#  301

東京室内歌劇場42期第128回定期公演 オペラ《ラ・カリスト》
2010年12月4日 @渋谷区文化総合センター大和田 さくらホール
reported by 佐伯ふみ photo by 林 喜代種

台本:ジョヴァンニ・ファウスティーニ
作曲:フランチェスコ・カヴァッリ
指揮:濱田芳通
演奏:アントネッロ
演出:伊藤隆浩

キャスト:
藤牧正充(パーネ)
野々下由香里(ディアーナ)
岡元敦司(ジョーヴェ)
菅野真貴子(ジュノーネ)
末吉朋子(カリスト)

この公演の会場となったのは、1カ月ほど前にオープンしたばかりの新しいホール。キャパ730余名の中規模劇場で、ロビーの狭さは都心の公共ホールによく見られる欠点だが、渋谷駅の雑踏さえ厭わなければ、西口から数分というアクセスの良さは貴重である。シューボックス型の劇場は上層階からも舞台が見やすく、優れた音響。今後、さまざまな公演で重宝されそうなホールである。

東京室内歌劇場は、普段なかなか上演されないが重要な演目を、アグレッシブな制作姿勢で舞台にかけ、探求心の強い聴衆の期待に応えてくれる。今回もまた、17世紀イタリアの作曲家の、大らかな性讃歌を基調としたコメディという難しい演目を、創造性あふれる演奏・演出で見せてくれた。

まずはカヴァッリとは何者か、多少の説明が必要と思うので、長くなるがまとめてみる。この作曲家、実は、こんにち名前が知られていないのが不思議なくらい、歴史上面白い位置にいる人物なのである。ちなみにこの公演では、別売のプログラムに演奏・演出・監修の三者によるかなり突っ込んだ制作ノートと言うべき記事が掲載されていて、それはそれで読み応えがあり面白いのだが、基本的な作品解説をプログラムの冒頭に付けるべきではと思った。

フランチェスコ・カヴァッリ(1602-76)は、モンテヴェルディ(1567-1643)が楽長を務めるヴェネツィアのサン・マルコ大聖堂の聖歌隊の歌手として、また名オルガニストとして、長くこの教会の中で活動を続けた。モンテヴェルディの作曲活動をアシスタントとして支えた形跡も残っており、この大作曲家の死後に出版された作品集の編者ともなっているから、自他ともに高弟と認める存在だったと言ってよい。66歳で大聖堂の楽長に就任、死ぬまでその職にあった。カヴァッリが没して2年後、同じヴェネツィアに、かのヴィヴァルディ(1678-1741)が誕生している。
もしも「オペラ」という新興のジャンルが、昇る旭日のごとく勃興してこなかったとしたら、カヴァッリはイタリアの一都市の堅実な教会楽長としてその生涯を終えたかもしれない。しかし歴史が彼に与えた舞台は、現代から眺めるとこれ以上ないほど華々しいものだった。
カヴァッリが音楽家としての歩みを始めたちょうどその頃、ヴェネツィアで、入場料を支払いさえすれば貴族のみならず誰でも入ることのできる、市民のための歌劇場ができた。その後この街には雨後の竹の子のごとく歌劇場が林立し、興行としてのオペラが西欧で最も盛んな地となった。カヴァッリがオペラ作曲家としてデビューしたのは、油の乗りきった37歳。新しい時代の聴衆の要望に応えて次々に新作を発表し、没するまでに作曲したオペラは30ほど。モンテヴェルディ没後、イタリアで最も上演回数が多いと言われる大作曲家となった。彼は資産家でもあったので、作曲だけでなく、投資・興行の面からもこの新興の音楽ジャンルをよく支えたらしい。
カヴァッリの生涯のハイライトは、イタリアを代表する作曲家として、フランスの宰相マザランから招聘を受け、ルイ14世の婚礼の祝典オペラを作曲すべくパリに赴いたことだ(もっともカヴァッリ本人は旅行嫌いであまり気が進まなかったらしく、2年ほどパリに滞在した後さっさと愛する故郷に戻ってしまった)。カヴァッリの声名が欧州各国に轟いていたことを示すエピソードである。

