#  341

瀬川祥子ヴァイオリン・リサイタル
2011年5月19日(木) @東京・銀座王子ホール
Reported by; 伏谷佳代(Kayo Fushiya) Photos by:林喜代種(Kiyotane Hayashi)

ヴァイオリン;瀬川祥子(Sachiko Segawa)
ピアノ;山口研生(Kensei Yamaguchi)

≪プログラム≫
タルティーニ(クライスラー編) : ヴァイオリン・ソナタ ト短調
「悪魔のトリル」
ベートーヴェン : ヴァイオリン・ソナタ第5番 ヘ長調「春」op.24
           <休憩>
プーランク : ヴァイオリン・ソナタ
フォーレ : ロマンス 変ロ長調
サン=サーンス : 序奏とロンド・カプリチオーソ イ短調op.28

<アンコール>イザイ:子供の夢

名曲で固めたプログラムである。これら知名度の高い曲の数々を、よくある「名曲コンサート」に陥ることなく、作品への深い共感と骨太の音楽性で朗々を謳いあげる。ヴァイオリン・リサイタルというよりはデュオ・リサイタルに近い趣を持つものであった。技巧に秀出たアーティスト輩出において我が国がトップレヴェルを行くことは周知の事実だが、音楽性の成熟、キャリアを重ねるごとに深化してゆく揺るぎなき個性、といった側面で捉えたとき一抹の心もとなさは否めまい。そのようななかで、モスクワ、パリ、ベルリンに学び現在もパリを中心に活動する瀬川祥子、同じくベルリンに長い山口研生の音楽は、芸術というものを生活や風土の一部として肌で吸収しながら、抜かりない「自己のスタイル」と呼べるまでに存分に練り上げられた、一朝一夕では身につかぬ貫録を感じさせるものであった。奇抜な個性でのステージングや技術への過信へ走らない、心の奥底から納得された音楽。それはコンサート慣れしている我々に「パフォーマンスとは何たるや」を問いかける。

冒頭のタルティーニが始まるや否や、そのヴァイオリンの豊穣なる音色に魅了される。低音から高音まで常に一定の「線の太さ」がある。毛足のそろった頑丈なハケでしっかりと塗装してゆくかのごとく、細部に至るまで音の密度にムラがない。擦弦楽器であるヴァイオリンが持つ「擦る」という手触り、「かすれ」という空気への抵抗が生む、不安定さややるせなさへの共感。瀬川のヴァイオリンは、この固定概念ともいえる楽器の属性から良い意味で逃れる瞬間が多々ある。例えば第2楽章アレグロでの、空気を完全に味方につけて一体化したかのような滑らかな入(い)り。追い風を受けて疾走する音は引力を孕み、たたみ掛け感も抜群だ。第3楽章ラルゲットで見せた、感情がたっぷりと注ぎこまれる高音部。エキセントリックであると同時に、計算高い理知的なユーモアも根底に漂う。彷彿させられるのは、声楽のファルセット。女声によくあるコシのない音質ではなく、的(まと)の精確な男声のファルセットである。楽器の「ウラの声」を噛みしめるように味わえる。ハイライトである「悪魔のトリル」部分、その低音による重音の迫力がどうであったかは、バリトンとバスによる輪のようなデュエットを想像されたい。

山口研生のピアノが充実していた。繊細極まりない指の腹の触覚、その微細なヴァリエーションの広がりまでをつぶさに感知させる。瀬川祥子のヴァイオリンが直截的に切り込んでくる質のものであるのに対し、山口のピアノはその間接性、インダイレクトな響きの妙を持ち味とするように思われた。指と鍵盤との間に、気づくか気づかないかすれすれの薄さの半透明なパピルスが介在しているかのニュアンス、とでも言ったらよいか。それ自体で重層性やアンサンブル感を有している音色。さざめきとクラリティの両方を持ちあわせる(室内楽で卓抜な力を発揮するピアニストであろうと直感した次第)。鍵盤上に無造作に落ちる水滴を想起させる、重力任せの抜けの良いタッチから、氷柱(つらら)がポキポキと折れるかのような明晰でドライな質感まで、そのダイナミック・レンジは驚くほど広い。ピアノのニュアンスのスライドの連続が、この日の大きな醍醐味のひとつであったことは疑いない。

