#  345

JTアートホール室内楽シリーズ
特別コンサート「室内楽のススメ」V/第1回・第2回
2011年6月13日(月) @東京・虎の門JTアートホール・アフィニス
Reported by :伏谷佳代(Kayo Fushiya) Photos by:林喜代種(Kiyotane Hayashi)

徳永二男と堀米ゆず子、という日本を代表するヴィルチュオーゾふたりの演奏を同日同所で連続して聴ける機会など滅多にあるものではない。そのステージングの比較は後述するとして、室内楽の魅力がぎっしりと詰まった選曲、プログラムはほぼ1時間構成のハーフ・サイズ、途中入れ替えを挟んでまた1時間の別プログラム。回転の良さと親しみやすさはもちろんだが、超一流の奏者だけで固められているという極上のシリーズ「室内楽のススメ」。1公演ずつ聴いても良いが、通しで聴く人が多いのも頷ける。3回目を迎えた同シリーズの、2公演を続けて聴いた。

【第1回】
<出演>
徳永二男(ヴァイオリン)
向山佳絵子(チェロ)
児玉桃(ピアノ)
<プログラム>
    ベートーヴェン:ヴァイオリン・ソナタ第5番ヘ長調op.24「春」
    ラヴェル:ピアノ三重奏曲イ短調

人々が徳永二男に対して持つ一般的なイメージはどのようなものだろう。N響を長年率いてきたという事実が、威厳に満ちた堅いイメージを生んでいるのではあるまいか。しかし、ソリスト・徳永二男の第一音は、そういった先入観をガラガラと崩壊させる。「楽器が泣く」という表現は比喩的によく使われるが、それほどのロマンティシズムは実はありそうでないものだ。しかし、徳永二男の音色はまさにこれである。涙にぬれたような瑞々しくも艶やかなる抒情。梃子(てこ)でも動かぬ貫録の安定感のなかに、途切れることなく動き回る放蕩が宿る。規則のなかでの最大限の遊戯、或いは遊戯のための規則---これは、共演者である児玉桃にも当てはまる。児玉のピアノは、とくに前半のスプリング・ソナタにおいて、それほど「音色」に観客の意識を向けさせない。音色の主導権はもっぱらヴァイオリンへ譲り、自身は指の運動性自体を前面へ出すような、パーカッシヴな存在感でたたずむ。くぐもりや奥ゆかしさをも含んだ音色の塊は、一陣の風となって颯爽と吹き抜ける。衝撃音の出し方にもジャズ的な処理が濃厚。緩徐楽章で見せた、空気感をうまく取り込んだ木魚風のリズムの輪郭づけも精妙である。ピアノとヴァイオリンはメロディアスな持続性とリズミックなサウンドの肉付けを巧妙にシフトさせながら、途切れることなき滑らかな地層を織りなしてゆく。安定感は抜群であるが、サウンドの振幅を波形に譬えるならば、その振幅は決して大きくはない。ダイナミック・レンジを敢えて限定することにより、テンションの張りつめや中央に音が集中する横溢感の現出に成功している。その密度の濃い充実感はひしひしと客席に伝わる。演奏者がステージ上で峻別しているであろう音が、そのままに近い形で客席にも伝播する。「最終的に届けられる音」へ向けて徹底して張り巡らされた意識。徳永二男のさすがのキャリアが滲む。

後半のラヴェルのピアノ・トリオに至って、児玉桃のピアノが全開となる。前曲では半分閉じていた花弁が開花するかのように、鮮やかな色彩がめくるめくテクニックと一体となって舞い続ける。ヴァイオリンとチェロのアンサンブルは、ヴァイオリンがかなりの低音域を、チェロが高音域をそれぞれ浸食することにより、ほぐしがたい縺(もつ)れとなってうねる。その上で自在に飛沫を散らすピアノ。流麗なパッセージは、ハープにも似た弦楽器の属性までをも醸し出す。バスク地方の民謡に着想を得た、フォークロアの要素をふんだんに盛り込んだメロディは、時に無調性的であり、喜びや悲しみといった単純な二極分化の感情表現を拒む。生活感情とはそもそも両義的で曖昧なものである。もの哀しくもユーフォリィを伴う不思議なラヴェルの曲想は、徳永二男の音色の個性とも合致するものであろう。リアリスティックな一方で、掴もうとすればするりと逃げてしまう、そのあたりの尻尾を掴ませぬ演出力。ピアノとチェロが時折担うドローンのような低音の響きも非常にシュール。あらゆる次元での遠近感を歪ませる。緩徐楽章では、ピアノとチェロで幕を開けた東洋的なメロディが、ヴァイオリンとピアノ、ヴァイオリンとチェロ、といった具合にデュオ構成で拡散してゆく際、その音域が接近したり離れたりするサウンドのワープに聴き手は気持ちよく翻弄される。思わず背筋を伸ばしたくなるほどの荘厳なる静寂から、音同士が出会うさまざまな衝撃音まで---それらは何も美しい出会いばかりではなく、潰れたりひしゃげたりの不協不和のトゥッティをも正直に映し取る。清濁すべてを呑み込みつつも、それぞれが確固たる歌へと突き進む。あたかも砕け散るガラスの破片を眼前で見るかのごときドライヴ感。フィナーレでは、周縁部より押し寄せてくる弦のたわみ、その内堀を様々な色彩のパレットで塗り込めてゆく児玉のピアノが印象に残る。このピアニストの音色はいつもリズムと一体となっている。音色を語ることはその運動性を語ることに等しい。いかなる微細な音も静止してはいない。残響までもがきらびやかにスウィングしている。






