#  367

ケマル・ゲキチ ピアノリサイタル〜フランツ・リスト生誕200年
2011年10月4日(火) @東京文化会館小ホール
reported by 伏谷佳代(Kayo Fushiya)
photo by 林 喜代種(Kiyotane Hayashi)

≪プログラム≫ フランツ・リスト
ダンテを読んで〜ソナタ風幻想曲
アヴェ・マリア(シューベルト=リスト)
マゼッパ
ハンガリー狂詩曲第2番嬰ハ短調
<休憩>
バラード第2番ロ短調
メフィスト・ワルツ第1番
「ウィリアム・テル」序曲(ロッシーニ=リスト)
ラ・カンパネラ(パガニーニ=リスト)

*アンコール
半音階的ギャロップ
ハンガリー狂詩曲第10番
ハンガリー狂詩曲第11番
セレナーデ(シューベルト=リスト)

日本人が魅かれる要素をふんだんに備えたピアニストである。アルゲリッチ、ポゴレリッチに連なるエキセントリックな「スター」の系譜。ポゴレリッチとゲキチの音楽に通底するのは、バルカン半島に脈打つルーツ・ミュージックの血のたぎりか(アルゲリッチの先祖もクロアチア出身という説がある)。それは西洋的な瀟洒な洗練とは明らかに趣を異にする、野趣溢れる濃厚な香気である。


ポゴレリッチが本選に残らなかったことに異議を唱え、審査員のアルゲリッチが辞任した事件は1980年のショパン・コンクールで最も有名なエピソードとなったが、1985年のコンクールで類似のセンセーションを巻き起こしたのがこのゲキチである。コンクールの真価は、その後入賞者たちがどのような活躍を遂げているかで測られるが、奇しくもこの2回のショパコンに関しては、本選にすら残らなかったポゴレリッチとゲキチが断トツである (85年に関しては、参加者中最年長で第5位に入賞したジャン・マルク・ルイサダも現在活躍する第一線に挙げられよう)。このコンクールではショパンへの適合が評価の最大のウェイトを占めるため、ピアニストの個性のほうが目立つことはご法度なのだろうが、確かにゲキチのステージにおける存在感には圧倒的な押し出しの良さがある。しかも、絢爛たる技巧の宝庫ともいえるフランツ・リスト・プログラムと来ては、聴き手の期待が高まるのも無理はない。


一流のステージ人たるオーラ

果たしてステージに登場したゲキチは、漆黒の長髪をひとつに束ね、モーニングのようなマント姿の内側からはヴェルヴェットの真紅のヴェストが覗く。お辞儀ひとつを取っても、夜会でのワンシーンを彷彿とさせる、ジェントルな大仰さがある。この辺りの華麗な身のこなしは、残念ながら我々日本人には及ばないところである。しかし、そのパフォーマンス性豊かな身体から紡ぎだされる世界は、精神の内奥の隅々までを正視しつつも決してそれらを捻じ曲げたり声高に語ったりしない、空恐ろしいまでの細やかな配慮に縁取りされている。そのピアニズムの一端を見てみよう。

プログラムは「ダンテを読んで」からスタートしたが、すぐさまその思索的なアプローチに惹きつけられる。音の輪郭は奥ゆかしく、探るような打鍵による音色の残響が堆積しては横溢してくる。中音域で部分的に響きが混濁しすぎた箇所も見受けられたが、高・低音におけるフレーズの仕舞いの処理、その筋肉の跳ねあがりは鮮やか極まりなく、視覚的にも美しい。アクション・ペインティングにも近い実況の醍醐味がある。中世の錬金術をモチーフに精緻の限りを尽くしてリストが編み上げたこの曲において、ゲキチは大胆な余白の妙でもってユニークな舵取りを見せた。とりわけピアニッシモの部分での静止ぎりぎりのテンポ感覚、思い切りのよい間合いを取ることによる空間造形に、おかしな言い方だが異端児としての年季を感じる。プログラムの随所で見られたことだが、曲の〆め方はまさにゲキチ流エンタテインメントで、指を鍵盤に残し、ペダルを押し放したまま起立するというもの。プロの流儀の権限---そうした挑発性はいまも健在だ。

続く「アヴェ・マリア」や「マゼッパ」でも、ゲキチは楽譜の深層に至るまでの周到な譜読みから一歩進んだ、イマジネーションの領域での遊戯のみを見せてくる。ピアニズムはかなり即興性を織り込んだもので、出したい音を選び出しては執拗に響かせる半面、それ以外の音はそっけないほどささやかに畳み込まれたり-----音の抽出の比率が華麗なる技巧・リズム感と相俟って、抗い難い官能性を生むのである。「メフィスト・ワルツ」も通常のドラマティックな解釈とはひと味違った個性的なもので、題材となっているメフィストフェレスの悪魔的なトリック性に主眼を置いたのか、フレーズは細かく分解されてゲキチならではの磨かれた技巧で外郭が編み直される。それぞれの音にポツポツと瞬く火が結果として大火のうねりとなるような、理知と情動の両面を併せもつ。百戦錬磨なアプローチである。

