#  119

本宿宏明 Hiroaki Honshuku (Flute)

Interviewed via e-mails by Kenny Inaoka, in July 2013
Photos:Personal collection


本宿宏明(ほんしゅく・ひろあき)
東京生まれ、鎌倉育ち。3才の時からピアノを初め、10才の時にフルートを手にする。高校時代はブルース・バンドを結成、ギターを弾いていた。日大芸術学部フルート科を卒業。在学中、作曲法も修学。
1987年1月フルートを学ぶためバークリー音大入学、同年9月ニューイングランド音楽学院大学院ジャズ作曲科入学、同時に卒業。ニューイングランド音楽学院では作曲家のジョージ・ラッセルのアシスタントを務め、後に彼の率いる「リヴィング・タイム・オーケストラ」の正式メンバーに招聘される。ジャズ・コンボ“阿の音バンド”に続いて、1988年ビッグバンドを結成、1994年京都遷都記念イベントで来日公演。2010年、ブラジルのミュージシャンとクインテット「Racha Fora」(ハシャ・フォーラ)を結成、翌年CD『Racha Fora』を制作、今年9月には来日ツアーを予定している。
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♪ 9月にクインテット“ハシャ・フォーラ”で日本ツアーを

Jazz Tokyo:9月に来日するバンド名はCDのタイトルにもなっている『Racha Fora』ですが、Racha Fora(ハシャ・フォーラ)とはどういう意味ですか?
本宿宏明:これはブラジル南部の方言で、色々な状況で使われるフレーズですが、「てめえ、消え失せろ!」がもっとも頻度が高い使用例で、ブラジル人たちは我々が他を寄せ付けないなどの印象をコミカルに理解するようです。当初心配した、お客が逃げるという状況にはまだなっていないのでホッとしています。

「ハシャ・フォーラ」には「さあ行くぞ!」の意味もあり、ぼくが初めて書いたジャズの曲<Here We Go>にもかぶっており、後にぼくの“阿の音トリオ”のCDのタイトル曲になった時にギターとベースのブラジル人達がイントロで「ハシャ・フォーラ!」とかけ声を掛けてくれたことにも由来します。

“ハシャ・フォーラ”のデビューCDのライナーノートを書いてくれたJ.R. キャロルが上手にまとめてくれました:
ブラジル南部の方言で聞かれる「ハシャ・フォーラ」の意味は色々あり、「さあいくぞ」とか「行ってくれ」と訳すことも出来るが、このアンサンブルに適した訳は「ブランチ・ライン」〜 ブラジルからアメリカを通過し日本に繋がるラインから広がる枝々という解釈であろう。ブラジルと日本は知られているよりもっと長い歳月で深く繋がっているかも知れない。“ハシャ・フォーラ”のサウンドは期待通りにデリケートであり、活力的であり、アコースティックであり、エレクトリックであり、そしてテクニックと頭脳である。



JT:このクインテットはワーキング・グループですか?
本宿:昨年(2012年)末までは3年間毎日曜日ボストン近郊ケンブリッジにあるルナ・カフェでハコをしていましたが、今年になって皆スケジュールの調整が難しくなり、毎週日曜というのを断念することになりました。今は月1、2回、ボストンかNYCの2、3のジャズクラブで演奏しています。



JT:結成のきっかけは?。
本宿:ぼくはもともと2007年からルナ・カフェで“阿の音バンド”としてハコをしていたのですが、もっとクリエイティヴなブラジル系を演りたいと思っていた時に、当時バークリー音大生であったモーリシオ・アンドラージのライヴを見て、日曜のハコに誘いました。直後、彼の親友でギタリストのハファエル・フッシがベーシストとして参加しました。毎週どんな曲も自然と違うアレンジになるのが楽しくて、ユニットとして活動することに決めたのが2010年の夏頃です。

