#  271

第26回INTERNATIONAL FESTIVAL MUSIQUE ACTUELLE VICTORIAVILLE



May 20 -23, 2010 カナダ・ケベック州ヴィクトリアヴィル
ブルース・リー・ギャランター
Bruce Lee Gallanter/Downtown Music Gallery NYC
http://downtownmusicgallery.com/Main/index.htm

All photos:Martin Morissette (courtesy of FIMAV:Festival International de Musique Actuelle de Victoriaville)




♪ 今年のVicto行きは“賭け”だった

 毎年恒例のVictoニュー・ミュージック・フェスティバルには1988年以来欠かさず参加している。そもそもは、Fred Frithにそそのかされて、カナダの冬の到来を告げる10月(当時はこの時期に開催されていた)にケベックまでのドライヴに同乗したのが事の始まりだった。ひとりで出掛けた最初の年はフランス語もできないくせにたちまちのうちに友達ができた。年を重ねるうちに同行者も増え、ここ数年は6人連れで出掛けるようになり、この素晴らしくユニークなアヴァンガルド/プログレッシヴ/ダウンタウン・ミュージック・フェストを楽しんでいる。出演するミュージシャンやバンドの傾向やリストは毎年変わるので、われわれは創始者のMichel Levasseurと彼のアドヴァイザーを信じる以外に手はない。しかし、出演するミュージシャンに失望したことはほとんどなく、これまで出掛けた20回のフェスティバルで500ユニットは聴いていることを考えると、これは驚くべき確率だといえる。
 しかし、今年は様子が違った。発表されたラインナップを見てこれは大きな賭けになると踏んだ。まず頭に浮かんだのは、Michelの家庭の問題と改めて組織を再編する必要から、Victoが2009年度は開催を中止している事実である。我が友人たちによれば、その前年のVictoフェス2008はここ4、5年で最高の年だったということだ。Art Bears Songbook、Fred FrithのCosa Brava、John ZornのDreamers、それにジーン・デロームのExtended Ensembleの圧倒的なパフォーマンス。これに拮抗するのは並大抵ではない。一方ではいつまでも続く世界不況。毎年無休を誇る我々の出足も鈍るというものだ。今年はもうひとつ難題が加わった。開催期間の短縮。
1日とはいえ、4コンサートの減少を意味する。これに頭を悩ました輩もいたようだが、我が一隊はものともしなかった。1日ゆっくり羽を延ばしたのだ。紙面で見る限りラインナップはそれほど魅力的ではなかったので、常連客の多くは今年はパスを決め込んだようだ。しかし、結果は彼らの見込み外れに終わった。もっともフェスティバル自体も収入減を喰らうことになってしまったのだが。自分はといえば、Michelらに賭けた。何といっても過去彼らにほとんど肩すかしを食わされたことがなかったのだから。もっとも、今年は地元のケベックやその他のカナダのミュージシャンが多く、数少ないビッグ・ネームのなかではビル・ディクソンが主役、という状況ではあったのだ。だから、今年は自分の同行者も少なかった。ジェイソンにヒラリー(彼女のVictoデビュー)、それにエリックの3人だけという有様。自分はヒューゲットというVicto在住の女友達の家に寄宿し、一緒に多くのギグを楽しんだ。L’Obliqueレコードのリュックに会うためにいつもより近場のモントリオールに舵を切り、仲間のチャールズ、キャシー、ドン・ホワイト、それにリュックを交えてLa Casa Rosaでディナーを楽しんだ。しかし、長旅で疲れ果てたのと、水を飲まずにコーヒーをがぶ飲みしたせいで、いまいち気分の優れないままフェスの初日を迎えることになってしまった。

♪ 初日:5月20日

1.「Nabaz Mob」
 5月20日のファースト・セットはJean-Jacques BirgeとAntoine Schmittのデュオによる「Nabaz Mob」だった。Birge氏は初期のVictoフェスに出演した素晴らしいプログレッシヴ・トリオ、「Un Drame Musical Instantane」のメンバーだった。演奏は2部に分かれていた。前半は、エレクトロニクスと無線伝送の奇妙なサンプルを使ったインプロヴィゼーション。内容は面白い部分もあったが、それほど魅力的ではなかった。後半のステージには6個のライトをトライアングルに取り付けた100体くらいのオモチャのバニーが登場したのだが、バニーの耳が上下するたびに密やかなエレクトロニックな音を発するのだ。ラインやパターンがゆっくり変化していくので、視覚的にもなかなか魅力的だった。音楽はといえば徐々に変化していき、静かで催眠的で、「ソフトマシーン」の3作目の<Out-Bloody-Rageous>のあの出だし、オルガンのループが脳をやさしくマッサージし寝かし付ける、を思い出させるものだった。面白かったがそれほどダイナミックではなかった。

