#  304

ゲルハルト・オピッツ シューベルト連続演奏会 (Schubert Zyklus 2010) 第1回&第2回
2010年12月14日 & 12月21日 @東京オペラシティコンサートホール
reported by 伏谷佳代(Kayo Fushiya) photo by 林 喜代種(Kiyotane Hayashi)

≪プログラム≫
<第1回>
楽興の時D780
ソナタロ長調D575
10の変奏曲D156
ソナタイ短調D784
*アンコール「3つのピアノ曲」D946-1

<第2回>
ソナタイ長調D537
「さすらい人幻想曲」D760
ソナタイ長調D959
*アンコール「即興曲」D935-2

"Zyklus" (ツィクルス)と題するからには、そこに一貫して物語性がなければならないのだが、果たして2013年12月にまでわたって予定されているという全8回のツィクルス、一回一回をひとつの物語として完結できるように上手くプログラミングがなされている。作曲年代順に並べるのではなく、初期・中期・後期から作品をバランス良くピックアップ。毎度、作曲家像にさまざまな角度から焦点を当てることができるというわけだ。オピッツといえば、かのヴィル ヘルム・ケンプに薫陶を受けたという正統派。ジャーマン・ピアニズムの精髄がこの人ほど深く根付いている人はいまい。しかも、ハイライトを創りやすいベートーヴェンやブラームスなどとは違い、シューベルトである。ロマン派ではあるのだが、古典派からの脱却を強く志向しながらも完全には形式の束縛から自由になれず、その有り余る歌心をもて余したまま、まとまりなくふっつりと終わる曲が少なくない。試行錯誤を重ねてしまった故の、長さだけは記録的な曲が(特にピアノ曲では)多いのだが、だからこそプログラムをまとめることに一捻りも二捻りも要する。こういった試みを敢行するようなピアニストは、コンサート・ピアニストとして第一線であることが前提であるので、技術的にどうこうという次元ではない。泉のように流れる歌心を、そのピュアな美しさを、はにかむような奥ゆかしさを、技術と経験を下地にいかに語るかである。シューベルトの美はそのまま調性の美であるといってもよいが、その盛り上がりも、自然に波に乗れば自己のピアニスティックな面が投影できるほど単純なものではない。例えば、和音を一押しして、そのままで静止してしまうような曲もある(楽興の時、第六曲など)。和声勝負、というか、和声の静かな推移だけで曲が展開してしまうので、鍵盤を押した瞬間のみにピアニストの実力が賭せられてしまう。瞬時にピアニストの音楽性と成熟度が試される恐しさがある。ただ闊達に指が廻るだけとか、ペダル使いで色彩を出すとかでは音楽が成り立たない。

オピッツのピアノは、いかにもドイツ流の、抑制の効いた思慮深いアプローチである。誠実に各部を分離して際立たせ、調の属性を炙りだし、ペダルの使用は必要最小限と思えるほどに留める。ピアノ自体の音を忠実に鳴らすことは、各曲の締めの部分の残響の末尾まで徹底している。ペダル任せともいえるような、べったりしたエコー効果は決して出さない。オピッツはベーレンライト社から出ている『新シューベルト全集』をスコアとして用いているというが、テンポ設定なども(ときにルバートを心持ちたっぷり目に効かすことはあっても)スコアにどこまでも忠実で、その読み取りの入念さにおいては職人の頑固さの域である。各音が多彩な強弱と色彩を保ちながらも、曲それぞれが弛み(たゆみ)なき構築美を誇る。ステージ全体を通して考えさせられたのが、「感情表出のありかた」についてである。声高に主張することが必ずしも効果を持ち得ないということ。平素の、ごく普通の流れのなかに潜む感情表出は、特に長いスパンの曲において雄弁さを持ちうることの証明。俗にいう「平常心」は、モーツァルトの音楽などについてもよく言われることかも知れないが、もちろん類は相当異なる。シューベルトの音楽には、モーツァルトのような一定した軽やかさはない。重かったり軽かったりの斑(まだら)模様が激しい。その一音一音の「芯」までを、オピッツはプロ意識に徹した客観的な態度で押しに押すのだ。その芯へ意識を集中させることが、オピッツのシューベルトを聴く喜びであると実感した二夜であった。

