#  321

アンドラーシュ・シフ ピアノ・リサイタル
2011年2月15日 @東京オペラシティコンサートホール
Reported by 丘山万里子 Photos by 林 喜代種

<シューベルト・プログラム>
 「楽興の時」D780/op.94
   第1番ハ長調、第2番変イ長調、第3番へ短調、第4番嬰ハ短調、第5番へ短調、
   第6番変イ長調
 「即興曲集」D899/op.90
   第1番ハ短調、第2番変ホ長調、第3番変ト長調、第4番変イ長調
 「3つのピアノ曲」D946(遺作)
   第1番変ホ短調、第2番変ホ長調、第3番ハ長調
 「即興曲集」D935/op.142
   第1番へ短調、第2番変イ長調、第3番変ロ長調、第4番へ短調

アンコール/「ハンガリー風のメロディ」「グラーツ風ギャロップ」

 シューベルトはほんとうに、歌う人だ。「歌って歌って歌い死にしそうだ!」と彼は言ったらしいが、そのとおり。シフも、なんとよく歌ったことだろう!
 彼の打鍵は独特だ。上品なヴァイオレット・グレイのペルシャ猫がキイの上を歩くみたい。鍵盤の底までしっかり打鍵しているのに、叩いたその時でなくて、ほんのわずか、ずれながら残響のように立ち上がってくる響き。どんなピアニシモもどんなフォルティシモも。だから、全体がにじむような湿り気を帯びて、響きが歌を縁取る。
 オール・シューベルトのプログラム。『楽興の時』から6曲。『即興曲集』から4曲。これが前半で、後半は『3つのピアノ曲』(遺作)と、やはり『即興曲集』から4曲。彼はこれらを一連の花輪のように弾いた。それも、シューベルトの愛したウィーンの森に群れ咲く野の花を摘んできたように。
 例えば、前半最初の『楽興の時』第1番ハ長調から第6番変イ長調までにずっと鳴り続けていたのは同一音(ユニゾンの場合も含め)の連打の響き。これがいわば花を撚ってゆく若草色の茎で、むろん、さまざまな花をつけてすべての6曲が編まれる。シューベルトの同一連打音は、どこか偏執的なところがあるけれど、でもそれがシフのような人に自在な色彩で弾かれると、夢のように美しく、もっと、もっと、とせがむような気持ちにさせる。と同時に、どこか不穏な空気を漂わせるのもシューベルトらしいし、それをまたシフは実に自然に往来してみせるのだ。気まぐれな光と影に包まれた野の小道をゆくように。
 『楽興の時』第1番の後半に出て来る左のG(ソ)の3連符のユニゾンは、第2番の右手のEs(ミの♭)の連打音につながるし、第4番は中間部のDes(レの♭)のコード和音の連打になり、そしてあちこち寄り道しながら、第6番のアウフタクトの連打に流れ込む。中でもポピュラーな第3番は、ハンガリアン・ダンスのようで、手を取り合って輪になって踊る若者たちの笑顔が弾けるような愉悦があって、このとき、彼の左の打鍵は最もしなやかにダンサブルだった。それで、そう、ウィーンという都からほとんど出なかったシューベルトの周囲にあった空気、街中やホイリゲ(居酒屋みたいなもの)で人々を楽しませた楽士たちの音楽、民謡のたぐいが彼にとってどれほど豊かな資源であったかも手に取るように伝わってくる。シフはハンガリーの人だから、こうなるのは当然。
 後半の『3つのピアノ曲』の第1番は『魔王』を思わせる凄みがあって、これは野バラの刺みたいなものだろうか。そういう仕掛けが、後半のプログラムにもたくさんあり、ここでも連打音が様々な形で現れるのだが、こちらはSkale(音階)の扱いの見事さに圧倒された。なかで、心を打たれたのは、『3つのピアノ曲』の第2番。5月の微風に揺れる花影のような美しさをふりまきながら、中間部ではあっという間の翳りと驟雨。それからまた雨露に輝く花々がそちこちに揺れる、というふうにシフは弾いた。
 もう一つ、特別に聞こえたのは、やはり後半の『即興曲集』の第1番。中間部、左と右とを交差させて弾かれるパッセージは、まるで天上の歌人との歌い交わしのようで、どこかへと魂を持ってゆかれそうになった。なぜ? それは、もしかしたら、このコンサートが、昨年末に亡くなったシフのお母さんと、先月、やはり他界した彼の妻ヴァイオリニスト塩川悠子のお母さんへの追悼だったからだろうか。そのメッセージはプログラムの間にはさまれていたから、客席の全てがそれを知っていたかどうか。そういう、いわば「想い」のイメージを持つのと持たないのとの違いは、私にはわからないが、とにかく、そうと知った私には、どうしてもそのように聞こえたのだった。
 シフは本来、即興詩人だ。シューベルトも然り。この夜の幸福は、その一点に尽きよう。それともう一つ、彼ら西洋音楽の背後には必ず、ユダヤとロマの文化の姿が見える、ということ。それに改めて気付かされた一夜でもあった。







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