2.「Land of Kush」
 次のセットは、ケベックの24人のミュージシャンをフィーチャーしたサム・シャラビの「Land of Kush」だった。シャラビ氏のパフォーマンスは今までいろいろ聴いてきた昔からのファンなので、このセットには何よりも期待が大きかった。「ランド・オブ・クシュ・オーケストラ」の編成は、5人の女性ヴォーカリストにウード、ドゥドゥク、ズルナ、ダルブッカ、ハープ、ストリングス、リード、エレクトロニクス、シンセ、それにパーカッションという風変わりなものだった。楽曲は長大なもので、多くのセクションで構成されていた。5人のヴォーカリストはそれぞれ異なるセクションでフィーチャーされていたが、各々が印象的でユニークで、ほとんどがこの長い発展的なセットのハイライトをなすものだった。セットが始まる前にいわくありげな白黒フィルムが流されたが、エレクトロニクスの活用と相まって非常に効果を上げていた。全曲を通して非常に催眠的な中東のグルーヴが貫いており、これが長い曲をまとめる役割を果たしていた。さまざまなミュージシャンがソロをとったがそれぞれがひとつの枠の中で見事にフィットしていた。ひとつ不満があるとすればところどころでサウンドがやや滑らかさを欠いており、曲自体もやや長過ぎたきらいがあることだ。繰り返しになるが、最後の方では私の気分があまり優れなかったことも事実である。彼らのCDについては最近のニュースレターで私自身のレヴューを掲載しており、とても素晴らしい内容だったのでできれば目を通してみて欲しい。

3.「Vialka」
 疲れのため当夜の最後のセット「Vialka」を聴くことはできなかったが、とても良い演奏だったようである。批評が良かっただけにミスしたことがつくづく悔やまれる。今となってはせんないことではあるが。

♪ 2日目/5月21日

1.「Alexis Bellavance/Nicolas Bernier/Erick D-Orion」 TRIO

 翌日、5月21日は、Alexis Bellavance、Nicolas Bernier、Erick D-Orionというケベックのエレクトロニック・ミュージシャンのトリオで始まった。トリオは、Coliseeにある小振りなスペースの中央に置かれたテーブルを演奏台とし、観客は彼らを取り囲む形を取った。それぞれのミュージシャンが操ったのはコンピューター、サンプラー、ダクソフォン、その他のノイズ発生装置だった。彼らが、テーブルトップ・ギターやピッアップ付きの小型のシンバル、ブラシ、バード・サンプルなどを使って柔らかなフィードバックからスタティックなレイヤーを重ねた爆発的なエレクトロニクスに展開したやり方は好感が持てた。我々の身近にいた大男のミュージシャンがマイクロフォンを握って床をこすったり叩いたりしたが、その音はまるでわれわれ大人が失ってしまった無邪気さで子供たちが発する音やノイズのようだった。

2.「Eric Normand Ensemble」
 電気ベースとエレクトロニクスを演奏するEric Normandが次に登場するアンサンブルを率いた。彼らもまたケベックのグループである。編成は、2ヴァイオリン、1チェロとドラムス、そして下手に彼の電気ベース。書き譜とグループ全体の演奏は説得力にあるものだったが、Normand氏自身の演奏が他のアコースティックな楽器と必ずしもフィットしているとは思えなかった。Normand氏は間違いなく優れたベース奏者で、eボウ(電気弓)やファズを使って面白いやり方でカラリングを施していたが、氏自身のどの演奏よりもストリングスとパーカッションの演奏に及ばない場面が多かった。

3.「Les Filles Electiriques」
 次のセットは「Les Filles Electiriques」というケベックの8人のマルチ・メディア奏者からなるユニットだったが、私がもっともうんざりしたセットだった。最後に、Alexis O’haraとD.Kimmの女性ヴォーカル・デュオによる「Mankind」を聴いたが、これは私が体験したVicto史上最悪のセットだった。
演奏は楽しくなく、行方が定まらず、聴衆の多くの男性を悩ましたように思えた。かの「Les Filles Electirques」でさえ今年のセットの中ではまだましに思えてくるから不思議だった。楽しみ方もさまざまで、考えさせられる点も多々あった。オハラ女史は花嫁衣装をまとっていることが多かったが、彼女は花嫁衣装を使って祭壇にひとり取り残された花嫁にまつわる当惑、期待、その他の感情を想起させた。セクションによって役割を変えスイッチするひとりのミステリアスなダンサーが登場した。あるセクションではFortner Andersonと名乗る語り部が登場したが、この男は英語で囚人であることを長く不明瞭な言い方で語り、何日も何ヶ月も拘束された悲惨な体験をとうとうと語るのだが、非難すべき相手の名前が明かされる事はついになかった。Bernard Falaise(ギター)とMichel Cote(パーカッション)の手になる音楽は暗く、静かなものだったが、複数の語り部を見事に描き分けていた。Khyroと名乗る他のヴァオーカリストはフランス語のラッパーで、カナダ政府に対する不満の長広舌を吐き出して聴衆を沸かせていた。英語をしゃべるKimm女史は僕の神経を逆撫でし、語るべき内容はなかった。我がパートナーのHuguetteはAlexis女史のフランス語の語りを楽しんでいたが、私には理解できなかった。彼女が楽しんだ内容のひとつはカップルの水平的あるいは垂直的な見方の違いであった。

