#  374

サントリーホール スペシャルステージ/内田光子&ハーゲン・クァルテット
2011年10月28日(金) @サントリーホール
reported by 伏谷佳代 (Kayo Fushiya)
Photos by 林 喜代種(Kiyotane Hayashi)

<出演>
内田光子(Mitsuko Uchida; pf)
ハーゲン・クァルテット(Hagen Quartett):
ルーカス・ハーゲン(Lukas Hagen; vn)
ライナー・シュミット(Rainer Schmidt; vn)
ヴェロニカ・ハーゲン(Veronika Hagen; viola)
クレメンス・ハーゲン(Clemens Hagen; cello)

<プログラム>
ベートーヴェン:弦楽四重奏曲第13番変ロ長調op.130「大フーガ付」
シューマン:ピアノ五重奏曲変ホ長調op.44

*アンコール
ブラームス;ピアノ五重奏曲へ短調op.34より第2楽章

サントリーホールが主催する「内田光子スペシャルステージ」、昨年のクリーヴランド管弦楽団との弾き振りを含めた共演に続き、本年度は室内楽とソロに焦点を当てての4夜にわたるプログラムである。最初の二夜はヨーロッパの名門、ハーゲン・クァルテットを率いてのもので、ベートーヴェン後期とシューマン、ブラームスが取り上げられている(続くソロの2夜はシューベルトとシューマンを中心に据えた、いづれもドイツ・ロマン主義の系譜である)。第一夜を聴いた。

稀有なる高みで四者合一された、円熟の「コア」-----ハーゲン・クァルテット

プログラム前半はハーゲン・クァルテットによる弦楽四重奏の大曲「大フーガ付」で、内田は後半のみの登場である。内田光子を目当てに来た人には少々物足りなく感じられるかもしれないが、ハーゲン・クァルテットのファンにとってはちょうどいい分量のプログラミングか。ハーゲンの音色には、まず気品がある。楽曲の深い読み取りに則った熟成と深化を感じさせる演奏であり、ピッチの設定も周到である。現代的な解釈のなかには、パッションを表出させるために弦の掠れや、鋭角的な弓と弦との接触を強調するものがなきにしもあらずだが、そうした感情のストレートな露見とは無縁である。あらゆるフレーズは咀嚼され、理性のフィルタにかけられた後、まろやかな深みでもって音化される。音は飛沫のように飛び散るのではなく、内面への探求として聴衆の関心をも誘いつつ内へ内へと向かう。インパクトではなく吸収力のある音である。楽器の熟成、奏者の円熟、そうしたものすべてと楽曲の深遠なる宇宙が溶け合う。同じメンバーで10年後に弾いたとき、また違った形相を呈するであろうことが楽しみな反面、いつ何時に弾いても普遍である「コア(核)」がその音にはある。極度の集中力にのみ達成されるピントの合致とでもいおうか、稀有なるレヴェルの絶対音感の四者合一、がある。音楽がどのような方向の波形を取ろうと、寸分の狂いもなく運動性を合わせられる生来の嗅覚といってもよい。洗練と濃度とを併せもつまとまりの良さは、何も血縁にだけ由来するものではないだろう。全体をとおして、ヴァイオリンの統率力が際立ち、各パーツはさまざまな音質の変幻を小気味よく見せていたが、白眉は第5楽章のカヴァティーナである。ハーモニーが轍(わだち)となり静かに拡張してゆくなか、相互が音程間を微妙に浸食し合うさまはまさに人声に近い。終盤のヴァイオリンによるレチタティーヴォでは、弦の撓(しな)いはそのまま琴線の震えと化す。次に控える「大フーガ」を活かすのもこの部分である。

磁石のように場を支配する、先立つテンペラメント-----内田光子

内田光子が加わったシューマンはどのようなものであったか。承知のとおり、内田光子も外向的な音色のアーティストではない。モーツァルトやシューベルトといった、内面世界での豊かな抒情を、声高に語らずに「浮かび上がらせる」タイプの作曲家を十八番とする。シューマンの夢幻的な内向性とも、呼吸をするように自然にフィットする。実際、ハーゲンとの息もぴったりと合い、弦楽部とピアノとの割合がイーヴンであることは今更言うまでもなく、とりわけ「合わせる」という器楽による語らいの行為が前面に出た、温もりに満ちたものだった(だからこそより一層、親密度の高い空間で聴きたいとおもったが)。そこには、弾き振りの時ともまた違った、息遣いに近い、発声の瞬間がより注視される気遣いがある。音が生成される直前の僅かな間に、テンペラメントが燃え上がっては先立ち、磁石のように場を支配する。この気配こそ、包容力抜群でスケールの大きい内田の女性らしさにおもえてならない。大陸的な鷹揚さが、繊細な意思汲み取り能力のなかで発揮されるのである。

呼吸する音楽、その生成の神秘-----内田+ハーゲン

内田のピアニズムについてしばしば言及されるのが、その拍子感の抑制である。この日も強く感じたのが、自然な呼吸と軌を一にした、揺らぐような音の運びである。その拍子感についての否定的な意見は、抑制感がはっきりとした喜怒哀楽やヤマ場造りを阻んでいるのでは、というものであるが、それは速いとか遅いとかいったものではなく、こちらの読み取りセンサーからするりと抜け出てしまう性質のものである。内田独自の俊敏さに聴き手の把握がついていけない、あるいは「捉えどころのなさ」から生まれるある種の不安に端を発しているのであろう。なるほど、この日も冒頭から、その出所のわからない音の神秘に船酔いに近い感覚を覚えた。芳醇で甘美で恥じらいを持ちつつも、主張する音。鍵盤に指を降ろしてから寸分遅れてやってくる、ピアノ全体の共鳴による揺さぶり。指のひと振りが大きな倍音効果までを含んでしまっている音ともいえようか。確かに、音質自体は華美ではないが、意味深な陰影を多分に含むのである。こうしたピアニズムは、とりわけ中間楽章に大きな実りをもたらしていたといえよう。同じ音型進行のなかにも毎回異種の物語が生まれる。第2楽章で見せた、ハーモニーとメロディの兼ね合いがその底層で手を結ぶかのようなテンションの持続力----ある意味プリペアドされた感情は、リアリティの一段上を流れ続ける-----、最終楽章での、内に秘めたマグマのような火照りと音圧を包み込む巧妙なるぺダリングのヴェール-----音の伸びとヴォリュームを増しながらも決して威圧的にならない-----等、音の響きの行く末を心得たハーゲンの4人とともに、「生き物としての音楽」の神秘、その得難いがゆえの愛おしさを味わわせてくれた。(*文中敬称略。11月3日記)









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