#  410

ナイジェル・ケネディ 「バッハ meets ファッツ・ウォーラー」
2012年2月20日(月) @東京オペラシティ・コンサートホール
Reported by 相原穣

ナイジェル・ケネディ(violin)
ヤレク・シュメタナ(guitar)
ヤロン・スタヴィ(double-bass)
クシシュトフ・ヂェジッツ(drums)

プログラム:
第1部 J.S.バッハ
無伴奏ヴァイオリン・ソナタ 第2番 イ短調 BWV1003
2つのヴァイオリンのための協奏曲 ニ短調 BWV1043

第2部 ファッツ・ウォーラー
How Can You Face Me Now?
Viper’s Drag
Honeysuckle Rose
I’m Crazy ’Bout My Baby
Danny Boy
[アンコール]
モンティ:チャルダッシュ

 イギリス出身のヴァイオリニストのナイジェル・ケネディが5年ぶりに日本のステージに立った。会場となったオペラシティの大ホールには、後方や2階に少なからぬ空席が広がる。だが、そうした空席が示唆する今回のプログラムへの戸惑いと、演奏終了後のほぼすべての聴衆によるスタンディング・オベーションとの落差が、図らずも、このところのケネディの演奏活動の本質を物語っているように思われる。
 ヴィヴァルディ「四季」(1989)で打ち立てたクラシックCD売上のギネスブック記録、トレードマークとなったステージ上でのパンク・ファッション、ジャズ、ポップス、ロックを取り込んでいく今日流行のクロスオーヴァー志向。ケネディを取り巻くそうしたコマーシャル的記号は極めて分かりやすい。そして、人はキャッチーなイメージに対して好悪の別を付ける。ところが、ケネディの実際の音楽活動を辿ると、上述のありきたりな見方は蹴散らされてしまう。ここ10年ほどのディスコグラフィを見ても、ベスト盤は別として、フィーチャーされているのは、ポーランドを拠点に発信されるジャズやクレズマー音楽、埋もれていた同国の作曲家のヴァイオリン協奏曲。ブルーノートからは自作を交えたジャズのリーダー・アルバムをリリース。従来路線のクラシックにしても、ベートーヴェンとモーツァルトのヴァイオリン協奏曲のアルバムにホレス・シルヴァーの1曲が添えられていたりして、リスナー受けよりも自身の音楽的チャレンジを優先しているように見える。その最たるものは、エレクトリック・サウンドにオリエンタルな民族音楽、ジャズのグルーヴ感など様々なジャンルをミックスさせた最新アルバム『四大元素』だろう。
 今回のアジア・ツアーに持ち込まれたテーマも、「バッハ meets ファッツ・ウォーラー」(当日のパンフレットではmeetsがplusになっていた)。商業的成功を狙うプログラミングからはほど遠い。日本や中国・香港、マレーシアで「ファッツ・ウォーラー」の名の下に集まってくる客がたくさんいるとは思えず、かといって前半の「バッハ」は無伴奏作品が1曲で、どっちつかず。だが、そう思った瞬間に、ケネディの術策にはまっている。
 「この曲は弾くのも聴くのも大変。客席と一緒に音楽を作り上げたい」とステージから語って弾き始めたバッハの無伴奏ヴァイオリン・ソナタ第2番。「瞑想」という言葉も口に出たその演奏は、過剰なヴィルトゥオジティを排し、思いのほか端正なフレームの中でバッハの息遣いを響かせる。聴きどころである第2楽章のフーガでは、滑らかでクリアな音の流れに耳が心地よく運ばれ、通奏低音の響かせ方で印象が大きく変わる第3楽章アンダンテでは、特筆すべき美音が時間をハーモニーに溶け込ませる。聴きながら、ふとシェリングのバッハを思った。あとは終楽章のアレグロ。このまま穏やかにまとめて、休憩で雰囲気の入れ替えか、と意識が少し惰性に流れた時、ケネディが間合いを取って、第2部に登場予定のメンバーをステージに招き入れた。意図が分からず、戸惑う客席。何と、カルテット編成で終楽章がスタート。ケネディは本来のパートを奏でるが、他の3人が加わることで音楽の表情が陰から陽へと様変わりする。ケネディの心の中の含み笑いが聴衆にも伝播していくかのようだ。サプライズはそれだけに留まらず、演目にないバッハの「2つのヴァイオリンのための協奏曲ニ短調」を、今度は東欧色を交えた換骨奪胎の自由なアレンジで聴かせ、第2部に入らずして会場のテンションを一気に引き上げた。
 

 1920年代から40年代のアメリカで一世を風靡したジャズの巨匠ファッツ・ウォーラーを取り上げたコンサート後半は、前半の高揚感を引き継いで始まった。とはいえ、演奏自体がエネルギッシュなのではない。ケネディの他のメンバーは、グスタフ・マーラー・ユーゲント管弦楽団の首席を務めた後、ジャズでの活躍が著しいベーシストのヤロン・スタヴィ、ポーランド出身の名ジャズ・ギタリストのヤレク・シュメタナ、そしてスネアドラム1つを前にした同じくポーランド出身のドラマーのクシシュトフ・ヂェジッツ。その4者が繰り出すプレイは、その体躯を思わせるファッツ・ウォーラーのあけっぴろげな音楽を、ユーモラスさを保持しつつ、洗練された軽やかなものとして提供する。気分を高揚させるのは、アンサンブルの妙味だ。ウォーラーの演目は、スキップするようなリズムが楽しい「How Can You Face Me Now?」に始まる4曲。ピアノ曲として書かれた「Viper’s Drag」では、マイナー調の響きに織り込まれた遊び心をドラムが巧みに引き出し、アップテンポに転じれば、ヴァイオリンが腕の冴えを見せる。小気味よいリズムが特徴の「Honeysuckle Rose」は、バロック音楽風に始め、ギターとヴァイオリンが交互にソロを取りながら、両者の息の合った二重奏へ。「I’m Crazy ’Bout My Baby」では、快調に飛ばしながら、ヴァイオリンが、グリッサンド、刻み、ハーモニックスを駆使してフレーズを多彩に弾き分け、喝采を呼ぶ。ケネディは、バッハとウォーラーの共通項として「ハーモニーの達人」ということを挙げていたが、メロディラインを歌うことよりもアンサンブルに目配りすることで、猫の目のように表情を変えるウォーラーの音楽の楽しさに、聴衆の耳を自然と開かせた。バッハでの手の込んだ仕掛けも、そのウォーミングアップとして貢献。
 一方、その後に追加演奏された「Danny Boy」と、アンコールの「チャルダッシュ」では、当夜初めて朗々とメロディを鳴らす。ケネディのステージは、客席とのトークや共演者とのやりとりにも冗談が頻発するが、「チャルダッシュ」では、アインザッツの引っ掛けで、ベースがフライング。最後もしつこい反復でなかなか終わらせない。内容自体もかなり逸脱し、マイルス・デイヴィスの「So What」までもが顔を出す。その発想の自在さと圧倒的なヴィルトゥオジティ、そして聴く者を魅了する熟達した音楽的コミュニケーション能力。ケネディは先入観さえ逆手に取り、侮っていると、実際の演奏で虜にされる。それは「異端」という言葉を旗頭に、早くからクロスオーヴァー的な音楽シーンへと歩み出した先駆者としの苦難と経験がなせる技だろう。ナイジェル・ケネディには、油断禁物である。



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