4.「Aun & Michel Langevin」
 次のセットも「Aun」とMichel Langevinをフィーチャーしたとても期待度の高いものだった。「Aun」というのは、ギターとエレクトニクス担当のMartin Dumasと、ヴィデオとシンセ担当のJulie Leblancによるデュオ。Michel Langevinは「Voivod」というデス・メタルの先駆バンドの火の玉ドラマーで、Martin Dumasは多弁な早弾きギターで圧倒的なパワーを発揮していた。Langevinのドラミングは実に驚異的で、爆音を轟かせながらバランスの取れた演奏をする。ドラマーだけで人心を掌握するのはきわめてまれなことだが、それこそLangevinのプレイの真骨頂なのだった。

5.「Lydia Lunch」
 かつての「No Wave」の歌姫的存在で反抗的なパフォーマーであるLydia Lunchは前向きのVicto Festには不似合いに思えたが、魅惑と嫌悪を併せ持ったオーラを発しうまくはまっていた。Lydiaは、フランス人の強力なターンテーブル奏者Philippe Petitと彼女独特の幻惑的なモノローグを語っていた。私は30年近くさまざまなバンド(Teenage Jesus、Eight Eyed Spy、solo rants、直近ではNels Cline)を通じてMs.Lunchをチェックしてきたが、裏切られたことは一度もなかった。彼女は、マスター級のセクシャルな政治と権力を演じる人で、誘惑に対して誰が主人で誰が奴隷であるかを考えさせるパフォーマーである。彼女はわれわれに多くの宿題を残していったのだ。終演近くなって彼女はカナダ人達に向かって壁を作ってアメリカ人たちを阻止するように促した。アメリカの軍隊こそ150ヵ国に700ヵ所の軍事基地を設けている世界のテロリストなんだから、という理由で。Petitは私が長い間聞いてきたターンテーブル奏者のなかで、最高かつ最強のテクニシャンのひとりだと思う。彼は、Lydiaが絶えず振り分けていた気に障る観察に対してとぐろを巻くようなサウンドトラックを繰り出し続けていた。

6.「Les Momies de Palerme」
 当夜の最終セットは、ふたりの若い女性ヴォーカリストをフロントに配したこれまたケベック出身の「Les Momies de Palerme」だった。しかし、私はまたも疲労困憊して余り長くは聞かなかった。かつ圧倒的な極限までのレヴェルに達しているフェスティバルにあっては、歌い手たちのヴォイスがやや単調に過ぎ、かつ心地良過ぎたのだ。おそらくレコードではもっと良いのだろうけど、私の疲れが激しく睡眠をとるために早々に会場を後にしたのだった。

♪ 3日目:5月22日

1.「Music from Norway」

5月22日、土曜日はVictoフェストの中でも素晴らしい6セットが組まれていると思われたが、実際は予想以上の内容だった。最初のセットは、クラリネットのXavier Charles、電気ギターとバンジョーのIvar Grydeland、ピアノとハーモニュウムのChristian Wallumrod、そしてパーカッションのIngar Zachというノルウェーとフランスのミュージシャンからなる静かだが集中力に富んだ強力なカルテット。XavierとIngarはいくつかのセットでVictoで演奏経験があり、一方、WallumrodはECMに多くの優れたアルバムを残している。このセットでは、ソロが極端に限定されていた。Derek BaileyやJaap & Rhodri Daviesらと共演経験があり、Sofaなどのレーベルに何枚かのアルバムもあるIngar Zachは、傑出したパーカッショニストのひとりである。彼はティンパニと小型のパーカッションを演奏したがミニマリスティックな音場に適格にアクセントを付けていた。このセットの過半はアコースティックでGrydelandのギターもこれまた抑制力の効いた内容だった。

