Concert Report#428

ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン/熱狂の日音楽祭2012
2012年5月3〜5日 @東京国際フォーラムその他
Reported by 悠 雅彦
Photos by 三浦興一

 東京では2005年に始まった音楽祭「ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン」(熱狂の日)には、今年もまたまた驚かされた。音楽祭としての規模といい、意表を突く型破りなプログラム構成といい、海外と国内とを問わない多彩な演奏家の顔ぶれ等々、催しそれ自体がクラシック音楽ファンの関心をくすぐらずにはおかない。それかあらぬか、今年は突出してというべきか、私がのぞいたコンサートに限っていえば、どの会場も見まごうほどの盛況ぶりだった。
それはなぜかという答えを見つける1つの鍵を、私はプログラムに見出した。特に今年は<Le Sacre Russe~ロシアの祭典>と銘打ち、ロシア音楽を代表する作曲家をテーマ作曲家に据えた結果、ふだん聴きたくてもなかなかその機会に恵まれない作品、1例をあげるならスクリャービンのピアノ曲やシュニトケの室内&管弦楽曲、アレンスキーの室内楽曲、あるいはカトワール、タネーエフ、シソエフ、モソロフ、ミャスコフスキー、メトネルなどの、定期演奏会に代表されるふだんのコンサートでは滅多に聴けない作曲家の作品がふんだんにといっていいくらいプログラムを賑わしていたこと。
 といっても、数え切れないほどに並んだプログラムをすべてカバーするのはどだい不可能だが、私が辛うじて聴くことができたコンサートでカトワールとメトネルの作品に初めて接したとき、わが国の音楽界が今後すぐにでも改善に着手するべきプログラム作成上のヒントになるのではないかと直感した。決まりきった名曲中心のプログラムに魅力を見出せなくなっているファンが少なくないからだ。大阪交響楽団が音楽監督に迎えた児玉宏の発案で着手したディスカヴァリー・シリーズが好評裏に迎えられ、タニェエフやアッテルベリなどの作品紹介がファンの注目を集めているのも、通りいっぺんの安易なプログラム作成に一石を投じた大阪響と児玉宏の意気に感じると同時に、新鮮な風を感じた人が少なくなかったからではないか。別にプログラム革命を叫んでいるわけではない。ただ「熱狂の日」開催によってあぶり出された幾つかの問題の一例として、さまざまなコンサートのプログラム作成に新鮮な風が通るようになる1つの機運が生まれることを期待するとだけ言っておきたい。
 今年のお目当てはジャズ・ピアニストの小曽根真が本格的にシリアス(クラシック)・ピアニストとして登場する2つのコンサートだったが、公演プログラムの一覧をざっと眺めた瞬間から、小曽根真を中心にピアニストのコンサートを可能な限り聴いてまとめようと決めた。

 5月3日。東京国際フォーラムのホールD7では、私にとって初めての3人のピアニストを立て続けに聴いた。このホールの収容人員は250人ほどということだったが、それでも3コンサートとも空席はほとんどない。よほどの人でなければ馴染みのいたって薄いピアニストばかりだというのに。のっけから目をみはった。とても新鮮だったのは、スタインウェイから飛び出すピアノの音が3者3様に違って面白かったこと。国籍も性別も奏法も違うなら当然と思いたいところだが、ピアノという楽器では私には初の体験。ナマの演奏ならではだろう。
 手始めがパリ国立音楽院の出で、2009年のクララ・ハスキル国際ピアノ・コンクールの優勝者、アダム・ラルーム。彼が選んだロシアの作曲家はスクリャービンとプロコフィエフで、贅肉を殺ぎ落とした音質の、シャープでエッジのきいたスクリャービンのソナタ(第5番嬰へ長調 op. 53)が印象深かった。ベレゾフスキーほどではないが、想像力に富む雄弁な左手が「法悦の詩」に通じる神秘性と単一楽章らしい劇的な物語性をリードするかのようなスリルを味わうことができた。
 興味をそそられたのは、ラルームが後半演奏したプロコフィエフの「年とった祖母のお話 op. 31」を、この後のコンサートで登場したエカテリーナ・デルジャヴィナも取りあげたことで浮かび上がった、ピアノの音のみならず表現(解釈)の違い。ピアニスティックな運動がドラマをリードするラルームに対して、バッハ国際コンクールで優勝したモスクワ生まれのデルジャヴィナが演奏するプロコフィエフは実に詩的な抒情性に富む。ラルームのソノリティ(音質、音色)がモダンで伶俐な鋭さで貫かれているのに対し、彼女の「祖母のお話」はひたすら温かい。母親の笑顔のようだ。彼女が弾いたカトワールの「4つの小品」とメトネルの「8つの情景画 op. 1」は初めて聴いた。20世紀初頭のメトネルの作品はラフマニノフに通じるロマンティックな小品集で、繰り返して聴きたい魅力をもつ。スクリャービンもラルームが初期のショパン風味の「5つの前奏曲 op. 15」で、一方デルジャヴィナが作曲者の死の直前に書かれた「5つの前奏曲 op. 74」と、ここは対照的。