JT:そもそもブラジリアンに傾倒していったきっかけは?
本宿:ブラジル音楽に影響を受けたきっかけは、ニューイングランド音楽学院在学中に、リオ・デジャネイロで活躍していたマルチプレーヤーのパウロ・マラグチと同級で、ボストンでギグに誘ってもらったことからです。ジャズのスイング感と同じようにスリルのあるブラジルのタイム感にすっかり魅了されたのです。パウロと演奏していたせいで他のブラジル人たちからもギグの誘いが増え、ブラジルに演奏旅行に誘ってもらえるようになり、自分の曲もどんどんブラジルのリズムを取り入れるようになったのです。

ただ、ジャズから離れたわけではありません。マイルスこそが神さまだと今でも信じ、毎朝起きたら壁いっぱいの写真に合掌しています。ハシャ・フォーラのベーシスト、ハファエル・フッシはジャズのスイングも理解しています。我々はジャズのスタンダードをスイングで演奏するのも大好きです。ただ、このユニットで最高にスイングするのがブラジル系のリズムということです。

一方、マイルスもキース・ジャレットもジャズは常に進化しなければ意味がないと言っていました。ぼくの中でのジャズの進化はブラジルのリズムとの融合、それとジョージ・ラッセルに影響を受けた音の重力概念なのです。ぼくはバンドのメンバーによって作曲や編曲を変えます。エリントンが、スイングしなきゃ意味がない、と言ったように、スイングしないのであれば演奏する意味がなくなってしまうので、その時に得たリズム・セクションが最高のスイングをする編曲にします。自分はリズム・セクションでないのでまったく楽です。スイングするリズム・セクションを見つけて合わせ、その上に乗っかってインプロを楽しむ、最高です。

JT:来日する“ハシャ・フォーラ”のメンバーについて簡単に説明して下さい。
本宿:ヴァイオリンの池田里花さんはクラシック出ですのでともかく音が美しい。日本人離れしたタイム感と、聴衆を引きつける熱い演奏が聴きものです。

ギターのモーリシオ・アンドラージはとても繊細なプレイで魅了しますが、リズム感がともかくすごいのです。コードを弾いているのを聴いているだけでウキウキして来ます。

ベースのハファエル・フッシはギタリストなのでとてもクリエイティヴなラインを弾きます。反対にベースの役目を深く理解しているので、ものすごいタイム感でバンドをグルーヴさせます。色々なジャンルの音楽を消化して自分のものにしているところがすごいのです。

ドラムの則武 諒さんはメンバーのバンデイロ奏者の都合がつかず、代わりに参加してもらうのですが、今回初めて演奏します。彼がボストン在住の時に一回だけ雇われバンドで一緒に演奏したことがありますが、彼は譜面に強く、とても繊細なドラマーなので楽しみにしています。

JT:ライヴはどんな内容になりそうですか?
本宿:じつはぼくは日本に居る時にジャズの経験がまったくなかったので日本の傾向がよくわからないのです。オリジナルやあまり知られていないブラジルの曲で占めるのはどうかと思い、ジャズのスタンダードを何曲か“ハシャ・フォーラ”風にアレンジして披露させて頂こうと考えています。いずれにせよ“ハシャ・フォーラ”はノリノリのグルーヴと奇抜なコード進行でのインプロを大切にします。ただ、フュージョン系の仕掛けの多いアレンジはしません。仕掛けは時としてグルーヴを止めてしまうと考えるからです。



♪ CD『Racha Fora』はブラジルのリズムでジャズを演奏

JT:CD『Racha Fora』は2011年の録音ですね?
本宿:11曲を6時間で収録、すべてをライヴ録りの2テイクで終わらせたのが少し自慢です。我々は毎回演奏が違うのを楽しむタイプなので、危険も伴えば成功の喜びも大きいです。

JT:楽曲について説明して下さい。
本宿:ぼくのオリジナル曲の題名はほとんど言葉の響きで決めているので、意味はないものが多いです。エリントンがやってたお遊びの真似です。また題名でその曲のイメージを押し付けてしまうのを嫌います。

01 True Pot
ぼくのオリジナルで、ブラジルのBaiao(バイヨン)というリズムをベースにした曲です。我々のやりたいこと、つまりブラジルのリズムを使ったジャズの見本になります。エフェクト系はすべてリアルタイムで、ミックス時に掛けたものではありません。