2.「Charlemagne Palestine & Perlonex」
 Charlemagne Palestineはニューヨークで育った伝説的なキーボード奏者で作曲家でもあるのだが、地元で演奏する事はほとんどない。また、ソロ・コンサートで知られているが、コラボレーションをすることはほとんどない。出演機会がまれな上に、この日はドイツからきた「Perlonex」というトリオと共演したのだ。「Perlonex」というのは、ターンテーブルとエレクトロニクスのIgnaz Schick、電気ギターとエフェクトのJoerg Maria Zeger、それにパーカッションとエレクトロニクスのBurkhard Beinsからなるトリオ。Charlemagneは間違いなく傑物である。傍らに置いた大量の詰め物をした熊の肉をつまみながら大きなグラスでコニャックを空けているのだ。陰影に富んだドローン、ターンテーブルの弓弾き、シンバルをこすり、パーカッションのソフトな扱い、加えてPalestineが中央でコニャック・グラスをこすって柔らかなドローンを生み出す、こうして音楽は静かに始まった。4者が創り出したのは豊かだがきわめて陰影に富んだコスミックなドローンで現出した魅惑的な異界の夢想の世界。音は徐々に組み上げられついにはゴングのような宇宙に昇り詰めていく、そして我々は彼らに導かれて星の世界へ旅立つ。やがて我々は暴力にも近いさらに強力なAcid Mothersに移動して行き、最後はソフト・ランディングのために母なる地球に戻っていく。

3.「International Quartet」
 次は、Jim Denley(オーストラリア出身のアルトサックスとフルート担当)、Philippe Lauzier(ケベック出身のヴィオラ・ダ・ガンバ奏者)、Pierre-Yves Martel(ケベック出身のバス・クラリネットとアルトサックス奏者)、Kim Myhr(ノルウェー出身のテーブル・トップ・アコースティック・ギターとデヴァイス担当)からなるインプロ演奏のカルテット。彼らは共演経験のない出自の混じったカルテットであることを考えると非常にまとまりの演奏をしたと思う。リードのJim Denleyについては、Machines for Making SenseやStevie Wishartと演奏している頃から良く知っていて、ずっと注目してきた。彼は、サックスやフルートに風船や様々なアタッチメントを付けてユニークだが奇妙な音を出す独自の方法を編み出した。ヴィオラ・ダ・ガンバはルネッサンス時代の楽器で、底の丸い小型のチェロのような形をしている。Lauzier氏はペーパー・クリップなどの小物を使う独自の方法でそれを演奏する。翌日には自身のオーケストラを率いて出演したKim Myhrは、テーブルの上に寝かせておいた12弦ギターを演奏した。テーブルには小型の扇風機や弓が1本置かれていた。このカルテットは時にきわめて静かに、そしてそれぞれの音を確かめ会うように念入りに演奏した。全体的にはhypnoticで別世界の音のような感じだった。時には、何隻かの船が遠く離れながら異なる音色の霧笛を鳴らし合うような感じを生み出した。この4人の奏者は誰ひとりとしてそれぞれの楽器でその楽器本来の音を出したことはないのだった。友人のEricによれば、奏者のなかには余りにも異質な音を出そうと意識し過ぎているということだが、音楽は一貫して魅力的だったので私自身はその点は気にならなかった。

4.Barre Philips/ Catherine Jauniaux/ Malcolm Goldstein TRIO
 次のセットは全フェストを通じた私の最高のお気に入り、アコースティック・ベースのBarre Philips、ヴォイスのCatherine Jauniaux、ヴァイオリンのMalcolm Goldsteinからなるトリオ。このセットは完全なアコースティックでそれ以外には何も援用しないのだが、本当に素晴らしかった。最高にマジカルで、音楽は有機的に流れた。Barre Phillipsはずっと昔から私のお気に入りのコントラバス奏者で、なにしろ1970年のジョン・サーマンとのトリオ・アルバム以来のファン。もちろん、それ以外にも何十枚も聴いている。Phillips氏は今年の始め、マンハッタンの私の店DMG(Downtown Music Gallery)でもソロを演奏してくれたのだ。彼が店に来てくれたのは本当に光栄だった。
Catherine Jauniaux は古い友人で、彼女が亡くなったトム・コラと結婚したNY時代のことまでよく覚えている。ずっと僕のお気に入りだが悲しむべきかな録音の機会に恵まれているとはいえない。去年、BarreとNed Rothenbergのトリオで素晴らしいアルバムを制作したが、これもまったくの久しぶりのこと。Malcolm Goldsteinは作曲家としてより知名度が高いが、彼が素晴らしい即興ヴァイオリニストでもあることがよく分かった。一度ナマで聴いたことはあったのだが、すでに20年が経っている。Malcolmが高音部に立ち、Barreが低音部を支え、Catherineがとても魅力的なヴォイスと表現力で中間部を行く、という僕にとっては完璧なトリオだった。Catherineの声域はエディット・ピアフ的なところから小鳥のさえずりのようなところまで。僕は、ハイ・レヴェルなところで会話を交わしながら、恐れを知らない仲間だけが同行を許される内なる旅へ連れって行ってくれる完璧なトリオだとずっと考え続けていた。

