#  302

アンリ・バルダ ショパンリサイタル
2010年12月9日(木) @紀尾井ホール
reported by 伏谷佳代(Kayo Fushiya) photo by 林 喜代種(Kiyotane Hayashi)

《プログラム》*オール・ショパン・プログラム
マズルカop.67-4
マズルカop. 7-3
マズルカop. 56-2
マズルカop. 50-3
マズルカop. 41-1
マズルカop. 59-3

ノクターンop.9-3
ノクターンop.32-1
ソナタ第二番op.35「葬送」
<休憩>
24のプレリュードop.28
<アンコール>
即興曲第一番op.29
ワルツ第八番op.64-3

クラシックとかジャズ云々以前に、強力にアーティストの奥底から突き上げてくるピアニズム。そうした泉のように湧き出る、アーティストの原始的生命力に感嘆する。そういったアーティストと聴衆の直截的な出会いは稀有である。譜面として間に介入しているのは間違いなく形式の美であるところのクラシック芸術ではあるのだが、それが限りなく無色透明になる瞬間がある。クラシックの素養豊かな端正な演奏をするジャズ畑のピアニスト は枚挙にいとまがないが、フリージャズの息吹すら感じさせる、御しきれぬほどの逞しい生命力と躍動感を無理やりクラシックの様式美のなかで現出させるタイプを見る機会は稀有であり、それだからこそ心躍る。バルダは1953年生まれだから、年齢的には守りに入ってもいいはずだが、そういったスタイルの確立と表裏一体の閉塞感とは無縁だ。バルダ の円熟味とは、常にオープンに同時代を取り込むことによって拡大の一途を辿る類のものであるようだ。

第一部はマズルカ6曲とノクターン2曲、締めにソナタを配したものだが、マズルカ6曲を一気に弾きとおしたあと、次のノクターンへ移るまで、ほとんど黙祷の時間とも受け取れるような、かなり勿体つけた静寂の間が置かれる。逆にノクターンからソナタへ移行するときは、曲間の区切りは一切なし。あたかもメドレーのような構成だ。クラシックの演奏会で今日び、このようなステージ・パフォーマンスがどの程度見られるのかは知らないが、奏者自身が曲や作曲家の知名度を陵駕するほどの存在感とスター性を持っていなければサマにならない。作曲家の意図を忠実に読み取るのと同時に、自らが有するピアニズムや音色の美質を、曲想にすべり込ませて効果的にプレゼンテーションする。事実、このマズルカ数曲で、いままでアンリ・バルダを生で聴いたことがない人も、その幅広い音楽性と、一朝一夕では身につかぬ、皮膚感覚で習得したかのような古き良きヨーロッパのピアニズムを見せ付けられる。音から風景が見えるのだ。単に視覚的なものではなく、嗅覚や触覚といった微細なニュアンスが立ち昇る。名香や芳醇なワインだけが持つ馥郁(ふくいく)、に近いものがある。マズルカで見られたバルダの打鍵そのものは、極めて直情的である。逡巡なしに振り下ろされ脱力が効き、ためらいの跡や造りこみ感は皆無だ。マズルカ独特のリズムは、全身が一本のバネとなることでごく自然に再現される。ペダルさばきも記譜とうまく符合するように組み込まれる。そうした男性的な面と、音色のグラデーションの色分けを可能にする、個々の指の腹部分の繊細極まりない感覚。あくまでバルダ流にショパンを豪快に解しながらも、ショパンをショパンたらしめるところのフェミニンな叙情性は余すところなく展開されるのだ。ソナタ第二番で感じられたのもまた、「何を作者の意図と見做すか」である。記譜通りの再現? それは今更いうまでもない。その曲が生まれた背景の考察? それも重要だがあくまで外堀だ。むしろ、各部のポエティックな部分の、最も核となるであろうエッセンスを豪快に選び取る先天的な想像力と意志が、このピアニストを非常に押し出しのよい存在に見せているのではないか。ジャズ的なフィーリングを感じさせる所以もここにある。あくまで曲の解釈で成り立つところのクラシック音楽であるゆえ、重要な音だけを採って他は弾かない、というようなことはもちろんない。しかし、音の優先順位のつけ方は、一般的なクラシックのピアニストと比してかなり過激だ。全体にフォルテの割合が高く、テンポ・ルバートも大胆、音の伸ばし具合もかなり自由。有名な第三楽章の「葬送行進曲」は、ゆったりとしたテンポの曲にも関わらず、クレシェンドの迫力は格別だ。音圧と音速も随一。悪魔的疾走で駆け抜けた最終章、フォルティッシモを最大限にペダルで引き伸ばした、長大なる残響のフィナーレは圧巻。