02 Post Noodle
これもオリジナル、ブラジルのPartito Alto(パルティート・アルト)というリズムを使っています。Partito Altoは2種類のパターンがあって、ブラジル音楽ではこの2種類両方が同じ曲で使われることはないのを逆手にとり、この曲ではコーラスの前半と後半でそれぞれのパターンを使っています。面白いことにブラジル人にとってこれはものすごく演奏しづらいことらしく、彼らが自然にグルーヴ出来るまで随分と時間がかかりました。

03 Sakura Sakura
レコーディングの直前が3.11の福島大震災でした。なんとかチャリティーに使える曲をCDに入れたいと思い、急遽書き下ろした曲です。当初のイメージとしてはBaiaoをECM風に料理したかったのですが、ライヴでスパニッシュ風に変身することがよくあります。この曲はライヴの度に速さが変わります。時にはゆっくりじっくり演奏したり、時には速めに熱く演奏します。

04 Di menor(ジメノア)
この曲はブラジルの作曲家/ギタリストのGuinga(ギンガ)の曲で、サンバのリズムがベースになっています。難易度の高い曲ですが、とてもかっこいい曲なので演奏するのが楽しみな曲です。

05 Garota de Ipanema(ガロタ・ジ・イパネマ)
スタンダードで、トム・ジョビンの<イパネマの娘>。オリジナルのボサのリズムではなく、我々はブラジルのリズムAfoxe(アフォシェ)を使います。

06 Ice Butt
ブラジル音楽を勉強し始めた頃に書いたオリジナル曲で、Baiaoのリズムの速い曲です。ベースラインがハーモニーに対して全く別の調性にいるので、インプロが難しくもあり、楽しくもあり。

07 Sus Div
オリジナルのバラード曲です。この曲はまったくブラジルとは関係ありません。



08 PONTO
ジャズを勉強し始めた頃に書いた曲で、「先斗町」に行きたいという気持ちで書いたブルース曲。その後ジャマイカに演奏旅行に行くようになって一旦レゲエに編曲しましたが、“ハシャ・フォーラ”はブラジルのXote(シャチ)というリズムで演奏します。レゲエ・バージョンは1994年にリリースしたぼく個人のデビュー・アルバム『Are You Blue』にも収録されていますが、残念ながら廃盤になっています。

09 Chorozinha(ショロジンヤ)
ブラジル音楽にショーロというジャンルがあります。ものすごく演奏が難しく、演奏以前に文化の理解を要求されるジャンルです。このショーロを演奏出来るようになりたい、けれどブラジル人に失礼になってはいけない、という思いで書いた曲です。ブラジル伝統音楽のショーロと違うのは、コード進行が過激に変化し、少しでも伝統音楽のショーロから遠ざかろうとしているところです。

10 O.o.M.
これも古いオリジナル。渡米してジャズを勉強し始めた1年目に書き、当時活動していたジャズ・コンボ、“阿の音バンド”で何回か演奏してそのままお蔵入りになっていた曲でしたが、このCD録音に際して曲選びをしている時にひょいと押し入れから出て来たのです。もともとはファンクの曲として書いたのですが、“ハシャ・フォーラ”はファンク・サンバとして演奏します。ソロ・セクションはなんでもありなので演奏するのが楽しみな曲です。

11 Rind Well
“ハシャ・フォーラ”のために書き下ろしたオリジナル。ブラジルのリズム、Frevo(フレーボ)というリズムの速い曲です。これもショーロのように伝統的なリズムで、コード進行は思いっきりひねくりまくっているので、インプロはかなり大変なのですが、チャレンジ精神が盛り立てられるという楽しみがあります。

♪ 東京で生まれ、鎌倉で育った...

