspack)
#266 『ニコライ・ヘス・トリオfeat. マリリン・マズール/ラプソディ〜ハンマースホイの印象』 (Cloud)
#267 『ポール・ブレイ/オープン、トゥ・ラヴ』 (ECM/ユニバーサルミュージック)

オスロに学ぶ
Vol.27「Nakama Records」田中鮎美

ヒロ・ホンシュクの楽曲解説
#4『Paul Bley /Bebop BeBop BeBop BeBop』 (Steeple Chase)

INTERVIEW
#70 (Archive) ポール・ブレイ (Part 1) 須藤伸義
#71 (Archive) ポール・ブレイ (Part 2) 須藤伸義

CONCERT/LIVE REPORT
#871「コジマサナエ=橋爪亮督=大野こうじ New Year Special Live!!!」平井康嗣
#872「そのようにきこえるなにものか Things to Hear - Just As」安藤誠
#873「デヴィッド・サンボーン」神野秀雄
#874「マーク・ジュリアナ・ジャズ・カルテット」神野秀雄
#875「ノーマ・ウィンストン・トリオ」神野秀雄


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