ベートーヴェンのスプリング・ソナタ。ヴァイオリンとピアノの関係も対等に、交互に浮かんでは沈むこの曲に至って、この2人の奏者の共通する美質が浮き彫りにされたといえる。両者とも、表に出るときよりも影に潜むとき、言い換えればメロディを担うのではなく、伴奏としてサウンド全体の下地づくりをする場面でこそ美しい。第1楽章アレグロでの、抑制されたロマンティシズムがほのかに薫るピアノの粒立ち、音の頂点を寸分のズレもなく的確に突き上げるヴァイオリンのメロディも、音の芯の部分に高いテンションの琴線が張り巡らされる。若木が撓(しな)うなかにも決して折れないという安定、ブレない音楽性。緩徐楽章でのピアノの左手低音が醸し出す、淡々と営みを続ける清らかな小川の流れ。感情の襞(ひだ)を折りたたむ躊躇のないヴァイオリンのヴィブラートは、単音そのものの深みへと聴き手を導く。フィナーレでの両者の幸福な歩み寄り。楽器のマフラー部分の材質感を感じさせる羽衣のようなピアノは、天上の境地を表現しつつもやはり安定感を失わない。このフィナーレを迎えて初めて、第3楽章のスケルツォで見せた技巧的でスポーティなユニゾンが、合一の前段階として初めて納得されてくる仕組みである。

休憩をはさんでの第2部は、フランスものが3曲。ガルシア・ロルカに捧げられたプーランクのソナタでは、肩に力を入れるかのような堅牢極まりない固定されたフォームが印象に残る。どっこい生み出される音楽は、いかなる枠からも逃げてしまうロマの流動性。そのちぐはぐさが生むコントラスト。光と影が絶えずペアであること証明するかのように。ヒステリックかつダイナミックなスタッカート、その乾いた残響のなかに相手へ侵入の余地をあえて与えるピッツィカート、ピアノの和音と火の粉を散らし合う強靭な引っ掻き、etc…。それらはすべて凪の部分への序章でありその帰結である。とりわけ、醜い現実もすべて折り重なる鏡の屈折のなかへと封じ込めたインタラクティヴなインテルメッツォ、不穏な和音の金粉がいつまでも脳裏にパラパラと舞い続けるフィナーレ。そのドラマ性の豊かさは秀逸だ。続くフォーレのロマンスでも、黙して機(はた)を織り続けるようなピアノの3連符の連なりに、とりわけ高音部での息の長いヴァイオリンのフレージングが冴えわたる。「序奏とロンド・カプリチオーソ」に至っては、テクスチュアの重層的な広がりは全開となり、鮮やかな色彩が時に霧が晴れたかのように色分けされるさまは、視覚的ですらある。さながら映画音楽のようにさまざまな情景が浮かんでは消える。相も変わらずピアノとヴァイオリンのアンサンブルは精妙で、やみくもに融和することなく、それぞれのポエジーやパッションを抑制の効いた形で並行に現出させつつ、独特のふくよかな広がりを生みだしてゆく。複数の音と音との間に横たわるある種の「間接性」、そこは聴き手が自由な想像力をはさみ込むスペースでもあろう。

ステージ全体を通しての感想は、徹底的に大陸的であるということだ。ローラーで均(なら)したかのごとき、さまざまな土地を自らの足で遍歴してきた野太い音楽。立体的に組み立てられた骨組みの確かさ、真の意味での技巧が健在である。作曲家の生を炙りだすことは、究極的には彼らを取り巻く文化圏の諸々条件を解析するという域を軽々と越え、奏者と作曲家の深いところでの個のぶつかり合い、パッションの交感のみになる、と深く感じた一夜でもあった。出された音がどうであるかだ。コンチェルトなどもっと大がかりな編成の曲を、同じ奏者で聴いてみたいと思った(*文中敬称略。5月24日記)







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