#  312

第16回ショパン国際ピアノ・コンクール 入賞者ガラ・コンサート
2011年1月22日(土) @東京・Bunkamura オーチャード・ホール
reported by 伏谷佳代 (Kayo Fushiya) photo by 林 喜代種 (Kiyotane Hayashi) *写真は1月23日撮影分

≪プログラム≫
1. ダニール・トリフォノフ(第3位)
  ピアノ協奏曲弟1番ホ短調op.11※
  *アンコール:トリフォノフ「ラフマニアーナ」
2. フランソワ・デュモン(第5位)
  即興曲弟1番変イ長調op.29
  スケルツォ第3番嬰ハ短調 op.39
  *アンコール:エチュードop.10ー5「黒鍵」
3. インゴルフ・ブンダー(第2位)
  ポロネーズ第7番変イ長調 op.61「幻想」
  *アンコール:モーツァルト/ヴォロドス「トルコ行進曲」
<休憩>
4. ルーカス・ゲニューシャス(第2位)
  ポロネーズ第5番嬰へ短調op.44
  エチュードイ短調op.10-2
  エチュードイ短調op.10-4
  エチュードイ短調op.25-11「木枯らし」
  *アンコール:ワルツ第4番ヘ長調op.34-3
5. ユリアンナ・アヴデーエワ(第1位)
  ピアノ協奏曲弟1番ホ短調op.11※
  *アンコール:ワルツ第5番変イ長調op.42

※アントニ・ヴィット指揮/ワルシャワ国立フィルハーモニー管弦楽団

「ヨーロッパ勢の底力を見せつけたコンクール」と散々喧伝されてはいたが、このガラ・コンサートを聴いてそれを十分に納得するに至った。ヨーロッパ/ロシア勢の様々な才能のショーケースであり、音楽文化の土壌そのものの豊かさにおいて伝統の枠を超えて圧倒されたと言ってよい。自明なことではあるが、個性なくしてアーティストにあらず。その事実を如実に突きつけられた。東京2公演を含めた全国7公演。オーケストラを引き連れての来日。公演によって出演順や演奏曲目に変化は見られるものの、第1位から第5位まで(今回は第2位が2名、第6位はなし)の入賞者のうち、第4位のボジャノフを除く全員の演奏を、極東にいながら一度に味わうことができるのは幸運と言わねばなるまい。東京公演の会場であるBunkamuraオーチャード・ホールも、午後2:00開演にも関わらず熱気と賑わいを見せていた。

6人の若きアーティスト達を通して聴いての感想は、これから音楽界は否が応にも意識の変革を迫られるであろうということである。楽譜の解釈とその再生を基本とするクラシック音楽といえども、「それだけ」をやって来た一点集中主義的な優等生では太刀打ちできない次元へと、世界の音楽基準は変遷している。その意味で1965年の中村紘子(第4位)以降、毎回コンクールの常連であった日本人コンテスタントたちが今回は1人も残らなかった、という結果は象徴的だ。マルタ・アルゲリッチ以降45年ぶりの女性優勝者であるユリアンナ・アヴデーエワ(1985年生まれ;ロシア〜在スイス)のソロは昨年オペラシティですでに聴いているが、25歳という年齢にそぐわぬ成熟と包容力を感じさせる大人の演奏であった。今回も彼女がどのようなコンチェルトを弾くかに注目して行ったのだが、その他の入賞者たちの粒揃いの個性と才能を見るにつけ、彼女の影は薄くなってしまった感は否めない。とりわけ、第2位を分け合ったルーカス・ゲニューシャス(1990年生まれ:リトアニア)とインゴルフ・ブンダー(1985年生まれ;オーストリア)には、奏されたのが僅か数曲にも関わらず熱狂した。ゲニューシャスの音楽には、すでに梃子(てこ)でも動かない「自らの話法」が定着している。すべての音色にオーラが纏わりつく。魔術的という陳腐な表現を通り越し、妖気と称するのがしっくりくる情感が立ち込める。その音楽がひとたび流れ出すや否や、場の空気は一変し別次元へと放り込まれる。ポロネーズの第5番という選曲も粋だ。通常、あまりステージ映えするとは言えない通好みのこの曲で、あれほどの悪魔性を孕んだ情念を表現できることにまず驚愕した。冒頭の一パッセージで、こちらに悪寒を催させるほどに屹立した「ゲニューシャスの世界」が打ち立てられる。続いて感嘆したのがプログラム構成のセンスである。エチュード3曲をワン・シークエンスで弾き上げる。一曲一曲の個性を明確に弾き分けていくというよりは、「イ短調」という共通の調性のなかに潜む個々の差異をスライドさせつつ、流麗なテクニックで炙りだしていこうという一貫した大きな物語性でのアプローチ。さながら繊細な絹糸のタペストリーが織られてゆく実況中継。アンコールの「猫のワルツ」。例えばかつて一世を風靡したスタニスラフ・ブーニンの、高速度のグルーヴにのっとった、しかしあくまで3/4拍子の定型を崩すことのない「リズムによる攻め」が現代的な解釈の代表であるならば、ゲニューシャスは一味も二味も違う。3連符がどこまでも途切れなく波となって続いてゆくような、痺れるような快感が押し寄せる。リズムではなく、ピアニズムが全面に出るのだ。「3連符を連綿としたアルペジオの波として処理するワルツ」は新しい。舞曲の再定義であろうか。

