Concert Report#425

伊藤恵ピアノ・リサイタル≪ブラームス、細川俊夫&シューベルト≫
〜新・春をはこぶコンサート/8年連続コンサートVol.X
2012年4月29日(日) @東京・紀尾井ホール
Reported by 伏谷 佳代 (Kayo Fushiya)

出演:
伊藤 恵 (Kei Itoh ; pf.)

プログラム:
ブラームス;3つのインテルメッツォop.117
      4つの小品op.119
      <休憩>
細川俊夫;ピアノのためのエチュード1.---2つの線---*
シューベルト;ピアノソナタ第21番変ロ長調D.960

アンコール:
ブラームス;3つのインテルメッツォより第3曲嬰ハ短調

*改訂版/世界初演

柔軟な身体と深い呼吸法、触媒としての熟練が滲む

伊藤恵といえば、「シュマニアーナ」。長年にわたる輝かしいシューマンピアノ曲全曲録音を誰もが思い浮かべるだろう。言わずと知れたドイツ・ロマン派の名演奏家であるが、爽やかな春の週末に催されたこのマチネ・コンサートでも、聴衆をあたたかく包み込む、やわらかで円熟した境地を遺憾なく発揮していた。プログラム全体を通し、まず感服させられるのが、その自然な身体の使い方と呼応する、深い呼吸である。楽曲が息吹き、音楽に含蓄とうねりをもたらすために、どのタイミングで最大の効果を挙げるか-----を熟知した、まさに身体で体得したヴェテランのみがもつ自在さであった。そこには、作曲家のメッセージをストレートに汲み取り、伝えることを第一義とするストイックさがまずあり、奏者の身体は触媒として、しかし個性を失うことなく、謙虚にして柔軟な対応力を見せる。

たとえば前半のブラームス。複数の音色が過度に混ざり合うことは決してなく、それぞれの音は垂直性を保持しつつ、ごくシンプルに共存する。ブラームス特有の暗鬱とした苦渋のロマンティシズムは、断片的に、あくまで多層のなかの一層として立ち現れるが、はっとするような濃厚な印象を残しては消える。ひとつひとつのパーツが独立しつつも、各楽曲の連結は結び目が解かれてゆくかのような自然な展開。呼吸に則った、巧みな仕切り直しがここでも効果をあげる。6曲もインテルメッツォがつづく(『4つの小品』の第4曲のみが「ラプソディ」と題される)という構成を、タッチと音色の変幻も鮮やかに、訥々(とつとつ)としつつも深い味わいで紡いでゆく。音のキレと粘着質の絶妙な拮抗。時に「弦楽器向き」とも称される紀尾井ホールの音響効果をもうまく取り込んだ、音のフローが冴える。


 

両極のあいだをゆるやかに繋げるプロセス-----細川作品初演

さて、ブラームスとシューベルトという19世紀ロマン派に挟み込まれる形で奏された、後半第1曲、細川俊夫『ピアノのためのエチュード1---2つの線---』は、この日のために改訂された世界初演。もとは2011年ブゾーニ国際コンクール作曲部門の課題曲として作曲されたものだという。右手と左手によって描かれるふたつの線は、「陰と陽」、「影と光」など、さまざまな対となる要素を象徴するが、こうした両極性を孕む音楽だからこそ、伊藤恵のような奏者でなければ務まらぬ音楽であるとひしひしと感じた。大きなダイナミックレンジ、どのような瞬間でも平板にならぬ音色、沈黙を御する「空間を読む」力、などなど。楽曲に盛り込まれた対義的な想念は、演出次第では単調な二項対立に堕してしまう危険があるのだ。短い曲ではあるが、きわどさの点で難曲であろう。伊藤恵は、華やかなトリルから瞑想的な残響部を経ての沈黙に至るまでを、非常になめらかなラインで繋げる。両極はひとつで結ばれている-----そのプロセスを鮮やかに隈取りして見せるかのようだ。


音が落ちるまでの一瞬を御す、無数のヴァリエーション

こうして見てみると、伊藤恵のピアニズムの最大の美点のひとつは、指が落とされ具体的な音として結実するまでの、非常にわずかな間(ま)における身体感覚の膨大なヴァリエーションにあると思われてくる。その一瞬に、聴き手の想像力や期待感を惹きつけて止まぬ吸引力といってもよい。サスペンドされた緊張感を保持しつつも自由に舞い、細部が覚醒しつつも全体の包容力が失われず、激しい感情の起伏も夢見るような優雅さのなかでその片鱗を覗かせる。莫大な構造に埋没せずに、互角に渡り合える繊細にして明朗な歌心。ラストに奏されたシューベルトの長大なソナタD.960は、実に自然に時をはこぶものだった。奏者が恩師である故ハンス・ライグラフに最後に意見を請うたという思い出の一曲は、皮膚感覚で聴き手のなかへすっと入り込む親和力を有す。まさに「シュベルティアーデ」を思い起こさせる、崇高にしてうららかな境地が終演後もしばらく残存した(*文中敬称略)。



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