5.ビル・ディクソン 死の数ヶ月前の最終公演:「Bill Dixon & Tapestries for Small Orchestra」

今回のフェスの最大の聴きものは、間違いなく、ビル・ディクソンのアンサンブル「Tapestries for Small Orchestra」だった。2009年にFirehouse 12レーベルからリリースされたディクソン氏の3枚組アルバムは同年の最高かつ最も重要な作品のひとつだった。このアンサンブルはディクソン氏の夢のユニットであり、フェスティバルにとっても然り。Victoフェスという由緒あるステージに彼はこの素晴らしいユニットを持ち込むことを実現した。これが彼らにとってただ一度の演奏機会だった。ディクソンは4人のトランペッターをピックアップしたのだが、すべてマスター級のブラスマンで、Taylor Ho Bynum、Graham Haynes、Rob Mazurekによるコルネット、それにStephen Haynesのトランペット。他のメンバーは、クラリネットのMichel Cote、チェロのGlynis Lomon、コントラバスのKen Filiano、そして、ヴァイブ、マリンバ、パーカッションのWarren Smithnという布陣。レコーディングでは、ディクソン氏自身のトランペットとエレクトロニクスがメイン・ソロイストとしてフィーチャーされていた。ディクソン氏はゆっくりとステージへと歩を進めたが、どこか弱々しそうに見えた脆弱な形態。彼が体調を崩していると噂は耳にしていたが、この素晴らしいアンサンブルを率いて的確な指示を出し素晴らしい出来だった。
バンドは、下手側(左手)に4人のブラス・セクション、上手側(右手)にストリングスとリード、中央奥にWarren Smithのパーカッションが陣取った。
トランペット・セクションの最年少奏者Taylor Ho Bynumが最初のソロを取った。各トランペッターが順次ソロを取ったがそれぞれが非常に特徴があり、ユニークな技巧を披露して競い合った。ひとりのトランペッターがソロを取っている間、他の3人は彼の周囲で考え抜かれたハーモニーを創り出した。奇妙に思えたことは、ディクソン氏も客席に背を向けながら2度ソロを吹いたのだが、 そのソロは予めテープに録音したものを再生したことだった。しかし、このソロも音楽の流れに完全に沿った見事なものだった。チェロ、ベース、パーカッションから成るリズム・チームとクラリネットも時に応じて思いの丈を披露し、印象に残った。このセットは全体としてモダン・ジャズとコンテンポラリー・クラシックの融合。この演奏は間違いなく記録されており、信じ難い瞬間と素晴らしいアイディアの集積には貴重な時間が費やされているだけに近い将来公開されることを望みたい。

6.「Causing a Tiger」
 当夜の最終セットは、Shazad Ismaily (b/g)、Matthias Bossi (ds/p)、Carla(vln/vo) から成るCarla Kihlstedの新プロジェクト「Causing a Tiger」だった。じつは、このトリオは、今から少し前のことだが、彼らのツアーのスタート時にストーンで見ており、初めのセットはかなり甘くかつ退屈であると感じていたのだ。これが(6バンドが出演した)当夜の最終セットであり、真夜中にスタートしたことを考えると、そろそろ潮時かなとひとりごちそうになっていたのだ。しかし、Carlaの昔からのファンで友人でもあるので、腰を落ち着け直したのだった。Two Foot Yard や、Sleepytime Gorilla Museum、the Art Bears Songbook、Frith’s Cosa Brava と共演するCarlaにはノックアウトされてもいたのだ。このバンドは、Carla、Shazad、Matthiasの前歴のバンドの最良の部分がブレンドされており、新しさもあり刮目させられたのだ。(startling) Carlaによれば、歌詞はすべて僕には馴染みのない15世紀あたりの詩人の作品から取られているということである。音楽は、どちらかというと暗く、ムーディで、贅肉が落ち、強力かつ求心力があり、じつに魅力的だった。Carlaはヴォイスとヴァイオリンと使ってわれわれを誘惑し、手に汗を握らせた。
Shazadはギターとベースを巧みに使ってテクスチャを織りなし、Carlaとドラムスとの間に完全な対位点を造り出した。Sleepytime とCosa Bravaとも共演経験のあるMatthiasはたいしたドラマーである。彼は出処進退をしっかりわきまえているのだ。Matthiasは2曲で強力なエレクトリック・ピアノを演奏した。Causing a TigerはVictoレーベルにスタジオ録音の新作を制作したようだが、僕はまだ聴いていない。近々、DMGでも扱うことになろう。このセットは、Victoマラソンともいうべき素晴らしくもチャレンジングな1日を締めくくるにはもってこいのセットだった。

