#  350

東京オペラ・プロデュース第88回定期公演
ジャン・カルロ・メノッティ『ブリーカー街の聖女』
2011年7月9日 @新国立劇場 中劇場
Reported by 佐伯ふみ Photo:長澤直子(提供:東京オペラ・プロデュース)

指揮:飯坂 純
演出:八木清市
美術:土屋茂昭
衣装:清水崇子
照明:稲垣良治
合唱:東京オペラ・プロデュース合唱団
管弦楽:東京オペラ・フィルハーモニック管弦楽団

【キャスト】
アンニーナ:橋爪ゆか(ソプラノ)
ミケーレ(アンニーナの兄):羽山晃生(テノール)
ドン・マルコ神父:工藤博(バリトン)
デジデーリア(ミケーレの恋人):田辺いづみ(メゾ・ソプラノ)
マリア・コローナ(アンニーナの信奉者・友人):小野さおり(ソプラノ)
カルメーラ(アンニーナの親友):鈴木彩(ソプラノ)
サルヴァトーレ(カルメーラの結婚相手):藤山仁志(バリトン)
アッスンタ(アンニーナの友人):丸山奈津美(メゾ・ソプラノ)

語り尽くせないほど魅力的な、興味深い舞台

東京オペラ・プロデュースの企画による優れたオペラ公演を観ることができた。イタリア生まれ、アメリカで活躍した作曲家ジャン・カルロ・メノッティの生誕100年を記念して、原語(英語)では日本初演という、メノッティ代表作の貴重な上演である。記録によれば過去の日本での上演は1985年にさかのぼるという。実に四半世紀ぶりの上演である。

台本は作曲家自身による。原題はThe Saint of Bleecker Street。全3幕、およそ2時間半のコンパクトなオペラだが、手慣れた台本でドラマの流れが明瞭かつ説得力があり、歌唱・管弦楽とも、巧みな作曲技法を駆使した、密度の濃い多彩な音楽。新鮮な響きにはっとさせられることがたびたびあり、最後まで聴衆の注意をそらさない素晴らしい音楽、そして見事な力演であった。上演機会が少ないのは、キリスト教信仰を主題にすえた筋書きゆえだろうか。こんなに面白い、聴き応えのある音楽なのに、いかにももったいないと思う。このような貴重な舞台を、優れた演奏・演出で堪能させてくれた東京オペラ・プロデュースの快挙に、まず拍手をおくりたい。

「ブリーカー街の聖女」の初演は1954年、ブロードウェイ・シアターでおこなわれ、92回の連続公演を記録するほどの人気作となった。同年のピューリッツァー賞(メノッティはこれで2度目)その他、数々の賞を受賞している。ブリーカー街というのはおそらくニューヨークのイタリア人街を指すのであろう。移民たちが住みついた、おそらくは貧しい小さな一角に、イエス・キリストの幻影(ヴィジョン)を見、両手のひらに聖痕(キリストが十字架に付けられたときの釘の傷跡)が表れるという若い女(アンニーナ)が出現し、人々の信仰を集めている。しかし兄ミケーレは妹を溺愛し、「精神的な変調をきたした」(と彼は信じている)妹を守らねばならないと頑なに振る舞い、移民たちの間で問題児となっている。アンニーナは近い将来信仰に身を捧げ、修道女になりたいと強く願っているのだが、ミケーレは「おまえを失ったら俺は生きていけない」と断固反対する。アンニーナの親友カルメーラの結婚式のさなか、ミケーレの恋人で、結婚式に招かれなかったデジデーリアが、出席しているミケーレを呼び出して、披露宴に一緒に参加させろと文句を言う。しぶしぶ承知するミケーレだが、押し問答のさなかにデジデーリアが、妹への溺愛ぶりを嫉妬して、近親相姦をほのめかす発言を皆の面前でしたことからミケーレが激昂。思わずナイフでデジデーリアを刺してしまい、彼女はアンニーナの腕のなかで息絶える。終幕、ついに念願かなって修道女となる許可を得たアンニーナが儀式に臨む。しかし彼女はすでに1人では立ち上がれないほどの重病である。逃亡を続けていたミケーレが儀式に乱入し、「やめろ」と絶叫するなか、アンニーナはついに断髪式をへて黒いヴェールをかぶり、正式の修道女となるが、その瞬間に力尽きて息絶える。

