#  317

東京芸術劇場シアターオペラ Vol.5 P.マスカーニ 歌劇『イリス』 全3幕
2011年1月30日(日) @東京芸術劇場 大ホール
Reported by 多田雅範 Photo by 林 喜代種

指揮・演出・字幕(公演総監督):井上道義
合唱:武蔵野音楽大学
管弦楽:読売日本交響楽団

19世紀末のオペラ作曲家ピエトロ・マスカーニ、歌劇『アヴァレリア・ルスティカーナ』の鮮烈で熱狂的なデビューによりロッシーニやヴェルディに続くオペラ作家と目された存在だが、友人でもありライバルでもあるプッチーニの存在に隠れてしまった感がある。プッチーニの世界3大オペラのひとつと言われる『蝶々夫人』(1904)、これは長崎を舞台にしたものだが、マスカーニはそれに先立って同じく日本を題材にしたこの『イリス』(1898)を書いている。ところが役名が京都・大阪・芸者であったり、吉原の遊郭から谷底に身を投げる(そんな谷は吉原にはない)、摩訶不思議な、または特異な、考えようによってはアヴァンギャルドだとも言える作品。19世紀末に欧州を席捲したジャポニズムが生み出した芸術を、21世紀を迎えた当の日本はどのような観点で受けいれようというのか。座り心地の悪さを予想しつつ客席に着く。

日本初演は1985年8月の日生劇場、指揮は井上道義によってなされた。それから23年、井上の熱意が実り08年12月東京芸術劇場で2度目の上演が果たされた。これが三菱UFJ信託芸術音楽賞を受賞する。そして、今回の再上演が実現した。

冒頭、大勢の合唱隊がステージを埋めはじめ「太陽賛歌 Inno del sole」が会場にあふれるように響きわたる。合唱隊の衣装は鮮やかなオレンジ色から黄色にグラデュエーションがまぶしい色彩。井上の表情が太陽のように・・・、まさに井上道義劇場のはじまりだ。当初の不安のほとんどはこの段階で吹き飛んでしまう。

盲目の父親と田舎で暮らす少女イリス(あやめの意・色彩は紫色)は、好色旦那オオサカに見初められ、オオサカの連れで遊郭の元締めであるキョウトとの共謀によって拉致され遊郭・吉原に連れて来られる。ホリヒロシによる人形芝居によっておびき出される。イタリア・オペラのスケール感のある舞台と音楽のなかにあって、この極端に制約されたスペースにおいて人形師が繰る動きが、小さく、小さくであれダイナミックに、それは日本文化のフレームの深みを振動させて伝播してくるような動きであって、観客を魅了した。それは、マスカーニが当時のイタリア聴衆に仕掛けた表現とは断絶し、2011年のわたしたちがわたしたちのものとして受信する魅力ではないだろうか。

イリスをつとめた小川里美の、まずは華奢で芯の通った四肢の美しさに魅せられた、そしてその薄い胸板からは想像をこえた強いソプラノが聴かれたことに驚いた。あまり似たタイプを見ない歌手だ。スレンダーでちょっと長身で、役柄の不幸な人格と女々しくならない魅力的な声の表情。あとから調べたら99年のミス・ユニバース日本代表でもあったという。もちろんイタリアの地で09年にデビューし「理想的なトゥーランドット」と好評を博するキャリアも。

オーケストラを中央で分けて通路があり、後方がステージ。指揮者は中央の通路の横。オーケストラ・ピットに隠れない演奏家と指揮者、踊り子たちが通路をはなやかに降りてくる音楽においても、ときに指揮者は一緒になってポーズを決める、字幕は「おれ、萌える」など、ともに井上道義劇場満開である。

遊郭・吉原でイリスが悩みながら過ごすシーンでは、なんと胡弓が鳴り響いている。ステージの中央には北斎の有名な春画「蛸と海女」の屏風。「あの蛸は快楽でもあり、死でもある」と歌われる。イリスが三味線を手にして一音奏でてみせるが、まったくもってお話にならないダンボールのような音、字幕には「イリスは三味線が弾けなかった」。なんという演出。盲目の父親が吉原に現れて、こともあろうに娘イリスをなじる。絶望したイリスは吉原にあるはずもない谷底に身を投げて第二幕が閉じる。

第三幕、場所はあの世。オオサカ、キョウト、盲目の父親が現れて身勝手な独白が披露される。イリスの自問自答、最終的に、天に救われるという強引な展開で、一挙に再度「太陽の賛歌」になだれ込むようにして、ただひたすらに音楽的な強度でもって感動的なフィナーレを迎える。