4日目:5月23日

1.International Sextet
 ここ何年で初めてのことだが、日曜日が最終日となり、さらに素晴らしい5セットが追加された。最終日の最初のセットは各国のメンバーで結成されたインターナショナルなセクステットだった。編成は、Jacques Demierre(p)、Urs Leimgruber(ss/ts)、Charlotte Hug(vla,voice)、Francois Houle(cl)、Thomas Lehn(analog synth)、Schurch. Dorothea Schurch(鋸/voice)。6人編成のアンサンブルにしては全体的なサウンドが極めて抑制されたものでロウア・ケース・ インプロヴィゼイション*(註)のヨーロッパ版に近いと聴いた。サウンドが徐々に形成されていくに従って、各々のメンバーが全体像に加わっていく感じ。僕は、Ms. Schurch以外のメンバーとは全員面識があり、Konk Packと共演するThomas Lehnは1、2ヶ月前に聴いたばかりだし、それ以前にも何度か見聞きしている。Demierreはトニックで聴いており、Hug、Leimgruber、HouleはそれぞれVictoで一度ならず聴いており、またこのトリオでは以前のDMG(註:筆者が経営するマンハッタン・ダウンタウンンのCDショップ“Downtown Music Gallery”)でも演奏してくれた。前にも書いたが、このセットはユーロ・ロウアケース・インプロヴィゼイションの最上のもので、求心力が図抜けている。クラリネットのFrancois Houle とピアノのJacques Demierreの演奏はどちらもとてもユニークで、共演する相手やスペースによって対応が違ってくる。Mr. Demierreはかなりピアノの内部奏法にこだわり、また鍵盤の特定に音域を集中的に弾いたりする。彼は極めてユニークなミュージシャンであるのに、何故か過小評価されているのだ。インプロのコンテクストで鋸(ノコギリ)を演奏するのはきわめて稀で、30年程も前に聴いたCharles Novesが頭に浮かぶくらいだ。Mr. Schurchは急がず慌てずミニマル・パターンの中のここぞという場面でたまにノコギリとヴォーカルで演奏に参加するのみ。Charlotte Hugはかなりダイナミックなヴィオラ奏者だが、当夜は以前にも増して集中力を持って演奏していた。Ms.Hugは、はたしてその声が彼女が発しているのかどうか分からない風変わりなやり方でヴォイスを活用していた。アナログ・シンセのThomas LehnはかつてKonk Packなどのバンドでダイナミックな演奏を聴いたことがあるが、ここではトーンダウンしミニマルな音景に見事に溶け込んでいた。僕にとっての新しい発見は、わずか2週間後に、Demierre, Hug それに LeimgruberがElliot Sharp(el-g)とのツアー最終日にThe Stoneで演奏するのを聴いたことだった。そこでのセットはぐっと極端で強力だったが当夜と同じように素晴らしかったのだ。つまり彼らは情況に応じて演奏すべき内容と方法を熟知したミュージシャン達なのである。
*筆者 註)
Lower-case improv:「ロウア・ケース・インプロヴィゼーション」とは、非常に抑制を保った演奏、あるいは、静寂や空間を積極的に活用する新しいスタイルの演奏をいう。Erstwhile レーベル (米)や Another Timbre レーベル(英)がこの種の音楽を専門にリリースしている。Radu Malfatti (トロンボーン/作曲)は、リスナーに注意深く耳を傾けさせるという点でニュー・ミュージックにおける最も重要な展開であると発言しているが、ある意味で正鵠を得ているとはいえよう。

2.「Kim Myhr Jazz Orchestra」
 次のセットもまた啓示的ではあった。ノルウェーからやってきたKim Myhr & Trondheim Jazz Orkesterの北米プレミア。これは、Jim Denley(オーストラリア出身のリード奏者)、Sidsel Endresen(ECMからCDをリリースしているヴォイス)、Christian Wallumrod(ECMのピアニスト)、Ingar Zach(Sofa とRune GrammofonにCD録音のある優れたパーカッショニスト)など僕もその名前を承知しているミュージシャンを含む15人編成のアンサンブル。このユニークなアンサンブルは「ジャズ・オーケストラ」を自称しているが、彼らの音楽はいわゆるジャズそのものではない。つまり彼らのサウンドは引き算の音楽とも呼ぶべきもので、ドローンをベントしたり、音符をスライドさせたり、あるいは音符を延ばしたり、縮めたり、時には音を鎮めたりするなどテクスチャはさまざまによじれたものだった。リーダーのMyhr氏はこの沈鬱なストームの真ん中にいてさまざまな小道具と共にテーブルに置かれたギターを演奏していた。誰も自分の楽器を当たり前のやり方で演奏する奏者はいないのだが、音楽は終始求心力を失わず聴衆の耳を逸らす事はなかった。時折り、音楽は昂揚しゆっくりサイレンのような音を発するのだがすぐにまた静寂を取り戻すのだった。彼らの演奏は今回のフェスティバルを通じてベストのひとつであったが、僕らは全員空中に浮かび、雲の中に宙づりになったような感覚を覚えたのだった。

