#  290

岡田博美ピアノ・リサイタル『ふらんすPlus 2010』
2010年11月13日(土)  @東京文化会館小ホール
reported by 伏谷佳代/Kayo Fushiya photo by 林喜代種/Kiyotane Hayashi

岡田博美 (pf)

プログラム:
J.S. バッハ (ブラームス編曲): 左手のためのシャコンヌ
ベートーヴェン: ソナタ第21番op.53 「ヴァルトシュタイン」
<休憩>
ルッセル: プレリュードとフーガ (BACHの名による)op.46
ソナティネop.16
組曲op.14
<アンコール>
サティ: ジムノペディ第一番
ダカン: かっこう
サン=サーンス: 左手のためのエレジー

「超絶技巧ピアニスト」としてごく若い時期に数々の伝説を生んだピアニストは、その後どのような変遷をたどるのだろうか。技巧派と呼ばれるピアニストは数あれど、岡田博美はその超人ぶりで群を抜いていた。例えば、バッハの『ゴルドベルグ変奏曲』のうち「何曲目の何小節目から弾け」と言われればどこからでも即座に暗譜で対応できるとか、コンピューター以上に正確な打鍵には寸分のミスタッチもなく、わずかに一箇所音をかすったときには客席から舌打ちの音が漏れた、とか何とか。1983年の第二回日本国際音楽コンクール・ピアノ部門、第一位が岡田博美、第二位が小川典子であった。ふたりとも「バリバリ弾くタイプ」の筆頭だったが、共に80年代に日本からイギリスへ移住し、それぞれが単なる技巧派のレヴェルを大きく超えたところの多彩な持ち味で、確固とした音楽家の地位を築いているのは周知のとおりである。巷によくある「ショパン弾き」とか「ベートーヴェン弾き」とかいう安易なレッテルを寄せ付けない、オールマイティ奏者としての熟成。圧倒的なテクニックは独自の音楽を支えるための完璧な黒子、と断言できる音世界。作品を尊重しつつも「何を弾かせても岡田博美」といえるほどの発展を遂げているようだ。

『ふらんすPlus』と題されたリサイタル・シリーズ。一年に一度の割合で全十回が企画され、2012年で完結の予定だという。今回はその八回目。タイトルが示すように、フランスものをメインに、本人曰く「料理のコースを決定するかのように」プログラムを構成するというもの。弾き手はもちろん聴き手の質が多様化している現在、クラシックの世界ではとりわけ「演出の仕方如何」が問われるだろう。ステージ構成力・練りに練られたプログラム展開・大胆な切り口で分析した新鮮な解釈...。譜面どおりの破綻なき再生ではなく、アーティストの度量・実力・センスが真に測られるべき尺度である。

果たして後半のルッセルを「メイン・ディッシュに」編まれた本日のプログラム、第一部はバッハの「左手のためのシャコンヌ」でスタート。左手のみで弾いているとは信じ難いほどに、見事に分離独立した各部の陰影が小気味良いテンポのなか、粒立ちよく流れてゆく。打鍵に芯があり、ピアニッシモになればなるほど深く美しい。パッセージごとの音色の個性にうまくスライド付けしつつ、要所できれいにハイライトを出す。音響や会場のスタインウェイの属性にも拠るのかもしれないが、一音一音がかなり叙情的に響く調べは、通常のバッハよりも甘め(ロマン派・ブラームスの編曲のせい?)。梃子(てこ)でも動かぬ比類なきテクニックの上だからこそ、ここまでの自由な謳歌が許されるのかもしれない。日本人的な「律儀さ」から脱却したかの、少々意表を突いたバッハ。

