#  298

Sidsel Endresen & Hakon Kornstad 『北欧幻想』
Sidsel Endresen & 八木美知依 デュオ

2010年12月1日(水)@東京・六本木 Super Delux
12月2日(木)@東京・渋谷 公園通りクラシックス
reported by 伏谷佳代(Kayo Fushiya) photos by (c)北里義之(Yoshiyuki Kitasato)


12月1日(水)@六本木Super Delux
Sidsel Endresen & Hakon Kornstad 『北欧幻想』
Sidsel Endresen (vo; kalimba)
Hakon Kornstad (t.sax; flutenette; flute; Electrix Repeater)


ノルウェーよりヴォイス・パフォーマーとして名高いSidsel Endresen(シッツェル・アンドレセン)とリード奏者・Hakon Kornstad(ホーコン・コルンスタ)がデュオで来日、『北欧幻想』と題するツアーを行った。関西・名古屋での公演を経て、この日の東京が最終日。第一部はシッツェルとホーコンによるそれぞれのソロ。第二部がデュオという構成。

初めに音ありき、ではなく、まず音が生成されるスペースが確保される。静寂からスタートを切ってはいるのだが、使い古された沈黙の音楽ではない。音によって媒介された空気のテクスチュアそのものを味わう、とでも言うのか。限りなく自由であるはずの「即興」ではあるのだが、一音一音の音出しに非常に強固な意志の力を感じる。意図の塊の音を即興と称し得るか。行き着くところはシッツェル・アンドレセンが追求して久しいところの、言葉と音楽の関係、に落ち着くのかもしれないが。

《第一部》

1.シッツェル・アンドレセン ソロ
無声の[h]音を腹の底から吐き上げるところから端を切ったパフォーマンスは、次第に有声となる肉体によるタンギング。音として感知される割合は少ないが、圧力だけで立派に「シャウト」する。マイクに向かって息を吐きつけては逸らす運動は、振り子のように空気を前後に斬る。お得意の破擦音から鼻音・吸着音の吃音連発のあとは、またしても帯気音[p]の連呼。これにより次第にバネを増した音楽は、低音でハスキーな地割れ音からメタリックに響く高音まで生き物のように自在に伸縮する。テンポとリズムは弾力性に満ちているにもかかわらず、音質は斑(まだら)模様。この「把握の覚束なさ」がそのまま魅力となるシッツェル・アンドレセンの芸術。続く2曲目、帯気音[p]に母音をくっ付けてシラブルとなった[pa]音が静寂を破るその突破力。マイクの遠近使いにより、空間そのものが疑問に付され、唇や舌を多用した発声から次第に咽喉の奥を震わせる発声([h],[k])へ。空間自体がシッツェルの咽喉が飲み込まれてゆく錯覚。さながら「音出し」から「音吸い」へと至る長い一呼吸。3曲目、「詩人・アンドレセン」の本領発揮。その詩の世界は、現実世界の邪念からは逃れてはいるのだが、完全な幻想世界ではなく、どこか日常生活の残滓がこびりついている。「ありそうでない、ないようである世界」である。珍しく二音節以上伸ばされた音で始まり、汽笛のように響くそれは、霧と霞を連想させて我々の想像力をモヤがけする。”Inside sit down・・・”のフレーズとともに静かに登場するカリンバ。素朴で透明、素直な音色。”Inside living room, sit down, upstairs bed room,
easy, easy・・・”と即興に挟みこまれるポエトリー。彼女の歌にしばし登場する「部屋」という舞台設定に聴き手は引きずり込まれる。

2.ホーコン・コルンスタ ソロ
タンギングによって空気の循環が強調される奏法は今時珍しくないが、ルーパー(ホーコンはElectrix Repeaterを使用)が導入されるタイミングの見事さに煙に巻かれる。無音空間が次第に音によって侵食されてゆく泡立ち感。タッピングとでもいうのだろうか、スナップを効かせて勢いよく指を弾いていく奏法でリズミカルに進行。やがて左右の手はパーカッシヴな低音部とメロディックな高音部へと分化し、アラブ風のエスニックな旋律を漂わせてゆく。ルーパーを複合的に用いることで音色の色彩はブレンドを繰り返しながら濃厚さを増し、それと歩を合わせて生音はツヤを重視する。どの瞬間にどの色がどの強度で足りないか、を天才的な直感と瞬発力で選び取ってゆく。このホーコンのデヴァイス使いのセンスはステージ全般を通して浮き彫りにされた。2曲目はflutenette に持ち替え。やはりルーパーを効かせて、1曲目よりは残響を重視したかのような、エコー的なサウンドを重ねる。Flutenetteの持ち方が非常に独特で、両手ともに指の第二関節あたりから楽器をくるみ込むかのよう。内側に押さえ込んだくぐもった音。生楽器の演奏はストップさせて、ルーパーと口笛だけを合わせた箇所もいい味を出していた。

