#  293

ヴァレリ・アファナシエフ ピアノリサイタル2010〜シューベルトへ、還る
2010年11月20日(土)@東京・紀尾井ホール
reported by 伏谷佳代(Kayo Fushiya) photos by 林 喜代種(Kiyotane Hayahsi)

≪プログラム≫
シューベルト:楽興の時op.94,D.780
<休憩>
       ソナタト長調op.78,D.894「幻想ソナタ」
<アンコール>
ブラームス:ラプソディ第二番op.79-2
        プレリュード第六番op.116より「インテルメッツォ」

クラシックの奏者にも「圧倒的な個性」が求められる時代がきたと信じて疑わない。強烈とかインパクトの域を軽々と超え、その不動のグロテスクさにおいて我々の五感に深く突き刺さるピアニスト、ヴァレリ・アファナシエフ。芸術家とはかくありき、のような気もするが、正統が異端と映るのは常に世の倣いか。

アーティストがステージに現れる瞬間を見逃さない。出現の一瞬、のオーラが醸しだすもの。それが演奏自体を雄弁に語ったりもするからだ。果たしてアファナシエフが登場した途端、周囲の雰囲気が白っぽく発色しているように感じたのは、何も照明のせいばかりではあるまい。周囲数センチの空気が違う。それが纏う(まとう)ものとは、美醜を超えたところにある、その人の内的世界の滲み出す迫力。

本日はオール・シューベルト・プログラム。副題に「シューベルトへ、還る」とあるが、前半に『楽興の時』全6曲、後半に『幻想ソナタ』を配した一見シンプルな構成。『楽興の時』の第3曲と第6曲以外は、すべて1827年、晩年の一年前に作曲された後期の作品である。シューベルトの後期作品に特徴的なのは、しばし「天国的」とも称されるその長大さにあるが、特に後半の『幻想ソナタ』に至っては、長大である構成を逆手に取っての、アファナシエフらしいアプローチが顕著に見て取れた。これらの作品を「ひとつのまとまった曲」として奏すというより、各小曲・各楽章のひとつひとつを独立したコンポーネントとしてばらばらに、かつ丁寧に炙り出してゆくのである。闇でいさり火を焚いたがごとく、ひっそりと息を潜めていた夥しい音符のうごめきが息を吹き返す。奏者であるアファナシエフ本人は、「弾く」と「聴く」の間をかなり大胆に移動しながら、時に客観的ともいえる突き放した高みから、自らがはじき出した音の残像を見下ろしている場面が多々あった。細部がそれぞれ躍動する、「小に大が宿る」演奏であったので、演奏曲目の各曲・各楽章にわたる感想メモを、スケッチの形で以下列挙。

『楽興の時』
第1番 モデラート(ハ長調・3/4拍子)
蝶のようにひらひらと舞う特大の二本の手。平らを通り越してほとんど反り返っている10本の指。視覚上のグロテスクさとは裏腹に、導入のハ長調は健康的ともいえる素直な叙情の発露。フォルテによるオクターヴ音も丸みのあるまろやかな音色で、中間部へ至る切り返しは幽玄。左手のレガートの美に不穏な色気が滲む。

第2番 アンダンティーノ(変イ長調・9/8拍子)
典型的なA-B-A-B-Aによる古典的な構造。ゆるやかなテンポで進行するが、晩年に近い時期の曲だからか、曲想に一種の崇高さがある。「舞曲」形式へ人一倍こだわりがあるアファナシエフ。三連符の処理が巧妙だ。過多な感傷は排除し、ミニマリスティックに訥々(とつとつ)とリズムを刻むことで、四次元的ワープ感を演出。ペダル効果のエコーを活かしきった、ピアニッシモの極致。レガートと弱音を極めてはいるが、音の濁りはゼロ。右手の単音の打鍵は、鍵盤との接触時間は最短、後はペダル任せ。黙祷するかのように「音を聴き遂げる」姿。「弾く」の一ヴァリエーションとしての「聴く」のパフォーマンス。

第3番 アレグロ・モデラート(ヘ短調・2/4拍子)
ピアノ学習者が誰でも通る、僅か56小節の愛らしい小曲。これほどの大人の味わいを持った曲だったのか。アファナシエフは通常よりも遅めのテンポ設定。音の一粒一粒の響きを、かなりドライに重く押さえ込む。冬枯れの感覚。和音は意図的に多少分散化され、装飾音もどんくさいくらいに重くモタる。最後のフェルマータは「これでもか!」といわんばかりにペダルを使って伸ばしまくって放置。

第4番 モデラート(嬰ハ短調・2/4拍子)
左手と右手のアルペジオの交錯が生む、絡み合う音の躍動とシークエンス。各部のタッチに繊細な差をつけることでざわめき感を出す。一音一音へのミクロ意識がクローズアップされた、拡大顕微鏡的一幕。