ラルームの演奏が新劇の舞台を彷彿とさせるとすれば、デルジャヴィナのスクリャービンはメトネルやプロコフィエフ同様に絵画的で、ラルームと比較すると色彩美が印象深く、ときに物語を朗読するような語り口も光る。彼女は熱心な拍手に応えてバッハの「ゴルトベルク変奏曲」のテーマを弾いて締めくくった。
 3人目のルイス・フェルナンド・ペレスはアリシア・デ・ラローチャの教えを受けたというからスペインのピアニストだろう。グラナドス・コンクールでグラナドスの最良の演奏家として特別賞を受賞したという彼が、この夜演奏したのはオール・ラフマニノフ。よほど性に合っているのだろうか。作品23の前奏曲からの3曲は、聴いているうちにいつしか彼がアルベニスかモンポーでも演奏しているかのような錯覚を覚えた。ラテン的気質というのか、表情や身振りも情熱的で多彩な演技力を感じさせる。有名なト短調では終盤にミスを犯したが、総体的によく練られ構成されたラフマニノフだった。最後の「楽興の時」が彼の演奏の特徴を発揮した最良の例だったかもしれない。主人公の男女が愛憎劇を繰り広げる映画の幾つかのシーンを彷彿させるこんなラフマニノフも、初めて耳にしたせいでもあるが存分に楽しめる演奏だった。
 CDでは何度も聴いていたボリス・ベレゾフスキーだが、ナマで聴く迫力はさすが別格だった(4日、よみうりホール)。オープニングはラフマニノフのソナタ(第1番ニ短調 op. 28 )。とにかくピアノがこれ以上ない音量で鳴り響く。加えてCDでも明瞭な超絶技巧がすべてのパッセージを雄弁に躍らせる。日本語で曲の変更を伝えて2曲目に演奏したのが、前日のペレスと同じ「前奏曲 op. 23 」の5曲。その昔ホロヴィッツもこんな、会場を揺さぶるがごときダイナミックなピアノで聴く者を圧倒したのだろうか。好き嫌いは別にして、ベレゾフスキーもこの夜、疑いなく超満員の聴衆をKOした。彼自身もアンコールにはショパンを弾くほどのご満悦ぶりだった。
 このところ小曽根真はジャズよりもクラシックのコンサートで健在ぶりを示す機会が俄然多くなったような気がする。その小曽根はこの音楽祭で、児玉桃と組んだストラヴィンスキーの「春の祭典」のピアノ・デュオ版(3日、よみうりホール)、及びパリ室内管弦楽団との共演によるショスタコーヴィチの「ピアノ協奏曲第1番ハ短調 op. 35 」(4日、ホールA)の2ステージで喝采を博した。大ホールの客席を埋めた大聴衆が何を意味するかは色々だが、クラシック・ファンの間で小曽根真への関心が高まりつつあることだけは間違いないだろう。「春の祭典」といえばはるか以前、隠れた名ドラマーと敬愛していた故・原田寛治氏がこの曲をコンサートで聴いて、リズムの破天荒な乱舞とスリリングな展開に興奮した体験を語ってくれたことがあった。もし彼が小曽根と児玉桃による「春の祭典」を聴いたら何といっただろう。小曽根真というピアニストは共演する相方の呼吸を読んで、演奏をハッピーなレールに乗せていくことにたけている。別の言い方をすれば、裏のない男だ。この如才なさをどう受け取るかで、彼への評価も変わるとも言えるかもしれない。
 一方の児玉については、昨年の「熱狂の日」で一度拝聴しただけだから確かなことは言えないが、想像するに奔放な開放性と積極性を信条とする演奏家ではないか。個人的な印象を言えば、演奏も思い切りがいい。翌日(4日)、彼女は姉(児玉麻里)と組んでチャイコフスキーの「くるみ割り人形」(エコノム編曲の2台ピアノ版)やラフマニノフの「2台ピアノのための組曲第2番」などを演奏(ホール D7)した。児玉姉妹は折りを見てはデュオ演奏を試みていると聞くが、恐らく過去に何度かラフマニノフは取りあげたのではないかと思う。2台ピアノに改変した曲と違って、抜きん出たピアニストだった作曲者が情熱を傾注して作り上げた作品だけに、麻里の理知的なアプローチと桃の体当たり的な奏法とががっぷり組んで練り上げられた好演奏となった。
 さて「春の祭典」。変拍子が多いだけでなく、リズムが飛んだりからみ合ったりすることで演奏者にとっては難儀なこのリズム性を快感に変えてしまった両者の演奏は、一言でいって見事。思う存分堪能できた。リードする小曽根は随所にジャズの技法を注入して(といっても、聴いている限りではどこをどうジャズ化したのかはほとんど分からない)、ジャズには多大の関心を寄せたかのストラヴィンスキー先生のこと、どこかで楽しんでいたのではないかと想像したい。ジャズを創意に富む手法で注入した小曽根と、その遊び心を楽しみながらも決して的を外さない児玉の、聴く者を唸らせた40余分の快演。就中、終わり間際の小曽根のジャンプし滑空するプレイには胸がすく思いだった。  