作曲家メノッティの人となりと作曲家としての道のりは、別売のプログラムに詳しい。あらすじも大変ていねいに紹介されていてありがたいし(「ブリーカー街」を示す標識など貴重な写真が紹介されていてとても興味深かった。紙幅の関係か写真の解説がないのが残念)、なによりも岸純信氏による解説が簡にして要を得て素晴らしく、学ぶところが多かった。メノッティ自身が、聖痕を有する奇跡の人(のちに「福者」に列聖された)ピオ神父と面会したときのエピソードなど、非常に面白い。また、熱烈な信仰者アンニーナと、頑なに信仰を拒否するミケーレが、作曲者メノッティ自身が内に抱え込む葛藤と矛盾を体現しているという指摘は(作曲者自身のコメントでもある)、深く納得のゆくものであった。

ミケーレの頑なな懐疑、アンニーナの真っ直ぐで混じりけのない信仰。おそらく、真面目で誠実な信仰者であればあるほど、この2つの矛盾・葛藤は、常に、深く心に根ざすものとして自覚されるのではないか。メノッティはこの2人の登場人物をついに和解させることなくオペラを終わらせているが、それは彼の不信仰を表すものではなく、逆に、信仰というものに対するメノッティの、非常に真摯かつ情熱的、そして自己に正直な態度を示すものと筆者には思える。

歌手陣は、ソプラノ、テノールとも中音域の多い、迫力のある発声が要求される役が多い。
アンニーナの橋爪ゆか、ミケーレの羽山晃生とも、安定した発声、十分な声量、劇的な表現力で、圧倒的な存在感を示した。
親友の結婚式の場面、幸せなカップルをからかいながらも、心を込めて祝福する場面のアンニーナ、そして第3幕第1場、修道女になりたいという妹を最後まで拒否し、呪いの言葉さえ吐いて立ち去る兄に追いすがって「やめて、そんな別れ方をしないで」と叫ぶ悲痛な声。橋爪の好演である。
ミケーレの羽山は、迫力と透明感を合わせもった声が特に印象深く、幕切れで修道女となる妹を前に絶叫する声は、記憶に長く尾を引いて残った。
デジデーリアの田辺いづみ、アッスンタの丸山奈津美も、存在感のある表現豊かな歌唱。神父役工藤博は、役どころが受け身的で語りが多く、聞かせどころは少ないが、落ち着いた安定した歌唱ははまり役である。カルメーラ(鈴木彩)は声も佇まいも役にふさわしく可憐で美しいのだが、重唱となったときに他の声と溶け合わないのは作曲のせいか。マリア・コローナの小野さおりも、病気の子どもを抱えた、きびきびとしたたくましい母親役を好演。

指揮は、ながくコレペティトールとしてこの劇団の活動を支えてきた飯坂純。ピアノや木琴を多用し、ドライかつリズミックでありながら、抒情と歌にあふれたメノッティの音楽の複雑な面白さを十分に味わわせてくれた。この舞台のいちばんの殊勲者はこのオケであろう。(解説の岸純信氏は、このオペラの作曲技法について、他の作曲家からの影響を随所に聴きとっておられて興味深い。筆者は、特に終幕ではプーランクの「カルメル派修道女の対話」をしきりに想起した。テーマの類似ゆえかもしれないが。)
演出は八木清市。中劇場では初の試みという、舞台を前に張り出した上演。終幕、息絶えたアンニーナをまるで俯瞰するかのように、舞台が遠く、音もなく奥へと下がっていくさまは、非常に印象に残っている。また、舞台装置(美術:土屋茂昭)では、建物の壁が回転して裏側になると、大天使ガブリエル(だったか?台本にも一度登場する)を想起させる巨大な翼が表れるのが印象的。

まだまだ、語り尽くせないほど魅力的な、興味深い舞台だった。きりがないので、このあたりで筆をおきたい。可能ならばまた近い将来、生の上演に接したいものである。









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