JT:本宿さんの生まれは?
本宿:生まれは東京ですが、育ちは鎌倉の材木座海岸のそばです。

JT:音楽的な家庭でしたか?
本宿:そうですね。母親は慶応義塾中等部の音楽教師、父親はただのベートーヴェン/モーツァルト狂でしたがヴァイオリンを趣味で。祖母はピアノの先生でした。

JT:初めて音楽に興味をもったのは?
本宿:3歳でピアノを無理矢理やらされていました。母は自由にさせてくれましたが、祖母が厳しかったのでピアノは大嫌いでした。物差しで手を払われましたからねえ。自分から音楽に興味を持ったのは小学校高学年でサイモンとガーファンクル、そして中学に入ってブルースを聴き始めました。

JT:初めて自分の楽器を手にしたのは?
本宿:10歳の時に母親が自分の学校のコンサートの帰りに偶然フルートを持ち帰り、ピアノをやめたい一心でフルートを習いたいと言いました。ほんとうはフルートなんて全然興味が無かったんです。

JT:渡米するまでの日本での音楽キャリアは?
本宿:日本大学芸術学部をフルート科と作曲で出ましたが、正直フルートにそれほど興味がなく、反面、高校から本格的にブルースを始め、最初はベース、すぐにギターに持ち替えブルース・バンドを結成し、横須賀や横浜で演奏していました。大学在学中には鴬谷のダンスホールでテナーを吹いていたこともあります。かなりアバウトですね。大学卒業直後、自分は本当にもうフルートを吹かないのか、と思い詰め、フルートを吹きたいと強く思い始めたわけです。ただ、クラシック音楽にもそれほど興味があったわけではなかったので、いったいどんな音楽がやりたいのか、が問題だったわけです。

♪ バークリー音大とニューイングランド音楽学院で同時に学ぶ

JT:渡米は何年に何処へ?
本宿:1987年1月にボストンへ来ました。きっかけは、当時横須賀海軍基地でアメリカ民間人の奥さん達にフルートを教えていたのですが、「あんたは日本よりアメリカの方がきっと合ってるよ」と言われ、じゃVISAのために学校に入らないといけない。クラシックは別に勉強したくないとなれば学校が限られて来る。バークリーには当時修士課程がなかったのでジャズの歴史が古いニューイングランド音楽学院の修士課程に入学しました。運良く奨学金がかなり出たのですが、実際9ヶ月分の生活費しか持って来ておらず、かなりハラハラしました。

JT:バークリーでは何を学んでいたのですか?
本宿:フルート・パフォーマンスです。バークリーでは運良く全額近く奨学金が出たので、1月からニューイングランド音楽学院が始まる9月まで、英語の勉強にと思って入学したのです。ところが、あまりに楽しい学校でしたので結局両校に同時に出席するはめになりました。卒業も同じ年、同じ月。両校の良い部分を満喫できたわけです。当時は今ほど色々厳しくもなかったのでラッキーでした。スケジュールはキツくて死ぬかと思いましたが、いつ金がなくなって野たれ死ぬかわからないと思っていたので1日1日が充実していました。

JT:同期の日本人には誰がいましたか?
本宿:歌のギラ・ジルカ、ピアノの大西順子さん、ドラムの大坂昌彦くん、ビブラフォンの赤松敏弘さんなどをよく思い出します。皆さん大活躍されていますね。

JT:バークリーの後にニューイングランドへ入学したのですか?
本宿:もともとニューイングランド音楽学院への入学の方が先に決まっていました。バークリー入学から9ヶ月後、1987年9月です。1年前の入学のオーディションはまったくのハッタリでハ長調の曲を2曲耳でインプロしまくって通ったので、入学前にバークリーで勉強してなかったら大恥をかいていたと思い、ぞっとします。ニューイングランドは人数の少ない学校でしたから、恥ずかしいというのも有名になる材料になってしまうからです。