続く『ヴァルトシュタイン』。この骨太でスケールの大きな大曲は、そのまま岡田のピアニズムを代弁するかの好選曲。通常はプログラムのメインに位置される曲だが、あくまでコース一皿目なのが憎い。もはやフォルテを用いずとも、音自体のキレの良さで十分な威厳と強度を出す。牧歌的かつ明朗なC調でのスタート、低音部でコードの連なりを神秘的に轟かせ(とどろかせ)つつ、高音部でいかにもスタインウェイ的な硬質音を叩き出してメリハリを出す。第二章、完全に指のみの重力で弾かれたかのような幽玄なるピアニッシモ。アンダンテ部分を経てフィナーレのロンドへ切り替わった瞬間の、バネの効いた「引き締め効果」に唸る。全体的にペダルのかかり具合が良くも悪くも耳についた。時折りペダルさばきが緩慢に感じられることもあったが、意図的なものだったのかも知れない。ペダルを使用しない部分の生(き)の音の美を際立たせるための。ひたすら黒子に徹して楽曲の構造美のみをレリーフしたかのような、ニュートラルな演奏。ゲルマン臭さ薄し。後に続くフランス料理のための、巧妙に臭みを抜いたバランス感覚が光る。

休憩を挟んでいよいよ本日のメイン、アルベール・ルッセル(1869-1937)三曲。こういうあまり演奏されることのない作曲家を取り上げる場合、曲順が命となる。最も「その作曲家らしさ」が露わになる曲でまず聴衆の耳を釘づける必要がある。岡田は最晩年の曲を冒頭に配し、徐々に若年期の作品へ遡る構成を採った。ステージに登場してピアノの前に陣取るや否やおもむろに弾き始める、そのパフォーマンス性も疾走するピアニズムをさらに加速。アクセントが置かれた拍子の第一音は、その迅速で完全な脱力により強靭かつ圧倒的な跳躍力を持つ。「Bachの名による」が示す通り、この「プレリュードとフーガ」はB/A/C/Hの音列を巧みに曲に盛り込んだもの。岡田は各音調をかなり理知的に分析・精査し、それぞれに最も適切な色づけを施すことによって曲本来の様式美を見事に浮かび上がらせるのに成功した。詩情に溢れながら、同時に構造の美に奉仕するのである。後続の「ソナティネ」と「組曲」に至って、この感を一層強くした。リズム的に変拍子でありながら音色がくすんでいる場合、非常に妙な世界が立ち現れるのだ。ルッセルがアジア旅行で想を得たという「組曲」は、全四曲構成でありながら調がすべてF#で統一されているという畸形。裏返せば、同一の調性のなかで各部の音色に変化をつけなければならない、という技術以前の(あるいは、以上の)ピアニストのセンスが問われるわけだ(一色の絵の具で豊かな色彩の絵を描け、と要求されるのと同じである)。音をはじき出す、と同時に耳によって峻別される「聴覚センス」。その聴覚の高みへと至るには、完全に手の内に収まり馴染むまで、のメカニック面の熟達が必要条件となる。練習量だけには拠らない、歳月の蓄積や人間的な成熟ももちろんそこには含まれるだろう。岡田博美の、あらゆる音型を手の内に呑み込み、微細なニュアンスで豊かな色彩に染め上げられた音たちがピアニスティックに疾走する雄大なフィナーレは聴き応え十分。

アンコールはサティの「ジムノペディ」より。先の「組曲」あたりから、その派手なオクターヴ音により、再び左手の存在感が増してきたような気がしていたが、この曲でそれを確信。左手は通常よりかなり強めの硬い打鍵。そこで軸を作り、右手をゆらゆらとまとわりつかせてゆく。ところどころ凍結した食後のカクテルを思わせるアンバランスな体感温度。右手のメロディは、本来ハイライトであるべき音が消え入りそうなほど小さかったり、静かなる幻想世界を紡ぐ。ダカンの「かっこう」を経てのアンコール終曲は、サン=サーンスの「左手のためのエレジー」。バッハの「シャコンヌ」から始まり、「左手から左手へ還る」、何やらメビウスの輪のようなゆったりとした旋回に身を委ねた想いがした。(*文中敬称略)




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