#  385-B

東京文化会館50周年記念フェスティバル記念オペラ/古事記
2011年11月23日 @東京文化会館大ホール
Reported by 堀内宏公
Photos by 林 喜代種

指揮:大友直人
演奏:東京都交響楽団
歌手:甲斐栄次郎(イザナギ)福原寿美枝(イザナミ)高橋淳(スサノオ)浜田理恵(アマテラス)妻屋秀和(オモカイネ)久保田真澄(アシナヅチ)天羽明恵(クシナダ)観世銕之丞(語り部)その他
合唱:新国立劇場合唱団 日本オペラ協会合唱団
演出:岩田達宗

 黛敏郎(1929-1997)は一般には長寿テレビ番組『題名のない音楽会』の名司会者として有名だったが、後世にまで残る最大の功績は、『涅槃(ねはん)交響曲』や『舞楽(BUGAKU)』をはじめ数々の名作を残した作曲家としての活動にこそある。近年ではクラシックや現代音楽の聴衆だけでなく電子音響に関心をもつ層からも日本に初めて電子音楽を導入した存在として脚光を浴びている(今年8月に京都で開催された「黛敏郎の電子音楽 全曲上演会」は、わたしも聴きに行ったが、大変意義深いものだったし、同時に出版された『黛敏郎の電子音楽』[川崎弘二編]も素晴らしい内容で強くお薦めしたい)。
 1970年代以降は政治的にも保守派の論陣を張り、時には調整を旨とする現実政治の世界を超えた理想を掲げて過激な右翼と目されたりもしたが、黛自身はみずからを日本的ムラ社会の情念から脱した真のリベラリストと任じていたし、そのことは思想的左翼だった岩城宏之や永六輔も理解して終生深い交流を続けていたことは広く知られている通りである。また、黛敏郎の作曲家としての才能を誰よりも評価していた武満徹は、晩年に、黛の言葉によれば「恋文のような」長文の手紙を送って、もっと作曲をしてほしいと懇願していた。作曲家黛敏郎のオリジナルな業績を1960年代までの仕事にしか認めない傾向もある。しかし、はたして本当にそうなのか。オペラ『古事記』はその疑問にはっきりと答を出す作品であった。最後に、黛は勝利したのだ。
 おおまかに言って1970年代以降、黛敏郎の作品はさまざまな仏教系宗教団体からの記念式典用の委嘱作が多くなる。特に80年代に入るとオーケストラと合唱など編成規模が大きな作品が続くが、これらは再演の回数は稀少で、その内LP盤になっているものもあるが非売品だったり限られた頒布物だったりして一般の入手は難しい。さらに、この種の作品は式典音楽という性格上、前衛的手法はあまり採用されず分かりやすい骨格で仕上げられている。そうした宗教団体が主催する音楽祭で再演を聴いたこともあるが、勿論立派な曲であり長く心に残るフレーズも登場するとはいえ、しかし、黛の作曲家としての実力を思えば、もっと作曲者自身が創作の主体となって一番語りたいことを喋った本格的な作品を期待したい気持ちが嵩じ、正直些か欲求不満にもなった。武満が抱いていたもどかしい気持ちもよく分かる。
 そうした黛が後期に手がけた本格的な作品の筆頭格が、いずれも海外(ドイツとオーストリア)から委嘱された『金閣寺』(1976)と『古事記』(1993)という二つのオペラだったことには感慨深いものがある。このとき聴き手として想定されていたのは、第一に初演の地のオペラ・ハウスの客席に座る外国の人々であったろうが、その向こうには特定宗派に限定されない「日本人」という大きな聴衆もいたはずだと思われる。この二作品によって、黛敏郎が追究した日本的美意識が音楽的なドラマとなって作品化されたことは、本当に僥倖(ぎょうこう)だった。
 三島由紀夫原作の『金閣寺』では、仏教の解脱と向き合う近代的自我の懊悩が主題であり、そこには近代日本の歴史的問題も織り込まれているわけだが、黛の音楽は、主人公の矛盾と葛藤の内面的危機を描くために異様な緊迫感を帯びて、時に厭世的、時に情熱的な、憧憬と絶望に寄り添う見事なものだった。だが、今回が日本初演となるオペラ『古事記』(オペラコンチェルタンテとしては2001年に今回も指揮を務めた大友直人によって日本初演)を聴いて強く実感されたのは、『金閣寺』とは異なった魅力、すなわち作曲家黛敏郎の中に在る、より根源的で力強く溢れ出る「声」の存在であった。しかも『古事記』では、そうした「声」が、後期の黛が手にしていた「公共的な伝達のための技法的な分かりやすさ」と高度な次元で統合されて見事な達成を示しており、それはまさに偉容と呼べるものであった。