JT:ニューイングランドでは何を学びましたか?
本宿:ジャズ作曲科です。これには色々な理由があります。もともと目立ちたがり屋+へそ曲がりでしたから他人の作曲したものを演奏するのが好きでなく、それに当時は自分のフルートの腕にも自信がなかったので自分は作曲家になろうと決めていました。ところがこちらですぐに理解したのは、演奏がすごくないと誰も気がついてくれないということでした。だからバークリーはフルートのパフォーマンスで入学したわけです。 幸運なことにある事件が起こったのです。バークリーでの最初のアンサンブルの授業でとても意地悪で有名な先生に当たったのですが、「おまえは遠い東の国からやって来て一生ジャズが出来るようになるなんて思うなよ」と言われたわけです。だったら自作自演で他のミュージシャンと違ったことをやってやる、とここで決心したわけです。その先生はすぐに学校からいなくなってしまいましたが、ぼくの進路を決めてくれた人なので今でも感謝しています。

JT:A-NO-NE(阿の音バンド)とは?
本宿:渡米して最初に住んだのが危ない地域にあるミュージシャン5人での借家。家賃は2万以下(!)。当時東京のアパートは12万くらいだった時代です。ぼく以外全員アメリカ人で、まったく日本人と接してなかったので、夢まで英語で見るようになっていたのですが、「あのね〜(いい加減にしてよ)」の口癖だけはなおらなかったのです。バークリーで最初にリサイタルを開いたときハウスメートたちが「お前のバンドの名前は“あのねバンド”にしろ」と勝手に決めたのが事の起こりです。日本人に見られたら恥ずかしいと思ったので当て字で「阿の音」に変えたというわけです。

JT:1988年にはビッグバンドを結成していますね。このバンドは6年間続いたのですか?
本宿:1987年にジャズのジャの字も知らずに渡米した1週間目に、ハウスメートがジョージ・ガゾーン率いる“フリンジ”を観に連れて行ってくれたのです。思いっきりぶっ飛び、その場で「ジョージ・ガゾーンになりたい」と思ったのです。それから追っかけをして、彼のフレーズを採譜しまくり、必死でさらいました。ともかくかっこいい。痺れちゃうんです。で、次に立てた目標は自分のビッグバンドを作って彼をフィーチャーすること。翌1988年に実現し、以後ビッグバンドを解散する1994年まで彼は演奏してくれました。彼はCDで聴くよりライヴがすごいんですよ。

JT:ジョージ・ガゾーンの影響力が大きかったのですね。
本宿:渡米最初の1週間目にガゾーンに出会っていなかったらいったい自分はどうなっていたのだろう、と思うとゾッとします。音楽を3歳で始めて、初めて本気で楽器練習に打ち込むに至ったのは、どうしてもフルートでガゾーンになりたかったからです。

JT:ところで、このビッグバンドは来日も果たしているのですか?
本宿:1994年の京都遷都1200年祭に1週間出演しました。そのために、デイヴ・リーブマン、ガゾーン、それとタイガー大越さん3人がビッグバンドのフロントでバトルする曲や、マイク・スターンが頭から最後までソロしまくる曲など書き下ろしました。結局、自分がもっと演奏に打ち込みたいことからビッグバンドはやめてしまいましたが、あの興奮がとても懐かしいです。 ガゾーンと並んでリーブマンも随分コピーしました。日本では、ギャラを払っていない日に「演奏してやるよ」と言って出演してくれたり、僕は僕で彼が日本で開いていたセミナーの通訳を務めたり、懐かしいです。



♪ ジョージ・ラッセルのアシスタントから「リヴィング・タイム・オーケストラ」の正式メンバーに

JT:ジョージ・ラッセルのアシスタントを務めていたとのことですが、実際にはどのような仕事を?
註:ジョージ・ラッセル(1923~2009)
ピアニスト、作編曲家、音楽理論家。1953年、『Lydian Chromatic Concept of Tonal Organization』 (調性的構造のリディアン・クロマチック概念)を著し、ジャズの和声を初めて理論的に体系化、ビル・エヴァンスなど(遠因的にはマイルス・デイヴィスを含めて)にも大きな影響を与えた。60年代後半は北欧に住み、現地のミュージシャンの啓蒙に努めた。69年、校長の作曲家ガンサー・シュラーからLCC理論を講義すべくジャズ科の主任教授に任命された。89年にはマッカーサー財団からジニアス基金を授与されている。
本宿:ともかく金がないので、学校がくれる仕事はすべてやっていたわけですが、当時はジャズに対して無知でしたのでジョージ・ラッセルなんて名前はまったく知らなかったわけです。お恥ずかしい次第ですが。学校での仕事は彼の作品の写譜と譜面管理。でも彼の音楽を聴いて思いっきり打ちのめされ、みっちり勉強させてもらおうと思い始めました。

