#  305

千住真理子withスーク室内オーケストラ クリスマス・コンサート
2010年12月16日(木) @東京オペラシティコンサートホール
reported by 伏谷佳代 photo by 林 喜代種

≪プログラム≫
パッヘルベル:カノン
ヘンデル:コントラバスと弦楽合奏のためのソナタト短調
(*コントラバス:タマシュ・ヴィブラル)
バッハ:主よ、人の望みよ喜びよ(*ヴァイオリン:千住真理子)
ヘンデル:ラルゴ(*ヴァイオリン:千住真理子)
バッハ:二つのヴァイオリンのための協奏曲ニ短調BWV1043
<休憩>
バッハ/グノー:アヴェ・マリア(*ヴァイオリン:千住真理子)
シューベルト:アヴェ・マリア(*ヴァイオリン:千住真理子)
コレルリ:クリスマス協奏曲ト短調Op.6-8
バッハ:ヴァイオリン協奏曲第一番イ短調BWV1041

コアなクラシック・ファン、いわゆる通好みのコンサートではなく、一般の人々にヨーロッパのクリスマスの雰囲気を味わってもらえるよう編まれたコンサート。演奏時間もさほど長くない名曲揃いのプログラム。ソリストには、クラシック演奏家という枠組みを超え、もはやその名前のみで世に知られている千住真理子。オーケストラには、質の高さで世界中から賞賛を集めているスーク室内オーケストラ。なぜだか知らぬがこれだけの評価のオーケストラの音源が日本で手に入りにくい、という事実は抜きにして、名曲中の名曲の数々を彼らの演奏で日本にいながら聴けることは至福であろう。総勢14名、常任指揮者を敢えて置かないというスタイル。互いの親密度・信頼度から生まれるアットホームな雰囲気は、しかしなかなか妥協を許さぬ高い緊迫の糸に裏打ちされている。熱い緊張を孕んだ温もり。その響きが、素人から玄人まで万人の心に深く突き刺さる所以だ。

千住真理子の名を知ったのはずいぶんと前になる。2010年がデビュー35周年であったという本人の弁に感慨深いものがあった。筆者が小学生のころ、『音楽の友』誌に連載されていた「真理子の普段着でトーク」というエッセイを愛読していたのだ。特にヴァイオリン界においては早熟の才を輩出してきた日本、その筆頭に千住真理子も含まれる。若干12歳でN響と共演して華々しいデビューを飾りながらも(いや、それだからこそ?)、千住真理子は音楽一辺倒の道には行かなかった。普通大学で哲学を専攻し、旺盛な演奏活動の傍ら、ニュースキャスターなども務め、音楽以外の部分でも確実にキャリアを積んできた。いわばそうした幅広い人生経路がいまの千住真理子を形成し、名曲を演奏したときにも技術や音楽性以外のところで「豊かな何か」を語りうる演奏家たらしめていると確信する。

さて、パッヘルベルの「カノン」で幕を開けた途端、スーク室内オーケストラの美質は全開となった。編成の大小に関わらず一流のオーケストラに共通するのは、各弦楽器パートの運弓の方向が綺麗に整っていることである。弓の形が整わないオーケストラに優れた演奏はありえず。すでに視覚だけで判断されうる特徴である。スーク室内オーケストラは、第一ヴァイオリンでリーダーのマルティン・コスの卓越した牽引力が首尾一貫して、透徹した美しい弦のラインを生んでいた。コスの弟でもあるシュテパーン・コスの透過性優れたハープシコードの音色もエレガントな趣を醸し出す。

この日最も印象的だったのが、ヘンデルの「コントラバスと弦楽合奏のためのソナタ」。コントラバスをクラシックの分野で堪能することは稀である。オーケストラのいちパートという認識以上に発展することは難しい、明らかに地味な存在であるのだ。ジャズなどでは逆に低音の野太さでインパクトを放つ楽器であるが、この日はコントラバスのまた違った側面を味わえたように思う。要因はコンポジション自体に拠るのであろうが、ソロ・パートで出されたコントラバスの音色の線の細さと儚さ(はかなさ)に意表を突かれる。コントラバスにこんな微細な音色が出せるのか、と。さらに一音がその同一音程のなかで分割音的に微分化し、それぞれが共鳴し合って「たった一音」を成す。低音と高音の間を移動するときに、それらの一見不安定なピッチが、単なる「ムラ」として響くのか、「豊かなヴァイブレーション」として 認識されうるのか、評価は別れるかもしれない。このあたりは、たとえばジャズの感覚を持つ聴衆のほうがよほど寛大だろう。元はソロ・パートにオーボエを想定して書かれたという曲だけあって、それをコントラバスで代用することは、楽器の構造上、音の伸びの点で限界がある。逆にいえば、コントラバスという楽器の乾いた質感そのものを逆手に取って豊かに詩情を歌い上げる点、ソリストのタマシュ・ヴィブラルの才能が露呈されていたといえる。緩徐楽章で見せた、オーケストラに埋没しつつも絶妙にぬるりと浮かび上がるさまや、終章のアレグロでの口ずさむような自然さと自在さを持ったメロディ部が、オーケストラと溶け合いながらもきちんと主張するところに、この奏者の経験値を垣間見た思い。

