#  342

ピョートル・アンデルシェフスキ ピアノリサイタル
2011年5月21日(土) @東京 サントリー・ホール
Reported by; 伏谷佳代(Kayo Fushiya) Photos by:林喜代種(Kiyotane Hayashi)

≪プログラム≫
J.S.バッハ: フランス組曲第5番 ト長調 BWV816
シューマン(アンデルシェフスキ編): ペダル・ピアノのための練習曲(6つのカノン風小品)op.56
ショパン: 3つのマズルカ op.59
J.S.バッハ: イギリス組曲第6番 ニ短調 BWV811
<アンコール>
シューマン: 「森の情景」op.82 から
                 孤独な花
                 宿にて
                 予言の鳥
                 別れ

思えばイーヴォ・ポゴレリッチにしてもグレン・グールドにしても、異端の系譜というものは、ある種の近寄り難いエキセントリックさと結びついている。しかし、アンデルシェフスキはその対極にある異端児である。音楽とは演奏者と聴衆の「立ち会い」によって初めて生まれてくるものであり、分かち合うコアである音楽へのディスタンスを限りなく聴衆と等しく置いている。分水嶺―アンデルシェフスキの音楽を聴いて思い浮かぶ単語だ。
「鍵盤に触れる」という具体的なアクションの前段階から、さまざまな音のジャンクション・ポイントたる彼の音楽はすでに鳴りだしている。

サントリー・ホールは舞台装置としては大がかりである。故に一層、彼の誘(いざな)いの試みを大仰に演出する。空間として演出すればその分視覚的に意識に刻まれることになるのである。コンサート・グランドを中央に、舞台の左手には白いソファが三脚と小テーブルを配置されている。開場時間にはもう、当の本人がソファでゆったりと寛ぎながら、微笑をたたえて聴衆を迎える。わが音楽の部屋へようこそ―アンデルシェフスキ・ワールドは可動し始める。

バッハに始まりバッハへ還るというプログラム、途中にシューマンとショパンというロマン派の作品を挟む形を取っている。楽曲と楽曲のあいだには大胆な跳躍は見られず、連綿たる連続性のなかで進行してゆく。作曲家の個性や曲想ごとの差異を大きく抱合した以上のところに、「アンデルシェフスキの音楽」という大きな外枠がある。奏者の個性が作品を覆うことは、多かれ少なかれ解釈芸術においてはみな同じ、とも言えそうだが、アンデルシェフスキの場合はその度合いが突出している。また、その極端な自己流をスタイルとして納得させてしまうところも彼ならではといえるだろう。

当初予定されていた『イギリス組曲第5番』から変更された、『フランス組曲第5番』を見てみよう。聴衆は身構えることもなく、呼吸をするようにその音の葉の渦に吸い込まれてゆく。バッハのフランス組曲のなかでも、とりわけ完成度の高さを誇る第5番、全6曲すべてが楽曲の前半と後半で韻を踏むなど、文学的な性格も色濃い傑作である。アンデルシェフスキは持ち前の豊富な触手を使い分け、表面上はひそやかながらも深い地層を感じさせる、密度の濃いアプローチを展開した。平織りのごときフラットな手触りの第1曲「アルマンド」では、ペダルに頼ることのない指のみの弾きわけで、肌理細やかに音の綾が織られる。装飾音やレガートが馴染みよく地に溶け合い、単なるリズムとしてのみ体感される。第2曲の「クーラント」。音が寄せては散る快活なダイナミズムが醍醐味の曲だが、ここでもペダル効果は最小限、十二分に解きほぐされた指のバネだけで柔軟に進行してゆく。チェンバロで奏した場合はとかく鋭角的になりかねない響きも、ピアノという楽器の特性、そのニュアンスの豊富さを最大限に活用。楽曲自体が持つ明朗さは、ふわふわと気分のなかに留まり(技巧でアピールはしない)、その飛翔感の持続のみ感知される。単音のエンディングも産毛が舞うかのよう。第3曲「サラバンド」。右手の高音も華やかなモノローグを殊更目立たせることはなく、この場合左手の低音が能弁となる。弱音でじわじわと押してくる迫力。単音同士の音の絡み、ためらいがちな遅延をも含めたピアニシモの幽玄さは、残響の最後の一瞬まで確実に息づく。第4曲以降も、快活なリズムと大胆な音の濃淡づけとが相俟っての滲(にじ)んだ光彩の明滅が美しい。ここでもピアニシモの音質は甘美でありながらもクリアで、微音であるだけに一層の奥ゆかしさを持つ。楽器の内なる声を掬(すく)いあげるアプローチは、あたかも鍵盤を練り込んで彫塑物を創り上げているような、奏者と楽器との一体感を感じさせる。そこには自然な呼吸とともに、指揮者の視点・客観性も健在である。技巧や構造の綾のすべてを、蝶が翻るかのごとき「音の群舞」のみに昇華した練られた演出の終曲も見事。

続くシューマン『ペダル・ピアノのための練習曲』は、バッハの古典性を踏襲しつつもロマン派のダイナミックな感情の起伏をうまく盛り込んだものであった。自身による編曲ということもあるだろう。各声部の駆け引きや引っ張り合い、静と動、推進や遅延などを、ゆらゆらとしたテンションのなかで肉づけしてゆく。息もつかせぬ展開だが、その美に容易に根拠を与えぬ周到さも。自然な呼吸の緩急は、音が鳴っていないはずの楽曲の間にも適用される。第3曲から第4曲へ突入するときの空気の圧力の持続、第4曲から第5曲の間に設けられた祈りにも似た深い沈黙の時間。すべてが自然の帰結として波打つ。この第5曲から一挙にギアチェンジしたかと思わせる、ドライでハードな打鍵。こういったタッチにより、音楽の表面的な「ライン」は消滅し、とぎれとぎれの「点」の連続として浮かびあがる箇所が生じてくる。瞬間の音としては印象的に感知されるが、音空間全体としては影に潜る、絶妙なドライヴ感覚。終曲ではピアノの素の音がそのまま語りかけてくる、衒(てら)いのないアプローチ。声部や音量が増しても、音色の質は常に一定である。強弱の乏しい古楽器を想定してのものかもしれないが、これは至難の技であろう。

ショパンはどうだったのだろう。これも当初予定されていたop.17のマズルカ4曲に代わり、op.59の3曲が演奏された。ジョルジュ・サンドとの別れの時期に書かれた円熟期の作品だが、舞曲らしいリズムの畳みこみとは無縁の、独自の話法が光った。第1曲もリズム的な起伏は乏しく、豊麗なメロディとセンティメントは淡々とリズムの中に落とし込まれてゆく。僅かに3拍子らしさが顔を出したのは中間部の左手パートのみ。粒立ちの良さのみがめくるめく流れを造り出す第2曲を経て、ドラマティックな曲想の第3曲へ。この辺りになると我々はもうアンデレシェフスキの内面世界に完全に取り込まれている。さながら内視鏡でその内側を見るがごとし。楽曲が持つ民族性豊かなリズムは表面から姿を消す(作曲家と同じポーランド人である故か)。つかみどころなく色彩の断片のみが散らされる。すべては内側で蠢(うごめ)いている。それが彼独自の熟成されたリリシズムで一見「さらりと」コーティングされている。どことなく「うたかた」の趣。このマズルカが「ショパンらしいか否か」は不問としよう。決して激流を生むことはなくとも、彼のイマジネーションの清流は決して澱むことはない(*文中敬称略。6月3日記)。







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