そのうちジョージはぼくをすっかり信用してくれるようになり、自分は授業の最後の方で顔を出すだけでぼくに代講させるようになりました。これはすべて演奏のクラスのことです。アンサンブルとかビッグバンドの授業です。彼は自分の理論のクラスは他人にまかせられない、と自分でやっていました。ぼくが卒業した後もこの仕事は彼が学校を引退するまで続きました。最初はこの仕事のお陰でVISAがとれていたわけです。

他には演奏者のスカウト。彼は自分の音楽を演奏する者に厳しく、学生が彼の要求するレベルに見合わないと誰か他に探して来い、となるわけです。もちろん学校側はこれに対して不満ですが、大御所ジョージ・ラッセルには逆らえません。ビッグバンドの授業の1シーズン、ぼくが、まだバークリーの学生で当時“阿の音バンド”の一員だったピアノの山中千尋さんを連れて来た時、最初のリハーサルで彼は大喜びでした。

卒業後何年かして彼のプロのオーケストラ、リヴィング・タイム・オーケストラに正式に招聘されました。フルート演奏の他はやはり写譜と譜面の管理、それとオーディオや電気関係などでアシストしました。あるツアーでは、彼の自分の書いた曲があまりにも複雑で、ぼくがワイヤレスの信号機をタッパーウエアで急遽作って、彼の指揮台上でキューを彼に渡したり、色々楽しかったです。

JT:本宿さんの作曲にジョージ・ラッセルの影響が反映されているところがありますか?
本宿:ぼくの作曲はすべてジョージ・ラッセルの「音の重力の概念」と、彼がよく口にしていた「マスタープラン」という構成の概念を使っています。ここでは詳しく言及するのを避けますが、西洋音楽で使われる解決法、いわゆる II - V - I は全く使いません。すべては「重力の概念」でコード進行を決めて行きます。

JT:ジョージ・ラッセルの「音の重力の概念」と「マスタープラン」について概略だけでも。
本宿:これは話し始めたら恐ろしく長くなるし、ぼくに説明しきれるかの疑問もあります。一言だけ付け加えると、あるコードがあって、次にこのコードを置くと重力に従っているので自然に聴こえる。逆に、このコードを置くと重力に逆らうので聴き手に緊張感を与える、とか。音の重力でコード進行を決める、といえば良いか。その上にぼくの作曲法は、複雑なコード進行に対してメロディーは別のレイヤーにあって、奇をてらわない自然な流れにすることをいつも注意しています。ジョージは複雑なかっこいいメロディーをよく書きましたが、あれは彼にしか出来ないので、ぼくは逆にシンプルなメロディーを心がけています。

マスタープランというのは、例えばアメリカの劇作家の手法で、アイデアをカードに書いて壁に貼り、劇の流れを決めて行くというのがありますが、あれに似ている作業と考えていいと思います。ジョージにとっては、この作業も音の重力の作用のひとつだったと思います。

JT:彼の「リディアン・クロマチック・コンセプト」を端的に要約するとどうなりますか?
本宿:解き明かせばかなり複雑です。彼は他界するまで何度も本を書き直していました。完成することが出来なかったのがさぞかし心残りだっただろうと思います。その反面他人に継がせる気もほとんどありませんでした。理論も作品も天国に持って行くと言っていました。ぼくは彼の理論の授業はアシストしていないので正しく理解しているか疑わしいものがありますが、根底にあるのは先にも述べたように音の重力という概念です。響きがどういう動きを導いて行くのか、心理学的な要因を上手に理論的に解いて行くものとぼくは理解しています。