第2位を分け合ったインゴルフ・ブンダー。コンクールではコンチェルト賞と幻想ポロネーズ賞も併せて受賞した。この日はその幻想ポロネーズを披露(翌日の公演ではコンチェルトを弾いたという)。ブンダーはヴァイオリニストでもあり、ごく若い時期にスタートさせたそのキャリアの初期には二足の草鞋を履いていた。全く属性の異なる楽器を自在に扱えるという経験値は、そのまま無限ともいえる音楽構築力の深みへと直結している。破格のスケールを持った構成力とミクロに至るまでの繊細さを併せ持つ、真の意味での超絶技巧。深遠かつ的確な分析力と自由奔放な即興センス。これらすべてがブンダーには内蔵されている。ポロネーズ形式のデフォルメ、その幻想的な拡張が骨頂であるこのポロネーズにおいて適格な奏者であることはもちろんだが、何よりも「インストゥルメンタリストとしての比類なき資質」に圧倒される。ピアノという楽器を奥底まで知り尽くしているのがどの断片からも伝わってくるのだ。どこをどう押せばどうなるか。結果、瞬間ごとに最良のサウンドが積み重ねられるのである。アンコールに弾いたヴォロドフ編曲の「トルコ行進曲」では、このピアニストの絶対音感と天才的な技巧、即興への適性が余すところなく提示されていたと言えよう。今後、クラシック以外に活動領域を拡張しても鬼に金棒である。人柄の反映ともいえるような洒脱なステージ・マナーといい、間違いなく近い将来世界の音楽界を担うスターである。

コンサートのトップ・バッターでコンチェルトを披露した、第3位のダニール・トリフォノフ(1991年生まれ;ロシア〜在アメリカ)も忘れてはなるまい。演奏が始まってまず気づかされるのが、その耳の良さである。オーケーストラ・パートとピアノが拮抗し合うのではなく、ポリフォニーとして非常に馴染みよく響き合う。「オーケストレーションの一部としてのピアノ」という視点で曲を解釈しているのが如実に伝わってくる。プログラムのプロフィール欄に目を通して納得した。トリフォノフは作曲家でもあるという。多声部を同時に俯瞰することと展開の先読みに関して、やはりこなれている。配慮に溢れた、端的に言えば「気の利いた」演奏である。抒情性と豊かな色彩を孕んだ音色の透明度の高さも特筆に値する(※トリフォノフのピアノのみファツィオリ)。あまりにオーケストラとの親和性が高いがゆえ、フレッシュな疾走感に欠けると思わせる箇所もないではなかったが・・。それも全体の仕上がりの高さを考えれば些細なことである。技巧も素晴らしく安定しており、わずかにかすったな、と思われたのは一音のみ。アンコールには、ジャズのイディオムをたっぷりと溶かし込んだ自作の「ラフマニアーナ」を。自国文化へのリスペクトにも溢れた明媚な一曲である。

トリフォノフに続いて登場した第5位のフランソワ・デュモン(1985年生まれ;フランス)、フィナーレを締めくくった優勝者のアヴデーエワに関しては、上記3人と比して「コンサート・ピアニストとして完成されている人」という感を強くした。これと言って欠点が見あたらない。コンクールというのは長丁場であり、いかなる時も自らのペースで音楽を持続できる安定した能力は強い。インパクトは少ないかもしれないが、点数の取りこぼしが少ないのもこういったタイプの演奏家たちである。確かな研鑽に裏打ちされた、深度ある演奏。コンクール時の演奏曲を奏しているのだろうが、技術的に難易度が高くはない即興曲弟1番を選曲するあたりに、逆にデュモンの自信が見て取れる。技巧を見せつけずとも、「自らの音楽」に確信があるのである(*文中敬称略)。

*関連リンク:
ユリアンナ・アヴデーエワ/リサイタル評
http://www.jazztokyo.com/live_report/report300.html


ダニール・トリフォノフ

フランソワ・デュモン

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