#  315

エレーヌ・グリモー ピアノ・リサイタル『Resonance』
2011年1月17日(月) @東京・サントリーホール
Reported by 伏谷佳代 (Kayo Fushiya) Photo by 林 喜代種 (Kiyotane Hayashi)

≪プログラム≫
モーツァルト:ソナタ第8番イ短調K.310
ベルク・ソナタop.1
    <休憩>
リスト:ソナタロ短調
バルトーク:ルーマニア民族舞曲
*アンコール
グルック:『精霊の踊り』より「メロディ」
ショパン:『3つの新練習曲』より第1番

頑固一徹、のピアニストなのだろう。新譜『Resonance』(レゾナンス)の発売を記念してのコンサート・ツアー、アルバム収録曲と寸分の狂いのないプログラム構成。時と場所によってヴァリエーションを持たせるということもない。現時点で納得して仕上げたものだけを披露する、或いは同じ曲を繰り返し奏するなかでこそ練り上げられてくるもの、その深度へのあくなき挑戦か。グリモーのアルバムには毎回テーマがあり、新譜の『Resonance』のみならず前作の『Reflection』(回顧)、『Credo』(信条)を見ても判るように、あたかも自らの視点で音楽史を編み直すかのような果敢さに溢れている。作曲者の意図をくみ取り忠実に再現しようというよりは、もっと奥底にある作曲時の精神状態・生活感情といったものまでをも「想像」し、新たなストーリーとして現時性のなかに提示する。器楽奏者としてというより、ストーリーテラーとしての総合的なパフォーマンス力で勝負しているところが、エレーヌ・グリモーがクラシック音楽界にあって他の追随を許さぬ点であろう。

『Resonance』は、共鳴・共振の意である。プログラムを見ても明らかなように、選曲の背景に横たわる共通項は「オーストリア=ハンガリー帝国」である。各作曲家の目に映り作曲に影響を及ぼしたであろう当時の風景・世相や、内面形成に影を落とさずにはおれない時代精神。それらは極めて個人的な体験であり、個人史であるがゆえ感情の過多から逃れ得ない。いわば「個人」の側から、あるいはその小さな鏡に映ったもののなかから大きな歴史の流れへ肉迫し、浮き彫りにしようとする試みである。事実というのは一つではなく、客観は複数あるということを体現するかのようなパフォーマンスだ。

プログラム全体を通して聴いての第一感は、プロジェクトとしては今回も成功である、ということだ。スター・ピアニストとしてやはり周到である。エレーヌ・グリモーというピアニストが持つピアニズムは独特だ。以前その生い立ちを読んだことがあったが、彼女は幼少期の叩き込みによって鉄壁のテクニックを習得していった、いわゆる「正統派エリート」タイプのピアニストではない。まず自らの琴線に触れる偉大な音楽があり、それ近づきたいがゆえに途轍もない集中力で「曲のなかで」直にテクニックを身に付けていった天才肌である。練習曲臭さや優等生的な鍛錬の後があまり見えない代わりに、テクニック的には時折安定を欠く。パッセージにムラが生じたり、和音に軋みや不揃いが生じたりすることはままある。コンクールなどでは全く受けないタイプだろう。しかし、それを補って余りある「グリモー流」としか称し得ない音色と音圧がいかなる時でも健在だ。グリモーの一番の魅力は何であるかと問えば、指と鍵盤との一瞬の接触時にビリビリと電流のように立ち昇る、極めてヒステリックな趣にあると言えるだろう。いかなる音も緊迫の糸に縛られる。テクニック上の一抹の不安定感が、一気にエキセントリックな魅力に転じる点だ。奏者の意図が音化されるまでの距離が最速最短であると言ってもよい。音色とグリモー自身が薄皮一枚の至近距離にある「直截性」がグリモーの比類なきパフォーマンス力である。

このようなピアニズムを鑑みたとき、冒頭のモーツァルトにはやはり違和感がある。モーツァルト特有の玉が転がるかのような小気味良い安定感からは遠い。通常軽やかに奏されるはずの装飾音も、呆気にとられるほどのもったりとした重さで処理される。しかしながら、その音色はふくよかで、くぐもった陰影と丸みを持つ。魂の揺らぎ、がこれほど感じられるモーツァルトも少ないだろう。一音が人魂そのものとして響くという現象。「モーツァルトらしいか/古典派らしいか」という問いは別にして、作曲者の作曲当時の心境のみをひたすら炙りだすことに集中している点において、極めて純度の高い演奏といえる。様々な変調の妙を絶妙なテクスチュアとして織り込んだ第3楽章などは、息もつかせぬほどの色彩豊かな展開で、ほとんど後期ロマン派を感じさせるものであった。続いて奏されたベルクとリストのソナタ。共に単一楽章形式のソナタとして現代に至ってもなお斬新さを放つ作品であるが、グリモーのテンペラメントに最も合致していると思われたのはリストであろう。壮大かつ内省的で複雑に入り組んだ楽曲構造を持つ曲でこそ、彼女の思索好きな一面が遺憾なく発揮される。第2部展開部における主題で織りなされる抒情性の発露は、天上の境地ともいうべきか。現実世界から遮断された、超俗的ともいえる高い抽出力による夢幻の世界。途轍もなく高い集中力の裏側にある境地であることは言うまでもない。強弱/緩急の振幅が激しい曲にあって、打鍵のヴァリエーションの豊富さも随所に感じられたが、欲を言えばリスト特有の絞り込まれた冷徹なトーンで、さらに全体をコーティングして欲しい、と思われた箇所なきにしもあらず。終曲のバルトークに至っては、曲そのものが持つエスニシティとグリモーのエキセントリックな資質とがうまく呼応し合っての相乗効果。フィナーレに相応しい盛り上がりを会場にもたらしていた。

こうしてプログラムを追うと、曲が進むにしたがって奏者と楽曲との距離が狭まっていく感覚を覚える。フォーカスが徐々に奏者と楽曲との合一、すなわちグリモーの内面世界に定まっていくように構成されているのであろうが、結果として最も印象に残るのが、冒頭に奏された「違和感を拭えないモーツァルト」であるのが不思議だ。思えばコンサートのタイトルである『Resonance』(共鳴・共振)とは想像力の旅である。想像力が完全に及ばないところにこそ旅の妙味があるのと同様、自らの個性と合致しない楽曲との格闘、作曲家の精神世界の追体験のほうがより聴き手に鮮烈な印象を刻むのは理にかなっているということか。共鳴される対象(作曲家)よりも共鳴する行為(グリモー)に主眼が置かれる。プロジェクトとして成功している、と述べたのはその意味である(*文中敬称略)。





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