第一夜の冒頭に奏された「楽興の時」は、小品6曲から成るため、上記で述べたようなオピッツの美質を端的に示す絶好のショーケースであったといえよう。音色のなかに埋没してゆくような思慮深い打鍵の第1曲、空気にそのまま溶けてゆく抜群の融和力でシューベルト特有のコード進行の美を表出した第2曲(時に冗長にもなりかねない三拍子の連続もマンネリ化せずに持続)、飄々としたテンポでノーマルに進めながらも高音部の装飾音がハッとするほどの眩さ(まばゆさ)を放った第3曲、右手のレガートの息の長いなめらかさは極めて美しく、左手との交差がアルペジオひとつなぎの、弦楽器のごとき効果を生んでいた第4曲(左手のスタッカート気味のベースラインもまことに効果的)、弛みなきリズム感と構成力でクラシックらしからぬ(?) 床の踏みならしも見られた強靭なる第5曲。スケルツォ風の反復的リズムパターンだが、いかにヒートアップしても速度が前のめりになる愚は絶対に犯さない。諦念に満ちたコラール風の和声の魅力を、その第一音を鳴らした瞬間にたちどころに打ち建てた第6曲。和声そのものの磁力をこれほど強烈に、かつ哀愁と気品を持って供されたことは未だかつてない。一音に、一瞬に宿る人生の深み。いかにもロマン派らしい物語性に満ちた小品集だが、「読み取り行為」に主眼を置いた奏者の個性を前面に出したものではなく、作品の細部を照らして埋もれている可能性を探るような、学究肌の演奏であったといえる。あるいは、作品自体と自己との間の邂逅点を、非常に謙虚に、あくまで作品のなかに探っている印象を受けた。「10の変奏曲」や「ソナタD575」など初期・中期の作品では、音色自体はごくあっさりとドライにまとめ、リズムや装飾音をクリアに強調することにより曲全体にフレッシュさを付与していたように思う。音が簡素なものであっても、最大限の集中力が投影された音の「芯」が絶大なるテンションを発揮するのである。

第二夜前半のハイライト、「さすらい人幻想曲」。後にロマン派の作曲家たちがこぞって作曲した「幻想曲」の走りであり、形式的にはアレグロ/アダージョ/スケルツォ/フーガのほぼソナタ形式であるものの、休みなく続けて演奏されるためにあたかも一曲のような印象を与える記念碑的作品。アダージョの部分は歌曲「さすらい人」がモチーフとして使用されていることで知られている。つまり、元来複数人数で奏されるものをソロとして再構成する性質を持っているわけだが 、こういう曲でこそオピッツの能力は遺憾なく発揮される。オーケストラの各パートの音を明確に棲み分けさせてゆくように、各部は別の生を生きつつもオピッツの人間力のもと統率され、共生する。ライトモチーフは両端楽章を結びつける「強-弱-弱」のリズムパターンだが、この部分における明晰なペダル処理と透徹したタイトな音の掴み、楽曲全体へと受け継がれてゆく迅速な左手の牽引力、そして強鍵のなかにじわじわと滲み出す色彩感はさすがの貫録。曲のハイライトでもあるアダージョの「さすらい人」の部分では、高音から下降する右手のパッセージが夢幻このうえない。この流星のごとく煌びやかな右手に幻惑されがちだが、実はこれを支える左手のコード押さえがなかなかに効果的にモノを言っている。奥ゆかしすぎるほどに埋没した響きだが、濁りは皆無できちんと存在感があるのに驚かされる。後半の大曲「ソナタD959」では、かなり男性的で派手なアプローチが見て取れた。ほとんど鍵盤を捌く(さばく)かのごとく思い切りのよい打鍵、音域は硬質で非常に平面的な広がり。フラットな響きのなかに音を封じ込め、そのなかの芯だけを太く太くしてゆこうという削ぎ落とした明晰な意図。これまでと一転して、細部への憶測を止め、あくまでピアニスティックなレヴェルでのみ作曲家を捉えようとするような斬新 な効果を生んでいた。

二夜を聴き終え、そのツィクルスとしての物語性はどうだったかと考えれば、ちかちかとさまざまな音が瞬いている、その運河にいるような気分である。起承転結というよりは、常に渦中にいるようなライヴ感覚が残存する。オピッツの音は、あまりにいきみ過ぎた時には音が割れたりもしたが、その割れ感ですら音のヴァリエーションとして認識させるだけの物語性と説得力を持つ。物語は一音に宿るということか。ピアノのオーケストラ化、という点では、たとえばシプリアン・カツァリスなどとはまた違った味わいの音の堆積のうま味を堪能できた(*文中敬称略)。





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