#  266

リヒャルト・シュトラウス《影のない女》
2010年6月1日 @新国立劇場
reported by 佐伯ふみ

企画:若杉弘
芸術監督代行:尾高忠明
指揮:エーリッヒ・ヴェヒター
合唱/管弦楽:
 新国立劇場合唱団/東京交響楽団
演出・美術・衣装・照明:
 ドニ・クリエフ
キャスト:ミヒャエル・バーバ(皇帝)/エミリー・マギー(皇后)/ジェーン・ヘンシェル(乳母)/ラルフ・ルーカス(バラク)/ステファニー・フリーデ(バラクの妻)他
photo:(C) 林喜代種

 2010年6月1日、新国立劇場で《影のない女》を観た。5月20日のプレミエから計5回上演の最終日である。演出・美術等を一手に引き受けたドニ・クリエフが、簡潔で美しく、意味深い舞台を創りあげ、上に挙げた5人の主要キャストがすべて水準以上の歌唱で、見ても聴いても楽しく、非常に見応えのある公演だった。オーケストラは、リヒャルト・シュトラウス独特のあのほとんどエロティックな陶酔感、あふれんばかりの豊穣な響きにはあともう一歩と感じたが、くっきりと作品の輪郭を描きだし、場面ごとの意味を明瞭に伝えようとする意志が感じられる、好感のもてる演奏だった。
 この作品は第一次大戦中にホフマンスタールによって書き上げられ、1919年にウィーン宮廷歌劇場で初演されたもの。モーツァルトの《魔笛》の精神を引き継ぎ発展させるオペラとして構想されたもので、象徴に満ちた難解な筋書きと、主要キャストに要求される超絶技巧のために、日本ではこれまで上演の機会は多くなかった。1992年のバイエルン国立歌劇場来日公演で市川猿之助が演出を担当し話題となったことは記憶に新しいが、それも含めこれまで数回しか上演されていない。今回は、故・若杉弘の企画によって、ついに新国立劇場が新制作による上演に踏み切ったという話題の舞台である。
 全3幕のあらすじ:霊界の王カイコバートの娘は皇帝と結婚し皇后となったが、人間ではないため影がなく、子供を産めない。このままでは皇帝が石と化すと告げられた皇后は、乳母とともに人間界にくだり、染物師バラクの妻から影を奪おうとする。バラクの妻は結婚生活に不満で、子を望むバラクに抵抗しているのである。乳母の誘惑に負け影を手放そうとする妻。しかし皇后は染物師夫婦が争うのを見て良心の呵責を感じ、ついに影を奪うことを断念。その瞬間、皇后は影を得ることができ、二組の夫婦は真実の愛に目覚める。
 キャストのうち特筆すべきはやはり「バラクの妻」を演じたソプラノ、ステファニー・フリーデだろう。第2幕の終盤、バラクに向かって苛立ちと不満をぶちまける場面の、ほとんど咆哮とも言っていい声は、このオペラ全体の印象を決定づけるほどのインパクトがあった。オーケストラがその声で火をつけられ、一瞬、抑制を捨てて燃え上がったように感じられた。生のオペラの上演に接する醍醐味を感じた瞬間である。

 この上演のもう一つの主役は、ドニ・クリエフの創意に満ちた舞台美術だろう。無理なく合理的でありながら意外性を失わず、次はあの装置をどう使うのだろうという興味が最後まで失われなかった。お伽話であることを表現するチャーミングな造形と色合いは、この長丁場のオペラを最後まで飽きさせずに見せた原動力と言える。場面に応じて、森の木々や街の城壁を表した、高さのある可動式装置を、正確・迅速に動かすのは難しい作業だったろう。カーテンコールでは、熱演の歌手たちだけでなく、20数人は居たであろう舞台スタッフの健闘にも拍手を送りたい気がした。
 ただ、少しだけ注文をつけるとすれば、前半の幻想的な場面で登場する、皇帝の馬や狩の犬などを表す繊細な小道具はとても洒落ていたが、2階の離れた客席では、背景に埋もれて見づらかった。また第2幕の目まぐるしい場面転換では可動式装置がフルに活用されて面白かったのだが、動きが多くなった分、スタッフたちを黒子としてわざと見せたいのか、それとも隠したいのかが判然とせず、中途半端に感じられた。ただこれも、高水準の舞台ゆえに、逆に惜しいという気がした程度である。
 最後に、このオペラのストーリーについてひとこと。これにはさまざま解釈があるが、第一次大戦という時代背景の中で構想された、一種の生命讃歌、人間愛を訴える寓話であることは確かに理解できる。ただ、プログラムで岡田暁生氏が指摘するように「一つの時代相――ヨーロッパ世界を根底から覆すことになる大戦争――の中で聴いて初めて、そこにある種の苦い感動を見出すことが出来る、そんな作品」であることも確かだと思う。現代の日本でこの作品に触れる聴衆、特に女性たちは、この物語をどう受け止めるのだろう? オペラの筋立てにこういう問いかけを持ち込むのは無粋なことは承知だが、少なくとも筆者にとっては、子供を生む・生まないというテーマ、しかもそれを「愛」の問題として扱うこの物語に、共感や感情移入をすることは難しかった。初演時にシュトラウスやホフマンスタールがこの作品に託したメッセージとは全く異なる感情を、観る者に喚起しかねない、きわどいテーマだと思う。彼らがいま、この時代に生きていたら、どんなオペラをつくるだろう? そんなことにも思いを馳せる、興味深い舞台であったことは確かである。

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