#  376

『ジ・アート・オブ・アルド・チッコリーニ』第二夜 リサイタル
2011年10月31日(月) @すみだトリフォニー・ホール
reported by 伏谷佳代 (Kayo Fushiya)
Photos by 三浦興一(Koichi Miura)

<出演>
アルド・チッコリーニ(ピアノ)

≪プログラム≫
クレメンティ:ピアノ・ソナタト短調op.34-2
ベートーヴェン:ピアノ・ソナタ第31番変イ長調op.110
<休憩>
リスト: 「神前の踊りと終幕の二重唱」S.436
「イゾルデの愛と死」S.447
『詩的で宗教的な調べ』S.173より
      第6曲 眠りから覚めた御子への讃歌
      第8曲 パレストリーナによるミゼーレ
      第1曲 祈り

*アンコール
リスト:メフィスト・ポルカ
エルガー:愛の挨拶
グラナドス:「スペイン舞曲」より第5曲 アンダルーサ

“どの楽器を使おうと、音楽の種類が何であれ、私は音楽を演奏することは愛の行為のようなものだと考えています。もし1人の音楽家が、舞台で公衆の欲求と一体化したこの種の共同の願望を感じないのであれば、自分の家に閉じこもっていたほうが良いでしょう。”
----------アルド・チッコリーニ(※)

感極まる音色である。極限までの濾過が繰り返されたあとの水-----とでもいうのだろうか。今年86歳を迎えた巨匠、アルド・チッコリーニが昨年度に引き続いて来日、すみだトリフォニー・ホールでコンチェルトとソロのコンサートをおこなった。コンチェルトではモーツァルトを2曲披露したが、アンコールに奏されたクレメンティのソナタからの抜粋、そのあまりの音色の素晴らしさに唸った。天上に遊ぶような、豊かに波打つ穢れなき抒情。雑念がまるでない。「これはソロが楽しみだ!」と心待ちにした次第である。


「人生力」すべてが凝縮された真の技巧

その音色の特質から考えて、最も楽しみにしていたのがベートーヴェンのソナタ第31番である。凛冽なる単音のパッセージが転がる第1楽章、悲しみと喜びのふたつのフーガが交互に織りなされる第3楽章。楽曲の息吹とチッコリーニの人生の軌跡がぴたりと共鳴し合う、実に感動的な音現象が現れるのではないか、と。実際、並みいる「31番」が単なるスポーツに見えかねないほどに、チッコリーニの技巧は「人生力」すべてである。闊達という観点からは測れない。ピアノはチッコリーニの問いかけやユーモアに淡々共鳴しつつ、その構造の赤裸々な姿でもって応えている。ソナタが始まるや否や気づくのが、節回しの見事さである。音によっては若干遅れるものもあるのだが、それは技巧上の躊躇ではなく、音楽のフィーリングが要する必要時間なのである。音の轍(わだち)に影絵のように寄り添うハンマー音 -----指と鍵盤との蜜月関係(人とモノとの共犯関係、とも言えようか)が、これほどの手触りと愛おしさで鳴り響いてくることは奇跡的である。第2楽章のスケルツォ、伸びと跳躍を要求する強音の箇所でも、すべては自己の肉体的条件に馴染むやり方でおこなわれる。従来的な意味での肉体の衰えは、「作曲家の意志を伝達する」ことを至上命題とするチッコリーニにとって、何ら妨げにならない。長調と短調の反転が生みだす光彩のあまりの美しさに息を飲んだ最終楽章。その音色の純度たるや、ただ音があるのみ、の世界である。眩しい。

あらゆる技巧は、作曲家が意図した孤高の世界を創り出すためのみに奉仕する。すべてを音色だけに昇華できる人がどれだけいるだろう。技巧を見せびらかしたり、都合のいいようにはしょってムードに陥れたりする表層的なパフォーマーがいかに多いか。また、それに馴らされてしまった我々も、思わず背筋を正して涙せずにはいられない音である。

