#  300

ユリアンナ・アヴデーエワ ピアノ・リサイタル
2010年12月8日(水) @東京オペラシティ・コンサートホール
reported by 伏谷佳代 (Kayo Fushiya) photo by 林喜代種 (Kiyotane Hayashi)

《プログラム》オール・ショパン・プログラム
四つのマズルカop.30
二つのノクターンop.27
ソナタ第二番op.35「葬送」
<休憩>
幻想曲op.49
スケルツォ第四番op.54
ノクターンop.62-1
ポロネーズ第七番op.61「幻想」
* アンコール
ワルツop.34-1
マズルカop.67より
ポロネーズ第六番op.53「英雄」

ユリアンナ・アヴデーエワ(Yulianna Avdeeva)は、モスクワ生まれの25歳。先ごろ行われた第16回ショパン国際ピアノ・コンクールの覇者である。80年以上の歴史があるショパン・コンクールのなかでも過去最高のレヴェルであったと言われ、1965年のマルタ・アルゲリッチ以来45年ぶりの女性優勝者であることでも話題をさらった。ショパン・コンクール級の世界の檜舞台ともなると、コンテスタントたちは各国でも相当のキャリアを積んでいる若手たちである場合が多いが、アヴデーエワもその一人。ジュネーヴ国際コンクール(2006)を始め、テルアヴィヴのルービンシュタイン国際ピアノ・コンクールなどで優秀な成績を収め、留学先で現在も居住するチューリッヒの芸術大学では、すでに師であるコンスタンチン・シチェルバコフの助手も務めている。堅実にキャリアを積んできた大人の音楽家、であるのだ。第一次予選から一貫して黒のパンツスーツ姿で通し、とって付けたようなドレス姿が依然として多数を占める他の女性コンテスタントたちと、そのヴィジュアル面からも一線を画していたという。

楽壇に華々しく登場することが、何も若くて過激な演奏をすることを意味しない、という証明。メカニック面に熟達したセンセーショナルな神童に、我々は慣れすぎてしまっていたのではないか。そんな昨今の風潮に冷水を浴びせることとなったのが、今回のショパン・コンクールの結果である(入賞者は全員、ロシア及びヨーロッパ勢)。新世代に求められる資質とは、芸術家としての「成熟と貫禄」へと至る片鱗、そして「確固たる自己のスタイル」へと回帰した。芸術にはオーソドックスへと定期的に立ち還る習性があり、「芸術家とはなにか?」を問い直す、今が転機点ということである。

アヴデーエワの演奏は、通常弾かれるものより打鍵はかなり重く、テンポは遅い。超絶技巧による強音・高速度のグルーヴ で聴き手を巻き込むのではなく、弱音に全神経を一極集中させる求心力、そのことによる瞬間性の拡大にこそ本質がある。ミクロへの細心のこだわりがもたらすものは緩慢さではなく、壮大なマクロへと持ち込まれるよう、各パーツは綿密に設計される。ロマン派解釈によく見られるような激情に任せるところはなく、中心にどっかりと腰が座っているのだ。ある意味、その音楽には大きな「客観性」が貫かれている。客観性とは平等性である。聴き手に多角的に検証する余地を与えるからだ。その過程でおのずと立ちはだかる「果たしてこれはショパンらしいのか?」という問い。確かに、あまりにもすべてが「アヴデーエワ流」になってくると、スケルツォもマズルカも幻想曲も、その様式の差異は一体どこへ行ってしまったのだ?と思える瞬間も少なからずある。クラシック音楽である以上、あくまでこの「様式の弾き分け」は無視できない点なのだ。しかし、最後にはなぜか納得させられてしまう。何となく恋愛に比せられる体験である。激しさはないが、深い持続力のある恋愛とでもいうのか。この満足感はどこから来るのかと思いをめぐらせれば、やはり音自体が持つ吸引力に帰せられよう。派手ではない、非常に内省的な音。熱い電流にその芯は貫かれてはいるのだが、表面上はあくまで静謐に彩られている。火傷に喩えれば、表層の皮膚が焼けただれるよりも、皮下へ炎症が潜るほうがはるかに重症であるように。熱く燃えさかっていたと思いきや、唐突に窪みが訪れるその音色の極端な濃淡づけ。それらはすべからく深く芯のある打鍵によって自然に達成される。息遣いと呼応した、体全体の無理のない筋肉使いは、その一糸乱れぬ姿勢の良さからもうかがえる(このあたりも正統派ロシアン・ピアニズムの系譜である)。

