#  355

ピーター・ゼルキン ピアノ・リサイタル
2011年8月31日 @東京オペラシティ・コンサートホール
Reported by 丘山万里子
Photo by 林 喜代種

曲目:武満徹「フォー・アウェイ」
   ベートーヴェン「ピアノ・ソナタ第31番 変イ長調 op.110」
   ベートーヴェン「ディアベッリの主題による33の変奏曲 op.120」
アンコール:バッハ『ゴルトベルク変奏曲』冒頭の1曲

微細なペダリングと響きヘのこだわり

 前半、予定されていた『シェーンベルク/3つのピアノ曲』が、武満徹の『フォー・アウェイ』に変更された。ピアノに向かったまま数分、じっと動かない。最初の音を聴衆が息を呑んで待つ。この種の作品を弾く時のゼルキンの儀式である。そしてーーーふっと鳴らされる音。掌で慈しむように、弾き始める。低音は深々と柔らかく、高音はクリスタルに輝き、その中間の音は泡立ってキラキラと踊る。さすが。武満の音楽にそっと寄り添い、或は優しく戯れる。これを聴いただけでもゼルキンのなんたるかがわかる。そのペダリングの妙。響きというものを徹底的に追い求め、その減衰に命をかける。そう、はかなくおぼろな夢のようなファンタジーだ。この曲だけで、今夜は充分、と思えるほど。弾き終えた彼はまたもやじっと数分動かず、聴衆もまたその響きの余韻を味わう。
 そのままの空気をまとって、今度はベートーヴェンの『ピアノ・ソナタ第31番』。こちらはまるで古典どころじゃない。ロマン派を通り越して印象派の絵画を見るようだ。ベートーヴェンてこんなにロマンティックで、色彩豊かで、絵画的だったかしら。あわあわと陽炎のような音楽だったかしら。
 第1楽章モデラート・カンタービレ・モルト・エスプレッシーヴォの冒頭の和音の響かせ方。そして左手の揺れ動くハーモニクスにのって、歌われる歌の繊細な事。続くアルペジオもまた、まさにエスプレッシーヴォ。どんなフォルテッシモも決して濁らず、抑制を保ち高圧的にならない。
 第2楽章モルト・アレグロも、彼は実にゆっくりと溜めを作って弾く。そして左手のユニゾンをきっかりと打ち込む。左手に支配された音楽。もともと音楽の柱は左手にあることを再認識させられる。さまざまに現れる二つの連打音がいつまでも尾を曳く。それが耳に残るうち、静かに身をおこすように始まる序奏を伴う第3楽章アダージョ・マ・ノントロッポ。序奏のあとに続くのは「嘆きの歌」と記された歌だ。左手がまるでショパンの『雨だれ』を思わせるのは、それがゼルキンだからだろう。切なく微かな甘さを持つ嘆息が聴こえる。中間に単音でそっと始まるフーガはやがて熱を帯び、クライマックスへとがっちり組み立てられてゆく。と、再び現れる「嘆きの歌」。こちらには前節より調性が変化したぶん、ひとはけの明るさがある。再びのフーガはト長調と、もっと力強く明るい。そしてやはり右手に彩られた左手のユニゾンの跳躍が鍵盤上を跋扈する。最後のアルペジオでいっさんに駆け上がり、駆け下り、音の大伽藍を打ち立てて勇壮に終わった。それでも、やはり一幅の絵を見るようなのは、独特のペダリングのせいだろう。武満に使ったのと同じように、微細なペダリングと響きヘのこだわりがあった。
 後半は一転、ステージに現れるとすぐさま『ディアベッリの主題による33の変奏曲』にとりかかる。こちらは、いかにも長大な渓谷を登攀し、また谷川のせせらぎに遊ぶように、弾き進む。くっきりしたメリハリを施し緩急自在。時には雷鳴のごとく、時には野の花を摘むごとく。前半に弾いたベートーヴェンとは全く異なるアプローチだ。途中、モーツァルトの『ドン・ジョヴァンニ』のレポレッロのアリア「昼も夜も休む間なし」が引用され、ベートーヴェンの微笑がほの見える。この変奏曲、バッハやモーツァルトへのオマージュでもあろう。ちなみに、この曲、「変奏曲」となっているが、ドイツ語では「変容・変換」の意を持つ。そのあたりの「変容」が、手に取るように判る演奏であった。
 アンコールにバッハの『ゴルトベルク変奏曲』の冒頭を静かに柔和に弾いて、それとなく幕を閉じる。お見事、と言う他ない。









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