【第2回】
<出演>
堀米ゆず子(ヴァイオリン)
川崎雅夫(ヴィオラ)
向山佳絵子(チェロ)
野平一郎(ピアノ)
<プログラム>
    モーツァルト:ヴァイオリン・ソナタ第25番ト長調K.301(293a)
ブラームス:ピアノ四重奏曲第2番イ長調op.26

音が鳴りだす前からすでにモーツァルトの世界である。遠方から到来する谺(こだま)に、気が付いたら耳を奪われている感覚。それほどまでに「構え」が全くなく自然に入る。堀米ゆず子のヴァイオリンは、音の出立点が全くわからないほど急速に、無限に広がってゆく。音の伸びが速い。音より先に「響き」があるかのように。ピアニストのキャスティングにも、これ以上の適役はいまい。天才的なピアニストでありコンポーザーでもある野平一郎。モーツァルトがそのまま憑依している錯覚を覚える瞬間すらあった。とくに一音一音が跳躍しつつも、まとまりのあるクラスターとして聴き手に感知させてしまう構築力は、自身が作曲家であるという百戦錬磨の経験に拠るところも大きいのだろうが、「何があっても平穏を装いつつとりあえず流れ続ける」というモーツァルトの大命題に自然と添うものである。野平一郎のピアノが横のラインの連結へと意識を向かわせるものであるのに比し、堀米ゆず子のヴァイオリンはミクロの部分にそれぞれ別個の生を息づかせるような、女性ならではの入念で細やかな心遣いが随所に感じられる。慈しみの情が各所に宿る、されど控えめなリリシズムに隈取りされている。一見、楽器自体を歌わせることの黒子に徹しているかに見える。

野平一郎のピアノは、作曲家のキャラクターづけが非常に演劇的である(これは児玉桃にも共通することだが)。器楽演奏の枠を超え、広く総合的なパフォーマンスとしてステージに立ち現れるのだ。憤怒や鬱屈も折りたたんで内側へ仕舞い込みながらも、強がりとも取れるような堅牢なる響きの柱を打ち立てる---ブラームスであることをたちどころに納得させてしまう音である。このブラームスでは、川崎雅夫奏するヴィオラの存在感がじわじわと増してくる。ヴィオラが加わることで弦楽に生じる豊かさとは何かと考えるに、ヴァイオリンとチェロとの狭間で、そのどちらにも接近して苦み走ったひと筋を加えるニュアンス、とでも言ったら良いか。例えば旋回しつづける駒に筆入れをしたとき、その「染み」がふわりと広がる、そのようなイメージである。この「染み」の伝播は、第2楽章では楽器間を超越して、アルペジオの波の応酬として鮮やかな起伏を生んだ。ここでもチェロとピアノによる低音の轟(とどろき)の活かし方は巧妙で、消えることが運命だからこそ際立つ音の痕跡、或いはどうしても割り切れなさへと移行してしまう音楽というものの体質を示唆しているようにも感じられた。先だってのモーツァルトとは打ってかわり、ピアノはヴァーティカルな打鍵でねっとりとした湿度を保ち、弦楽パートはその周囲を幾重にも重なっては軽妙に旋回し続ける。緊迫しつつも分化してゆく弦の持続力に気を取られながらも、ピアノの沈思黙考の世界へも同時に引き込まれる。そのやるせない感覚こそがブラームス、ではあるが。最終楽章アレグロでは、堀米をはじめとして奏者全員のオールマイティなスタミナが、様々な音色(おんしょく)で拮抗し合う様が楽しめた。チェロとヴィオラの低音の軋みは、長く閉ざされていたドアが眼前で開くかのごとき臨場感を生み、ピアノの瞬発力も野平ならではの力強さ。鍵盤を押した瞬間に音は弾け飛ぶも、音質は独特の粘着力を保ったまま空気中に残留する。ピアノを基点とし、鍵盤を破って弦パートが中から飛び出してくるかのような終盤の盛り上がりは見もの。このような音の突破と跳躍を可能たらしめるのは、アンサンブルの各パートが並外れた集中力に支えられた、強固な磁力を放っているからに他ならない。通しで出演した向山佳絵子のチェロも、地味ではあるが確固とした屋台骨をアンサンブルに寄与する成熟したプレイであった(*文中敬称略。6月14日記)。








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