3.「Andy Moor+Anne-James Chaton DUO」
次のセットは先のセットとたいした変わりようだった。Andy Moorは、オランダのパンク/プログレ/エスニック・バンドのThe Ex.のギタリストを長く務めていたミュージシャンである。このセットでのMoorの共演相手はスポークン・ワードとサンプラー奏者のAnne-James Chatonだった。このデュオは強烈、強力だった。Chaton氏はサンプリングしたヴォーカルを巧みに細分化していく。このデュオは平穏な飛行が滑空するようなものだったが、もっとある意味で狂的で密度の高いサウンドが相応しかったのではないか。Moorはエレクトリック・ギターをまるで武器のように扱い、矢継ぎ早にフレーズを繰り出し、乗るべきリズム・チームを欠きながらロック・リフを繰り返すのだった。Chatonは時にアナウンサーがニュースを読むような口調になったが、フランス語が不自由な僕には意味不明だった。セットは徐々にリフが強力になり、ヴォイスは警告を発するような口調になっていった。Chatonはカナダ、あるいはおそらくは世界中の武器製造メイカーのリストを読み上げているのではとの印象を受けた。
Moorがまるで榴散弾のようにタイミングよく野獣の咆哮のようなリフをまき散らし出すと、Chatonはメガホンを取り上げがなり始める時末。セットが終わる頃には僕も昂揚してきたのだが、次に何をイン・ストア・ライヴに招聘すべきか混乱してしまうのだった。ヴィトリアヴィルのミッドタウンのフレンチ・レストランで最後のフェスティバル・ディナーに舌鼓を打ってから、シネマでの最終セットに向かったのだった。

4.「Tanya Tagaq TRIO」
 今年のVictoで賛否両論を引き起こしそうなセットのひとつにカナダの北西域から来た若いイヌイットのシンガー、Tanya Tagaqがいた。Tanyaのトリオは、ヴァンクーヴァー出身のヴァイオリニスト、Jesse Zubotとトロントのドラマー、Jean Martinで構成されていた。イヌイットの喉を使った唱法はより深い伝統にまで遡るのだが、Tanyaは彼女独自のやり方で歌い踊ったのだった。このトリオが過剰ともいえるセットを始める頃にはステージにはマシンによるスモークが不必要な程充満していたのだった。Tanyaは声をよじらせておどろおどろしいエクソシストの悲鳴のような叫びを上げ、身体をくねらせてわめいている。さらには、低い動物のようなうなり声を発し続け、聴衆の中には悪夢を見た者も少なからずいたはずである。低いうなり声はメロディックというよりはむしろリズミックであり、恐怖や不安をかき立てる類いのものだった。それはじつに見ものではあったが、発せられる極限のサウンドに平常心を保つのは困難であったといえる。LaConnorのメンバーでもあるJesseとJeanは間違いなく才能のあるインプロヴァイザーではあるのだが、Tanyaの圧倒的なプレゼンテーションの前ではなす術もなかった。このセットは、スペクタクルを楽しんだ聴衆とややウンザリという聴衆のふた手に意見が分かれたようだった。終演近くなってTanyaがわれわれのトリオをゲテモノと見なさないフェスティバルがあって素晴らしいとコメントした。Tanya Tagaqは、女性、子供、女優、魔術師、シンガーと多くの役割を同時に演じたのだ。友人のエリックの意見は、 ロウア・ケース・インプロヴィゼーションによる抑制された演奏が多いフェスティバルにあってこのような過剰なセットもバランスを取る意味では良かった、というものだったが、それもたしかに核心を衝いてはいた。

5.「Rene Lussier 7 Tetes」
 今年のヴィクトリアヴィル・フェスティバルのトリを取ったのはRene Lussierと彼の新しいバンドだった。Reneはユニークなギタリスト、コンポーザーそしてバンドリーダーであり、僕がこのVictoの初期の頃(80年代中頃)に最初に見出したミュージシャンのひとりである。ReneはかつてFred Frithの「Keep the Dog」と「Electric Guitar Quartet」のメンバーだったことがある。その前は、伝説的なケベックのフォーク/ロック/プログレ・バンド、Conventumの一員だったこともある。Victoの初期の頃以来、Reneはリーダー、コ・リーダー、あるいは共演者として10作以上のアルバムを録音しているが、色合いの違うそれぞれのアルバムがどれも成功しているのである。Lussierは数年毎にコンセプトを変え、あるいはコンセプトの異なるバンドとVictoに出演し続けている。今年のアンサンブルは、クラリネットのLori Freedman、ピアノのMarianne Trudel、ターンテーブルのMartin Tetreault、エレクトロニクスのNancy Tobin、ドラムスのMichel Langevin、それにギターとヴォイス、作曲のReneで構成されていた。プロジェクトの名前は「7 Tetes」あるいは「7 Heads」というものだが、それは単に参加ミュージシャンの数を意味するだけ。 音楽は、Frith的プログレ・ギター・メロディから求心力のあるインプロのレイヤーまであり、アンサンブルの各メンバーに思う存分ソロのチャンスを与えるスタイル。音楽がシリアスになり過ぎるとみるやReneがすかさずちょっとおどけたフレーズやサウンドを加えるというパターン。最良の部分は、デュオやトリオで集中して演奏した時に訪れたが、ドラムスとターンテーブルのデュオが僕がもっともインスパイアされた瞬間だった。Lori Freedmanは素晴らしいクラリネット奏者で、何度かソロを取ったり、彼女独特のやり方で他のメンバーとやりとりしていた。Reneの音楽は、プログレッシヴな書法、ユーモラスな瞬間、泣きのギター、フリーな時もあれば集中するときもある、等々さまざまな要素がうまくブレンドされたものだった。そうそう終演近くなって短いメロディを歌ったりもした。僕らにとってケベックの仲間たちから自然に湧き出る魅力ある音楽でこのフェスティバルを締めくくる申し分のないやり方だった。