 翌日(4日)は小曽根とパリ室内管の共演によるショスタコーヴィチのピアノ・コンチェルト。この協奏曲はトランペットがソロイストで活躍する異色の作品である。私自身も過去に2度日本のオケとの共演で小曽根真を聴いているが、ことにセルゲイ・ナカリャコフのトランペットと共演した鮮度の高い演奏が強く印象にあった。歴史はさほど古くないが、パリ室内管はさすがに洗練されたアンサンブルで魅了する。音がシックで柔らかい。米国出身の指揮者ジョセフ・スヴェンソンの的を外さない的確なタクトのもと、いかにもヨーロッパらしい肌触りの心地よいアンサンブルを響かせた。バレェ音楽と聴きまごうような演奏のプロコフィエフの古典交響曲に続いて、軽装の小曽根が登場。この祭典では初めてヤマハのグランド・ピアノが鳴るのを目にした。小曽根のショスタコーヴィチはめりはりが実に鮮明。もともと優れた曲だとは思うが、小曽根の確信に満ちた演奏で聴くと、たとえばプロコフィエフの3番やハチャトリアンと並ぶ名品に聴こえる。3つの楽章の性格を的確にとらえ、その違いが浮き彫りされるような小曽根のアプローチに圧倒された。とにかく、こんなに音楽を楽しみながら、嬉々として演奏するピアニストはほかにいないのではないかと思いたくなるくらいに気持がいい。めりはりが明快なだけに3つの楽章はそれぞれに印象深いのだが、とくにラメントを聴くような第2楽章の呟くようなリリシズムが胸に沁みる。繊細なオケのアンサンブルがよくマッチする。それと第3楽章のカデンツァ。冒頭のカデンツァ風提示と、優美なストリングスがピアノをけしかけるかのような展開部、さらにトランペットのソロが絡んでピアノとオケの3者の三つどもえとなる急展開の迫力に花を添えたのが、小曽根のアイディアと創意で聴く者を釘付けにした最後のカデンツァ。この巨大なホールを埋めた大聴衆が固唾を呑むように凝視している緊張感が伝わってくる。ジャズ的な演奏を盛り込むといった安易なアプローチではなく、リズムや主題に基づくパッセージが即興的な活力に満ち満ちているところが素晴らしいのだ。これほどの成果をあげた上に、クラシック音楽ファンの注目の的になると、ジャズ音楽家としての小曽根真はいったいどうなるのか。いささか心配になってきた。(2012年5月8日記)



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