さて、『ラ・カリスト』はカヴァッリ50歳、円熟期に作曲された作品で、その陽気でコミカルな性格で特筆すべきオペラとされる。1970年の歴史的な復活上演を機に知られるようになり、2007年に校訂楽譜が出版されてからは、欧州各地で上演されるようになってきたそうである。
この時代の音楽は、現代の作曲・記譜法とは根本から違う在り方をしているため、上演にあたっては、場面をつなぐ音楽や楽器パートを新たに付け足すなど、多岐にわたる音楽面の補強が必要である。演奏のアントネッロを主宰・指揮する濱田芳通氏がプログラムの中でその創意工夫の詳細を語っている。非常に高度なクリエイティヴィティが奏者に要求される作品であり、今回の上演では、アントネッロの面々の熱演もあいまって、非常に面白く新鮮で、時に笑い、時に驚かされながら、存分に音楽を楽しむことができた。

このオペラの筋立てについては、字数もあり説明を割愛する。神話の世界に登場人物を借りた、大らかな性愛讃歌であり、厳然たる階級社会でありながら孤児となった私生児が街中にあふれていたというヴェネツィアならではの(ヴィヴァルディはこうした孤児を収容する施設の音楽教師であった)、エロスと機知と庶民の生命力に満ちた物語である。

伊藤隆浩の演出は洗練されて美しく、美術(古口幹夫)・照明(喜多村貴)ともに創意に満ちていて、このチームによる上演をまた観たいと思わせる印象的なものだった。簡素で美しい舞台装置は一見「唇」を思わせる形だが、何かもっとエロティックなものを感じさせ、これはもしや沖縄の亀甲墓をヒントにしたのでは……と思ったらやはり、当たらずとも遠からず。ありていに言えば女性器の象徴なのだった。このオペラの内容にはまさにドンピシャの、大胆かつ気の利いた演出である。

ただ、舞台のこの洗練・象徴化が逆効果になっていると感じられる場面もあった。例えば「怒り」の2人が登場するシーン。舞台はこの上もなく簡素なのに、登場人物は衣装もメイクも写実主義と言うべきか、非常に説明的。こうなると何もない舞台が寒々しく見え、歌手が熱演するほどに空回りに感じられて気の毒だった。リンフェーア(加藤千春)とサティリーノ(島田道生)の二重唱の場面もしかり。こういうシーンでは、しっちゃかめっちゃかの猥雑なエネルギーが満ちあふれる舞台であってほしい。

字幕についてひとこと。演出の伊藤氏による労作だが、ごく少ない字数にタイミングよく歌詞のエッセンスを盛り込む難しさを感じずにいられなかった。上演機会の多い定番レパートリーの場合、それなりに練られた優れた字幕を見ることができるが、今回のように本邦初演、しかもエロティックな台詞が頻出するコメディとなると、字幕制作には最もハードルの高い演目と言えよう。苦心の労作であることは十分理解できたが、笑おうにも笑えないという場面が多々あった。字幕制作には、物語の内容と音楽への理解、そして文学的なセンスが高度に要求されることを改めて感じさせられ、字幕文を推敲・チェックするプロの出現を期待したいと思った。

歌手陣では、ディアーナを演じた野々下由香里が、女神の威厳と美しさを体現して強く印象に残った。終幕、乙女カリストに対し、天空の星として不滅の存在とすることを約束する神々の王ジョーヴェ。2人の二重唱「美しい娘よ、至高の神に愛された娘よ」「万物の王よ、生まれ変わりました」のシーンは、演出、アントネッロの演奏、2人の歌唱と、すべてが相まって至高の美しさが現出した。この公演の白眉と言える忘れがたい瞬間だった。






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