第5番 アレグロ・ヴィヴァーチェ (ヘ短調・2/4拍子)
和声の巧みなスライドと、スケルツォ風の一拍目アクセントの畳みかけるようなリズムが特徴の曲。豊かすぎて内攻せざるを得ないロマンティシズムの行き場のひとつである、エキセントリックな爆発。それがうまくペアになって、アファナシエフという触媒を得て呼吸している。激しいが、軋みはなくどこまでもナチュラル。

第6番 アレグレット (変イ長調・3/4拍子)
出版当時の副題が「吟遊詩人の嘆き」とあるように、コラール風でしばしば諦念に満ちる。こういう曲では、いくら3拍子の曲でも、アファナシエフはリズムをほとんど無視する。音を出すことではなく、出された音、が主役だ。残響そのものが語る。音符を用いて思索する行為そのもののように、曲の途上で何度も立ち止まりそうな静止。静謐のなかに終始する逸演。人によっては眠気を催すだろうが、それも狙いのひとつか。

『幻想ソナタ』
第1楽章 モルト・モデラート・エ・カンタービレ(ト長調・12/8拍子)
かなりジャズ的に強靭なタッチでスタート。アタマにアクセントが置かれる。和音の処理にアファナシフ独特のセンスが窺われる。指と鍵盤との接触時間の大幅なカットについてはすでに述べた通りだが、同時に出された和音のすべての音を平等にペダルで伸ばすわけではない。どれか一音を選び取り、ハイライトとして残すように設定される。「丸投げ」を装って(?)無造作に行っているようでありながら、肝心なところで強固な意志を残す。響きとは意志か。それだけで一曲を為すかのような、明確なリズム・モチーフの組み替えによる典型的なソナタ形式の楽章。構造が典型的であればあるほど、それを個性的にしようとするならば、構造自体を忠実に、大げさに浮き彫りにすべし。その如実な演奏例。

第2楽章 アンダンテ(二長調・3/8拍子)
長/短調、暖/急の二つのテーマが互に繰り返される、わかりやすいロンド=ヴァリエーション構成。大胆で極端な陰影づけを施すことにより、ドラマティックな対話劇を演出するアファナシエフ。「ふたり芝居」ではなく、あくまで「ひとり芝居」にしか見えないところに多重人格的な悪魔性が露見。曲の構成に添うかのように、アクションも次第に派手になってゆく。通常の「ピアニスト」にとっては不要な行為ばかりだ。口を手で押さえこんだり、両肘を前後に振ったり、手首を不自然なくらい上に設定してそこで力を寸止めしているような形を取ったり・・・。俄然、完全脱力による音出し、というクラシックでは常識とされている演奏法は全うされなくなってくる。音を自足させずに、そこに中途半端な「力み」を残すことによって、彼は何を意図しているのだろう。自己アピールすることによって、作曲家にオマージュを捧げているのか。三連符のロンドの部分にのみ潤滑油的な滑りの良さを感じた以外は、かなりぎこちない。ペダルの濁りを次第に効かせながら、またしても主役を指から足(ペダル)へとスライドさせてゆく。ピアノとの接触面は足しかないような状態の、時間感覚を無視しきった冗長なフェルマータでフェイドアウト。

第3楽章 メヌエット(ロ短調・3/4拍子)
煌びやかな装飾音が、今まではついぞ見られなかったような饒舌さで天上より流れてくる。メロディ自体の優美さも相俟って、第2楽章の三連符がいきなり主役となった印象。和音の同音反復はかなりミニマリスティックで現代的な趣を出す。平行調であるニ長調との間の推移も、音色の華やかな色彩コントラストによりゆらゆらした躍動感。本日最も「普通にピアニスティックだった」一章。

第4楽章 アレグレット (ト長調・2/2拍子)
第3楽章の流麗さを踏襲してエスカレートさせた感。左手のアルペジオは多弁極まりな
く、そこに刻み込む右手の素朴なメロディが一筋縄ではいかぬ「音の綾」を生む。永遠に続くかのような「ユニット」としてのまとまりを生みながら、同時に一音一音が個別に飛び散る感もある。和音から単音へ移行するときの、響き上の分断や断絶はなく、綺麗なラインを描く(アウフタクト構造の極上の処理)。この章に至っては、ぺダルは「音の途切れの隙間を埋める」という本来の機能に還った感じ。継ぎ目を感知させない、その「目くらまし効果」はさすが百戦錬磨のアファナシエフ。唐突に途切れるエンディングが、いかにも臨終の瞬間。生命の終わりとは、このような突然のエネルギーの消失に違いない。

アンコールはブラームス2曲。派手で技巧的な部分より、やはりピアニッシモでゆるやかなテンポの部分での、不気味なねとつき具合が印象的だった怪演(*文中敬称略)。

最後に本日の「響きの処理」について参考となる、アファナシエフ本人の詩より一節;

‘・・・
響き それは
音があったということだ
多くの音
多くのハーモニー
バッハ ジェズアルド ブラームス・・・‘

(ヴァレリ・アファナシエフ詩集『乾いた沈黙』(尾内達也訳;2009論創社発行) p.14より抜粋





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