 黛の根源的な「声」とはなにか。それは歴史を遥かに遡るいにしえの時代から連なる、人間の意識の底に広がっている「呪の世界」への共感である。周知の通り、黛敏郎はパリ留学から帰国して前衛音楽の先端を走っていた二十代の半ばに梵鐘の響きと出会い、そこにヨーロッパ音楽とは価値観を根底的に異にする強烈な響きの精神的体験を発見する。以来、黛の創作は、日本的な美意識をさまざまに抽象化することへと向かった。だが梵鐘との邂逅以前に、黛の中に音の原始的な力や呪的世界への関心が伏流水としてあったことは、ストラヴィンスキーの原始主義時代の響きやミヨーの祝祭性の影響を留めた初期作品からも明らかであり、さらに黛はエドガー・ヴァレーズや初期アンドレ・ジョリヴェの呪術的傾向の作品にも早くから注目していた。そうした黛にとって、『古事記』は(黛が提示した複数案から委嘱側が選んだものとはいえ)これ以上ない題材だったに相違ない。
 『古事記』は、トーン・クラスターを駆使した前衛的音響劇に留まることなく、終始明解な構造のなかで音楽が展開され、「音楽素」とでも言うべき曲のモチーフと秩序を形成する基礎音列とリズム組織の変形を駆使して構築されている。それにより、明確な調性のない音楽であっても核音(中心音)を巡る響きの様態はつねに個性的な姿を現前させ、観客は各シーン(場面)を記憶の中に明瞭に保つことができる。音楽の核心を聴き手に無理なく伝えることのできる黛のこうした力量は、日本の作曲家として屈指と言えるものだが、おそらく、それを一層確かなものにしたのは、後期の黛が各種宗教団体をはじめとする数多くの式典音楽の委嘱作品に応えることを通じて獲得した、音楽の複雑な組成とエネルギーを縮減することなく平滑化させるエクリチュール(書法)の成果であったようにも思われるのである。
 今回の公演は演出も素晴らしかった。舞台中央で、主要登場人物たちがその上で演じ歌うことになる、傾斜を変えつつ回転する巨大な円盤装置をはじめとして、どの場面でも絶妙な効果を発揮した優れた照明、そして神話の世界を見事に現出させた衣装、そうしたすべてが、よくぞここまで削ぎ落としたと言えるほどに、いかに語りすぎないか、減らせるか、という意識で徹底されていた。日本の伝統音楽や美意識について熱心に学んだ黛が辿り着いた、日本ならではの縮減と引き算の美学、大事なことは余白や仄めかしによって語るという作法を舞台上に反映させたものでもあっただろう。だがそれは換言すれば、単なる象徴や比喩ではなく意味を幾重にも折り畳んだ行間の提示といえるものなのだ。
 わたしは今回ゲネプロと本番の両方を観たが、各歌手の歌唱とオケの間合いの微妙な調整は本番で見事に生かされ、また舞台演出や装置の出来映えも本番での成果は特筆されるものだった。指揮の大友直人は、本作について、「芸術性と大衆性を併せ持つ黛さんの音楽は、胸の深いところに届く。壮大な響きの伽藍(がらん)を味わってほしい」と語っていたが、おそらくそれは多くの聴衆の心の中で叶えられたことであろう。
 本作はドイツ語で作曲された作品だが、日本語版の誕生を切に望みたい。スサノヲが詠んだ日本で初めての和歌「八雲立つ出雲八重垣妻ごみに八重垣作るその八重垣を」、あのシーンでの荘厳な旋律と和声は深い感動とともに忘れ難い。あの場面をぜひとも日本語の歌詞で聴いてみたいと強く思った。











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追悼特集
ポール・ブレイ Paul Bley

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#1281『Gabriel Vicens / Days』(Inner Circle Music) マイケル・ホプキンス
#1282『Chris Pitsiokos,Noah Punkt,Philipp Scholtz / Protean Reality』 (Clean Feed) ブルース・リー・ギャランター
#1283『Nakama/Before the Storm』(Nakama Records) 細田政嗣


COLUMN
JAZZ RIGHT NOW - Report from New York
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#10 Contents
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#47. チャック・へディックス氏との“オーニソロジー”:チャーリー・パーカー・ヒストリカル・ツアー 〈Part 2〉 竹村洋子

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Vol.27「Nakama Records」田中鮎美

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