♪「FIMAV is BACK!」
 正直なところ、今年のラインナップにはやや懐疑的だったがそれは杞憂に終わった。Michel Levasseurと彼のアドヴァイザーたちにはずっと以前から信頼の気持ちに変わりはない。今年のVictoの聴衆は例年より1/3ほど減少したとのことだが、それ以外ではいろいろな意味で成功だった。途中で退席したり、最初から聴く気も起きないセットは皆無だった。全体的に意欲に燃えたセットが多かったし、以前のようにまったく未知なミュージシャンも多くはなかった。
今後もInternational Festival Musique Actuelle Victoriavilleがいつまでも継続することを望みたい。地球上はもめ事だらけだが、Victoのようなフェスティバルは他には何処にもない。「FIMAV is BACK!」を忘れないで欲しい。皆、また来年会おう。

* ブルース・リー・ギャランターのアーカイヴ:
14回ヴィジョン・フェスティバル
http://www.jazztokyo.com/live-report/v238/v238.html
http://www.jazztokyo.com/live-report/v242/v242.html

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#1279『William Hooker / LIGHT. The Early Years 1975-1989』(NoBusiness Records) 斎藤聡
#1280『Chris Pitsiokos, Noah Punkt, Philipp Scholz / Protean Reality』(Clean Feed) 剛田 武
#1281『Gabriel Vicens / Days』(Inner Circle Music) マイケル・ホプキンス
#1282『Chris Pitsiokos,Noah Punkt,Philipp Scholtz / Protean Reality』 (Clean Feed) ブルース・リー・ギャランター
#1283『Nakama/Before the Storm』(Nakama Records) 細田政嗣


COLUMN
JAZZ RIGHT NOW - Report from New York
今ここにあるリアル・ジャズ − ニューヨークからのレポート
by シスコ・ブラッドリー Cisco Bradley,剛田武 Takeshi Goda, 齊藤聡 Akira Saito & 蓮見令麻 Rema Hasumi

#10 Contents
・トランスワールド・コネクション 剛田武
・連載第10回:ニューヨーク・シーン最新ライヴ・レポート&リリース情報 シスコ・ブラッドリー
・ニューヨーク:変容する「ジャズ」のいま
第1回 伝統と前衛をつなぐ声 − アナイス・マヴィエル 蓮見令麻


音の見える風景
「Chapter 42 川嶋哲郎」望月由美

カンサス・シティの人と音楽
#47. チャック・へディックス氏との“オーニソロジー”:チャーリー・パーカー・ヒストリカル・ツアー 〈Part 2〉 竹村洋子

及川公生の聴きどころチェック
#263 『大友良英スペシャルビッグバンド/ライヴ・アット・新宿ピットイン』 (Pit Inn Music)
#264 『ジョルジュ・ケイジョ 千葉広樹 町田良夫/ルミナント』 (Amorfon)
#265 『中村照夫ライジング・サン・バンド/NY Groove』 (Ratspack)
#266 『ニコライ・ヘス・トリオfeat. マリリン・マズール/ラプソディ〜ハンマースホイの印象』 (Cloud)
#267 『ポール・ブレイ/オープン、トゥ・ラヴ』 (ECM/ユニバーサルミュージック)

オスロに学ぶ
Vol.27「Nakama Records」田中鮎美

ヒロ・ホンシュクの楽曲解説
#4『Paul Bley /Bebop BeBop BeBop BeBop』 (Steeple Chase)

INTERVIEW
#70 (Archive) ポール・ブレイ (Part 1) 須藤伸義
#71 (Archive) ポール・ブレイ (Part 2) 須藤伸義

CONCERT/LIVE REPORT
#871「コジマサナエ=橋爪亮督=大野こうじ New Year Special Live!!!」平井康嗣
#872「そのようにきこえるなにものか Things to Hear - Just As」安藤誠
#873「デヴィッド・サンボーン」神野秀雄
#874「マーク・ジュリアナ・ジャズ・カルテット」神野秀雄
#875「ノーマ・ウィンストン・トリオ」神野秀雄


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