我々日本人にとって馴染みの表現に、「着物を着崩す」というのがある。無駄なものが年齢と共にそぎ落ちて、いい具合に力が抜けてくる、というポジティヴな譬えだ。要は引き算の美学であろうが、チッコリーニの芸術に感じる精髄はこうした「肩の力が抜けた感覚」とは相いれない。あらゆる瞬間やあらゆる一音に凝縮される音楽への共感は、いくら足し算を繰り返しても収まりきらぬほどの強烈さで充溢している。しかし、その強烈さは自己顕示欲と正反対のところから発されている。宗教的ともいえる厳粛さでおこなわれる作品との交感、相手(作曲家)の尊重-----そのなかに埋没することで、没個性ならぬ「脱個性」の高みにまで達する。だからこそ、あらゆる聴衆の心の襞にすっと入り込み、我々の感情は根こそぎ吸収されてしまうのだ。

プログラム後半はリストを奏した。リスト生誕200年を記念して繰り広げられた、数あるパフォーマンスのなかでも格段に異彩を放つものであったことは、言うまでもないだろう。次回の来日も切に望まれる。(*文中敬称略。11月6日記)

注)パスカル・ルコール著/海老彰子訳『アルド・チッコリーニ わが人生 ピアノ演奏の秘密』(2008年;全音楽譜出版社発行)p.114より引用





WEB shoppingJT jungle tomato

FIVE by FIVE 注目の新譜


NEW1.31 '16

追悼特集
ポール・ブレイ Paul Bley

FIVE by FIVE
#1277『大友良英スペシャルビッグバンド/ライヴ・アット・新宿ピットイン』(ピットインレーベル) 望月由美
#1278『David Gilmore / Energies Of Change』(Evolutionary Music) 常盤武
#1279『William Hooker / LIGHT. The Early Years 1975-1989』(NoBusiness Records) 斎藤聡
#1280『Chris Pitsiokos, Noah Punkt, Philipp Scholz / Protean Reality』(Clean Feed) 剛田 武
#1281『Gabriel Vicens / Days』(Inner Circle Music) マイケル・ホプキンス
#1282『Chris Pitsiokos,Noah Punkt,Philipp Scholtz / Protean Reality』 (Clean Feed) ブルース・リー・ギャランター
#1283『Nakama/Before the Storm』(Nakama Records) 細田政嗣


COLUMN
JAZZ RIGHT NOW - Report from New York
今ここにあるリアル・ジャズ − ニューヨークからのレポート
by シスコ・ブラッドリー Cisco Bradley,剛田武 Takeshi Goda, 齊藤聡 Akira Saito & 蓮見令麻 Rema Hasumi

#10 Contents
・トランスワールド・コネクション 剛田武
・連載第10回:ニューヨーク・シーン最新ライヴ・レポート&リリース情報 シスコ・ブラッドリー
・ニューヨーク:変容する「ジャズ」のいま
第1回 伝統と前衛をつなぐ声 − アナイス・マヴィエル 蓮見令麻


音の見える風景
「Chapter 42 川嶋哲郎」望月由美

カンサス・シティの人と音楽
#47. チャック・へディックス氏との“オーニソロジー”:チャーリー・パーカー・ヒストリカル・ツアー 〈Part 2〉 竹村洋子

及川公生の聴きどころチェック
#263 『大友良英スペシャルビッグバンド/ライヴ・アット・新宿ピットイン』 (Pit Inn Music)
#264 『ジョルジュ・ケイジョ 千葉広樹 町田良夫/ルミナント』 (Amorfon)
#265 『中村照夫ライジング・サン・バンド/NY Groove』 (Ratspack)
#266 『ニコライ・ヘス・トリオfeat. マリリン・マズール/ラプソディ〜ハンマースホイの印象』 (Cloud)
#267 『ポール・ブレイ/オープン、トゥ・ラヴ』 (ECM/ユニバーサルミュージック)

オスロに学ぶ
Vol.27「Nakama Records」田中鮎美

ヒロ・ホンシュクの楽曲解説
#4『Paul Bley /Bebop BeBop BeBop BeBop』 (Steeple Chase)

INTERVIEW
#70 (Archive) ポール・ブレイ (Part 1) 須藤伸義
#71 (Archive) ポール・ブレイ (Part 2) 須藤伸義

CONCERT/LIVE REPORT
#871「コジマサナエ=橋爪亮督=大野こうじ New Year Special Live!!!」平井康嗣
#872「そのようにきこえるなにものか Things to Hear - Just As」安藤誠
#873「デヴィッド・サンボーン」神野秀雄
#874「マーク・ジュリアナ・ジャズ・カルテット」神野秀雄
#875「ノーマ・ウィンストン・トリオ」神野秀雄


Copyright (C) 2004-2015 JAZZTOKYO.
ALL RIGHTS RESERVED.