#  329

横山幸雄『プレイエルによるショパン・ピアノ独奏曲全曲演奏会』第6回
2011年3月9日(水) @東京・上野学園 石橋メモリアルホール
Reported by伏谷佳代 (Kayo Fushiya) Photos by 林喜代種 (Kiyotane Hayashi)

≪プログラム≫
パリ時代初期の遺作のマズルカ
 ニ長調(1832)/変ロ長調WN41(1832)/ハ長調(1833)
/変イ長調WN45(1833) /ハ長調WN48(1835)

4つのマズルカop.17
4つのマズルカop.24
<休憩>
12の練習曲op.25

2010年の「ショパン・イヤー」にスタートした、横山幸雄による『プレイエルによるショパン・ピアノ独奏曲全曲演奏会』。全12回にわたる、その壮大なるプロジェクトの第6回目。横山幸雄のピアニストとしての華々しいキャリアはもはや言わずもがなだが、教育者としても旺盛な活動を行っていることもつとに知られている。自らが教鞭をとる上野学園大学・石橋メモリアルホールにおいて、1910年に制作されたプレイエルを使用し、ほぼ編年順にショパンのピアノ曲を追うというもの。「人間・ショパン像」に肉迫しようとするシリーズだ。すでにショパンのピアノ・ソロ全166曲同日連続演奏を挙行し、ギネスブックにも登録されている横山だが、その鉄壁のレパートリーを本人の語りも含めてじっくりと味わい直す別ヴァージョンとも言える。

メロディだけが独り歩きして有名になってしまった曲も多いショパン作品を、いま一度時代的な枠組みのなかで捉え直し、よりドキュメンタリー・タッチで虚飾を排して再現するこの試みの主眼は、もちろん流麗なピアニズムの披露に置かれているのではない。横山幸雄ほどのピアニストになれば、それはもはや自明の次元であるのだから。ヴィルチュオズィティや豊かなキャリア、こなれたステージでのパフォーマンス力などを凌駕した次元での得難き「大きさ」。作品への深い共感と精緻な分析力が生むところの、高い集中力に支えられた澄み切った精神世界。それらは何も雑音のない世界を意味しない。作曲家の極めて泥臭い面も含めて、作曲時のショパンの内面を如実に映すという点で澄み切っていたといえる。そうした姿勢が1910年製のプレイエルという楽器を鳴らし切る、という行為にもごく自然に繋がっていることも、聴き手に心地良さと充実感をもたらす要因であったといえるだろう。

第6回目に当たるこの日は、シリーズのちょうど折り返し地点。ショパン23〜25歳。パリの社交界で注目を集めはじめた充実期の作品に焦点が当てられた。前半は遺作を含めたマズルカ計13曲、後半が12の練習曲である。

マズルカのみを配したプログラムは難しい。曲としてはパターンが確立しており、短く、曲想も素朴なものが多いため飽きを生じやすいのだが、この日は杞憂であった。前述したようにショパンの精神世界を垣間見る鏡として、各曲が相互に呼応し合い、ひとつのユニットのようにうまく機能していたからである。作品17。和音による縦の連打が意外なほど影を潜め、緩やかなレガートの波として感知された第1曲目は、あくまでインテンポ内での揺らぎに趣味の良い抒情性を際立たせた第2曲へと引き継がれ、左手の和声がチカチカとサブリミナル効果のように瞬く第3曲で静かな感情の極みを迎える。第4曲に至っては、左手の和声はさらに沈鬱さを増してほとんど色彩の混濁のなかを泳ぐような錯覚に捉われる。こうした一抹の息苦しさの下地を作るのに、プレイエルのソステヌート・ペダルが果たす役割は如何に?

  作品24。あたかも第2曲への序奏のように、単音の素朴さをさらりと際立たせた第1曲。両手のバランスが「聴覚」の側から客観的に考えつくされた第2曲。メロディだけが殊更に強調されるのではなく、平等なウェイトで響いてくる。聴き手の「耳をそばだてる」意識を喚起する。徐々に上昇するかのように優雅に進行する定型のリズムが、ふっつりと消え入るように終止する第3曲。聴き手の意識も響きの霞(かすみ)の上へと導かれる。その地点から息を吹き返す第4曲。高雅さを保ったままでのピアニシモからフォルティシモまでのダイナミクス。霞の微音からクリスタルのようなクラリティを放つ強音まで自在にコントロールされる。その統率力はプレイエルの残響が消え去る最後の最後まで行き届く。

後半の『12の練習曲』op.25については、各曲のスケッチを以下に。

第1番 変イ長調「牧童」・・・柔軟極まりないアルペジオの波に乗り、あたかも88鍵の内部がくるりと裏返されるかのような内面世界。要所で効かせる瞬発力抜群のスナップの効いた単音がサウンドをぐいと引き締め、牽引する。

第2番 ヘ短調・・・ケレン味が皆無という点で見事なリアリズムを刻む右手のパッセージ。ノンシャランとした中に、切なさや儚さがかすむ。ピアニッシモ内部でのダイナミズムの豊かさが美しい。

第3番 ヘ長調・・・一拍目の掴みのよさ如何に掛る曲だが、リズミックな突き上げ感は、テクニックをひけらかすのではなく和声を巧妙に響かせることで実現される。

第4番 イ短調・・・無情なほどに一糸乱れぬ低音部のメカニズム。余情を排している点が逆にドライで屹立した文学性を生んでいる。

第5番 ホ短調・・・中間部は叙情に走るのではなく、研ぎ澄まされた音色によりリスト的な近寄りがたい孤高性が構築される。ノイズ的に処理される分散和音が時代への想像力を掻き立てる。ジャズのようなパーカッシヴな〆め。

第6番 嬰ト長調・・・難易度で鳴らす右手の三度和音は完璧に黒子に徹する。皮膚の上を這うかのように左手が静かに押し寄せてくる様は不穏かつ優雅。音量ではなくあくまでニュアンスで音質が決定されている。

第7番 嬰ハ短調・・・技巧性=音楽性として完全に溶け合う。「表現力とは何か」を問う絶好の例。

第8番 変二長調・・・八度和音の進行から透けて見えるのは、ピアノは木で出来ているという材質感。ぐらぐらと軋(きし)みを効かす硬質のヴァイブレーション。かなり異端な解釈だろう。

第9番 変ト短調「蝶々」・・・前曲の残響から流れるように突入。今度はピアノの弦の部分も歌いだす、ピンポン玉が弾け飛ぶ様を見るようなギクシャクした楽しさ。

第10番 ロ短調・・・第8番からの一連の動きを「触感のヴァリエーション」と捉えると非常に楽しい。この曲に至っては柔らかさを通り越した粘着質のパッセージ、その上昇と下降の妙。

第11番 イ短調「木枯らし」 ・・・あまりに有名な曲ゆえにドラマティックな始まりをつい期待するが、意外に弱音で小気味良くスタート。特筆すべきはフォルテの質。単なる音量で圧倒するのではなく、予定調和的な整合性にヒビを入れるかのような、音響の深い把握。ざらついた音質で強烈に切り込む。迫力はあるが決してテンポは速くないところに注目。音の太さと貫禄を増すフィナーレはさすが。

第12番 ハ短調「大洋」・・・プレイエルというピアノが隅々まで鳴らし切られる。各音のパーカッシヴな連なりに、個別の音色の美とバネとしての楽器の一体感の双方を如実に感じる。男性的でストレート、骨太な構成力 (*文中敬称略)。







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