#  358

Mori-shige(cello)/秋山徹次(g)/Giovanni di Domenico(p)
2011年9月11日(日) @四谷・喫茶茶会記
Reported by 伏谷佳代 (Kayo Fushiya)
Photos by 北里義之 (Yoshiyuki Kitasato)

反・私小説のごときインプロ・セッション

「台風の目」的なトリオであった。不穏な静けさが張り詰める真空空間とでもいおうか。Mori-shige(cello)、秋山徹次(g)、ジョヴァンニ・ディ・ドメニコ(p)によるトリオ・インプロヴィゼーションは、3つの異なる点がその距離を微妙に測りつつも縒(よ)れ合い、どこだか判らぬ時元へ移動してゆく。張力の平衡と拮抗。もちろん音楽であるが故、聴覚を基軸としてはいるが、独特の歪みがもたらす幻視感覚もある。注意すべきは、それらは必ずしも聴き手が見たいと願うものではないこと。2セット通して聴いての感想は、こちらが音楽に寄り添おうとすればするほど、隙間をうまくすり抜け、勝手な妄想を撥ねつける。エッジは限りなく回り続ける。

インプロヴィゼーションがどれほどアーティストの育った風土を反映するものなのか-----は非常に興味深い点だが、楽器へのアプローチに、やはりヨーロッパの伝統が強固に息づくのを、ジョヴァンニ・ディ・ドメニコのピアノには感じずにはいられない。楽器の演奏能力の高さが、こうした常に境界線上を縫うかのごときセッションにおいて、プラスなのかマイナスなのかの基準は、限りなくゆらぐ。楽器の構造にも左右されるのかもしれないが、鍵盤を「押す」ことが主たる打楽器=ピアノにおいて、やはり響きは解放へ向かうというよりは御する方向へと動く。弦楽器であるギターやチェロが、空気との共振を利用しつつ下から掬いあげるような上昇方向や、水平方向へのずらしを取りやすいのとは対照的である。独自のアプローチを掘り下げている秋山徹次やmori-shigeの場合はなおのこと。「トリオ」編成としては、音のベクトルの相克や相互補完こそが醍醐味なのには違いないが、それがサウンド全体に安定をもたらしているのか、流れに停滞をもたらしているのかは意見が分かれるところであろう。どの瞬間が聴き手の感覚に深く突き刺さったかで感慨は全く違うのではないか。しかし、ピアノの音に関して言えば、後期ロマン派や印象派にも通ずる微細なニュアンスのせめぎ合いはシンプルに美しい。いや、実際鍵盤が押されてからの「音」の質の高さについては、ディ・ドメニコに関しては本題ではない(自明の次元である)。この日に関しては通常の「音出し未満」、単に指が鍵盤に接触する音・或いは鍵盤に到達するまでの「空気を抱き込んだ指の気配」がより一層濃厚にプッシュされていたと感じる。言ってみればこれらの音は「ノイズ」とか「静寂」という名称で片づけられるのが普通だが、すべての要素は平等である、の一語に落ち着きたくはない(水戸黄門の印籠じゃあるまいし。解体という単語も同様)。とくに空中で手を開閉させるその動きは、通常の鍵盤が押された音よりもさらに雄弁であった。楽器との剥き出しの対峙を感じさせるものであったから。自分の話法を楽器に反映させるのではなく、自分自身が音のパーツに成り果てるという。また、ディ・ドメニコの音楽には、こういったアプローチがコンセプチュアルになり過ぎるのを防ぐかのように、自然なフローが備わっているのも特長である。

