#  337

エリアフ・インバル&東京都交響楽団/2011年5月都響定期Aシリーズ
2011年5月18日(水) @東京・東京文化会館大ホール
Reported by: 伏谷佳代(Kayo Fushiya) Photos by: 林喜代種(Kiyotane Hayashi)

指揮:エリアフ・インバル
オーケストラ:東京都交響楽団
ヴァイオリン独奏:ブラッハ・マルキン

≪プログラム≫
プロコフィエフ:ヴァイオリン協奏曲第2番ト短調op.63
ブルックナー:交響曲第2番ハ短調(ノヴァーク/第2稿・1877年版)

「人徳」の二文字。都響のプリンシパル・コンダクター、エリアフ・インバルの貫録とユーモアたっぷりの姿を見たとき、脳裏によぎる単語だ。その指揮も多くを語らずとも、常に最速で総意を得てしまう。いかなる分野でも司令塔とはかくあるべきではないか、とすら思う。小の声にその生成から粘り強く耳を傾け、ここぞというポイントで大きな流れの方向をぐいと定める。音の奔流にバネと求心力、勢いが生まれる。東京都交響楽団という、素のままでも稀有な音色の透明度を誇るオーケストラが、インバルのさじ加減により変幻自在に表情を変える。オーケストラの醍醐味ともいえる、繊細であると同時にダイナミックなテンションの持続を一貫して堪能できた一夜であった。

第一部はヴァイオリンに若きソリスト、ブラッハ・マルキンを迎えてのプロコフィエフのヴァイオリン協奏曲第2番。非常に丁寧な、細部まで読み込まれた演奏である。全楽章を通し、ヴァイオリン・ソロが殊更に声高になる場面は少ない。絶えずオーケストラとの同等な調和・対話を試みていたようだ。有名な冒頭部の無伴奏ソロは、遠方から寄せてくるような、あるいは地中から新芽が顔を出すかのような、ナチュラルな音の到来。マルキン自身の歌心は背後に回り、あたかもヴァイオリン自体が歌いだすかのように、楽器の材質感がそのまま語りかけてくる(マルキンのヴァイオリンは1757年製J.B.ガダニーニの“Trechman”)。その音色は時としてフラットで奥行に乏しかったり、重音の部分でのごわついた複数の細い線も、オーケストラの音量のなかでくすんでしまう瞬間もなきにしもあらずだが、一方でそれはリアリスティックな写実性を生む。面白かったのはオーケストラのヴァイオリン・パートとヴァイオリン・ソロの音色が対比される箇所。都響の硬質で澄み切った音の円筒の表層に、あたかも爪でひっかき傷を残すかのようなノイジーで強い音圧でのマルキンの切り込み。古典的ともいえる明確な楽曲構成のなかに、さりげなくモダンなスパイスが採り込まれる。マルキンのヴァイオリンの魅力は、とりわけ高音部でメロディをじっくり響かせるときに全開になると見え、その音の伸びは金管楽器を思わせるほどのなめらかさだ。擦弦楽器の特徴を超越していると言ってもよい。音の陰影を補足するかのように寄り添うオケのコントラバスとチェロの低音弦パートは熟練のサポート力。とりわけ芯の部分での熱さを保ちながら絶妙に音の輪郭を滲ませる、コントラバスのピッチカートの幽玄なる響きにはプログラムを通して惹きこまれた。緩徐楽章においては、クラリネットとヴァイオリン・パートの清澄な響きの構築にまず耳を奪われる。このオーケストラは、楽器間の区別なく目指す音質に統一が図られているのではないか。それは「水晶のような透明度」である。マルキンの丁寧な弾き込みも、ヴィブラートの部分では身をよじるような内面性が露わになり、肉厚さを増す。煽動的なリズムやパーカッションの動員で華やかなりしフィナーレでは、インバルの捌(さば)きの良さが如実に現れる。各パートのサウンドを増幅して縦横に旋回させつつ、練り上がった音の層をジグザグに分断する。音を寄せるときだけではなく、払うときにもなぜか音の流れに秩序が生じてしまうところがインバルの凄さだ。マルキンのソロは全体を通して細部まで配慮の行き届いた破綻のないものであったが、母国を離れてながい流浪の果てに書いたという作曲家の、悲哀や揺れ動く心情といった「不安定さ」を描く点において、やはり若さは否めない。終始一貫して技巧が張り巡らされた曲であるだけに、優等生的に弾けば安定はしてものっぺりとした印象になってしまう。メリハリづけに難儀する曲である。