通常とは異なる解釈としてみたとき、ラストの「ラ・カンパネラ」も特筆に値する。この曲は高音部のムラのない一定の瞬きが魅力の曲であるが、ゲキチの手にかかるとテクスチュアは一定どころか急激に陥没する。それが不自然ではないのは、弦の振動あるいは共鳴をリズムに同化してしまう、彼独特のポエジーに拠るのではないか。すなわち、微かな響きだけが残る部分にも律動があるため、テンションが維持される。クライマックスに至っても、華やかなパッセージはクレッシェンドとして立ち現れるのでない。氷結状態からいきなり激流が堰を切るようなダイナミズムのスパンが瞬時に立ち現れる。曲全体に太い柱を打ち立てつつ、細部を自在に伸縮させてエラスティックな耐震性をほどこしてゆく。複眼的な睨みが絶えず効きつつも、表面はあくまで肝の据わったエレガンスで覆われている。抗い難い魅力-----思えばパガニーニもリストも、そうした音楽の特性そのものの化身であったはずだ(*文中敬称略。10月10日記)。   









WEB shoppingJT jungle tomato

FIVE by FIVE 注目の新譜


NEW1.31 '16

追悼特集
ポール・ブレイ Paul Bley

FIVE by FIVE
#1277『大友良英スペシャルビッグバンド/ライヴ・アット・新宿ピットイン』(ピットインレーベル) 望月由美
#1278『David Gilmore / Energies Of Change』(Evolutionary Music) 常盤武
#1279『William Hooker / LIGHT. The Early Years 1975-1989』(NoBusiness Records) 斎藤聡
#1280『Chris Pitsiokos, Noah Punkt, Philipp Scholz / Protean Reality』(Clean Feed) 剛田 武
#1281『Gabriel Vicens / Days』(Inner Circle Music) マイケル・ホプキンス
#1282『Chris Pitsiokos,Noah Punkt,Philipp Scholtz / Protean Reality』 (Clean Feed) ブルース・リー・ギャランター
#1283『Nakama/Before the Storm』(Nakama Records) 細田政嗣


COLUMN
JAZZ RIGHT NOW - Report from New York
今ここにあるリアル・ジャズ − ニューヨークからのレポート
by シスコ・ブラッドリー Cisco Bradley,剛田武 Takeshi Goda, 齊藤聡 Akira Saito & 蓮見令麻 Rema Hasumi

#10 Contents
・トランスワールド・コネクション 剛田武
・連載第10回:ニューヨーク・シーン最新ライヴ・レポート&リリース情報 シスコ・ブラッドリー
・ニューヨーク:変容する「ジャズ」のいま
第1回 伝統と前衛をつなぐ声 − アナイス・マヴィエル 蓮見令麻


音の見える風景
「Chapter 42 川嶋哲郎」望月由美

カンサス・シティの人と音楽
#47. チャック・へディックス氏との“オーニソロジー”:チャーリー・パーカー・ヒストリカル・ツアー 〈Part 2〉 竹村洋子

及川公生の聴きどころチェック
#263 『大友良英スペシャルビッグバンド/ライヴ・アット・新宿ピットイン』 (Pit Inn Music)
#264 『ジョルジュ・ケイジョ 千葉広樹 町田良夫/ルミナント』 (Amorfon)
#265 『中村照夫ライジング・サン・バンド/NY Groove』 (Ratspack)
#266 『ニコライ・ヘス・トリオfeat. マリリン・マズール/ラプソディ〜ハンマースホイの印象』 (Cloud)
#267 『ポール・ブレイ/オープン、トゥ・ラヴ』 (ECM/ユニバーサルミュージック)

オスロに学ぶ
Vol.27「Nakama Records」田中鮎美

ヒロ・ホンシュクの楽曲解説
#4『Paul Bley /Bebop BeBop BeBop BeBop』 (Steeple Chase)

INTERVIEW
#70 (Archive) ポール・ブレイ (Part 1) 須藤伸義
#71 (Archive) ポール・ブレイ (Part 2) 須藤伸義

CONCERT/LIVE REPORT
#871「コジマサナエ=橋爪亮督=大野こうじ New Year Special Live!!!」平井康嗣
#872「そのようにきこえるなにものか Things to Hear - Just As」安藤誠
#873「デヴィッド・サンボーン」神野秀雄
#874「マーク・ジュリアナ・ジャズ・カルテット」神野秀雄
#875「ノーマ・ウィンストン・トリオ」神野秀雄


Copyright (C) 2004-2015 JAZZTOKYO.
ALL RIGHTS RESERVED.