「その楽器の何をもって固有の『音色』とするのか」という問いが限りなく不問に近づくのが、秋山徹次のギターである。大仰な仕掛けを用いるわけでは全くなく、ゴム板なりクリップなりをストレートにアコースティック・ギターにぶつけてゆくだけのように見える。その音たるや、ギター云々を通り越してシンプルな心地よい唸りに還元される。果たして楽器はギターである必要があるのか、と思わず首を捻ってしまうのだが、「モノをぶつける」そのゴツゴツした感触をこれほどのリアルな実感を持って伝えることのできるミュージシャンはそういまい。その接触の瞬間が異様に引き延ばされて平面化してゆく感があり、時空感覚は攪拌され、リズムなりイディオムなりは判然としなくなるのだが、難解な含みは全くない。融和とかカオスでもない。表面上は見通しの良い怜悧さが保たれているのでますます謎である-----シンプルなのに、ではなくシンプルだから奥が深い。例えば、秋山徹次の音楽で遠い異国の風景や絵画の世界を追憶するような人は少ないだろう。そこでは「何かについて」という対象や目的が剥奪される、非常に強い直截性がある。ただ音があるのみで、それは風景画ではなく風景そのものである。意図して出された音なのか、意図が消失したところで可能となる音なのか、そもそも意図を消すことなど可能なのか。そういうきわどい境界線上で明滅する音楽であり、ギターがエレキであろうがアコギであろうが生み出される強靭さに変わりはないだろう。ファースト・セットで、ギターを裏返して鉄の筒で大きく八文字を描く、というアプローチがあったが、内部にエフェクターでも内蔵しているかのような音の弾力と伸びに驚く。弱音でも撥ね退けるような芯の強さがある。

さて、この二者とmori-shigeとの絡みはどうであったのかといえば、絡みというよりは同属同志が密着し、異属のものが大幅に距離を取るといった、磁石に左右される蹉跌の動きにも似たシークエンスが多々あった。思えばmori-shigeの最大の特徴でもある、常に中心以外からすべり込むようにして楽器を呻吟させる手法-----思わぬ不意打ちについ本心を語ってしまうような楽器の赤裸々な声へ、音程から音程へ渡る途上へと、こちらの意識が仕向けられる-----も、偶発的でありながら極めて高精度のエッジの上に成り立つものである。そうした際(きわ)へ際へと移行してゆくノマド性は、うまい具合の濃淡でギターと歩調を合わせる場面が多かったようにおもう。しかし、一見親和力が高そうな二者の歩みにも、実は水面下で微妙な拮抗関係が生じているのだろう(図らずも?)。試しにギターとチェロの位置を入れ変えると仮定した場合、ガラリと異なる印象のサウンドになることが想像できたからである。それは一歩間違えば非常に耳障りな音になり兼ねないのだが、その危険さが逆に造形の精妙の度を高めているのだから面白い。必要悪なのだ。先にも述べたように、こうした瞬間にピアノが通常の美しいパッセージが重なった場合、やはりそこに安定感というか座りの良さみたいなものが生まれるし(賛否両論)、パーカッショヴなアプローチが重なれば、非常にきつく張りつめたものになる。後者の場合、空気圧が増して現場感覚(リアル感)が高まる。非日常的な幻惑とごろついた物質感の間を猛スピードで行き来するような極端な振幅なのであるが、不思議とロマンティシズムとは無縁である。甘美な気持ち良さへ移行する気配が見えると誰かが阻止するような、自然なブロック機能が発動しているとでもいえようか。アートがコミュニケーションに堕さないためのデリケートであるが譲れない一線が強固に引かれている。Mori-shigeのチェロも、この日は深く切り込む大胆なムーヴメントも垣間見せたが、まろやかな音色ながら身を切るような風速を失わない。セカンド・セットを、チェロの弓の先端で床の一点を突くことによって締めくくったのも象徴的。音楽が推進している間は、決して定位置を定めないという決意か?反・私小説のごときこの日のインプロ・セッションのなかで、唯一主観の滲みを覚えた瞬間であった。

ディ・ドメニコとmori-shige、秋山徹次とmori-shigeのデュオもそれぞれ別の機会に聴いたことがあるが、トリオ以上の編成になると様々なひずみを生む余地が出来、アーティストの姿がより自然なものとして浮かび上がってくるようにおもう。10月には来日中のジャンニ・ジェッビア(reeds)とユーグ・ヴァンサン(cello)とmori-shigeのトリオもある。どのような断面を見せてくれるのだろうか(*文中敬称略。9月15日記)。

【関連リンク】
http://gekkasha.modalbeats.com/
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http://www.japanimprov.com/takiyama/takiyamaj/index.html











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