さて、後半のブルックナー。この交響曲もブルックナーの他作品と同様に改訂が重ねられ、ヴァージョンも複数ある。この日は1877年(初版は1872年)のノヴァーク版を採用。例えば、第1楽章において、コーダのオスティナート・バスが大幅にカットされたり、全楽章を通して速度表示が大幅に変更されるなど、ブルックナー特有の長大さはかなり軽量化されてはいる。しかし、インバルの持ち味である大きな物語を俯瞰する堅牢なる構成力、都響の各パートが揃ってクリアするところの純度の高い音色美、その団結の良さから来る長時間のテンションの持続力、などを味わうにはうってつけの壮麗さを保って余りある。第1楽章冒頭において3種のテーマが折り重なるように展開するところでは、それぞれが輪郭のはっきりした独立した色彩を保ちつつも、巧妙に気孔が開いているがごとき有機的な繋がりを見せる。そもそも、明確に切れ目がないのが歌心というものであり、そうした生(き)のままの音楽の姿を何の衒いもなく引き出せるのがインバル流。空気を斬るような最小限度の動きで、過不足なく音のうねりを導く。音が生まれる根源や物語の原風景をさらりと提示する。展開部ではふたたび低音弦が充実し、ピッチカートや下降音の堆積が織りなす律義でみっしりとした音の密度、時おり感じさせる胸苦しさまでもが、ブルックナーという上昇志向の塊のような男の人間像を浮き彫りにする。各パートのサウンドが上下方向に分化してふくらみを増してゆくところでは、音の中心が一瞬空洞化し、それがまた張り詰めた無の美しさを生みだす。都響の弦の魅力は、明晰な澄み切った音を保ちつつもそこに粘着力をも加えることができるところで、音量が小さくなればなるほどその魅力を発揮する。第2楽章のアンダンテでは、そうした弦の特質が金管パートへと受け継がれ、弦は余白を活かした含蓄のある小刻みな動きで崇高な音空間を作り出す。特に音が途切れた瞬間の余韻はなかなかのもの。インバルの身体の動きは、オーケストラの音量が小さいときほど入念で大仰になるのが面白い。大音量のときは、ほとんど東西南北を示すだけの羅針盤のようである。第3楽章のスケルツォで見せた、オーケストラの瞬発力にすべてを一任したかのような大胆かつ的確な音の推進、それらすべての集大成といえるかのような最終楽章。ミクロレヴェルに至るまでの緻密な音の枝葉がそのまま大木へと繋がるよう、絶えず全体的なパースペクティヴのなかで構築される天賦の平衡感覚。全パートにおける音の密度コントロールが素晴らしく効き、孔が開いたり閉じたりするような皮膚呼吸の感覚で、めくるめくように音質を変えてゆくオーケストラ。優美と無骨、野心と自己内省、繊細と豪胆、哀切と表裏一体のあわ立つような高揚感、など矛盾した人間感情が、混濁することなく同居しながら攻め寄せる。指揮者の動きを見ずしても、結果として出された音だけで指揮者の指針がたちどころに提示される。いや、多弁ではない指揮だからこそ、奏者たちは意図の汲み取りに長けることになるのかもしれない。推理力とでも言おうか、勘が俊敏にはたらく。その結集。都響が一糸乱れぬマグネティックな求心力を持つ所以であろう。エリアフ・インバルは、時にヤマ師のようにハッタリをかけながらも、かなりの確率で最良の現在を実現してしまう、音の予言師である(*文中敬称略)。







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