《第二部》デュオ
強力にアクセントを効かせた弾きのテナー音は、やはりルーパーに掬い取られる。平行に伸びてゆく音。それに絡んで低音域から波及してくるシッツェルのヴォイスは、高音部へ至ったかと思いきやいきなり舵を垂直方向へ取る。上下への振動。それに自然に呼応するかのように、ホーコンのテナーは息を吸い込みつつも同時に吐き出す二律相反的なブレス奏法、これもルーパーで堆積される。かなり長い時間テナーの増幅が展開されたあとに、ぱっと現れるシッツェルのヴォイス“holly moon light”。喩えはちょっと違うかもしれないが「掃き溜めにツル」的な、画面が一瞬明るく切り替わるような視覚的効果がある。単語だけでこれほどのイメージ喚起力があるのがすごい。その後、ホーコンのテナーはflutenetteへ持ち替えられ、チカチカと明滅する“moon light”連呼のヴォーカル(ヴォイス、よりはメロディ性が回復され大分ヴォーカルへ近づいている)とうまく寄り添いつつも、バルカン風のオリエンタルなリフをリズミカルに刻んでゆく。ソロで見せたときと同様、指の第二関節辺りでキーを押さえている。序所に加速してベースラインをルーパーに記憶させて後、再びテナーへ。息を吹き込まない指のスナップだけの音と、縦横に伸び分ける小回りの効いたヴォイスが空気を引っ張り続ける。ルーパーの断絶でアコースティックな部分とのメリハリをうまく付けながらの極めて自然な絡み。このデュオの相性の良さを感じさせた。「北欧幻想」とは、絵に描いた餅のようなロマンティック世界ではなく、どこかに過酷な現実味をちらつかせる「大人の処世術」であり、「魅せ方のスタイル」なのではないか。


12月2日(木) @東京・渋谷 公園通りクラシックス
Sidsel Endresen & 八木美知依
Sidsel Endresen(voice)
八木美知依(17絃&21絃箏)
Hakon Kornstad (t.sax; flutenette; Electrix Repeater)*第二部のみ

シッツェル・アンドレセンの音楽上の重要なパートナーでもあるBugge Wesseltoft(ブッゲ・ヴェッセルトフト) が「必ずや素晴らしい出会いとなるであろう」と予言したという箏奏者・八木美知依とのデュオ。名曲『十六夜』がこのデュオにより再現されるのを期待していたが、曲モノには行かずに、終始即興のスタイルで展開。傍目には、ある意味頑なとも受け取れるシッツェルの即興スタイルに八木が合わせたように映ったが、かえって八木にサポート役(結果的には「手綱の締め役」)を演じさせることになり、ところによっては一歩引いた印象を与えながらも、箏という楽器本来が持つ、一本一本の弦のたわみや音程の揺らぎ、パーツごとの繊細さを浮き彫りにする形となった。つまびき楽器としての筝の属性、生来八木美知依が有する豊かな歌心が前面に押し出されていたように思う。事実、八木ライヴの定番であるバチ(スティック)が登場したのは一回のみ。普段の強靭なパーカッシヴ音を「ハード面」とすれば、それはこの日は鳴りを潜め(強音でその迫力を出すときも、基本は指の弾力によるもの)、「ソフト面」全開であったといえる。

