#  299

アレクセイ・ゴルラッチ ピアノ・リサイタル
2010年12月7日(火) @トッパン・ホール
reported by 伏谷佳代(Kayo Fushiya) photo by 林喜代種(Kiyotane Hayashi)

≪プログラム≫
ベートーヴェン:ソナタ第一番op.2-1
ソナタ第八番op.13「悲愴」
<休憩>
ショパン:四つのマズルカop.67
四つのマズルカop.68
バラード第二番op.38
スケルツォ第二番op.31
*アンコール
ショパン:エチュードop10-4
ワルツop.18「華麗なる大円舞曲」
シューマン:幻想小曲集op.12より「飛翔」
ショパン:ポロネーズ第六番op.53「英雄」

これだけ世界に「コンクール」が氾濫してくると、それぞれの目的や個性も様々である。ショパンやチャイコフスキー、エリザベート王妃国際、といった「プロのピアニストのためのコンクール」から、フレッシュな才能をいち早く発見する「若きスターのスカウト」的なものまで。静岡で開催されている浜松国際ピアノ・コンクー ルは、間違いなく後者の筆頭である。ヤマハ・ピアノのお膝元での、日本がその威信をかけてのコンクール。2006年のこのコンクールを、当時弱冠18歳で制し、併せて日本人作曲家最優秀演奏賞を受賞したのがアレクセイ・ゴルラッチ(Alexej Gorlatch)である。

ゴルラッチは1988年ウクライナのキエフ生まれ。現在はドイツのハノーファー音楽演劇大学にて、名教師カール・ハインツ・ケマリンクに師事。ドイツ国内の様々な青少年ピアノ・コンクールを制しているほか、2009年にはアイルランドのダブリン国際ピアノ・コンクールで優勝、リーズ国際ピアノ・コンクールでも第二位に輝いている。

ステージ全体を総括しての印象は、「なかなかのやり手だな」というもの。どのような曲選びで自分の長所が最大限に発揮されるかを心得ている。ゴルラッチの音楽全体を強固に包み込んでいるのは、今時めっきり珍しくなったといえる厳格なジャーマン・ピアニズムであるが、それがストレートに生かされるベートーヴェンやシューマンはもちろん、「一見適合しないのでは?」と思われるショパンなどにおいても、そのちぐはぐさを却って味にまで高めてしまうパフォーマンス力がある。単なる若さによる勢いに帰すことのできぬ何か。その音楽性はフレッシュであると同時に老成しており、オーソドックスなのに現代的である。将来どんな色にも染まることができると確信させる点で、「コンクールに優勝してスターダム」という極めて優等生的な出自にも拘らず、一抹の末恐ろしさを感じさせる。

ゴルラッチのメカニック面での美質でまず挙げられるのが、クラシック音楽という枠組みすら度外視させるほどに情け容赦なく粒が揃った、完璧に均整の取れたスケールの技。そして、リズム感の良さを各音の色調美と練り併せて鋭角的に照らしだす瑞々しい装飾音であろう。プログラム構成は、アンコールの4曲まで含めてこれらの技巧が光るものばかり。

ピアノ学習者が避けては通れぬ前半のベートーヴェンのソナタ。十全なスコアの読み取りと分析の深さ、その熟成だけが生むところの揺るがぬ安定感。この年齢の奏者の演奏としては、音色も地味だ。リリカルで硬質なのではなく、含蓄があり思索的。しかし鍛え上げられた打鍵により要所々々の属性づけは明確である。第二楽章・メヌエットでの、鍵盤を押してから具体的に音が訪れるまでの微妙な遅延、第三楽章・スケルツォで見せた装飾音的に寸分リズムを崩した右手高音部の処理、これらが大きく自然な呼吸のもとで執り行われる。遠方から押し寄せてくる、ひたすら画一的な左手三連符が途切れなく突入する第四楽章。升目を埋めるかのごとき均一の美に、日本の観衆の美意識が適合することも多いのではないか。時に音が破綻するほど派手に処理される右手とは、けっして邂逅することがないまま駆け抜ける。あまりにも有名な「悲愴ソナタ」でも、この左手のストレートさは生かされてはいた。時たま、その生真面目な響きが裏目に出て、曲自体が持つ悪魔性が削がれていた場面もあったけれど。たっぷりと歌わせるアダージョの展開部では、ぺダルの使用は最小限度に留め、ピアノの「素の音」だけで勝負していたところが好感度大。このような平易な、あるいはオーソドックスな構成の楽曲で、プロのピアニストの巧い下手を分けるものとは一体何なのか。自己の投影か、それを抜き去った後に残るものか。残像として残るものは作曲者なのか奏者なのか・・・。様々な問いかけがなされよう。

マズルカでは、このピアニストの構造重視の姿勢が吉と転じて、民族舞踊独特の複合リズムが様々な角度から精査され、斬新なアプローチを見せていた。op.68-1で見られたような、少々ジャズ的とすら思えるほど垂直に躊躇なく振り下ろされる和音。op.68−2で見せた、音の響く方向へ沿って響版の奥へ奥へと猪突猛進してゆく絢爛たる装飾音、音を「はじく」のを通り越して鍵盤の内側まで「畳み込む」、深爪(?)が喰い込んでいくかのような印象のop.68-3。これらの各部に対比させて織り込まれる、夢幻なるたゆたいのピアニッシモ。

左手のスケールが、フィルムが一気に巻き返されるかのような疾走感を見事に現出したバラード第二番も好演だったが、最も印象に残ったのがスケルツォ第二番。それがスケルツォの本流や定型にどれだけ添っていたかは別にして、すでに自己の解釈を衒い(てらい)なく問うてゆくスタイルが確立している。信念を貫く息の長さ、とでも言ったらよいのか。一音に、一和音に、一パッセージに確信が漲っているのだ。正直言えば、スケルツォが本来意味するところの気まぐれ感や疾走感には欠けるところもある。ショパンをショパンたらしめるピアニスティックな雪崩れこみの部分も、安定や予定調和に取って代わられたり。物思いに沈むにはもってこいのコラール部も、どちらかというと律義な思索の跡として映る。ダイナミズムや大きな感情のうねりは抑えに抑えられて進行し、右手のアルペジオが流麗に鍵盤を上下する展開部でもこの均衡は保たれたまま。デュナーミクの幅は狭いが、ここでは逆に、均整の取れた匂い立つような構築美を生むのに成功している。老練ともいえる演出だ。しかし、クライマックスに至るにつれて、三連符の処理などに若者らしい茶目っ気も。リズム同型・同音反復の部分では毎回音色の表情を変えてみたり、オクターヴの派手な部分とアルペジオ/三連符とが重なると、テンポ・ルバートがアンバランスすぎて破綻しかけたり、・・とまあいろいろあるが、それでも「やっぱり新世代のヴィルチュオーゾだ」と思わずにはいられない。鷹揚だが、高貴さと品格が貫いている。
スタンディング・オベーションに応えて、この日はアンコールを4曲も。曲を追うごとにエキサイトして、その機関銃のようなスケールや装飾音を溶かしこんだ均一な連打など、ピアニスティックな筋の良さを存分に発揮していた。左手のキレの良さに関しては、当代トップレヴェルを行くことを改めて証明する一夜となった(*文中敬称略)。





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