#  379

サントリーホール・スペシャル・ステージ/内田光子ピアノ・リサイタル
2011年11月7日 @サントリーホール
Reported by 丘山万里子

曲 目:
シューベルト
「ハ短調ソナタD958」「イ長調ソナタD959」「変ロ長調ソナタD960」

 内田光子のシューベルトは、とても理知的だ。シューベルトの持つ歌謡性を抑制し、ことさらに歌わない。だからといって、歌わないわけではない。シューベルトの最後の作品として遺されたソナタ3曲は、彼の死の直前に作曲されている。彼の白鳥の歌と言ってもよい。
 だが内田はその歌に流されることなく、むしろそこに内包されているベートーヴェンへの敬愛を、とりわけ『ハ短調ソナタ』と『イ長調ソナタ』にくっきりと描き出してみせた。そうして、そのことを、内田は意識的に表現する。どういう風に?
 ダイナミック・レンジの大きさ、幅広さ、深さで。それは、とりわけ低音におけるスフォルツァンドと、クリスタルできららかな高音のピアニシッモの往来のなかに示され、これらのソナタの持つがっしりした骨格を浮かび上がらせる。そこには明らかなベートーヴェンへのオマージュがある。
 一方、その周りを取り巻く変幻自在なタッチによる多彩なニュアンスに潜むのは、いかにもシューベルトらしい歌の数々。つまり、ベートーヴェンのような強固な骨組みを明示しつつ、そこに様々な花々をちりばめてみせるのだ。
 『ハ短調ソナタ』では、冒頭からくさびを打ち込むような渾身の和音を響かせる。一方で高音の下降音形のはかなげな美しさ。アダージョは天国的な優しさから始まり、中間部ではうってかわって心の暗部をえぐり出す。その対比こそ、彼女のシューベルトを貫く1本の太い心棒で、どのソナタにもそれが見える。左右の交差のなかに光飛び散る終楽章アレグロの音の奔流。理知的とは、ともすれば歌にのみ重点を置くシューベルトを拒むアプローチで、それがはっきり伝わる演奏だ。
 『イ長調ソナタ』の第1楽章冒頭は低音の底光りする音色と、花びらを撒くような高音が印象的。駆け上がり、駈け下るスケールやアルペジオも柔らかく粒立つ玉を転がすよう。弦のピチカートを思わせるタッチの部分も魅力的だ。第2楽章アンダンティーノは嬰へ短調で、哀愁を帯びた旋律が仄暗い森のなかをうつむいて歩くようで、胸をしめつける。シューベルトの死を予感した独白のようだ。一転、それにあらがう中間部の激しさ。続くスケルツォでは、軽やかな跳梁が鍵盤の上をはじける。低音と高音の歌い交わしも繊細きわまりない。このように、同一楽章の中での段差と、楽章間のメリハリをくっきり際立たせるのが内田の手法。
 最後の『変ロ長調』は、当夜の彼女のシューベルトの集大成と言える演奏。もはやベートーヴェンの足跡を感じさせる音楽ではなく、明らかにシューベルト自身のソナタのイメージが明瞭に立ち上がってくる。第2楽章アンダンテ・ソステヌート(嬰ハ短調)が抜群の美しさ。ここで彼女は細心の集中力で、そっとキーを撫でる。その朧な歌。おそらくここにこそ、彼女の歌の在所がある。前2曲でそこここに見せた歌心が、その全姿を現す。駆け巡るスケルツォの軽快な指さばきは、『イ長調ソナタ』のスケルツォ同様で、跳ねる、跳ねる、跳ねる。そうして終楽章は、鮮烈な音の律動の果て、「これが私のシューベルトよ!」と一喝するように閉じられた。
 思えばシューベルトは人間の心の闇の深淵につま先で留まりながら、天上の歌を歌い続けた人。その大きな振れ幅を見事に掴み切った演奏に、万雷の拍手。
 ふと私は歌舞伎を思い出した。見栄をきり、ねめ回す役者の「どうだい!」と言わんばかりのスフォルツァンド。一方で女形のたおやかな仕草から、馥郁と香り立つピアニシモ。その強烈なコントラスト。それをかっちり見定めた理性的な構成力と歌い回し。彼女が今日、国際的な評価を得ているのは、案外こんなところのセンスかもしれない、などと思った。







内田光子・シューベルトを語る



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