俳優の「ステージ映え」ではないが、コンクールを制すにはピアニスティックな面で映える曲選びがモノを言う。通常は。しかし、アヴデーエワの選曲は渋め。過激さで圧倒するタイプではないという自らの特質を知りぬいているからこそではあるのだが、要するに大人の魅力でじわじわと攻めるのだ。音の強度よりは響きの豊穣さ、クリアで即効性があるというよりは、異なる属性をもつ多義的な音の調合。それらで聴き手の感覚を外堀から埋めてゆく。冒頭のマズルカが始まるや否や、その抑制とバネの効いた均整のとれたピアニズムに釘付けとなる。この日のステージ全体を通して顕著だったのが、柔軟性の極みともいえるその左手の運行。猫の跳躍そのものの動き。テンポ・ルバートはかなり大仰に掛けられるにも関わらず、絶対に大筋がブレない強固な芯がある。こういった奏法においては、分散和音やスケールがうねりの綾となって巧みな効果を上げる。逆に「ノクターン」のように、ゆったりと野太く低音部と単音のメロディを歌う曲では、過剰すれすれのところで感情の高ぶりを止める。一音の密度をみっしりと濃厚にすることにより、最小限の音数で最大限の緊迫感を引き出す。ともすればコテコテになりかねないが、そこはぺダル効果によるフェイド・アウトで一気に「ヌケ」感を。

この日最も印象に残ったのは、ソナタ第二番と幻想曲である。曲の構成上のタイトさから、コンクールでは通常第三番が選ばれることが多いようだ。第二番はスケールが大きく、各楽章の構成比もアンバランスであるため、奏者の腕前次第では散漫に響きかねない。しかし、アヴデーエワの第二番は、その圧倒的な統制感により並みいる第三番を凌駕している。まとまりの希薄な曲想を逆手にとり、そこに自らの音楽性をありったけ注いで壮大な文学作品に纏め上げてしまうのだ。先にも述べたが、アヴデーエワの音には絶えず「センター」から鳴らされる全方位的な重厚さがある。鍵盤に吸い付いたままであるかのようなタッチ。もったりとして甘美な音たちは、時にそのぬかるみに嵌り息苦しささえ感じられるほどだ。第二楽章のスケルツォ。ドライで迅速な内田光子盤などと比べれば、相当ゆったりしている。しかし、繊細で小刻みなペダルさばきと、ピンポン玉並みにはじける左手の跳躍により、ぎりぎりのところで作曲家の意図は保たれる。第三楽章、あまりにも有名な「葬送行進曲」。立ち止まりそうなほどのレント。主題の和音に込められた溢れんばかりの情感は、もはやこの部分で枯渇してしまうのではないかと思わせるほどの惜しげもない豊かさ。通常のテンポではやはり支えきれまい。驚くべきは、同じ音圧を保ったままで超高速の第四楽章・プレストへ突入するあたり。一貫してピアニシモのまま、無機質に均一に左手のスケールは終始する。右手とは完全別行動。表出されるは「あの世」ではなく、誰かの死によって取り残された現世、その無慈悲で荒涼たる風景。

幻想曲。普通目立つように演奏されるのは序奏ではなく展開部であろうが、この曲でもアヴデーエワは意表を突く。単音のユニゾンから成るマーチ風の序奏は、厭味なくらい勿体付けられて登場する。あっさり片付けられることはない。続く提示部も、音の密度や圧力の面から見れば序奏部との格差はさほどない。通常、曲を追うにつれて盛り上がりを増すよう自然と感情が設定されるものだろうが、あえて完全なる感情漂流に自ら足枷を嵌めているかのようだ。パッセージよりも、それを構成する一音のほうに重みが置かれる。自然な強弱の収斂ではなく、極端な凸凹づけで逆にそれぞれの音に平等な存在感を与える。この辺りは「音符再生主」としてのピアニストの任務に忠実だ。そして、10人中9人のピアニストが例外なくこの曲のハイライトとするであろう、展開部の左手オクターヴ。ここをいかに威風堂々とキメるかにこの曲の快感があると信じて疑わないが(弾くほうにも聴くほうにも。かのアルフレッド・コルトーの名演を思い出されたい)、アヴデーエワの解釈には一瞬拍子抜けした(逆に見れば、新鮮ということだけれど)。非常にあっさりと、乾いた均一な音で、どちらかというとクレッシェンドではなくディミュニエンド気味に通過したのである。聴き手は「あれっ?」と思い続ける。客観的にそこにこだわり続けようとする。しかし、目の前では依然音楽は進行しており、異次元を這いずり回るアルペジオにいつしか煙に巻かれ、記憶の音は堆積されて、音の洪水のなかで無防備になっている自分に気づく。アヴデーエワの強烈さとは、そうした包容力である(*文中敬称略)。





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