#  405

ジョン・リル ピアノリサイタル
2012年1月31日(火) @東京文化会館小ホール
Reported by 伏谷佳代(Kayo Fushiya)
Photos by 林喜代種(Kiyotane Hayashi)

<プログラム>
ベートーヴェン;
 ソナタ第8番ハ短調op.13「悲愴」
 ソナタ第13番変ホ長調op.27-1「幻想曲風」
 ソナタ第13番嬰ハ短調op.27-2「月光」
 ソナタ第23番ヘ短調op.57「熱情」

ジョン・リルといえばベートーヴェン、といえるほど、もはやベートーヴェン弾きとして押しも押されぬ存在である。キャリアはゆうに50年以上。1970年のチャイコフスキー国際コンクールの覇者であり、以来世界中で演奏してきた。レパートリーは驚愕するほど多く、コンチェルトだけでも70曲に及ぶ。母国英国では8つの大学から名誉博士号を受け、大英帝国勲章も2度受賞している。

しかし、リルの演奏はそうした「名士」の姿から連想されうる判りやすい重厚さや威光とはもっともかけ離れたところにあるのではないか。それは、他者との比較を受けつけぬ、高い精度のオリジナリティをもつもので、音がこぼれ出るすぐそばから、求道の人生の断片が説得力をもって迫ってくる。押しつけがましさなしに。異質な演奏ではある。しかし、繰り返すが、通常の解釈との比較を全く無意味に思わせるものである。


浮沈のダイナミズムと音圧コントロール〜速度に頼らぬ構成力

大胆なアゴーギク、音圧の自在な伸縮、メリハリの効いたフレージングの対比など、すべては「リルならでは」のもの。「悲愴」は驚くべきスロー・テンポで始まるが、一貫して硬質であり、若い世代の器用なピアニストに見られるような、指先の巧みな微調整とは無縁である。あくまでもストレートな力の伝播に重きがおかれ、思い切りよく浸透圧が変化する。終楽章などアップ・テンポになればなるほど、腕の運動性の均衡は増し、鍵盤の隅々にまでなめらかな安定がもたらされる。リルのタッチの醍醐味がもっとも凝縮されていたと思われるのが緩叙楽章で、飾り気がなく素っ気ないとも取られかねないピアニズムが、逆にその叙情を上品なものに高める。ねっとりと音色にヴァリエーションを加えるのも個性だが、リルの場合、想像力はすべて聴き手に委ね、自らは音の圧力の増減というミニマルな構造の部分のみを担っているかのようだ。事実、ダブルリードを思わせるようなじっくりとした腰の座りから蝶の飛翔を思わせる軽さまで、その浮沈のダイナミズムは名匠のみが出せる境地である。つづく「幻想曲風」はこうした神経が二手の末端まで健在ということをさらりと示す。見事な先読み力ともいえる左手の柔軟性が、曲全体をなだらかに軽量化し、無限につづくかのような地平の広がりを実に立体的に構築してみせる。建築を観るときに近い可視力、を聴き手にもたらしてくれる。


自己の消失が生む凄み

こうした解釈の骨頂ともいえたのが「月光ソナタ」である。表情の起伏のなさは推し進められ、あの有名な第1楽章の3連符の連なりは、永遠とも取れるような冗長さでたゆたうかのようだ。しかし、測りしれない意味深さを内に秘めた、喩えていうならば「能面」の無表情にみる成熟した味わいがある。単音のメロディにも派手さはない。しかし、音色の芯から発光しているかのようなほのかな熱が持続する。こうした情緒が実にあっさりと、同じテンションで変幻してゆくのである。楽章間の対比も含め、外郭の変化に劇的さは全くないが、ゆっくりと堆積してゆく充足感があり、得難い体験である。そして、黒子に徹した楽曲への埋没が、自己消失の凄みとして、結果リルその人を大きく浮き彫りにしたのがラストの「熱情」である。原曲の練られたパッセージの悉(ことごと)くが、生きもののように蘇生するが、リルはそれらを勝手気ままに演出することなく、「そのものとして」差し出す。その点においては一切のまやかしも例外もない。リルがピアニストとしての研鑽の成果すべてを出し切ることが、そのままピアノという楽器の来し方・その豊かな潜在力を遺憾なく伝えることに直結する。聴いている最中は重い。しかし聴いた後に覚える清々しさは甚大である(*文中敬称略)。  









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