《第一部》デュオ
静かなる17絃、ぼっと空間に浮かび上がってはそれぞれが連結してゆくひとかたまりの単音列。音たちに少々ウエットな影をつけているのは、弦に這うかのように添えられた素手の左手か。次第に輪郭を露わにしてゆく爪弾きの音は、左手のベースラインの弾力が強化されることによってじわじわと音圧を増す。多層的な音の波が現出したところへ、シッツェルのヴォイスが小刻みな振動となって侵入してくる。[p] [s] [n]音を切れ切れに混ぜ込んだ音の葉。人造エレクトロニカ的な、素朴だが耳障りな音。これらの音が空間を均一に畝(うね)付けしたところに、17絃筝に一気に掛けられるエフェクター。筝の音は高音部へ移行し、絃の硬度と四角い爪のエッジが呼応したさざめく旋回音へ。ヴォイスの鼻音は〔n〕→[m]へと変化して、唇半閉じのねばついた吃音効果。音程はもちろん不安定なものを多分に含み、その揺らぎが静かな波動として無意識裏に広がる。控えめな伴奏に徹しての爪弾き部分のシークエンス、エフェクターが掛けられることにより音程が底上げされて乾いた音へチェンジ。次第にヴォイスもそれに歩調を合わせて、音はパピルス並のドライな薄皮一枚へ。左手のベース音はこれとは無関係に生き生きとした跳躍を繰り広げる。ここからしばし、小刻みな乾いた粒立ちの応酬。筝が唐突に断絶したのを受けて、ヴォイスは舌打ちや吃音にまみれた小弾を相も変わらず穿ち(うがち)続ける。八木の17絃はオルゴールのねじを巻いたようなちょっとチープな旋回音やら、側面ボディを叩くことによって露わにされた木の密度が生む音やら、音はドライな属性を保ちつつもその内側をえぐられて多元化してゆく。リズミカルで装飾音的なリフを繰り返し、それらが低音のドスが効いたブルージーな泥沼となって雪崩れ込むときの、抗い難い迫力。箏の端から端へと大胆に移動してのダイナミックなソロを経て、またしても断絶、シッツェルのヴォイス・ソロへ引継ぎ。腹の底から搾り出される吐息の音圧。ところどころ湿ってはいるが擦れた吐息、否、何だかミクロレベルにとんでもない熱さを内包した冷たい霧。そんな触感が喚起される。声の質も歌唱法も全く違うが、ビョークの歌にも感じる「冷却した熱っぽさ」だ。そんな独特の低/高温の静寂に身を委ねている間にも、八木は21絃箏へ移動。ここから、密やかだが絢爛たる微音の華が轍(わだち)となって広がってゆく。派手な音はどこにもない。素手の小指によるピッキングや、手の甲を下にして逆さ爪で弦がはじかれる、神経を一本一本掬いとられたかのような細い音、それらのグリッサンドが生む悪寒にも似たさざ波、など特殊奏法が駆使される。指弾きでD音をしなわせながら、このあたりからルーパー登場。微細な音たちが絶妙な温度差を保ちつつ降り積もってくる。引っ掻き音などの「ノイズ」の王道も加味されて、ざわめきが隆盛を極めてくるや否やまた断絶(生き物のエネルギーの消失のよう)、意味不明なヴォイス・ソロへ。何語だかはっきりしないが〔dresiln〕と聴こえる音節の連呼。シッツェル十八番の破擦音シラブル攻撃、それが〔moun〕→〔houl〕と続いてゆく(月と吠える、か?)。この間に八木はまた17絃へ移動。エフェクターが掛けられた野太い単音のベース・ラインが進行し(G#/A/F#/H/A/G#〜)、それに呼応するかのようにヴォイスはこの日初めてクチャクチャ言うのを止めた。擦れ(かすれ)までを意図的に視野に入れたかのような「一音」の直線伸ばし、をやっと見せてくれたのだ。点が線になる。ブツ切りではなく水平線的な音の伸び。箏も左手はベースラインを決然と進行させながら(F#/G/H/C#/H/C#〜)、右手は弦を水平に引っ張るかのように横のラインを強調。ぶくぶく泡だっていた水泡が、一瞬、細い水流になって同一方向に流れたかのように見せつつフェイド・アウト。

《第二部》デュオ+ Hakon Kornstad
冒頭の2曲は引き続き八木とアンドレセンによるデュオ。17絃中心であった第一部に対して、第二部は21絃で不協和音的なサウンドを響かせてのスタート。シッツェル・アンドレセンのヴォイスも、熱く湿度高め。21絃箏本来の華やかな音の伸びと、ペダル効果のように隙間に注入されてゆくヴォイスが自然に呼応し合う。続いて、この日初のスティックが登場。ただしパーカッシヴに使うのではなく、あくまで音を押さえて引き伸ばすためのミュート的な使用。箏の先端部(柏葉のあたり?)を用いたノイズ奏法では、特に上部からオン・マイクになったあたりなど、アフリカの民族楽器っぽい不思議な音。ところどころカンテレを髣髴とさせる瞬間もあった(以前の八木とシニッカ・ランゲランとの共演を思い出す)。3曲目よりホーコン・コルンスタが加わってのトリオ編成。それぞれの個性が最も際立つスタイルをストレートにぶつけ合うことが、自然に音楽を発動させる形に収まるのは幸運といえるだろう。テナーの風圧の効いた運指で躍進しながら充満させるアラブ風のメロディは前日の如し。21絃が参入してからはベースラインを箏に委ね、その上に流麗に乗っかってゆく。ヴォイスも同調してメロディ性を強める中、箏は表層的なざわめきを出してサウンドの厚みを確保する。要するに「曳き」と「寄せ」の呼吸がうまく計られているのだ。直後、ヴォイスのみがアクティヴに暴走したと思いきや、テナーは阿吽(あうん)の呼吸で弾き(はじき)音を連発してバランスを取り、次の瞬間には全員がトゥッティで爆走している。いかなる分野のアーティストにも要される「瞬発力」に統合が計られているということ。潮時を見極める判断と、先を見越す洞察。構成力が瞬間のうえで問われるインプロヴィゼーションにおいては、瞬発力が鍵を握るのだ。一本の絃の潜在力をとことんまで問う多彩なノイズ奏法、サックスの根本の醍醐味ともいえる野太く艶やかなサウンド、「歌」ではない「ヴォイス」の散文性を生かした、分散和音的な音の被せ方などなど。それぞれを適時に問う 決断力とセンス。それは、ホーコンの卓越したデヴァイス使いに如実に現れていたことを繰り返し強調しておく(*文中敬称略)。



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