#  407

松村禎三オペラ「沈黙」
2012年2月16日 @新国立劇場中劇場
Reported by 太田正文
Photos by 三枝近志

原作:遠藤周作 台本・作曲:松村禎三
指揮:下野竜也
管弦楽:東京交響楽団
演出:宮田慶子
美術:池田ともゆき
衣装:半田悦子
照明:川口雅弘
合唱指揮:三澤洋史
音楽ヘッドコーチ:石坂宏
児童合唱指揮:掛江みどり
舞台監督:菅原多敢弘
合唱:新国立劇場合唱団
児童合唱:世田谷ジュニア合唱団
芸術監督:尾高忠明

主要キャスト
ロドリゴ/小原啓楼 フェレイラ/与那城敬 ヴァリニャーノ/大沼徹
キチジロー/桝貴志 モキチ/鈴木准 オハル/石橋栄実

遠藤周作が、江戸時代はじめ島原の乱直後のキリシタン弾圧を舞台に、来日した司祭を通じて神と信仰の苛烈を描いた小説「沈黙」。これを、現代音楽の松村禎三(1929-2007)がオペラにした作品を聴いた。

読響でマエストロぶりを堪能した下野竜也、若き正指揮者、現代音楽を見事に提起し続けている側面でも定評がある。今回は、新国立劇場初登場だ。東京交響楽団があふれそうになったオーケストラピット、そこからの響きを見事に統率した。

オペラ愛好家、クリスチャン、遠藤周作ファン、松村禎三ファンと、観客の動機からすると圧倒的に前三つだろうか。新国立劇場のエントランスには隠れキリシタンの受難の歴史が展示されていた。地図で見ると長崎県はすっぽりキリスト教区ではないか。教科書で平たく習ったのは出来事の名詞だけであって、史跡や風景の写真を伴った説明で想像力を働かせることはなかったかもしれない。開演前のひととき、そのオーラからクリスチャンと思しき若い男女の言葉の交わしあいにすっかり清められるような面持ちの自分がいる。

こっそりとCD売り場に並べられた新潮文庫の「沈黙」を買う。

ステージが開く。中央から左に傾いた巨大な十字架のモニュメント。その形状、色彩に圧倒される。江戸時代の農民が磔(はりつけ)になっている、というか、その場所に縛られて立たされているリアリティに、もう夢見るオペラというふうには映らない。だめだよ、死んだらおしまいだよ、踏み絵踏みなよ、心の中だけの信仰で神さまは許してくれるよ!と、...開演まもなくで、このオペラの主題に踏み込むわたし。

物心ついた頃から怪獣の叫び声や鉄腕アトムの足音に接し、ティーンエイジャーから、おおよそのポップ領域の区割りをしたビートルズを初期設定として、パンクだのアヴァンギャルドだのいいだけ聴いてしまったあとで40も過ぎて松村禎三の傑作「阿知女(あちめ)」(1957)を聴いたわたしには、「阿知女」はパソコンゲームに興じているテーブルの上にゴツンと置かれた血糊のついた馬の大腿骨のように映った。初めて聴いたオーディオで、何か天井から仏壇ががらんがらん降ってくるようにおののいた。「阿知女」の絶叫とも思えるソプラノパートは謎だった。

松村も言うように、わたしもどっちかというとシュトックハウゼンは要らないクチでね。

わたしはオペラは好きだが愛好家の階層ではないし、キリスト教にも欧州帝国主義のツールだと断じた中村とうようの音楽観にひかれたくらいの認識しかない。賛美歌もパイプオルガンも少年少女児童合唱団がこんなに好きでも、肝心なところを欠いている気がしないでもない。今日は、作曲家松村禎三の晩年の達成、その意識の軌跡を感じに来たのだ。

それにしても、ポルトガルからやってきた司祭のセリフには「ちょっと待ってよ」「早まるなよ」の連続だったし、踏み絵を踏んで唾を吐きかけて司祭を役人に密告するキチジローには共感までもした。なぜ農民たちは海に磔にされても信仰を捨てなかったのだろう、仏教は支配層に在って、苛酷な年貢の取り立てなど、現世でこれほど苦しめられるのなら、ピュアなままのわたしをコロせ!という切実なものか...。AKB48の神曲だの、この演奏は神トラックだの、ただの接頭語になっている神、2012年のわたしは、生きてこそ頬は赤い(小谷美紗子)だろ、と思う、そしてそれこそ現代の「神」に相当するテーゼに過ぎない?、となれば...。生きてりゃいい、というもんでもないだろ、が、アンチテーゼ。

これは史実でも宗教でもなく、現代に訴えかけるテーマとして体験できるものだ。

松村禎三は京都出身で幼少の頃からクラシックに目覚め、古都を因襲にまみれたものと避けて東京に出て作曲家となった経歴だ。初期の代表作になった「阿知女」、師事した伊福部昭、心酔したストラヴィンスキー...。

そうか!ストラヴィンスキー「春の祭典」に、殉教する構えだったのだ、松村は。松村は、来日した司祭フェレイラであり、信徒でありながら転んで裏切るキチジローであり、司祭でありながら転んで日本を見つめるロドリゴでさえあったのだ。

作曲活動を始めてほぼ40年、13年をかけて書かれたオペラ「沈黙」(1993)、「阿知女」のアリアはこのオペラの沈黙を要請していたのではないか。この悲劇に何故神は沈黙なさるのか、という沈黙と、本能的に松村はおのれの作曲家人生の主題の同一を視ていた。

さて、処刑されてゆく農民信徒たちの穴吊りされたうめき声を耳にして司祭フェレイラは踏み絵に足をかける。これは晩年の松村禎三の現実に、どこかアナロジーになってはいまいか。

このオペラは世界でも上演されるべき。内容もクオリティも通じるものだろう。松村はこのオペラを通じてマツムラが新しい聴衆に知られるようになることを明確に知っていた。これで「阿知女」に落とし前がつく...、わたしはそこまで考えたところで、松村禎三という作曲家の歩み自体が大きなオペラであるように思えた。そして、まだ聴いたことのない松村作品へと向かってゆくのである。  









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