JT:音楽のどういう場面で生かせると考えますか?
本宿:彼の音楽が聴き手の感情に大きく影響を与えるのはまさに「リディアン・クロマチック・コンセプト」の作用です。一般の民衆が共有する「価値観」に直接呼びかけるものと信じます。こういう性質のせいか、中には「リディアン・クロマチック・コンセプト」を新興宗教かなにかと勘違いして忌み嫌う輩(やから)もおります。面白いですね。




JT:Living Time Orchestraとは?
本宿:ジョージ・ラッセルのツアー・ジャズ・オーケストラで、メンバーの半分はアメリカ人、もう半分はイギリス人。主な活動はヨーロッパでした。イタリアではパット・メセニーやチャーリー・ヘイデンが観に来てくれたのが忘れられません。

JT:ジョージの人間性はどうでしたか?
本宿:ぼくが入学した頃、彼が若かった頃はともかく怖い人でした。演奏が気に入らなければ出てけって怒鳴るわけです。あれはいい勉強になりました。学生は勉強しに学校に来ている、なんて彼には関係ないわけです。自分の曲をちゃんと演奏できない者はいらないのです。彼はヨーロッパでは高く評価されていましたが、アメリカでは有名ではなかったので、そのせいか常に不機嫌でした。ヨーロッパ・ツアーに出ると機嫌が良くなるのです。 そのあと歳をとり耳が遠くなるまで一時期とても穏やかになりました。学生に怒鳴ることも随分と少なくなり、ぼくとしてはちょっと不満だったものです。耳が遠くなってからはまた不機嫌モードに入ってしまいました。フルートの高音が耳に痛いと言われるのがつらかったです。

♪ 曲を書いて官能的にスイングするミュージシャンと演奏していたい

JT:電子楽器や音響についてはどこで修得しましたか?
本宿:シンセ学はニューイングランド音楽学院で授業を受け興味を持ち始めました。それと、フルートだけでサックスを吹かないと人並みに扱ってもらえない、でもサックスを吹くとフルートの音が変わっていやだ、ということから渡米直後にヤマハWX7を購入してシンセの道に入りました。また、コンピュータは自分には向かないと思い込んでいたのですが、1988年に自分のビッグバンドを結成してボストン近郊のジャズクラブに出演するようになって、集まるミュージシャンによってしょっちゅう譜面を書き換えなければいけないことからやむなくMacとフィナーレを購入。以後コンピュータが趣味になるほど入れ込んでいて、プログラムを書いたりしています。

JT:クラシック方面での活躍は?
本宿:日本でろくに勉強もしていなかったクラシック音楽ですが、アメリカはクラシックとかジャズとかまずジャンル分けがない。ニューイングランド音楽学院ではクラシックのアンサンブルでも演奏する機会が多かったり、分け隔てのない環境で随分楽しく勉強しました。ところが、1997年にボストンの名門、ジョーダン・ホールで自作の現代曲を演奏した時になんと一瞬メモリースリップ(一瞬譜面が思い出せなくなる)。あまりのショックでクラシック音楽演奏はピッタリやめてしまいました。ジャズの場合間違ったら同じ間違いを3回以上連続で演奏すれば間違いに聴こえないという特典があるので、楽な道を行って楽しもうと決めたのです。

JT:オーディオ方面での活躍は?
本宿:機械好きであることと、どうもヒトより耳が少し良いらしいので、お気に入りのMetric Haloの機材4台で録音の仕事やミックスの仕事などをしています。クラシックのバックグラウンドがあるので、古典音楽のグループなどの仕事が多いです。2009年までは自分の録音スタジオもあったのですが不況で今はコンサート会場や教会などに機材を持ち込んで録音の仕事をしています。