千住真理子のヴァイオリンは、どの曲においても、一音一音が楽器の最深部から響いてくる。選曲にも拠るのだろうが、各部をムラなく余情を排して律動的に刻んでゆくところに、逆にエッセンスだけが残る豊穣さがある。時にエレクトリック・ヴァイオリンを思わせる音色は均一だが決して無表情になることはない。千住ヴァイオリンの醸し出す高音部は概して線が細い。しかしその細さが担う表情の広域さは、すすり泣きから天上の清らかさまで天衣無縫だ。ハーモニクスや重音が連続しても、幼少時に(身に付けるべき時に)確実に血肉化された揺るがぬテクニックが趣味のよいリリシズムを維持する。後付けのテクニックとは明らかに異なるのだ。第一部の締めくくりの曲である、バッハ「二つのヴァイオリンのための協奏曲」は、千住が師の江藤俊哉と12歳の時に演奏したデビュー曲。この日はマルティン・コスとの共演だったが、コスのヴァイオリンの構えは終始ネック部分を高く設定する。通常とは逆パターンだ。事実上の指揮者をも兼任するポジションにいるだけあって、全体がどう聴こえるかのバランスに絶えず細心の注意を払うのだろう。自分の音がどのように降りてくるかの客観視。どちらかというと下部より突き上げてくる千住のヴァイオリンと出会うところが美しい。この曲でもやはり、このオーケストラのコントラバス・パートの素晴らしさが目立つ。第一楽章で顕著だったベースラインの豊かなうねりは、アンサンブル全体を人間的な温かさでもってふくよかにし、充足感を与える。 奏法ごとの効果が考えつくされた熟練の技は次の緩徐楽章でも維持され、控えめながらも確固とした余韻を残す。終楽章のアレグロでは、擦弦楽器の醍醐味ともいえるTutti(トゥッティ)を堪能できたが、ややチェロがコントラバスの影になってしまったような感も。

第二部は、バッハ/グノーとシューベルトの「アヴェ・マリア」弾き比べでスタート。メロディ命の超有名曲、前者はオーケストラとソリストが一丸となってユニゾン的に単線を奏でることによる緊迫に裏打ちされた美、後者はオーケストラがピチカートによって音空間にサークル的な広がりをもたらしながら独奏を際立たせる、というシューベルトの王道。同じ曲を敢えてたて続けに演奏したのは、やはり「弦楽器のさまざまな側面を味わってもらいたい」という幅広い層の聴き手への配慮からだろう。千住による、銘器・デュランティの木の撓み(たわみ)そのものであるかのような、黒光りする重音の豊かな広がりも楽しめた。「音を共有し楽しむ」という音楽の基本姿勢は、玄人向けのコンサートでこそ失われているのかもしれない。

コレルリの「クリスマス変奏曲」。ぴったりと息のあったコントラバス・パート、楽器従来の低音の魅力を生かしつつ、小回りの利いた運弓で確実なグルーヴ感を出してゆく。その影となってアンサンブルを支えていたチェロ・パートが中間部では一気に露出して音楽全体の「琴線」のようなものを担う。しっとりと巧みに効かせたテンポ・ルバートが各部に上品な揺らぎを生み、オーケストラの醍醐味、ひいてはヨーロッパならではの古式ゆかしさを堪能する一夜となった。音楽は普遍的なものであるとはいえ、スーク室内オーケストラはその発足からチェコ人の国民性に深く根ざしているという歴史がある(ご存じヨセフ・スークにちなんでいるのだから)。保守的というと否定的な趣に捉えられることが多いが、伝統には高貴さと純粋な美が宿る。チェコの風土と文化に思いを馳せずにはおれない。幼少時への追憶を語った千住真理子のMCと共に、手の届かない時空へしみじみとした感慨を抱いた。本来、クリスマスにつきものの感情のはずだ。アンコールも、「ルーマニア舞曲」から「愛の歓び」、極めつけは明治ミルクチョコレートのCMソング(この日のスポンサー)まで、サーヴィス精神に充ち溢れたものだった(*文中敬称略)。





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