この第一部をバルダのテクニック面でのショーケースとすれば、第二部の『24のプレリュード』は、その叙情性と、パレットでブレンドされたかのような微細な音色(おんしょく)のスライド感を存分に堪能できるものだった。この前奏曲集は、バッハの前奏曲にインスピレーションを受けて作曲され、すべての調性が用いられていることでも知られている。音色の表情に乏しいピアニストには致命的だが、バルダにはうってつけの選曲。これについてはプログラムでピアニストの青柳いづみこ氏が予測している通りの素晴らしい出来映え。以下各曲の一行素描。

第1曲 ハ長調・アジタート・・・割と重めのしっかりとした打鍵による上昇感。念押しするかのような印象付け。
第2曲 イ短調・レント・・・ペダル最小限の素音に近い音。独特のなげやり感を生み、ジャズっぽさが露出。
第3曲 ト長調・ヴィヴァーチェ・・・装飾音的な左手のアルペジオ処理が個性的。
第4曲 ホ短調・ラルゴ・・・左手の音色の微細なスライドが触覚を這う。
第5曲 ニ長調・モルトアレグロ・・・左手と右手のほぐし難い縺(もつ)れが、やるせなさを演出。
第6曲 ロ短調・アッサイレント・・・左と右の音色の属性がまったく異なるところが不思議な多層感。
第7曲 イ長調・アンダンティーノ・・・わが国では胃腸薬のCM曲としてあまりにもポピュラーになってしまった曲だが、破綻なく穏やかにしっとりと終止。
第8曲 嬰へ短調・モルトアジタート・・・ベースラインが強烈に浮き彫りにされながらも、なぜかその他の部分が目立ってしまう、確信犯的演出。
第9曲 ホ長調・ラルゴ・・・引き続いて低音部の強調。
第10曲 嬰ハ短調・モルトアレグロ・・・高音部が前曲に応酬するかのように華やかに舞う。
第11曲 ロ長調・ヴィヴァーチェ・・・前2曲を総括したかのように派手に交錯する両手。たっぷりと歌いこまれ、唐突に止むところに無限大の崇高さが。
第12曲 嬰ト短調・プレスト・・・鋼のように強靭でバネの効いたテクニックとリズム感が全開に。すべてはリズムに還元される。
第13曲 嬰ヘ長調・レント・・・左手三連符のぼかしを効かせた滲み出しが幽玄。
第14曲 変ホ短調・アレグロ・・・喩えは変だが、モグラ叩きのごとき多様な低音の神出鬼没。かなりジャズっぽいパーカッシヴ感。
第15曲 変ニ長調・ソステヌート・・・雨だれ。こういう誰もが知っている曲で、とんでもないミスタッチ。一瞬音楽が止まる。しかし、「雨だれ」を表現した単音連打の部分では、かなり大げさな振り子感を現出させて非常にドラマティック。先ほどのミスも帳消し。
第16曲 変ロ短調・プレスト・コン・フォコ・・・ピアニスティックな疾走全開。ペダルが時折混濁しすぎるが、意図したメロドラマ効果か。
第17曲 変イ長調・アレグレット・・・前曲と対照的にタテのグルーヴが前面に。遠近感も良く出ている。遠く→近く、よりも、近く→遠く、の方が表現は困難なのではないかと推察されるが、うまくこちらの時空を目くらます。
第18曲 へ短調・モルトアレグロ・・・出だしのアクセントがフリージャズっぽい。ペダルも大げさ。
第19曲 変ホ長調・ヴィヴァーチェ・・・たたみかけ感抜群。
第20曲 ハ短調・ラルゴ・・・右手高音部の小指の超硬質音。パキーンとしたキメの楔(くさび)。
第21曲 変ロ長調・カンタービレ・・・各音の肌理と密度の高さ。
第22曲 ト短調・モルトアジタート・・・左手オクターヴの金属音による攻め上げ。 第23曲 ヘ長調・モデラート・・・喧騒がありすぎるほどのアルペジオがいかがわしくて好印象。
第24曲 ニ短調・アレグロ・アパッショナート・・・左手の弾力性のあるアルペジオに、右手の鋭角的なグリッサンド。言葉でいうのは易しいが、この人間自体が孕む矛盾そのもののような焦燥感や怒りの出処は?自ら納得したもののみを先入観なしに咀嚼してきた音楽家だけが生むことのできる迫力。

何故に聴衆はアンリ・バルダの魅力にこれほど打たれるのか。ひとえに現代の芸術家に失われてしまった、ある意味前世紀的な「ヴィルチュオズィティ」を具現しているからである。薫りの高さやエスプリ、圧倒的な存在感は、修練によって得られるものではない。そういった近寄り難さが憧憬を生むのだ。その壮麗極まりない演奏とはうらはらの、MCなどで垣間見せた茶目っ気たっぷりの人間性も、彼をスターとせずにはおれない所以だろう(*文中敬称略)。





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