JT:夢を語って下さい。
本宿:日本語で自分の事を書くのにすごく抵抗があるんですが、ぼくは自分の作曲する曲、編曲のアイデア、または自分でまとめるアンサンブルのサウンドにかなりオリジナリティーがあると信じています。ビジネス的才能が皆無ですのでなかなか多くの人たちに聴いてもらえないのがいつも悩みの種です。だからいつもビジネス面を面倒見てくれる人が現れないものか、というのが夢です。自分としてはただただ曲を書き、エキサイティングなミュージシャン達と演奏だけしていたい、というのが本音です。いい歳をしてなにを言っているのだろうと思うこともよくありますが、官能的にスイングするミュージシャン達と演奏するのは、ぼくにとってこの世の最高の贅沢なのです。

* 来日ツアー・スケジュール
JT Hot Line(国内ニュース)を参照下さい。
または;http://anonemusic.com/jp-tour-2013

Discography:
リーダーアルバム
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参加アルバム:
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FIVE by FIVE 注目の新譜


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追悼特集
ポール・ブレイ Paul Bley

FIVE by FIVE
#1277『大友良英スペシャルビッグバンド/ライヴ・アット・新宿ピットイン』(ピットインレーベル) 望月由美
#1278『David Gilmore / Energies Of Change』(Evolutionary Music) 常盤武
#1279『William Hooker / LIGHT. The Early Years 1975-1989』(NoBusiness Records) 斎藤聡
#1280『Chris Pitsiokos, Noah Punkt, Philipp Scholz / Protean Reality』(Clean Feed) 剛田 武
#1281『Gabriel Vicens / Days』(Inner Circle Music) マイケル・ホプキンス
#1282『Chris Pitsiokos,Noah Punkt,Philipp Scholtz / Protean Reality』 (Clean Feed) ブルース・リー・ギャランター
#1283『Nakama/Before the Storm』(Nakama Records) 細田政嗣


COLUMN
JAZZ RIGHT NOW - Report from New York
今ここにあるリアル・ジャズ − ニューヨークからのレポート
by シスコ・ブラッドリー Cisco Bradley,剛田武 Takeshi Goda, 齊藤聡 Akira Saito & 蓮見令麻 Rema Hasumi

#10 Contents
・トランスワールド・コネクション 剛田武
・連載第10回:ニューヨーク・シーン最新ライヴ・レポート&リリース情報 シスコ・ブラッドリー
・ニューヨーク:変容する「ジャズ」のいま
第1回 伝統と前衛をつなぐ声 − アナイス・マヴィエル 蓮見令麻


音の見える風景
「Chapter 42 川嶋哲郎」望月由美

カンサス・シティの人と音楽
#47. チャック・へディックス氏との“オーニソロジー”:チャーリー・パーカー・ヒストリカル・ツアー 〈Part 2〉 竹村洋子

及川公生の聴きどころチェック
#263 『大友良英スペシャルビッグバンド/ライヴ・アット・新宿ピットイン』 (Pit Inn Music)
#264 『ジョルジュ・ケイジョ 千葉広樹 町田良夫/ルミナント』 (Amorfon)
#265 『中村照夫ライジング・サン・バンド/NY Groove』 (Ratspack)
#266 『ニコライ・ヘス・トリオfeat. マリリン・マズール/ラプソディ〜ハンマースホイの印象』 (Cloud)
#267 『ポール・ブレイ/オープン、トゥ・ラヴ』 (ECM/ユニバーサルミュージック)

オスロに学ぶ
Vol.27「Nakama Records」田中鮎美

ヒロ・ホンシュクの楽曲解説
#4『Paul Bley /Bebop BeBop BeBop BeBop』 (Steeple Chase)

INTERVIEW
#70 (Archive) ポール・ブレイ (Part 1) 須藤伸義
#71 (Archive) ポール・ブレイ (Part 2) 須藤伸義

CONCERT/LIVE REPORT
#871「コジマサナエ=橋爪亮督=大野こうじ New Year Special Live!!!」平井康嗣
#872「そのようにきこえるなにものか Things to Hear - Just As」安藤誠
#873「デヴィッド・サンボーン」神野秀雄
#874「マーク・ジュリアナ・ジャズ・カルテット」神野秀雄
#875「ノーマ・ウィンストン・トリオ」神野秀雄


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