じつに楽しいコンサートだった。観どころ、聴きどころ満載で、それらのポイントは明快に観客は理解し、狙いどおりに受信されたのだと思う。総監督井上は、こんなに日本人が、日本人だからこそ楽しめるオペラがあるんです、わたしたちのオペラなんです、みなさん!というメッセージなのだろうと思う。提起するマエストロ、日本で一番の音色を持つオーケストラ・アンサンブル金沢を率いる、日比谷公会堂の熱気をふたたび!と企画する、同い年のクレーメルと共闘するように公演をする、ジャズピアニスト小曽根真との共演、ドゥダメルの客席からライバルを見つめる井上・・・、井上道義は金沢を本拠地に音楽的日本地勢を、まるで日本地図をひっくり返して世界とつなげるような、金沢をイタリアにしてしまうような、北越雪譜を田中角栄に続いてくつがえす、そういう巨人である。この日、「太陽賛歌」に包まれながら微笑む井上は太陽に見えたし、スキンヘッドは太陽で坊さんに見えた。

オペラというジャンルとしてながめてみると、この『イリス』になにほどかの完成度なり統一的世界観を求めるのはやはり無理があるもので、というのもわたしのような門外漢が数少ないオペラ体験から得たオペラの真髄のひとつに「無意識への働きかけ」というものがある。不条理とカタルシスは遅効性だ。下世話な言い方では、こんな救われない死の淵からわたしは日常に戻って丁寧にこつこつと生きてゆこうと首をすくめたくなるのがオペラの効用でもある。現代音楽の作曲家はおしなべてオペラの大作に向かうようでもある。井上道義にはそういうオペラを振ってほしいのだ・・・、と、ここにきて井上の『イリス』実現の向こう側にある願望はそれなのかもしれない!と、思ったりもしてみるのである。









WEB shoppingJT jungle tomato

FIVE by FIVE 注目の新譜


NEW1.31 '16

追悼特集
ポール・ブレイ Paul Bley

FIVE by FIVE
#1277『大友良英スペシャルビッグバンド/ライヴ・アット・新宿ピットイン』(ピットインレーベル) 望月由美
#1278『David Gilmore / Energies Of Change』(Evolutionary Music) 常盤武
#1279『William Hooker / LIGHT. The Early Years 1975-1989』(NoBusiness Records) 斎藤聡
#1280『Chris Pitsiokos, Noah Punkt, Philipp Scholz / Protean Reality』(Clean Feed) 剛田 武
#1281『Gabriel Vicens / Days』(Inner Circle Music) マイケル・ホプキンス
#1282『Chris Pitsiokos,Noah Punkt,Philipp Scholtz / Protean Reality』 (Clean Feed) ブルース・リー・ギャランター
#1283『Nakama/Before the Storm』(Nakama Records) 細田政嗣


COLUMN
JAZZ RIGHT NOW - Report from New York
今ここにあるリアル・ジャズ − ニューヨークからのレポート
by シスコ・ブラッドリー Cisco Bradley,剛田武 Takeshi Goda, 齊藤聡 Akira Saito & 蓮見令麻 Rema Hasumi

#10 Contents
・トランスワールド・コネクション 剛田武
・連載第10回:ニューヨーク・シーン最新ライヴ・レポート&リリース情報 シスコ・ブラッドリー
・ニューヨーク:変容する「ジャズ」のいま
第1回 伝統と前衛をつなぐ声 − アナイス・マヴィエル 蓮見令麻


音の見える風景
「Chapter 42 川嶋哲郎」望月由美

カンサス・シティの人と音楽
#47. チャック・へディックス氏との“オーニソロジー”:チャーリー・パーカー・ヒストリカル・ツアー 〈Part 2〉 竹村洋子

及川公生の聴きどころチェック
#263 『大友良英スペシャルビッグバンド/ライヴ・アット・新宿ピットイン』 (Pit Inn Music)
#264 『ジョルジュ・ケイジョ 千葉広樹 町田良夫/ルミナント』 (Amorfon)
#265 『中村照夫ライジング・サン・バンド/NY Groove』 (Ratspack)
#266 『ニコライ・ヘス・トリオfeat. マリリン・マズール/ラプソディ〜ハンマースホイの印象』 (Cloud)
#267 『ポール・ブレイ/オープン、トゥ・ラヴ』 (ECM/ユニバーサルミュージック)

オスロに学ぶ
Vol.27「Nakama Records」田中鮎美

ヒロ・ホンシュクの楽曲解説
#4『Paul Bley /Bebop BeBop BeBop BeBop』 (Steeple Chase)

INTERVIEW
#70 (Archive) ポール・ブレイ (Part 1) 須藤伸義
#71 (Archive) ポール・ブレイ (Part 2) 須藤伸義

CONCERT/LIVE REPORT
#871「コジマサナエ=橋爪亮督=大野こうじ New Year Special Live!!!」平井康嗣
#872「そのようにきこえるなにものか Things to Hear - Just As」安藤誠
#873「デヴィッド・サンボーン」神野秀雄
#874「マーク・ジュリアナ・ジャズ・カルテット」神野秀雄
#875「ノーマ・ウィンストン・トリオ」神野秀雄


Copyright (C) 2004-2015 JAZZTOKYO.
ALL RIGHTS RESERVED.